オオバコ
嵐の晩、カオルは音羽家へ帰って来なかった。サクラは蔵の片隅にうずくまったまま一人夜を過ごし、嵐の過ぎたことに気がついたのは、朝の白々明けの頃だった。
「朝……?」
薄く白い陽が蔵の中に入る。どこかで鳥の鳴き声もするようだ。
力なく立ち上がって窓を開けると、昨晩の嵐の名残がありありと残っていた。木立は葉を落とし、中庭の前栽は横倒しになっている。
「酷い……――」
蔵から見える大きな桜の枝が、ぽきりと折れてしまっているのが痛々しい。風雨にさらされ、変色した花弁が地に打ちつけられていた。もう間もなく開花を迎えるはずだった蕾は見る影もない。
サクラは言葉が出なかった。あれだけの嵐だったのだから当然であるとはいえ、一夜にして全てが一変してしまった。
花開くのを心待ちにしていた桜は散ってしまった。
そして、隣にカオルもいない。
雨に濡れ、生乾きのセーラー服がごわごわと身体にまとわりつく。心の芯まで冷え切っていくようだ。朝の澄んだ空気も、今は鋭い刃のように身体を切りつけてくる。
サクラは放心して窓から外を眺めていたが、しばらくしてふらりと梯子階段へと向かった。ぺたぺたと濡れた足跡をつけながら、急勾配を昇っていく。
床や梯子階段に雨の足跡が染み込んで、じめじめとした木の濡れる香りがしはじめた。それは二階に敷かれた畳の香りをかき消すほどだ。青々としたい草の香りは、どこかへ行ってしまった。
普段はそんなことを思いはしないのに、一人きりの部屋は寒々としていた。床にはカオルが散らかしたままの、櫛やリボンが散らかっている。昨日のまま、部屋は何一つ変わってはいない。サクラはそれを一瞥して、窓際の文机に向かう。
机上には先日カオルと川辺で遊んだ時に摘んだオオバコが、小さなガラス瓶に生けられている。しかし若々しい緑色をしていたオオバコは色褪せ、くたりと萎れてしまっていた。首をもたげ、生命力を失っている。
「カオル……」
サクラは小さく呟くと、文机に頬杖をつきながらオオバコを瓶から抜き取った。指先で茎をつかむと、しなだれた花穂がくるくると回った。
サクラはそうしてオオバコを少し弄んだが、やおら立ち上がって窓を大きく開けた。そして、流れる風にそれを乗せた。
オオバコは勢いに乗ってどこかへ飛んでいき、あっという間にサクラの視界から消えてしまった。
「――バイバイ」
サクラはオオバコを見送って、頬についた涙の痕をぬぐった。心なしか、セーラー服の湿り気もましになったような気がする。すう、と深呼吸をして、鏡台へと向かった。
「カオルがいなくたって、大丈夫――」
鏡の中の自分に向かって、そう声をかける。
髪は乱れ、乾いた涙の痕はぬぐいきれてはいない。泣きはらした目と鼻は赤く染まり、酷い状態だ。
それでも、彼女は相変わらず美しかった。涙で潤んだ瞳は、一際大きく見える。目と鼻が赤い分、肌の白さが際立ち、抜けるような美しさだ。
サクラはしゃがんで、転がっていた櫛を手に取った。薄いつげ櫛が、サクラの手にちょうど収まる。そしてまた鏡に向かうと、荒れた髪に櫛を入れた。常ならカオルが梳いてくれているので、加減がわからず恐々と、少しずつ梳いていく。
櫛を入れるたびに、サクラの髪は艶を取り戻していった。同時にふわりと軽やかさを得て、可憐な曲線を描く。髪型が整っただけで、随分と身なりがましになった。しかし、目鼻は未だに赤く染まり、泣き明かしたことがありありと見てとれる。
「こんな顔じゃ、シンに会いに行けない……」
今日はシンに会えるだろうか。もしかしたら、もう図書室にいるだろうか。いや、まさかこんな時間にいるわけはないか。
そんなことを考えながら、サクラは仰向けに寝転がった。開けっ放しの窓から、冷たい春風が入ってくる。今すぐにでも、あの窓から図書室へ飛んでいきたい衝動にかられた。
「早く、シンに会いたい」
カオルの姿を打ち消すように、サクラはなるべくシンのことを考えた。シンに会って、カオルとの出来事を忘れてしまいたかった。
早く目の腫れがひかないかと、サクラはそのまま目を閉じる。




