第5話 幼馴染と、この異世界を
廊下へ出ると、後ろから生徒たちが流れ出してきた。海斗を先頭に、話しながら階段のほうへ折れていく。装備の確認へ行くのだろう。映司の横を通る時だけ、話し声がわずかに落ちた。それも、二歩ぶんで元に戻る。
最後に部屋を出てきた侍女が二人、優菜の左右についた。片方が、腕に抱えていた布の束を差し出す。仕立てのいい聖衣と、揃いの靴だった。如何にも聖女らしい服装だ。
「白河さま。お召し替えを」
「ううん。このままでいいよ」
優菜は布に触れもせずに断った。侍女は困った顔をして、束を抱え直す。もう片方が、一歩下がってから口を開いた。
「では……宰相さまが、お話をと」
「あの四人を診てからでもいいですか? 治療、まだ途中だったので」
侍女たちが顔を見合わせた。優菜はその返事を待たずに、映司のほうへ体を向ける。
先ほど、治療を中断して広間に来たのか。もしかすると、映司が海斗に連れていかれるのを見ていたのかもしれない。
「ごめん、少しかかるかも。待っててくれる?」
「ああ」
優菜が侍女に挟まれて廊下の先へ折れると、靴の音がひとつも残らなくなった。
映司は壁に背を預ける。
することがなかった。詰める荷物もなければ、荷物を置いた部屋もない。追放された立場上、装備の確認へ混ざるわけにもいかないだろう。この城で映司に割り当てられているものは、この壁のほかに何ひとつなかったのだ。
しばらくして、紺色の鞄を重ねて抱えた侍女が、向かいから歩いてきた。さっきとは別の女だ。映司は壁から背を離した。
「それ、俺の鞄が混ざってる。持ち手の付け根に、傷が入ってるやつだ」
「どちらのお部屋の分でしょう?」
侍女は足を止めて、律儀に聞き返した。
「どの部屋って……」
この人に、悪気はないのだろう。部屋の名前さえ言えば、この女は鞄を渡してくれる。渡さないための意地悪な質問ではなかった。
だが──映司は、その答えを持っていない。部屋など、割り当てられていないのだから。
「いや……やっぱいい」
侍女は一礼して、階段のほうへ歩いていった。
どうせ、大したものなど入っていない。スマホもここでは役に立たないだろう。せいぜい使えそうなのは、修学旅行中の着替えくらいだ。
廊下の燭台は、ここも同じ形をしている。真鍮の支柱に、皿と、皿の上の光。手を伸ばせば届く高さにあるが、どれも折れていなかった。
一応、手を伸ばして触れてみる。何の反応もなかった。
(壊れてないものには、何もないんだな)
映司は嘆息して、壁へ背を戻した。
足音が返ってきたのは、それからしばらく経った頃だった。
優菜は制服のままで、肩に紺色の鞄をかけていた。袖口のボタンは、両方とも留め直してある。
「お待たせ。行こっか」
「四人、どうだった?」
「うん、もう大丈夫」
「宰相のほうは?」
優菜は鞄の紐を握り直して、少しだけ首を傾けた。
「んー、内緒」
何を言われたのかも、何と答えたのかも、この顔からは分からない。
仕方なく、映司は優菜の鞄へ手を伸ばした。すると、彼女は半歩だけ体をずらして、それを避ける。
「いいよ。自分で持つから」
「重いだろ」
「大丈夫」
どうやら、引き下がる気はないらしい。反論を諦め、伸ばした手を下ろした。
優菜が先に歩き出す。映司は壁から離れて、その半歩後ろについた。
「おっ」
中庭に出ると、バスが傾いていた。
召喚の間の大扉から、石畳に幅の広い擦り跡が二本、まっすぐ伸びている。擦り跡の脇には、蹄の跡が幾筋も散っていた。何頭で引いたのか、見当もつかない。
雨も降ったようで、石畳が濡れ、割れた窓の縁に水が溜まっていた。車体の周りには縄が張られ、木札が下げてある。文字は読めないが、近寄るなという意味だろう。
縄の内側で、王国の技術者らしい男が三人、話し込んでいた。一人が車体の継ぎ目へ指を這わせ、開け方が分からずに手を引く。一人がタイヤを蹴り、残る一人が首を横に振った。
直せない鉄の塊、という結論はもう出ているらしい。
優菜は映司の隣で、両手に自分の鞄を抱えていた。
「なんかあの聖女っぽい衣装、貰わなくてよかったのか? 着替えには使えるだろ」
「うん。着替えなら、ここにあるし」
自分の鞄をぽんぽんと叩いて答えた。
まだ修学旅行半ば故、いくつか着替えの予備があるのだろう。
「映司くんの鞄は?」
「返ってこなかった」
「……私が言って取ってきてあげようか?」
「いや、いい。どうせ、何が入ってたのかも覚えてないしな」
映司は肩を竦めて、そう返した。
そんな会話を交わしていると、岳人が麻袋を提げて歩いてきた。片手で提げられるほどの大きさしかない。
「おー、いたいた。まだ出てなかったのか」
「どうした」
「ほら、食料だ。三日分な。それ以上は無理だってよ」
「三日って……信じられない」
優菜が袋と岳人とを見比べる。唇が半分開いたまま、言葉になっていなかった。
「文句あんのか? 堂島がそう決めたんだよ。それが嫌なら、戻ってくりゃいいだろ」
岳人は優菜へ顎を突き出した。堂島がそう決めた。決めたのは自分ではない、と言っておきたいのだろう。
三日という数字を出したのは、たしかに岳人ではない。足りなければ戻ってくるだろうし、戻ってこなければそれまでだ。どちらに転んでも困らない側が決めた数だった。
(なるほど、ね……『すぐ音を上げる』ってのは、そういうことか)
まさかクラスの女子、しかも聖女相手に兵糧攻めをするとは。
全く以て大した勇者である。
映司は呆れて溜め息を吐くと、優菜の前へ半歩出て、袋のほうへ手を伸ばした。
「いや、ない。助かるよ」
映司が袋を受け取ると、岳人は拍子抜けした顔をした。それから、押しつけるようにして手を離す。中身は乾いた黒パンと干し肉で、水袋が二つ添えてあった。
三日分にしても少ない。そういえば、二人分とは言っていなかった。二人で分ければ、三日ももたない量だ。
優菜が中庭を見渡してから、口を開いた。
「……堂島くんは?」
答えたのは、門のそばに立っていた兵士だった。
「武器庫の方にございます」
追放した人間を見送りもせず、武器選びにお盛んらしい。優菜は兵士のほうを見たまま、しばらく黙っていた。
映司は縄の際まで寄った。
バスの前部が石畳へめり込み、バンパーが割れて外れかけている。その割れ口の下、石畳の上に、手のひらへ載るほどの金属片が一枚落ちていた。
映司は屈んで、それを拾った。
「映司くん、それどうするの?」
「いや……まだ決めてないけど、何か役に立つ気がする」
映司はバスのほうへ体を向けた。
金属、ガラス、ゴム、布、配線、バッテリー。映司にとって、あれは鉄の塊ではない。
中庭の隅に、幌もない荷馬車が一台停めてあった。荷台の板が二枚割れていて、車輪の片方が内側へ歪んでいる。轅に繋がれた馬は、たてがみも尾も伸びるにまかせたままで、映司たちが近づいても首ひとつ動かさなかった。
御者台には、外套を着た男が座っている。手綱を膝へ置いたきり、こちらへは顔を向けない。王国が出したものは、この一台とこの男だけらしかった。
映司は麻袋を荷台へ載せ、優菜の鞄も受け取って隣へ置いた。御者台の隣はひとりぶん空いていたが、男はそこを勧めなかった。
(荷物扱い、か)
映司は荷台の縁へ手をかけて優菜を先に上げ、それから自分も乗った。板が二枚欠けているぶん、座れる場所は狭い。背にできるものは何もなかった。
門が開き、馬車が出たところで、また閉まる。
見送りに出てきた者は、一人もいなかった。
門の外は下り坂だった。石畳が途切れて土の道になると、歪んだ車輪が一回転ごとに荷台を右へ傾ける。優菜は縁を掴み、その周期に合わせて体を戻していた。
城壁に沿ってしばらく下ると、夕闇に染まる王都の屋根が眼下に広がった。振り返っても、門は閉じたままだった。
優菜は隣に置いた鞄を引き寄せ、中を探りはじめた。
「はい、これ。映司くんの。私の分もあるから、一緒に食べよ?」
差し出された手のひらに、見覚えのある包みが載っていた。プリン味の飴だ。
「お前な……」
「酔い止め代わりになるかなって」
「だから、酔わないって……」
「うん。知ってる」
優菜はそう言って、自分の分を先に口へ入れた。頬の片側が、飴の形にわずかに膨らむ。
行き先は魔力汚染で捨てられた村で、食料は三日分しかない。それでも優菜は、どこか嬉しそうだった。
(……何がそんなに楽しいんだか)
映司は包みを剥いて、飴を口に入れた。乳くさい甘さが、坂を下る風の中で少しだけ薄まる。
目の前に広がるのは、異世界の光景。こうしてクラスの連中から離れてみると、改めて実感した。
本当に異世界に来てしまったのだ、と。
そんな異世界で帰る算段がない中、ただの高校生ふたりが……いや、〝回収士〟と〝聖女〟のふたりが、どうやって生きられるのだろうか。
それは、わからない。
ただ、不思議とこの幼馴染の笑顔が横にあると──どんな困難でも、乗り越えられる気がした。
書籍だとここが一巻一章の〆と言う感じでしょうか。
もっとさくさく進めたかったのですが、情報量が多くてまとめるのが大変……クラス転移、難しい。
次は海斗視点回となります。ハズレジョブの主人公と聖女な幼馴染の異世界ライフ、よかったら楽しんでやってください!
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