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春のまにまに童のまにまに  作者:


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問題集


 図書室の人影はまばらだ。新学期が始まったばかりの喧騒が落ち着きはじめ、図書室の開放時間は長くなった。それに伴い常駐の司書の勤務が始まり、自習スペースも自由に使用することができる。


 早瀬学院の授業進度は早い。自習場所の確保のため日ごろは利用する生徒が多いが、まだ入学式や始業式の名残があるのだろう。生徒らは勉学や読書よりも、級友たちと親睦を深めることに忙しかった。


 その人影まばらな図書室に、サクラとシンはまた訪れていた。 


 高等部は選択授業の幅が広いため、選択によっては時間割に空き時間ができてしまう。その隙間時間に図書室を利用する生徒がいるため、授業時間に図書室にいたとしても咎められることがないのだ。

 もっともそれは高等部の生徒だけであり、中等部の生徒は統一の時間割だ。通常この時間に利用する中等部の生徒はいない。


「ねえシン、寒くないの?」


 シンは詰襟を着ずに、いつもワイシャツ姿だった。

 花冷えの中、コートを羽織っている生徒もまだ多い。出会った当初は気がつかなかったが、シンの出で立ちはうすら寒そうに見えた。

 図書室内にいる生徒たちは、みな詰襟の金色のボタンを光らせている。他の利用者に聞こえないように、ささやくように聞いた。


「大丈夫だけど、どうしたの急に」


 シンは突然の質問に少し驚いて、頁をめくる手を止めた。


「みんな上着を着てるけど、シンはいつも薄着だから。最近は天気がよくないでしょ? 風が強い日も多いし、寒くはないかなって」


 このところ、晴間が見えない日が多かった。それに伴い気温も上がらず、相変わらず桜の開花も停滞している。先日の大雨で落ちてしまった蕾も多いだろう。


「俺、身体は丈夫なほうだから。これくらいでちょうどいいんだ」

「意外と身体が強いんだね」


 サクラは笑った。シンの青白い肌や疾走した後の様子を見ているので、丈夫というのは不似合いに感じた。


「それよりも、そっちのが寒そうに見えるけど……」


 シンは気まずそうにサクラを見て、すぐに目を反らして読書を再開した。サクラの着ているセーラー服の、スカート丈はかなり短く見えた。膝頭を出し、白いふとももを覗かせている。高等部にはそういった女生徒も多かったが、中等部の女生徒では珍しい短さだ。


「……? この制服って、冬物だよね?」


シンにとってはとても寒々しく見えたが、サクラは寒さや暑さというものがわからず首をかしげた。


「いや……、何でもないよ」


 寒そうに見えるだけでなく、サクラの脚は目のやり場に困るが、そう指摘することも出来ない。


「変なの!」


 サクラは訳がわからず、シンに笑いかけた。


「――そういえば今度図書館行くの、いつにする?」


 話題を変えるように、シンはサクラに問う。


「あっ……――」


 サクラは慌てて答えを探した。結局洋服は見つからなかったので、出かけるとしたらこの制服を着ていくことになる。しかしさっきの言い方から察するに、この制服はあまり好ましくないのかもしれない。


「ごめんね……、まだ予定がわかっていなくて……もう少し、待ってもらっても大丈夫?」

「うん、わかった」


 シンは何とも思っていないようだが、サクラは悲しくなった。

 図書館へ、まだ行ったことがない場所へ行ってみたい。でも着ていける服も無く、母屋へも行くことができない。そもそもシンだって、いつまでもサクラたちを覚えているとは限らないのだ。


「……ちょっと、用事を思い出しちゃった。今日はもう帰るね」


 サクラはシンの返事も待たずに、素早く読んでいた本を閉じて、図書室を飛び出した。 


「――どうしよう、カオル――……」




 後に残されたシンは、考え込むようにしてそのまま座っていた。そしてもう少しだけ図書室で時間を潰していこうと本に向かった時、はす向かいに誰かが座った。空席の多い図書室の中で、迷うことなくその席を選んだようだ。


 金色のボタンがついた詰襟を着ているから、高等部の生徒だ。その男子生徒があまりに近くに座ったので、シンはすぐに図書室を出ようと思い直した。 

 ここに、自分はいてはならない存在だ。見咎められてしまうかもしれない。


 男子生徒は横の席に鞄を置いて、シンに構うことなく本を読み始めた。しかしシンは慌てて立ち上がり、本を返却しようと本棚へ向かった。

 けれどその焦りは、不注意を生んだ。椅子に置いてあった鞄を引っ掛けてしまい、ひっくり返してしまったのだ。シンのものではない、はす向かいの男子生徒の鞄である。

 図書室の床に、教科書やノート、筆記用具が散らばった。


「ご、ごめんなさい」


 しまった、と思いながら、かがんでそれらを拾う。鞄の主はゆっくり立ち上がって、シンに言った。


「気にしないで」


 シンの頬は熱くなった。


「自分で拾うから、大丈夫だよ」


 その男子生徒は鷹揚に言って、シンの隣にかがむ。


「いや、こっちこそ、自分が拾うんで……」


 目線を合わせることもできず、拾ったものを相手に渡す。そして机の下にも問題集が転がってしまったことに気づき、それに手を伸ばした。


「あ……」


 それは、数学の問題集だった。問題と解説が一冊にまとめられていて、分厚いが評価のよいものだった。高校受験用でありながら、高校数学の基礎もまとめられている。本屋で立ち読みして以来、シンが眼を着けていたものだ。


 それを認めてシンの手は一瞬止まったが、すぐにその問題集を手に取った。埃を払って男子生徒に手渡し、頭を下げながらもう一度言う。


「すみませんでした」


 しかし相手はそれを受け取らずに、無言だった。不審に思ってシンが顔を上げると、男子生徒はシンの目をまっすぐに見ながら言った。


「それ、もらってくれる?」


 予想外の言葉に驚き、シンは目を大きく開いた。男子生徒の感情は読めないが、その視線から目が離せなくなってしまった。


「もう全部解いちゃったんだ。君、中学生でしょ? ちょうどいいと思うよ」


 男子生徒がそこまで言ったところで、後ろから声がした。


「音羽くん、ごめんね――お待たせしちゃって」


 軽やかな女生徒の声だった。それを聞いて男子生徒――清光は立ち上がり、ささっと残りの落ちたものを鞄に戻して、女生徒とともに立ち去ろうとした。


「あ、あのっ……」


 シンは慌てて声をかけると、清光は振り返って微笑しながら言った。


「見つけてくれた、お礼」


 シンは何も言えぬまま、問題集を持ったまま二人の後ろ姿を見送った。


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