第4話 勇者の多数決
映司が返事をするより先に、海斗は広間の出口へ体を向けていた。
「歩きながらでいいかな。……みんな、待たせちゃってるから」
待たせている、と海斗は言った。映司は、集まる話を聞いていない。
海斗が先に立って歩き出したので、映司は膝についた埃を払ってからその後ろへついた。
廊下は、来た時と同じ幅だった。壁の燭台が同じ間隔で並び、同じ光を点している。海斗は半歩ぶん先を歩き、時々こちらの歩調へ速度を落とした。歩き方に迷いがない。この城の間取りを、もう覚えているらしい。
「白河、すごかったな。あんなの、僕でも鳥肌立ったよ」
映司は返事をしなかった。海斗は気にした様子もなく、次の角を曲がった。
(鬱陶しいな……俺に、何の用だよ)
優菜は侍女に囲まれたまま、どこかへ連れていかれていた。あの様子だと、しばらくは解放されないだろう。
次の角で、向かいから侍女が三人歩いてきた。腕に抱えているのは、学校指定の紺色の鞄だった。ひとりで四つも五つも重ねている。倒れたバスの中から運び出したのだろう。
すれ違う時、映司は自分の鞄を見つけた。持ち手の付け根に、去年ぶつけた傷が残っている。
侍女たちは会釈もせずに通り過ぎ、階段のほうへ折れていった。部屋割りは、さっきザイフェルトが述べていた。名前は順に読み上げられたが、その中に映司のものはなかった。
鞄は運び出して、バスは置いていく。名前と使い道の分かる物だけが、この城では荷物と呼ばれるらしい。
三つ目の角の手前で、片側の扉が開いていた。中に寝台が並べてあり、その上に見覚えのある制服が四つ。バスから担架で運び出された連中だ。
寝台の間に、優菜がいた。袖を肘まで捲って、寝ている生徒の腕へ手をかざしている。手のひらから、先ほどの白い光が出ていた。聖女の力とやらで、治療しているのだろう。侍女が二人、たらいと布を持ってその後ろに立っている。先ほど彼女が連れていかれた理由が、ようやくわかった。
それでも海斗は速度を落とさない。
映司も、優菜に声をかけなかった。治療に集中しているところへ声をかけても、邪魔になるだけだ。
角を三つ曲がった先に、両開きの扉があった。謁見の間ほどではないが、それでも教室が二つ入りそうな幅がある。
扉の向こうから、話し声が漏れていた。一人が長く喋って、何人かが短く返す。会議が終わりに近づいた時のような喋り方だった。
海斗が取っ手へ手をかけ、押し開ける。
「だから、堂島がそう言うなら……」
扉が開くと、その声が途中で切れた。
椅子が半円に並んでいた。空いているのは、その正面の一脚だけだった。
(なんだ、これ)
半円の内側に、クラスのほぼ全員がいた。岳人が右寄りで足を投げ出している。美羽はその隣で脚を組んだまま、扉のほうへ顔を向けた。左の端には、腕を組んだ男子が一人。榊だ。バスケ部で、確か岳人と同じ体育館を使っていた。
佐伯久実子は後ろ寄りの椅子にいて、膝の上で両手を重ねている。制服の袖口が、両方とも濡れていた。そういえば、彼女も回復職を割り当てられていた。優菜と同じく、治療を手伝っていたのかもしれない。映司が入ってきたところで、その手が少し動いた。
壁際にはザイフェルトが立ち、その後ろに兵が二人ついている。
優菜は、まだここには呼ばれていないらしい。
海斗は映司を扉の内側へ残したまま、半円の側へ回り込んだ。回りきってから、正面の一脚を手のひらで示す。
「久世。そこに座ってくれ」
映司は言われたとおりに腰を下ろした。椅子の脚が石の床で鳴る。半円の内側から、二十いくつぶんの顔がこちらを向いていた。
海斗は座らなかった。半円の中央、映司の正面に立ったまま、両手を軽く前で組む。それから、息をひとつ吸った。
「言いにくいんだけどさ。……全員で生き残るなら、久世は冒険には連れていけない」
「理由は?」
何となく意図はわかるが、映司が短く返す。すると、海斗はいったん目を伏せてから答えた。
「支給には限りがある。戦えない一人を守り続ける余裕は、正直ない」
「…………」
映司は黙り込んだ。
言い返す材料ならある。壁際で燭台に触れた時、〈遺失査定〉が読み上げてきたものを、映司は自分で確かめた。力の使い道なら、色々とあるはずだ。
だがそれは、鑑定官が広間の全員の前で読み上げた内容の範疇の能力でもある。読み上げられて、その上でこの結論になっているのだ。
(言ったところで、同じか)
もともとクラスでも立ち位置がなかった。扱いは、こんなものだろう。
そこで、背後で扉が開く音がした。
映司が振り返ると、優菜が立っていた。走ってきたのか、息を切らしている。その肩には、紺色の鞄を掛けていた。同じく、後ろについていた二人の侍女も、少し息を荒らげている。
彼女は半円と、その正面に座らされている映司とを順に見て、それから扉のところで足を止めた。
どこか不服げに、海斗に問う。
「何の話、してたの?」
「白河。ごめん、ちょうど今、大事な話をしてて」
海斗はそう言いながら、半円の中ほどの椅子を手のひらで示した。両隣の女子が体をずらして場所を作る。侍女たちは扉の内側へ下がり、そこから動かなかった。
優菜は示された椅子まで歩いて腰を下ろす。鞄は膝から下ろさなかった。
「……大事な話って?」
「白河さんが来る前に、説明は終わってるから」
答えたのは海斗ではなく、美羽だった。優菜が不安そうに映司のほうへ顔を向ける。
映司は首を横に振った。説明できることが、映司の側にも何もなかったからだ。
〝勇者〟は話を続けた。
「これ、久世のためでもあると思うんだ。戦えないのに前線に出されたら、久世だってきついだろ? そんな戦えもしないジョブとスキルでさ?」
時折、周囲に同意を求めるようにちらちらと見ながら話している。言いにくいことを言う人間の顔、というのはこういうものだろう。
半円のどこかで、椅子が軋んだ。それきり、誰も口を挟まない。
そこで一度、彼は全員へ顔を向けた。
「反対なら聞くよ。ちゃんと聞く。ただ、代案なしで反対だけっていうのは勘弁してほしい。みんなの命がかかってるから」
反対するなら代案を出せ。出せないなら黙っていろ。
言い換えればそうなるが、海斗の言い方では、そうは聞こえなかった。
半円の右寄りで、男子の一人が身を乗り出した。
「あの……追い出すって、どこにやるの?」
追い出す、という言葉が半円の真ん中へ落ちる。
追い出すときたか。結局、その言葉が彼らの本音なのだ。
実際に、誰もその単語を拾わなかった。言い直させるより先に、答えのほうが来たからだ。
壁際から、ザイフェルトが一歩前へ出た。
「堂島さまから、伺っております」
伺っております、と宰相は言った。鑑定が終わって、まだほんの少ししか経っていないのに。
そういえば、鑑定のすぐ後、海斗たちは広間で輪になっていた。あの僅かな間に、もう映司を追い出す話をしていたのだろうか。
「王都の配給は、戦力に対して配分されます。久世さまには……辺境に、放棄された村をひとつ、お渡ししようかと」
戦えない者には配られない、だから王都にも置いておけない、という理屈のようだ。置いておけないから、外へ出す。行き先は、『放棄された村』。
どこまでも人をバカにした話であるが、一応筋は通っていた。その筋を通す人間が、何の相談もなく鑑定の終わった時点で決まっていたことを除けば。
ザイフェルトは長衣の袖から巻いた紙を抜き、両手で広げてみせた。線を数本引いただけの略図だ。ただ、不自然に折り目が擦り切れている。王都から東へ外れ、山の裾に入ったあたりへ印が打ってあった。
「魔力汚染により、二十年前に放棄されました。井戸は枯れ、畑も戻っておりません。ただ、屋根の残った家屋がいくつか。こちらの村を、自由にお使いください」
二十年前。さっき謁見の間で聞いた、東の国境が破られた年と同じだ。国が押されはじめた年に、国の内側の村がひとつ捨てられている。
(……偶然、か?)
屋根の残った家屋がいくつかある村を与える。その一言で、半円の顔が上がった。
追い出すのではない。住むところのある場所へ送るのだ。そう言い換えるための材料が、たった今、宰相の口から出された。
生徒たちは略図のほうへ身を乗り出しはじめている。放棄された村、という言葉に引っかかっている者は、もういなかった。
議題は、久世映司を追い出すかどうかではなくなっていた。どこへ送るか、という話に変わっている。どいつもこいつも、自分の身のことでないと、不都合なことはとっとと忘れるらしい。便利な脳味噌をしているものだ。
海斗が半円を見渡した。
「じゃあ、反対の人だけ手を挙げてくれる? そのほうが久世も気が楽だろ?」
反対の人だけ。実に姑息なやり方だ。挙げれば、誰が反対したかが全員に分かる。
こんなもの、晒し上げ以外の何物でもなかった。
部屋が、途端に静まり返る。膝の上で指を組み直す音、椅子の軋む音。誰かが咳払いをして、それきり黙る。
そんな中──手が一本、挙がった。
優菜だ。
海斗が、意外そうな顔をした。
「白河……? 本気かい?」
「うん」
優菜は挙げた手を下ろさなかった。肘を伸ばしきって、半円の全員から見える高さへ置いている。
右手側で、美羽が脚を組み替えた。
「……白河さん。感情の話じゃないよ。人数と食料の話なの」
「わかってるよ。それでも、私は反対かな」
優菜の声は大きくなかった。ただ、それでも躊躇している様子はない。
美羽は何かを言いかけて、やめた。組んだ膝の上へ、指を二度打ちつける。
海斗が優菜のほうへ顔を向けた。
「白河は優しいからな。……ありがとう。でも、多数決で決めるって話だから」
優しいから、と海斗は言った。理由をそう決めてしまえば、あとに残るのは数だけになる。
左の端で、榊が組んでいた腕をほどいた。
「悪いが、俺は棄権だ。賛成も反対もしない」
「わかった。ありがとう、榊」
海斗が短く頷くと、榊はそれ以上は言わずにまた腕を組んだ。
後ろ寄りの椅子で、佐伯久実子の手が膝から浮いた。肘が伸びきる前に、その手は止まった。佐伯は優菜の挙げた手のほうへ目を向けて、それから自分の手へ戻す。手は、膝の上へ下りた。
「……久世くん、ごめん」
佐伯は俯いたままそう呟いた。
映司は特に頷きも返さなかった。謝られたって、何を返せばいいかわからないからだ。
挙がった手は、最後まで優菜の一本だけだった。
岳人が背もたれへ体を預ける。
「つーか正直、最初からいらなかっただろ。廃品回収係なんてよ」
「岳人」
「岳人。言い方には気を付けろ」
美羽が先に名前を呼んで咎め、海斗が後から重ねた。岳人は肩をすくめて、それきり黙る。
海斗は映司へ向き直った。
「……でも、結論は変わらない。ごめん、久世」
岳人の言い方は直されたが、決まったことは直らなかった。
映司は小さく息を吐いて、椅子から立ち上がる。
「必要ないと言うなら、それでいいさ。俺も、俺を要らないって言ってる連中のために働くつもりはないからな」
「久世、それは──」
海斗が半歩前へ出た。組んでいた手が、ほどけている。
「言っておくけど、俺は怒ってないよ。お前も俺も、事実を言っただけ。そうだろ?」
映司が言い終わると、海斗は出しかけた足を戻した。それから、少しだけ声を落とす。
「恨むなよ。……もし君が使えるようになったら、その時は迎えに行くから」
「使えるようになったら、か。せいぜい精進するよ」
映司は鼻で笑った。
汚染された廃村で野垂れ死ぬことを想定しているくせに、よく言ったものだ。
海斗が口を開きかけて、そのまま閉じる。
映司は椅子を戻してから歩き出した。
扉までは、半円の外側を歩いた。誰も立ち上がらない。岳人は足を投げ出したまま、美羽は膝へ指を置いたまま、榊は腕を組んだまま。そして、佐伯は俯いたままだった。
取っ手へ手をかけたところで、後ろで椅子の脚が鳴った。
映司が振り返ると、優菜が立ち上がっていた。膝に載せていた鞄を、肩へかけ直している。
海斗も立ち上がって、半円の中から呼びかけた。
「白河。さっきのは、気にしてないから。君も気にしないでくれ」
「え? 何が?」
海斗の言葉の意図がわからなかったのか、優菜がきょとんとして首を傾げる。
「クラスメイトを見捨てるのはつらいかもしれない。でも、君は聖女だ。聖女は魔王討伐に必要だし……それに、安心してくれ。勇者の僕が、君を守る。必ずだ」
「あの……私、残らないよ?」
海斗がしっかりと決め台詞と言ったところで、優菜は困ったような笑みを浮かべた。声にも、指にも、迷ったところがない。
きっと、その発言の意図を汲めた者は、ここにいなかった。幼馴染の自分も汲めていない。
「は……!?」
海斗が目を見開き、間抜けな声を上げた。
そんな海斗に、彼女はきっぱりと返す。
「私、映司くんについていくから。だって、映司くんが足手まといだなんて、有り得ないし」
「なっ──」
想像もしていなかったのか、海斗が死にかけの魚のように、口をパクパクとさせていた。
ただ、それは映司だって同じだ。
(何を言ってるんだお前は──)
そう否定しようとしたところで、ザイフェルトが壁際から二歩出てきた。兵の一人が扉のほうへ動く。半円の生徒たちが、一斉に優菜へ顔を向けた。
これは、よくない空気だ。下手をすれば、優菜が拉致されてしまうかもしれない。
映司は慌てて扉から離れ、優菜のところまで戻った。
「おい、優菜。何言ってんだ。お前は残れよ。ここにいれば、安全なんだから」
「今更だなぁ」
どこか呆れたような声音だった。彼女は小さく溜め息を吐く。
何が今更なのか、意味がわからない。
「安全とか噂とか……そういうの気にしてたら、バスでも隣になんて座ってないし、班も誘わないよ?」
「はあ? どういうことだよ?」
「さあ? どういう意味でしょう?」
優菜は悪戯っぽく笑って、わざとらしく小首を傾げてみせた。
どこかからかうような、試すような物言いだ。
「意味がわかんねぇ……」
「わからなくていいよ。でも、変わらないから」
笑みをなくし、神妙な眼差しでこちらを見据える。
どうやら、意見を変える気はないらしかった。
こういうところで意固地なのは、昔から変わらない。
結局、映司はこう言うしかなかった。
「……勝手にしてくれ」
「うんっ。じゃあ、勝手にするね?」
映司が言い終わる前から、幼馴染は楽しげに笑っていた。
バスの中の時と、同じやり取りだ。あの時と違うのは、勝手にする先が修学旅行の班分けではないということだけだった。
「ま、待て」
海斗が手を伸ばした。
「お、おい白河──」
「じゃあね、堂島くん。勇者活動……でいいのかな? 頑張ってね」
呼びかけは、途中で断ち切られた。海斗は手を伸ばしたまま、口を半分開けて止まっている。
後ろ寄りの椅子から、佐伯久実子がこちらへ体を向けていた。膝の上で手を重ねたまま、動かずにいる。
そこで、映司と目が合った。合ったところで、佐伯はすぐに目を伏せる。何か言いたいことでもあったのだろうか。
「そ、そんな……」
海斗の声から、さっきまでの温度が抜けていた。
岳人が身を乗り出す。
「おい、堂島」
名を呼ばれ、海斗がはっとして背筋を伸ばした。伸びきると、顔もいつもの形へ戻る。
扉の脇の兵が、通り道を塞ぐ形へ体を回した。壁際で止まっていたザイフェルトが、優菜のほうへさらに足を進める。
「堂島さま。聖女さまは、この城に──」
「ザイフェルトさん、いいんです」
海斗は宰相へ手のひらを向けたまま、そこで一度、言葉を切った。
「白河は、すぐ音を上げますから。……その時は、僕が迎えに行きます」
ザイフェルトの足が止まった。胸の前で組み直した手が、もとの角度へ戻る。兵も、扉の脇へ下がった。
勇者が一言口を挟むと、宰相の足が止まる。映司を外へ出すと決まった時と同じだ。余程、勇者という役職には権限が与えられるらしい。
(迎えに行く、ね)
さっきの使えるようになったらと言い、実に傲慢な物言いだ。
いい奴を装っていたようだが、これがこいつの本性なのかもしれない。
海斗が半円のほうへ向き直る。
「みんな、行こう。日が暮れる前に装備の確認しないと」
声は扉の前まで届いた。
半円が解け、椅子の脚が一斉に鳴る。
「俺たちも行くぞ」
「うん」
映司は優菜の肩を押して、先にふたりで廊下へ出る。
ふたりを呼び留める者は、いなかった。
高校のクラスメイトなんて、所詮はそんなものだ。
もともと希薄だったものが、異世界で露骨になった。それだけだろう。




