幕間 僕の見立て(海斗視点)
個室を与えられているのは、クラスでも堂島海斗ひとりだった。〝勇者〟だから、というのがその理由らしい。
寝台があって、卓があって、椅子が二脚ある。燭台の火が卓の上で揺れていて、水差しの腹に小さく映っていた。ほかの者はいくつかの大部屋に分けられて詰められている。王国側に文句を言う者はいたが、海斗に向かって言う者はいなかった。
異世界へ来て、二日目の夜。
海斗は岳人と美羽に、風呂を済ませたらこの部屋へ来るよう伝えてあった。今日一日の様子を三人で報告し合って、明日の班を組み直すためだ。それで先に自分の湯を済ませ、寝台の縁に腰を下ろして待っている。二人の湯が、少し長引いていた。
今日は朝から、城の側が用意した予定で埋まっていた。午前は、それぞれの職業についての簡単な説明と、戦い方の座学。午後は前衛職と後衛職に分かれての訓練で、城の騎士が指導についた。後衛はさらに、支援職と攻撃魔法職に分かれて行われた。戦い方が異なるからだ。
前衛のまとめ役は岳人、後衛全体は美羽、それらを統括するのが〝勇者〟の海斗。城の側がそう割り振ったのではない。海斗がそう組んで宰相に伝え、そのまま通った。
実際に、クラスをまとめるにはこの布陣が一番海斗にとって都合がいい。
海斗たちの生活は、一応保証されていた。
食事と風呂は城が用意することになっている。だが、日本の飯ほど美味くはなかった。風呂も、どこまで清潔なのかはわからない。シャワーはなく、湯を桶で被るしかなかった。備え付けの石鹸やシャンプーらしきものは、匂いも泡立ちも悪い。特に入浴関係は女子から不満が出ていた。それでも入らないよりはましなので、全員が文句を言いながら入っている。
生活面の不満は多かった。だが海斗自身は、この異世界生活に割と満足していた。
午後の訓練で、はっきりしたことがある。
自分は、強かった。間違いなく、クラスで一番だ。
(まあ、〝勇者〟だからね。当然といえば当然だけど)
当然と言いながら、海斗は今日、三度その数字を数え直していた。騎士が目を見張った回数、剣の届いた距離、まともに打ち合えた相手の数。岳人と美羽も相当なもので、前衛と後衛でそれぞれ頭ひとつ抜けている。この三人で回せば、当分は困らないはずだ。
廊下の足音が近づいて、扉が開いた。岳人と美羽が入ってくる。二人とも湯上がりで、髪がまだ湿っていた。岳人は手拭いを首にかけたままだ。
「いやー、疲れた。風呂入っても抜けねえわ、この疲れ」
岳人は椅子のひとつへどさりと座って、両脚を投げ出した。
美羽は椅子まで来ずに戸口の脇へ立ったまま、顔を顰める。
「あたし、明日絶対に筋肉痛。ていうか今日のお湯、ぬるくなかった?」
「そうだね。ぬるかった」
海斗は寝台の縁から頷く。
美羽はげんなりとした様子で髪を摘まんだ。
「ここのシャンプー使ったら髪バシバシになったんだけど。トリートメントもないし」
「女子は大変だな。俺らそこまで気にならないけど」
髪の話になると、岳人が首の手拭いで耳の後ろを拭った。
美羽は岳人を横目で見ただけで、もう一脚の椅子へ腰を下ろした。
「ガサツなのってこういうところでは強いよね」
「誰がガサツだ」
「いいから……とりあえず、報告会を始めよう」
海斗はふたりの会話を横目に寝台から立ち、卓の上に紙を一枚広げる。今夜のうちに、明日の班を組み直しておきたかった。
「へいへい。んで、どこからだ?」
「まずは、今日きつそうだった人から」
岳人が投げ出していた脚を引いて、椅子の上で座り直した。
「前衛はまあ、動けてる。基本運動部の奴らだからな。ただ、体力はともかく、性格的な問題で二、三人はもう心が折れかけてる。剣持たせても手が震えててよ」
「後衛はもっと露骨よ。座学の途中で泣き出した子もいたし」
美羽が卓に肘を突く。
「『修学旅行中だったのに』ってやつな。まあ、気持ちはわかるけどよ。俺も同じだし」
「もちろん、あたしも、気持ちはわかるわよ? でも、言ってても何も変わんないし。空気悪くなるだけなんだから、我慢してよって感じ」
岳人は面倒がる言い方で、美羽は切り捨てる言い方をしていた。
二人の温度は違ったが、挙げてくる話は重なっていた。
『何でこんなことしなきゃいけないんだ』『帰りたい』『怖い』『訓練なんかしたくない』
当たり前だが、こういった不満が上がっているらしい。
岳人がそれを言った生徒の声色を真似てみせて、美羽が「似てない」とツッコミを入れていた。
海斗は紙の端へ、名前を順に書いていった。四つ。前衛が二つ、後衛が二つ。
「そうか。とりあえず、そのへんの人たちは明日、僕が回って声をかけるよ。前衛の二人と、泣いてた子から」
「順番あんのかよ」
「もちろん。効くところからやったほうがいい。一人立ち直れば、周りも変わるからね」
紙へ目を落として、続ける。
「脱落しそうなのは、これで全員かな」
言ってから、自分の言葉を耳で拾い直した。
「……じゃなくて、しんどそうな人、ね」
言い直しても、中身は同じだった。このあたりを明確に見定めなければ、班を組めない。
守る側が見定めるのは、当たり前のことだ。ここで手を離せば、あの四人は本当に落ちる。落ちれば、隣の誰かも落ちる可能性が高かった。それを止められるのは、〝勇者〟たる自分だけだ。
(僕がやらなきゃ、誰がやるんだよ。……全く、〝勇者〟も楽じゃないな)
そう思う自分を、海斗は少し好ましく感じていた。異世界に来て自分だって大変なのに、それでもクラスを慮る。本当に自分はまさしく〝勇者〟なのだと思う。
紙の上の四つの名前へ、順番の数字を振った。
報告が終わると、椅子の背に体重が戻る。ここからは、ふたりの愚痴タイムだ。
その量は、美羽のほうが圧倒的に多かった。
「あのお風呂。あれ、お湯替えてると思う? あたし三番目だったんだけど、もう色が変わってたんだけど」
「言うなよ。俺、たぶんもっと後だぞ」
「桶も足りてないし。二人で一個って何なの」
「仲良く使い合えよ。男子はやってんぞ」
美羽は椅子の上で脚を組み替えて、髪の先をまた摘まんだ。
「分け合ってるわよ。あと、マジでシャンプーとトリートメントは何とかしてほしいんだけど。全然いい匂いしないし、髪痛むし」
「トリートメント持ってきてねーの?」
「旅行用よ? すぐなくなるからって、皆備え付けのやつを使わざるを得ないの」
「……女子、大変だな」
岳人が同じ台詞を、二度目に口にした。今度は、からかう調子が抜けている。
美羽はそれを聞き逃さなかった。
「男子よりはね」
海斗は紙の裏を返して、卓の真ん中へ滑らせた。
「やめないか、二人とも」
「へいへい」
岳人と適当に返事しつつ、椅子の背に体を預けた。
「まあ、食えて湯に浸かれるだけマシだろ。野宿じゃねえんだから」
「マシって言い方でごまかすのやめてくれる? これが何週間続くとか考えたことあるの? 帰れなかったら、一生続くのよ?」
「それは……まあ」
岳人が首の手拭いを外して、膝の上で丸めた。反論は出てこない。
水のことも、美羽は文句を言った。飲む水の量が足りない、夜に喉が渇いても、汲みに行く場所がわからない。飯は味が薄く、硬く、献立も微妙。女子の大部屋では、同じ文句が三倍の声で回っているという。
海斗はそれを、途中から紙の裏へ書き留めはじめた。
「わかったわかった。明日、相談してみるよ」
「言えんのかよ、そんなこと」
「言うよ。呼びつけたのは向こうなんだから、こっちの生活は保障してもらわないと困る」
美羽の目が、紙から海斗へ上がった。
「……海斗、そういうところは頼りになるよね」
「そういうところは、って何さ」
「そういうところは、よ」
美羽は答えずに、口の端だけで笑った。
ただ、言い方は考えなければならいだろう。文化レベルの違う相手に「もっとちゃんとしてくれ」と言っても、たぶん通じない。湯を何日ごとに入れ替えるのか、桶を何個用意するのか、水差しを部屋ごとに置けるのか。そこまで数字で出して、初めて話になる。
三人で案を挙げていくうちに、卓の上の紙が半分埋まった。湯の入れ替え、桶の数、部屋ごとの水差し、塩、布。岳人が「食事」の欄に大きく丸を描いて、美羽に取り上げられている。
この時間だけは、元いた世界での時間を思い出した。教室では、いつもこうやって三人で冗談を言い合っていたから。
でも、今の自分たちが置かれている状況は、それを許してくれない。
紙を四つに畳みかけたところで、美羽が「あっ」と声を上げて、海斗の手を止めさせた。
「そうだ。後衛の班分けなんだけど、支援職のほうはほぼ佐伯さんに任せてる」
「佐伯に?」
「うん。支援職の子たち、あたしだと話が通らないんだよね。返事、短いし。目も合わせてくれないし」
岳人が丸めた手拭いで、美羽の肘を小突いた。
「それ、美羽が怖えんだろ」
「うるさい。……まあ、それはあると思うけど」
美羽は否定しなかった。
海斗は紙を卓へ戻す。
「佐伯は、やれてる?」
「頑張ってはいるよ。でも、人まとめるタイプじゃないじゃん、あの子。見てて危なっかしい感じはある」
「そうか」
海斗は短く受けた。
そこも注意して見なければならなそうだ。
美羽が髪を耳へかけて、卓の木目へ目を落とす。
「あの子たち、もともと白河さんと仲良かったからさ。あたしは接点ないんだよね」
言い方に棘はなかった。報告として置いただけだ。
ただ、そのあとに一つだけ、余計な話が足された。今日の終わりに、佐伯が美羽のところへ来て口を開きかけ、そのまま閉じて戻っていったという。何を言うつもりだったのかは、美羽もわからなかったそうだ。海斗も、それ以上は訊かなかった。
「……わかった。じゃあ、そこも明日、僕が話すよ」
海斗はそう引き取った。支援職と美羽のあいだで話が通っていないなら、通る人間を一枚挟めばいい。担当を替えれば済む話だ。
岳人が椅子の背へ腕を回して、天井を見た。
「なあ、堂島」
「ん?」
「白河はまだ戻ってこないのか?」
「……みたいだね」
海斗は、頷いた。
それだけだった。
岳人もそれ以上は訊かず、美羽は言いかけて、口を閉じた。燭台の火が一度伸びて、また縮んだ。
優菜がいれば繋がっていた線が、いま何本か切れている。岳人も美羽も、そう言いたかったのだろう。
それも一理ある。だが、海斗はそれを、担当を替えれば済むことだと考えていた。
「よし、今日はこれで解散だ。また明日やろう。何か引っ掛かることは、何でも教えてくれ」
「了解」
「はぁい」
二人は間もなく立ち上がった。岳人が手拭いを肩へ戻し、美羽が椅子を卓の下へ入れる。廊下へ出ていく足音が、角の向こうで小さくなった。




