図書室の二人
雲行きが怪しくなってきた気配を感じて、サクラは窓の外を見た。少し前まで晴れていたのに、カーテン越しでもわかるほどに黒い雲が立ち込めている。
――カオルはもう蔵へ帰ったのかな。
先ほど図書室を出て行った、カオルの姿を思い出す。またいつものように、川辺に寄っているだろうか。
屋外にいて天気が崩れ始めた時、サクラはすぐに蔵へ帰ろうとするが、カオルは風雨を楽しむ癖があった。雨が降ろうか風が強かろうが、気にせずそのまま外をぶらぶらしたりするのだ。雨に濡れる庭がきれいだと言って、蔵の屋根に座って見ていることもある。そういう日はサクラも少しだけ付き合って、一緒に眺めたりもする。
――今日はセーラー服だからって、調子に乗っていつも以上に汚してきそう。
カオルは着物を着ていても構わず雨に濡れるので、いつも二人がかりで後始末していた。濡れた着物を乾かした後、シミになってしまったところを撫でていく。そうするとシミや汚れは消えていって、新品のようにきれいな状態に戻った。
少女たちが着物以外の服に袖を通したのは、セーラー服がはじめてのことだった。蔵の中には和服ばかりが収納されていて、洋服はセーラー服しかなかったのである。清光の叔母が、記念に取っておいてそのままになっていたものだ。音羽家は早瀬学院の卒業生が多い。
サクラは入学式の日、見よう見まねでセーラー服を着た時のことを思い出す。着物と比べあまりに締めつけが緩いのではじめは戸惑ったが、今ではすっかりなじんでしまった。
――音羽家から外に出てみて、色んなものを見られたし色んなことを知れたわ。それに……。
サクラは、向かいに座っているシンの顔を見た。
「どうかした?」
その視線に気がついて、シンも本から顔を上げる。サクラは微笑した。
「ううん、何でもない……――あ、雨が降りはじめたけど、大丈夫?」
「ほんとだ。俺は家近いから平気だけど、そっちは?」
「私も――……」
大丈夫、と言いかけたところで、窓の外で稲妻がぴかりと走った。サクラはびくっと体を震わせて、窓のほうを振り返る。その瞬間、少し遅れて低く大きな雷の音が鳴った。その音の大きさに驚いて、サクラは思わず読みかけていた本から手を離した。
「珍しい、けっこう近くに落ちたね」
シンは物珍しそうに、本を閉じると席を立って窓辺へ向かった。カーテンを開けて外の様子をうかがうと、雨足は徐々に強くなっているようだった。
「まだ、雷は落ちそう……?」
「向こうまで真っ暗だし、もう少し続きそうだね。天気予報では晴れって言ってた気がするけど」
「……――」
無言になるサクラを訝しんで、シンはカーテンを開けたままサクラを振り返った。サクラは心持ち顔を青くして、そわそわとしている。落雷時は、いつもカオルにくっついてやり過ごしていたのだ。カオルがそばにいない今、雷の音が常よりも大きく感じてしまう。
「もしかして……――」
その様子を見て、シンは少しにやけながら言った。
「雷、怖いの?」
問われるとサクラは目を大きくして首を振った。
「ううん、違くて! 全然怖くなんかない! ない、んだけど……雷は好きじゃない、というか……なんていうか……」
慌てながら少しずつ声を小さくするサクラを見て、隠しきれずにシンは笑った。
「なによ、怖くないってば!」
サクラはむきになって否定するが、雷を怖がっているさまが丸わかりである。
「ごめん、笑うつもりは……――あ、また雷」
「えっ……」
シンの言うようにまた稲光があり、わずかに遅れて雷の音が響いた。強くなりつつある雨音をかき消すほどの、大きな音だった。さらに間を空けず、また閃光が走る。
シンはカーテンを閉めながら、硬直したサクラに向き直った。
「ごめん、笑って悪かったよ。いつも大人っぽいのに、雷を怖がるのがなんか面白くって。でも、別に隠さなくっていいのに」
「だから、怖くはないってば!」
「そうだった、好きじゃないだけ、だった――……なんで雷、好きじゃないの?」
「なんで……?」
改めて問われると、どう答えてよいのかわからない。サクラは言われてみればなぜだろうか、と考えてみる。
「なんで、だろう……眩しい光も大きな音も、それだけだったら別に怖くないし……雨も大丈夫だし。うーん……でも、雷が落ちてきたらと思うと、ちょっと怖い、かも。昔、雷が落ちた瞬間を見たことがあるの。すごい音がしたと思ったら、目の前にあった木が一瞬で炎に包まれてて……」
「そんな近くで見たことがあるのか、それはたしかに怖くなるな。火は広がらずにすんだ?」
「うん……たしか、木が燃え尽きるまでは燃えていたけど。木が燃えている間も、いつ私に雷が落ちてくるんじゃないかって、怖くて……」
「それってさ、どこから見てたの?」
「え? 私は蔵に……家の中から、庭を見てたの」
どのくらい前のことだったのか覚えてはいないが、サクラはその時のことを思い出した。檜だったか楠木だったか、当時音羽家の庭には立派な大木があった。蔵の窓から、暴風で揺れ動くその木を見ていたのだ。
「そっか……――」
シンは少し考えるそぶりを見せると、ちょっと待ってて、と言うなり書棚のほうへ姿を消した。小説類ではなく、図鑑や解説本があるあたりをぶらついたと思うと、またすぐ戻ってきた。
「ごめん、見せたい本があったんだけど……ここにはなかった」
少し照れくさそうに言うと、シンは続けた。
「雷ってさ、基本的に屋内にいたら直撃しないんだ。だから、屋内にいる時はそこまで怖がんなくっていいと思うよ」
「えっ……! そう、なの……?」
シンの言に、サクラは驚いた。雷は、どこにいても襲ってくると思っていたのだ。
「雷が落ち始めたら、まずは屋内に逃げる。逃げる場所がなかったとしても、焦って木とか電柱とか、高いものの下には行かない。雷が落ちやすいし、木から地面をつたって電気がきて、感電しちゃう可能性もあるから……っていう、解説がある本を見せようと思ったんだけど、見つかんなくって」
ごめんと謝ると、シンはさらに続けた。
「あとはなんだろ……春に落ちる雷は春雷って言うけど、別名虫出しの雷って言うのは知ってる? 雷に驚いて、冬眠してる虫が起き出すって意味。雷が鳴ると虫がいっぱい出てくるって思ったら、なんか面白くない? ……あ、あとは風神雷神図屛風を思い出すとか。教科書で見たことあるでしょ? 金色の背景に、風神と雷神が描いてあるやつ。ああいう鬼が雷を落としてると思ったら、怖くなくならない? 雷獣とか雷鳥を想像するのもいいかも。思いっきりデフォルメして想像してさ……」
後から後からたくさんのことをシンが話すので、サクラはあっけにとられた。そして外で雷が落ちていることも忘れて、思わず笑いだす。
「……すごい、すごいよ! なんでそんなに色んなこと知ってるの? シュンライって言葉も、虫出しの雷? も、私はじめて聞いた。シンはすごいね!」
サクラはシンを褒めながら、けたけた笑い続けた。
「べ、別に普通だよ……」
あまりに褒めるので、シンは顔を赤くして否定した。必死になって喋りすぎたかと、恥ずかしくなる。
「ううん、ほんとにすごいよ。それに……ありがとう。私が雷を大丈夫になるように色々考えてくれて、教えてくれて……」
サクラは意を決して立ち上がると、カーテンを少し開けて、ちらりと外を覗いた。また、稲光が見える。
「うん、やっぱりまだ不安っていうか……こっちに落ちてくるんじゃないかって思っちゃうけど……でも、今も虫たちが土の中から出てきてるかもって思ったら、なんだかおかしい」
カーテンのはじを握りながらも、サクラは振り返ってシンに笑いかけた。愛らしい笑みを浮かべる様子を見て、シンはほっとする。
「よかった。別に雷を好きになったり、全然平気になったりしなくたっていいんだし。少しずつ慣らしていったら?」
「慣れるかな……」
サクラはカーテンを閉じて、シンに向き直った。
「そのうち慣れるよ、そんな気負うことない」
「ね、そしたらまた色々教えて? 私、なんとかの屏風っていうのも見たことないの」
「え、ない? 授業でやらなかった? 教科書持ってきてないしな……図版とか、置いてあるかな」
シンは風神雷神図屛風が載っていそうな本を求めて、再び書棚のほうへ行った。今度は、サクラもその後をついて行く。二人は喋りながら、一緒に本を探した。




