幕間 僕の正しさ(海斗視点)②
廊下を出て階段をひとつ上がると、中庭に面した回廊に出る。窓は腰の高さから上が抜けていて、夕方の風がそこから入っていた。
中庭には、傾いたバスが縄の内側にあった。大扉から石畳へ、擦り跡が二本まっすぐ伸びている。木札が縄の途中で揺れていた。技術者らしい男が三人、車体の腹を覗き込んで、一人が首を横に振っている。
門は、閉じていた。
窓枠へ手をかけて、身を乗り出す。城壁の外は下り坂で、屋根の列が坂に沿って段になっていた。その坂の途中に、幌のない荷馬車がある。歪んだ車輪が一回転ごとに荷台を右へ傾け、そのたびに影が揺れた。
荷台には、二人ぶんの影があった。並んで座っているが、顔まではわからない。日が暮れてきている上に逆光なせいで、どちらがどちらの影かも判断できなかった。
海斗は、その影が振り返るのを待った。
優菜が名残惜しげに振り返るものだと、そう信じて。
一度だけ、影のひとつが動いて、こちらを向いたように見えた。
海斗の息が、途中で止まる。
すぐに前へ戻って、それきり動かなかった。
どちらの影だったのかは、この距離ではわからない。いや、きっと優菜だ。優菜が名残惜しくて自分の決断に後悔して振り向いた。そういうことにした。
荷馬車は坂の折れ目まで行って、そのまま曲がり、屋根の列の向こうへ消えた。
窓枠にかけた指が、白くなっている。
背後で靴音がした。巡回の兵が一人、回廊の角から歩いてきて、海斗の姿に足を止める。
「勇者さま。いかがなさいましたか」
「いえ。……もう、出たんですね」
「はい。門は閉じました」
「そうですか。ありがとうございます」
顔はもう、いつもの形へ戻っていた。兵は一礼して角の向こうへ去り、靴音が遠くなる。
窓枠から指を離した。指の腹に、石の冷たさが残っている。
(宰相からは、優菜にアレを渡してあると聞いている。苦しいかもしれないけど、優菜は大丈夫だ)
渡したのは、優菜がここを発つ前の短い面会の席だと聞いた。宰相はそれを、海斗にだけ、廊下で声を落として告げてきた。〝聖女〟をみすみす手放すことに、躊躇を覚えていたようだ。〝勇者〟と〝聖女〟が揃って魔王を撃つことを、彼も望んでいるらしい。
ちなみに、あの老人が優菜のために用意したものは、思っていたより手が込んでいた。
宰相が用意したものは、帰還アイテムだ。使用者だけが、この城に戻れるらしい。しかも、それと対となるアイテム──伝書鳩の片割れみたいなものだろう──を通じて、ただ戻るだけではなく、念じれば向こうの音まで取れるのだという。用途は限られるが、その部分に関してだけはスマホよりも使える。
三つとも宰相の口から直接聞いた話で、まだ海斗はその実物を見ていなかった。よほど〝聖女〟が欲しいのか、あの宰相は優菜のこととなると、やたらと口数が増える。
(向こうの音は拾える、ね。一方的に盗聴できるアイテムだなんて、どんなリテラシーしてるんだか。まあ、異世界にそんなものを求めるのが間違ってるんだろうけど)
苦笑いを浮かべて、窓の外から目を離した。
ちなみに、優菜はその機能を使わないでほしいと宰相に言ったようだ。
(……当たり前だ。それに、僕だってそんなことをする人間じゃないしね)
窓に背を向けて、回廊を戻る。
そろそろ武器庫の方に戻った方がいいだろう。どうせ、自分がいないと話なんて何もまとまらないのだから。
いや、彼らをまとめるのが、〝勇者〟たる自分の役目だ。
職業分けがどういう理屈でされているのかはわからないが、あの水晶も実によく人を見ているものだ。自分は〝勇者〟で優菜が〝聖女〟、そして無能な映司は役立ずの〝回収士〟。完璧な分け方ではないか。
気付けば、海斗の口角は吊り上がっていた。
*
武器庫へ戻ると、美羽が卓の縁に腰かけたまま、卓の上の紙を眺めていた。支給の控えらしい。岳人はその横に立って、槍の石突きを床へ立てては倒している。石突きが石を打つ音が、一定の間を置いて部屋に響いていた。
海斗が戸口をくぐったところで、岳人が顔を上げた。
「なあ、堂島」
「なんだい?」
「久世に渡した三日分の食料ってさ。……ありゃ、どう見ても一人分だろ」
石突きの音が止まった。美羽が紙から目を上げる。
「そうだよ。二人で分けたら、二日ももたないんじゃない? 水袋も二つしかなかったし」
美羽は紙を卓へ置いて、指を二本立てて続けた。
「剛田。さすがに水は、もうちょっと入れてあげた方がよかったでしょ。普通に水なかったら死ぬと思うんだけど」
「げっ。……い、いや、俺は袋を渡しただけだからな。中身まで知らねえよ」
岳人の顎が一度だけ下がって、すぐに上がった。決めたのは自分ではない、と言いたいらしい。実際にその通りだが、なんだか責任を押し付けられた気がして、いい気はしなかった。
海斗は卓の脇まで歩いて、腰の剣の柄へ手を置いた。
「支給は、戦力に応じて配られるんだ。僕が決めたわけじゃない」
「そっか。まあ……白河さんが自分で選んだことだしね」
「そうだね。彼女が、自分で決めたことだ」
三日分。二人で割れば、三日も保つはずがなかった。
その計算を、この部屋の三人はもう済ませている。済ませたうえで、誰もそれを海斗の決定とは引き取らなかった。支給を決めたのは王国で、袋を運んだのは岳人で、ついていくと言ったのは白河。その事実だけが残った。
本当は、海斗が宰相にそう命じただけにもかかわらず。
海斗は窓のほうへ目をやった。板の隙間から、暮れかけの空が細く見える。
(三日もあれば、十分だ。いや、明日には音を上げるんじゃないかな?)
三日というのは、飢えさせるための数字ではない。
優菜がアレに手を伸ばすまでの数字だ。空腹と、何もない荒れた廃村での生活が二晩か三晩あれば、迷いはひとりでに答えのほうへ寄っていく。誰だって、ひもじく不潔になっていく自分になど耐えられるはずがないのだから。
(三日で足りなくなれば、優菜は城へ戻ってくる。戻ってきたところを、僕が迎えやらればいい。優菜は死なないし、野垂れ死ぬのは久世だけだ。逃げ道は、ちゃんと用意してあるんだから)
海斗は、自分がうまく考えたとは思っていなかった。彼女のためなんだ、とは思っているが。
(君が悪いんだぞ。あんな奴についていくなんて言うから。でも……君だって、これで僕の正しさがわかるはずだよ。これは、僕の正しさをわかってもらうためにやってるんだから。悪く思わないでくれよ)
明日の予定を、頭の中で並べた。
朝は城から説明があって、それから訓練場だそうだ。それぞれ城の騎士たちが指導してくれるらしい。
班は前衛と後衛を分けて、岳人には前を任せるつもりだ。ただ、回復のできる者は、白河が抜けたぶん頭数が足りていない。誰かを二つの班へ回すか、後衛を厚くするか。そこだけは、明日の朝までに決めなければならないだろう。
岳人が槍を壁へ立てかけて、こちらへ顎を向けた。
「白河が泣きついてきたらどうすんだ?」
「その時は、僕が迎えに行くよ。そう言ったからね」
美羽が卓の縁から立ち上がる。
「海斗って、そういうところ、ちゃんとしてるよね」
「当たり前だよ。仲間だからさ」
海斗は美羽にウィンクしてみせた。
美羽はくすっと笑って、小さく肩を竦める。
岳人が扉へ向かいかけて、途中で振り向いた。
「久世もか?」
返事は、一拍遅れた。
「……久世は、使えるようになったら、ね」
そんな日など、来るはずがないけれど。
優菜さえ戻ってくれば、彼は用なしだ。廃村で野垂れ死ぬか、魔物に喰われて勝手に死ねばいい。ここは、異世界なのだから。当然、力無き者はそうなる。
三人で武器庫を出た。
廊下の燭台には、もう火が入っている。岳人が先に立ち、美羽がその後ろにつき、海斗は二人の半歩後ろを歩いた。
歩きながら、あの半円の部屋のやり取りが浮かんでくる。
『勇者の僕が、君を守る。必ずだ』
あの時、決め台詞は最後まで言えた。間の取り方も、声の大きさも、完璧だったはずだ。
しかし──返ってきた返事は、思っていたのと違った。
『あの……私、残らないよ?』
そのあと自分がどんな声を出したのかは、思い出そうとすると輪郭がぼやける。ぼやけるというより、そこだけ他人の記憶のようになっていた。
そこで、思い出すのをやめた。
優菜は動揺していたのだ。そう考えることにした。異世界に飛ばされ、いきなり聖女だなんて大役を言い渡された直後だったのだから、無理もない。
『じゃあね、堂島くん。勇者活動……でいいのかな? 頑張ってね』
あれも、照れていたのだろう。あの場にはクラスのほぼ全員がいたのだ。あんなところで真面目に応えられる人間は、そういない。
海斗は柄へ手をかけ、握りの位置を三度直した。手のひらが汗ばんでいる。なぜかは、考えないことにした。
明日、宰相にもう一度話を聞いておこう。優菜が戻ってきてからのことを、もう少し話し合って決めておいた方がよさそうだ。
廊下の窓の外は、もう暗い。
三日あれば十分だ。どうせ、明日には音を上げるに決まっている。
そう、信じていた。




