上加地玄
図工の時間は嫌いだ。絵の具やニスの染みついた汚い机、濁った色の落書き、不格好な木工細工、何の価値もないそれらを見ることが苦痛だった。こんなガラクタを生産して、何になるというのだろう。美術館で美しいものを見ているほうが、どれほど為になるかわからない。
上加地は、目の前に用意された粘土を見ながらそう思った。灰色がかった白い粘土が、四角く一塊置いてある。粘土で筆立てを作るという、つまらない授業だった。同級生たちは、早速粘土を指でつついて遊んでいる。
くだらない。
小学二年生にして、上加地は同級生を見下していた。なまじ勉強ができてしまったせいもあるが、何よりも上加地は美に対する感性が鋭かった。派手な色合いの筆入れ、有り得ない柄の洋服、そして子供っぽい図画工作。同級生の全てが醜く映っていた。
「ねえ、上加地くんは何を持ってきたの?」
隣に座っていた少女が問う。びくりと身体を震わせて、上加地はそちらを見た。
乃木佳乃子――この学校で、唯一美しいと思えるものだ。
「もしかして、忘れちゃった?」
上加地の返事を待たずに、佳乃子は小さな声で聞いた。前回の授業で、粘土を飾るものを用意してくるように言われていたのだ。ビー玉、押し花、石ころ、みな思い思いのものを机上に用意している。佳乃子も、机の上に何かが入った木箱を乗せていた。
「あたし、いっぱい持ってきたからあげるよ」
無言の上加地に対して、佳乃子は屈託ない笑みを向ける。別に上加地は忘れたわけではなかった。粘土細工を真面目に作るつもりがはなからなかったのだ。小学二年生が作るものなど、たかが知れている。ごてごてと飾り立てるよりは、粘土をこねただけのほうがましだと思ったのだ。
「佳乃子ちゃん、その箱の中は何が入ってるの?」
二人が話していることに気づかず、佳乃子の前に座っていた女子が問う。
「色々! きれいな石と、貝殻と――」
佳乃子は箱を開けて、中身を取り出しながら説明していく。それを横目に、上加地は粘土をこね始めた。
くだらない。
粘土をこねて、きれいな円錐形を作る。このままで十分だが、筆立てにしなければならない。適当に、円錐形の中心に穴を開ける。そして粘土についた指紋を、丁寧に消していく。指紋が一つでも残ってしまったら、美しくない。凹凸があっても良くないので、まっすぐにする。
「うわあ、上加地くん早いね。それにすっごくキレイ。何にも飾りをつけないでも、そのままでキレイ」
隣で、佳乃子が言った。本心から言っているようで、目を輝かせている。上加地は赤面した。やはり、乃木佳乃子だけは他の同級生とは違う。容姿も美しいが、身なりもよい。子供ながらに上品さをまとっていたし、自分と同じように、美というものを理解しているのだ。
「えー、上加地くんの変だよ。何にも飾りがついてない」
しかし、佳乃子の前に座っていた女子は言った。それにつられて、他の同級生もはやし立て始める。
「そんなことないよ、キレイだよ」
他の同級生をたしなめるように、佳乃子は一人、上加地の作品を褒める。しかし佳乃子が褒めれば褒めるほど、上加地は惨めな気持ちになった。
佳乃子は粘土を湯呑ほどの大きさにして、貝殻をはめ込んでいた。上加地のように側面が水平ではなく、粘土が波立っている。わざと波のようにしたのか、大雑把に形作ったのか。どちらにせよ、とても美しかった。
まだ完成していないようで、隣には透明な小さいビーズを用意している。ここからさらに美しくなるのか。それに比べて自分の粘土細工の、なんとつまらないことだろう。
「佳乃子ちゃんのやつの方が上手だよ」
口々に言う同級生たちに、佳乃子は困った顔を向けた。
ああ、いつもそうだ。乃木佳乃子はクラスで浮いている上加地に、よく話しかけてきた。今のようにかばったり、褒めたりもする。そしてその度に、自分の矮小さが浮き彫りになるのだ。
「あたしは、すごくキレイだと思うよ」
佳乃子は上加地を見て、再度言った。佳乃子の大きな瞳に映る自分の顔の、何と醜いことだろう。
――そしてそれから少し経ったある日、誰もいない教室で上加地は一人本を読んでいた。
他の級友たちは、みな図工の作品展を見に行っている。あんなガラクタを見に行って何が楽しいのだろう。静かな教室で本を読んでいたほうが、どれだけいいかわからない。
見るに値するのは、乃木佳乃子の作品だけだ。
佳乃子は白く波立たせた筆入れの側面に、貝殻だけでなく透明のビーズをはめ込んでいた。さざ波が立ちきらきらと雫が散っていく様子が、目に浮かぶように美しかった。不純物のないその白さは、佳乃子を表しているようにも見えた。
上加地は本を開きながらも、佳乃子の作品を思い出し読書に集中が出来なかった。あの、白の美しさ。宝物のような貝殻、ビーズ。そうして思いを馳せていた時――上加地の中に、ふと黒い考えがよぎった。
――今、教室には自分一人しかいない。
そう、何をしても、誰にも見咎められることはないのだ。その考えが浮かんでしまった時、上加地はすぐに本を閉じた。きょろきょろと辺りを見回すが、教室の外にも人の気配はない。静かに椅子を引いて、佳乃子の席へと向かう。
図工室で佳乃子は、木箱に細々したものを詰めていた。自分にくれようとしたくらいだから、きっとたくさん持ってきているのだろう。貝殻の一つくらい、なくなっても気がつくはずがない。
常の上加地であれば、そんな行動を取りはしなかった。しかしこの日、あまりにも白く美しい佳乃子の作品が、上加地を惑わせてしまった。そして上加地の脳裏に偶然浮かんでしまった黒い考えが、偶然にも実行できてしまう環境にあったのだ。
そっと、佳乃子の机の横にかけられた鞄を手に取り、中を探る。それは内ポケットの中に、きちんとしまわれていた。上加地は手早くそれを取り出して、鞄を元に戻した。箱の中からは、かたかたと雑多なものがひしめく音がする。上加地は今まで触れたこともない佳乃子の私物であるのに、まるで自分のものかのように自然な手つきで蓋を開けた。
箱の中には、貝殻にビーズ、そして小石など、たくさんのものが入っていた。一つ一つが上加地の目にはとてもきれいに映った。一つだけ、貝殻一つだけだ。
上加地はどれにしようかと、箱の中を物色した。あまりきれいなものにしてしまっては、佳乃子に気づかれてしまうだろうか――。
上加地は箱の中に見とれつつそうして迷っていたために、廊下から聞こえてくる同級生たちの声に、ぎりぎりまで気がつくことができなかった。
――しまった。
気づいた時には、もう遅かった。箱を佳乃子の鞄へ戻す時間はない。上加地は慌てて箱の蓋を閉めると、着ていた上着のポケットにそれを突っ込んだ。同級生らが教室のドアを開けたのは、ちょうどその時だった。
彼らは教室に立ち尽くす上加地を見て、一瞬会話を止めた。しかし上加地が何食わぬ顔で自分の席に戻ると、まるで上加地などいないかのように再び会話を始めた。
少しずつ同級生たちは戻ってきて、教室はいつもの賑わいを取り戻す。
その声の中、上加地は平静を装って本を開くので精一杯だった。まさか、箱ごと盗んでしまうとは。佳乃子は気がつくだろうか。脂汗をかきながら、上加地の胸は高鳴った。




