座敷童子
廊下ですれ違う清光に、紅緒は胸の辺りで小さく手を振った。紅緒の隣で話す級友が気づかないほどさり気なく、目配せとほほえみを向ける。
「あ、高寺紅緒だ」
清光の隣にいた尾々は、目ざとくそれに気づいた。
「誰?」
「君に手を振っていた子だろ。B組の奴に名前を聞いたんだ」
「へえ、そうなんだ」
さもはじめて聞いた名だ、という反応をする清光に尾々は呆れ顔をした。
「さっきも楽しそうに話してたじゃないか」
「書道で使う墨のことを聞かれてたんだよ。教えられるほど詳しくないって言ったんだけどさ」
「へえ……書道。それよりも彼女、指を怪我してなかった?」
そんなところまで見てたのか? という顔をして、清光は尾々を見た。
「いや、見たくて見てたわけじゃなくて、たまたま目についちゃったんだよ。血がにじんでたから、痛そうだなって」
尾々は焦って口上を述べる。
「尾々は、色んなことによく気がつくね」
嫌味ではなく本心から言っているであろう清光に、尾々は照れくさくなった。それを隠すように、早口で言う。
「筆を持つのに不便がないといいけど。それからこの前の日本史の資料、大丈夫だったか心配だよ。俺なんてさ、この前突然あてられた時に落書きしてたもんだから、すごい怒られたよ」
「それは尾々が悪いよ」
「いやあ、力作だったんだよ。日本史なだけに、風刺画っぽく似顔絵を描いてたんだ。担当が上加地って名前の先生なんだけど……――」
しかし尾々が言いかけたところで、横の教室から当の上加地が廊下へ出てきた。
若い男性講師で、骨ばった細身の身体にくたびれたスーツを着ている。余計な脂肪が無いからか眼球が嫌に目立っているうえ、酷い隈ができている。
「君はたしか、尾々くんだったか」
二人の会話を聞いていたようで、鋭く尾々をねめつけている。尾々はしまった、という顔をして、もごもごと口を動かした。謝罪すべきか適当にやり過ごすべきかを考え、慌てているようだ。
上加地は何か小言を尾々に言おうとしたが、隣に立つ清光に気がつくとふと視線を止めた。
「――君は、音羽くんだね、音羽清光くん」
清光をじろじろと無遠慮に眺めると、ゆっくりと清光の名を口にした。清光は、訝しげに答える。
「そうですけど……――」
「君に、聞きたいことがある。ちょっといいか」
清光の返事を待たずに上加地はきょろきょろと見回すと、あっち、と人気のない突き当りの角を指した。
尾々は疑問符を浮かべたが、上加地はすたすたと歩いていく。
「よくわからないけど、尾々は先に購買行ってて。追いかけるよ」
「音羽何かしたの? 気をつけろよ」
桜あんぱんがあったら買っておくよ、と心配そうに尾々は購買へと先に向かった。
清光は上加地の後をついて行く。昼休みが始まったばかりで、生徒たちは廊下へ溢れていた。しかし突き当りを曲がった先は視聴覚室しかないため、その角の一角はしんとしている。
「君は音羽さんところの、清光くん……音羽清光くんだろう。いや、すまない、突然呼び出して」
上加地は緊張しているのか、額の汗をハンカチで拭いながら再度確認した。
「はい、音羽ですけど……ああ、もしかして――従姉妹の、乃木佳乃子のお知り合いの方ですか?」
「あ、いやまあ……その通りだ。乃木さん、私のことを何か言っていたか?」
清光から切り出されたことに焦ったのか、上加地はさらに額に汗をかいた。
「特に何も。昔の同級生が赴任してるらしい、とは聞きましたけど」
「そうか……、彼女は元気にしているだろうか?」
「ええまあ。今、こっちに遊びにきてますよ」
ふんふん、と頷きながら、上加地はなかなか本題に進まない。佳乃子の近況を聞くために呼び止めたわけではなさそうだった。また清光の方から、上加地に問いかける。
「それで、聞きたいことってなんでしょうか」
上加地は汗を拭うのを止めて、意を決したように言った。
「――……君は、座敷童子を見たことがあるか?」
決してふざけている風ではなく、目の奥はらんらんと輝いている。
「……唐突ですね。座敷童子、ですか?」
「そう、座敷童子。昔話とかで、よく出てくるだろう。古い屋敷に住んでいて、いつの間にか子供に紛れて遊んでるっていう。それでその住んでいる家に富をもたらしたりして……」
「よく小説なんかのモチーフにも使われていますね。一人子供の数が増えているけど、誰が増えたかわからない、とか」
清光が言うと、上加地は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そう、それだよ、その座敷童子! 君は、出会ったことがあるか? 見たり、会ったりしたことがないだろうか?」
「なぜ、僕に?」
冷静に問う清光を見て、上加地は自分の突拍子ない問いの不自然さに気がついたらしい。取り繕うように、また汗を拭う。
「いや……すまない。突然変なことを聞いてしまって……私は日本史を教えてるんだが、実は専攻は民俗学なんだ」
語り始めると上加地は落ち着きを取り戻したのか、額の汗も引いていた。
「簡単に言うと、古くから伝わる昔話や資料を研究したりするんだ。風俗、儀礼、祭事…、とかまあ、色々ね。それでその中で、私は座敷童子を調べていて……座敷童子っていうのは、古い旧家によく見られる。それでこの辺りで一番出そうなのは、君のお家だと私は考えていて――」
「そうなんですか……――でもたしか、座敷童子って岩手県とか、あっちのほうの伝承じゃなかったですか?」
「よく知っているな。たしかに今のところは、東北に多く見られるというのが通説だ。でもそれは目撃談が多く残されているというだけで、他の地方にいなかったというわけではない……何かそういう、雰囲気とかを感じたことはないか? 少女が歩く気配とか……――」
清光は黙って考えてから、上加地を見て言った。
「……申し訳ないですが、お話できそうなことは思い当たらないですね」
その返答を聞くと、上加地は至極残念そうな顔をした。
「そうか……まあ、そうだろうな……そもそも君くらいの年齢だと、もう見ることができないだろうし……いや、急に話しかけてすまなかった。でももしこれからも何か、違和感とか、不自然なことが起きたら話を聞かせて欲しい。前の先生が産休を明けられるまで、もうしばらく私はこの学校にいるから」
上加地は清光の家に座敷童子がいるのだと、どこか決めてかかっているようにも見える。諦め悪く清光に何度か念押しすると、乃木さんによろしく、と最後に思い出したように付け足して去っていった。




