あの日の女生徒
上加地の眼光は、日に日に鋭くなっていた。周囲を睨みつけるようにぎらぎらしている。授業中も常に苛々していて、生徒が少しでも解答に窮すると、強い口調でしっ責した。
授業終了のチャイムが鳴ると、上加地はすぐに教室を出ていくので、上加地の背を見ると生徒たちは一斉に安堵した。上加地の授業が終わった後の解放感はすばらしかった。
ただでさえ厳しかった授業はさらに厳しくなり、隈の濃くなった風貌と相まって、生徒たちは隠すことなく上加地を怖がった。廊下を歩いていても、目を合わせないように下を向いて通り過ぎる。挨拶をするだけでも怒鳴られそうだったため、みな怖がって口も利かなかった。
上加地はそんな生徒たちに目もくれず、ただあの少女のことを考えていた。職員室へ戻って、ためこんでいた資料を眺める。
――あの時たしかに、彼らは外へと飛び出したんだ。あの少女が、階下へと飛んだように。きっとそうだ、彼女は近くにいる。土地なのか、音羽の家なのか、何が核心なのかはわからない。だが、近くまで来ているんだ。
上加地は追い求めていたものに近づいているのだという、たしかな手ごたえを感じていた。
音羽の家では、音羽清光が一番年若である。音羽清光の年齢では、もう彼女を見ることは無理だろうと思っていた。またもし見ることができていたとしても、聞いたところで記憶はないだろう。
座敷童子とはそういうものだと、多くの伝承から上加地は学んでいた。よって清光が座敷童子など知らないと答えに対し、がっかりはしたが納得もした。むしろ思い出すことができた自分は特別なのだという、優越感にも浸ることができた。
上加地の目的は、どうにかして音羽清光に近づいて、音羽家に訪れることだった。できることならかつてのように忍び込んでしまいたかったが、今はもうそれが許される子どもではない。
合法的に訪れる方法として、教師という立場は好都合に思えた。学院の教師であれば、生徒の家を訪れることはそれほど怪しまれることではない。
そして音羽家の親戚筋である、佳乃子の同級生だという要素も持っている。民俗学を研究していると言えば、蔵を見たいと言ってもなんら不審ではない。
心配していたのは、佳乃子のことだった。上加地があの小箱を盗んだということにもし佳乃子が気づいていたならば、清光にそれを伝えている可能性があったのだ。そうであれば、音羽家を訪れることが難しくなってしまう。
しかし先日清光と話した限りでは、その心配もなさそうだった。これでもう、音羽家を訪れる障害はないのではないか。
あの少女は、常に音羽家にいるのではないのかもしれない――上加地はその可能性も考え始めていた。昔話にでてくるような印象そのままで、座敷童子をとらえすぎていた。上加地のように記場を思い出す場合だってあるのだから、座敷童子が一つの家だけでなく、あちこちへ移動している可能性だってあるだろう。
音羽家からあちこちへ移動しているのだろうか? いや、もしかしたら、彼女はすでに音羽家にいないのかもしれない。この早瀬学院に移ったのだとしたら願ってもないことだが、会えなければ意味はない。
シンという名の手がかりがありながら、そこから先へは進めぬ苛立ちが上加地を苦しめた。やはり図書室の出来事に囚われず、一旦音羽家へ行くことを優先させるべきだろうか。
次の授業が終わったならば、音羽清光に話を持ちかけてみよう――そう思って、上加地は次の教室へと移動した。早瀬学院の生徒は真面目な生徒が多いため、授業が始まる前にみな手洗いや教室移動をきちんと済ませている。チャイムが鳴る直前には、廊下に生徒たちの影はなくなる。
生徒たちが移動を済ませたところで、上加地は次の教室の扉を開けようとした。
しかしその時、廊下の先に、女生徒が一人佇んでいることに気がついた。間もなく授業が始まるというのに、何をしているのだろうか。早く教室へ入るように怒鳴ろうとした時、その女生徒が上加地のほうへ、ちらりと目線を寄こした。
上加地は思わず、持っていた教材を落としそうになった。その顔は、その吸い込まれそうな瞳は、図書室の鍵を開けてくれと頼みにきた、あの時の女生徒のものだったのだ。
あの日以来思い出そうにもぼんやりとして思い出せなかったが、顔を見たとたんに上加地の記憶がよみがえってきた。そうだ、こんな整った顔立ちをしていたのだった。
女生徒は一瞬上加地のほうを見たかと思うと、また向き直って廊下を曲がり、姿が見えなくなってしまった。
「ちょっと待ってくれ、君……!」
上加地は間もなく授業が始まるというのに、慌ててその女生徒の後を追った。
「――どこだ? どこへ行った……?!」
廊下を走って追いかけたが、廊下の先にはすでに女生徒の姿は見当たらない。
「……っくそ!」
上加地は舌打ちをしたが、このあたりの教室へ入ったことは間違いなかった。とりあえず、一番近くにあった教室の扉を開けようとした――が、そんな焦る上加地を笑う声がして、上加地は振り返った。
「先生、どうかされたのですか?」
振り返ると、そこには先ほどの女生徒が微笑しながら立っていた。いつの間にそこに、と思ったが、もはや上加地にはどうでもよいことだった。
「君……! ようやく、ようやく見つけた――! 君は覚えているか? あの図書室での出来事を! 先週、君が図書室を開けて欲しいと言った日だよ。あの時、図書室の鍵が開いていて……――」
上加地は焦るあまり、早口でまくし立てた。廊下に佇む二人の後ろで、授業が始まるチャイムが鳴っている。
「ふふ、もちろん覚えています。私、今日も先生にお願いがあるんです」
女生徒は相変わらず、口元に笑みをたたえながら言った。まっすぐに上加地を見ている。
「――お願い?」
それよりも今はこちらが聞きたいのだ、と思いながらも、上加地はその少女の雰囲気に押されてしまった。
「図書室へ、一緒に行っていただけませんか?」
「……図書室?」
「そう、図書室へ。一緒に来てくださいますよね?」
とうとうチャイムが鳴り終わってしまった。もう教室内から教師たちの声が聞こえ始めるはずなのに、上加地たちの周囲は怖いくらいに静まり返っていた。まるで今この校舎には、二人しかいないようだ。
「さあ先生、早く行きましょう」
受け持ちの授業時間はもう始まってしまっている。図書室の件を聞きたいが、今はとりあえずこの女生徒の学年とクラスを聞いて、早く教室へ戻らなくてはいけない。
「――あら、よいのですか? 私、図書室で見たのに……」
「見た……――?」
「先生もご覧になったでしょう? あの時、少女が外へ舞い降りていくのを――あの少女が今、図書室にいるのです」
「なんだって……――⁈ 今、なんと……――」
女生徒の唐突な言に、上加地の思考は追いつかなくなった。
――あの少女が今図書室にいる? なぜだ、なぜこの生徒はそんなことを言う? いや、今図書室へ行けば、彼女がいるというのか?
うろたえる上加地を見て、女生徒は包み込むように笑った。
「ええ、先生は会いたかったのでしょう? ――さあ、図書室へ行きましょう」
女生徒はそう言うと、上加地に背を向けて歩き出した。
――そうだ、この生徒の言う通りだ。私は、図書室へ行かねばならないのだ。
女生徒の笑みを見ると、上加地の中に雑事が消えて、強くそう思った。
上加地はふらふらと、女生徒の後をついていく。前を歩く女生徒はもう上加地を見てはいないのに、ガラス玉のような女生徒の瞳が、まだこちらを見ているような気がした。
教師にも生徒にも、誰にもすれ違わなかった。二人は無音の校内を歩き、図書室へとたどり着く。
「――さあ、先生。あとはもう、お好きになさって」
女生徒は上加地を図書室の前へ導くと、ふふ、と笑って姿を消した。




