御殿
それはそれは、立派な御殿だった。霞がかっていて全貌はわからないが、とても広いということはわかる。
寝殿造のようで、いくつもの殿が渡り廊下で結ばれていた。しかし桧皮葺ではなく、屋根は黒々とした瓦で覆われていて、霞の間から見える御殿を囲む塀も、物々しい鉄でできていた。
庭園には大きな池が作られていて、朱塗りの橋がかけられている。その橋を渡った先の小島にも、何やら朱塗りの建物があった。この庭園も広大で、どれ程広いのかわからない。
御殿の中には、たくさんの植物が植えられていた。
甘い香りを放つ紅白の梅が咲いていて、雪を積んだ椿が花開いている。しかし風に乗って桜の花びらが舞い、青々とした柳も揺れていた。かと思えば色づいた紅葉が、桔梗や撫子とともに鮮やかである。そして水辺には菖蒲が咲き誇り、池には睡蓮が浮いていた。
季節のわからぬ混沌とした御殿だが、春夏秋冬のよいところが集められていて、とても美しい。そしてとても広大であるために目にうるさくもなく、極楽浄土もかくやあらんと思わせる。
しかし、その御殿を手入れしているものたちは、けして極楽浄土のものとは思われなかった。
ぎょろぎょろと目を動かし、ふくらんだ腹を出しながら、あるものはせっせと落葉や花弁を竹ぼうきで掃いている。別のものは、赤黒い肌を水面につけて、池に浮かぶ藻をすくっている。屋根瓦に登って、煤払いをしているものもいる。これは額から、二本の角が生えていた。大きさは人間の膝ほどまでしかない、小鬼たちだった。どれもぼろを身にまとっている。
そんな奇怪な御殿の中の奥の間に、一つの影が控えていた。手をついて畏まりながら坐して、袷の着物に袴をまとっている。着物の下には白いシャツを着ていて、書生のような恰好である。肌の色は青白く、暗い中で浮いて見えた。
その顔立ちは大層美しく、切れ長の目や通った鼻筋は、まるで作り物のようだ。体躯は大きいものの線が細いため、どこか女性らしいたおやかさも感じられる。
その男の前には、玉簾が下りていた。瑠璃で作られていて、星屑を散らしたようにきらきらと光る。その横には几帳とともに、二対の燭台があった。か細い火が灯っている。その火が揺れるたびに、玉簾の中で二つの影が揺れた。
一つの影は女のようで、長い髪の影が乱れている。それは嬌声とも悲鳴ともつかない声を上げていた。その声と合わせて、玉簾の中からは不気味な音が聞こえてくる。
「主様。ああ、主様……」
女は絶えず声を上げていたが、控えている男は顔色一つ変えない。
「ああっ……!」
女は突然大きく叫んだかと思うと、以降女の声は止んだ。
かと思うと、鈍い音を立てて玉簾が揺れた。影の女の上半身が投げ飛ばされてきたのである。乳房を露わにした肉感的な女だが、無残なことにその下半身は失われている。胸の間には風穴が開いていて、血にまみれていた。けれどもその女の顔は、恍惚とした笑みを浮かべている。
「もうよろしいのですか?」
それを見やることもせず、控えていた影は玉簾の中に問いかけた。中からは、相変わらず嫌な音がしている。
「よい。待たせたな、いばら」
いばらと呼ばれた男に、玉簾の主は言った。低い、けれどもよく通る声だった。
「とんでもございません。お愉しみのところ、申し訳ございません」
「構わないさ。待たせた詫びとして、それをやるよ」
玉簾の主は、笑いながら言った。いばらは、目線だけ女の上半身へとやった。
「御冗談を。私は美しいものにしか興味ございません」
玉簾の主の高笑いは止まない。
「せっかくわけてやると言っているのに。女の肉は久しぶりだろう」
「元から主ほど好きではございません。ましてやこんな、快楽に落ちた女の肉など……」
横に転がっている女の上半身に、軽蔑の視線を送りながらいばらが答えた。
「つまらないね。まあいい、それで用件は?」
「はい。かねてより、主より命じられた件にございます」
「ふん」
玉簾の中の、嫌な音が止んだ。
「首尾は上々にございます。このままいけば……」
「それはよい。いばら、お前も珍しく愉しんでいるだろう? 久方ぶりに、ともに愉しまなくてはな」
いばらの言に、玉簾の主は気分をよくしたようだった。それを察して、いばらもまた笑みを浮かべた。
「もちろんにございます。主の悦びは、私の悦び」
「あやつに、早くこの館で会いたいものだよ」
笑いながら玉簾の主は立ち上がって、簾を手で押し開けた。主は簾から出ると、いばらの横を通って部屋の外へ向かう。
「どちらへ行かれるのですか?」
変わらず玉簾の方を見ながら手をついた態勢で、いばらは問いかけた。問いかけてはいるが、主の方を見ることはしない。
「寝所が汚れてしまったからね。後は任せる」
「かしこまりました」
御殿の中には、数知れぬ殿と間がある。そのどこかへと向かったのだろう。
主の足音が聞こえなくなったところで、ようやくいばらは立ち上がった。玉簾の中を覗きこめば、一面赤い血しぶきが散っていた。女のものであったと思われる、肉片や骨も転がっている。美しい瑠璃の簾にも、血と肉がこびりついていた。
「やはり美味ではなかったのでしょう。たくさん残していらっしゃる」
そっと玉簾を戻すと、いばらは大きく柏手を二度打った。
すると間もなくして、小鬼が二匹やってきた。外で手入れをしていたものたちに比べると、幾分か小綺麗な恰好をしている。麻の着物を着ていて、体躯も一回り大きい。小鬼たちは廊下に平伏し、いばらの命令を待っている。
「主のお愉しみが終わりましたから、ここを片付けなさい」
命を受けると、二匹はしゃがれた鳴き声のようなものを発して、玉簾の方へゆっくりと近づいた。
「ああ、主の残されたものは、あなた方のお好きにどうぞ」
しかし投げやりないばらの一言を聞くと、小鬼たちは互いに競うようにどたどたと走り寄ってきた。そして玉簾の外に投げ出された女の上半身に飛びついて、引っ張り合う。屍に群がる小鬼たちの絵面は、御殿の美しい景色からは想像もできない。
「なんと醜い……――」
与えられた命令を忘れて欲望に走る小鬼たちを見て、いばらは吐き捨てるように言った。
そして左の腕を振るったかと思うと、一瞬のうちに二匹の小鬼の首は、身体から落ちていた。小鬼たちは、何が起きたのかもわからない形相をしている。
「片付けろと命じたのに、さらに汚れてしまったではないか」
いばらは左手の爪についた小鬼たちの血を、それらが着ていた着物でぬぐった。
「使えない鬼どもだ」
爪の汚れを落とすと、いばらは再び柏手を二度打った。




