傷
新学期が始まってまだ間もないが、高寺紅緒の名は学年に広がっていた。
高等部からの外部入学者はそもそも人数が少なく、注目されがちである。その中でも彼女は、目を引く容姿をしていたからだ。
「でさ、高寺さんは頭も良いし性格もいいんだよ」
尾々は、まるで自分の知り合いのような言い方をした。
「まあ、外部入学の試験は難しいって聞くしね」
相変わらず、清光は淡泊に答えた。じれったそうに尾々は続ける。
「いいよなあ、俺もB組が良かった」
「尾々がB組だったらクラスが違ってたから、寂しかったけどな」
冗談なのか本気なのか、清光そうが言うと、尾々は焦って前言撤回した。
「え、いや、そういう意味じゃないよ。俺はA組で、音羽と一緒じゃなきゃ嫌だったよ。俺だって、寂しいに決まってるじゃないか」
「へえ?」
怪しむような視線を向けて、清光が笑う。
「あ、もうこんな時間だ! 部活が始まっちゃう……」
尾々は慌てたように演技くさく言うと、そそくさと荷物をまとめて教室から出ていった。教室内にはまだ生徒たちが多く残っていたが、別段やることもないので、清光も帰り支度をして教室を出る。
放課後、ほとんどの生徒は部活動へと向かう。早々と支度をした野球部の生徒が、すでにグラウンドで準備をしていた。道場の横を通れば、剣道部の足音も聞こえる。幾人かの友人や知人とすれ違い、二言三言交わしながら、清光は校門へ向かった。
「音羽くん!」
そしてちょうど門を出ようとしたところで、後ろから息をきらした紅緒に声をかけられた。軽く額の汗を手でぬぐい、そのまま前髪を耳にかける。通学鞄を手に持っていて、紅緒も帰るところのようだった。
「音羽くんの姿が見えたから……走っちゃった」
にこりと笑って、紅緒は清光の隣へと歩み寄った。
「高…寺さんも、帰り?」
思い出すように、清光が問いかけた。
「うん。昨日までは色々部活動の見学もしてたんだけど、なかなか決められなくって。見ての通り運動は得意じゃないから、入るとしても文化部にしようと思ってるんだけどね。音羽くんは、帰宅部?」
紅緒は自然に清光の隣を歩きながら、帰り道を共にした。紅緒の問いに、清光は短く答える。
「そう、帰宅部」
「そうなんだね。あ、私、音羽くんの噂いっぱい聞いたよ。すごく頭がいいって。早瀬学院で頭が良いなんて、尊敬。私は授業についていくので精一杯だもん」
「そうは見えないけどな」
「そんなことないよ。だから吹奏楽部も興味はあるんだけど、厳しそうだからやめておこうかなって。今気になっているのは、茶道部、華道部、書道部……」
紅緒は指折りながら、文化部の部活動を挙げていった。
「音羽くん、書道がすごく上手だったから、最初は書道部かと思ってたんだ」
清光の方を見ながら、紅緒は笑いかけた。
「そんなに得意でもないよ。授業の時だって、不真面目だったでしょ」
「うん、ずっと本読んでたもんね。でも書いたのは一枚だけだったのに、先生もすごく褒めてて、さすがだった。すごいなあ、って思ったから、私も書道部に興味をもったの」
「それはありがとう」
素っ気なく返す清光に対し、紅緒は色々なことを話しかけた。話題や言葉に合わせて、ころころと表情を変え、可愛らしい仕草をする。最初に出った頃のようなよそよそしさも消えて、多少砕けた話し方にもなっていた。
「あ、紅緒ちゃんだ」
「もう帰り?」
校門を出てしばらく歩いたところで、二人は紅緒の級友らしき女生徒たちとすれ違った。
「じゃあ」
自分は関係ない、と言わんばかりに、清光は紅緒と別れて帰ろうとする。
「あ、待ってて! 音羽くん」
しかし紅緒は、清光を引き留める。女生徒たちはこれから喫茶店へ行くところだったようで、紅緒にも声をかけた。しかし紅緒はそつなく断って、彼女たちに手を振る。
「ありがとう、また誘って」
とても残念そうに言って、名残惜しそうな顔をする。そこで女生徒の一人が、紅緒の右手の、薬指に巻かれた白いガーゼに目を止めた。
「指、大丈夫? この前切っちゃったところ、まだ良くならないんだね」
「本当だ。痛そう……」
彼女たちの視線を受けて、紅緒はさっと指を隠した。
「もうほとんどいいんだけど、念のために。ありがとう」
紅緒と女生徒たちの会話を横で聞いていた清光は、そこではじめて紅緒の指に目を止めた。
「指、大丈夫?」
清光から話題を投げかけられて、紅緒は少し嬉しそうに言った。
「この前、授業中に強い風が吹いてね。その時に校庭の楠木の葉が飛んできて、それで切っちゃったみたいで。ほとんど痛くないんだけど、少し血がでるから、念のため」
手指を動かしながら、紅緒は明るく答えた。
「それは……――」
清光は紅緒の指先を見つめて、困ったような、痛々しそうな顔をした。
「ごめんね、本当に大丈夫だから。心配かけちゃったかな」
紅緒はそれに気がつくと、手を合わせて上目に清光を見た。
「うん、心配」
あまりにもまっすぐに紅緒を見ながら言うので、紅緒は頬を染めて目をそらした。
「ありがとう……」
清光がどんな顔をしているか、見ることができなかった。それから二人は少し無言になった。紅緒はあれこれ話題を考えたが、どれもふさわしくないような気がしてしまったのだ。ぎゅっと、右の手のひらを握る。
「あ、音羽くん。迷惑じゃなかったら、で良いんだけど……」
ようやく紅緒は、意を決したように口を開いた。
「今度、お勉強教えてくれない? 数学の問題集で予習をしてるんだけど、わからない問いがあって……勝手に予習しているだけだから、先生にも聞きづらいんだよね。音羽くん、数学得意って聞いたから」
胸元にかかる毛先をもてあそびながら、恥ずかしそうに続けた。
「ごめんね、急に。まだクラスに聞けるような人がいなくて……」
清光は特に表情を変えずに、また短く言った。
「別に構わないよ。教えられるところか、わからないけど」
紅緒はそれを聞くと、ぱあっと嬉しそうな顔をした。
「嬉しい! ありがとう、音羽くん」




