34話 召喚魔術
アレックスが圧勝したあの飛竜競からしばらく。
すっきりした様子のアレックスは「これでまた魔導書の翻訳作業に没頭できるな」と再びリンジーさんの魔道具店に通う日々に戻っていた。
アレックスとリンジーさんの作業は捗っている様子で、私はその間、魔道具店の店員のような形で活動していた。
時折やってくるお客さんの対応をしつつ、魔道具店に運び込まれる魔道具に関する手続きなど。
こういう仕事はやったことがなかったので新鮮だったし、のんびりした仕事だったので私も気が楽だった。
……ただし最近、リンジーさんが「この店の経営、面倒だしもう全部ティアラに任せようかね。全体的に丁寧だし」とか言い出しているのはここだけの話だ。
しかしながら、私たちもずっと店番や翻訳作業ばかりしているという訳でもなく……。
「これって魔法陣ですか……?」
ある日の昼下がり。
ソファーから起きてきたリンジーさんが店の床に大きな紙を広げて、巨大な魔法陣を描き始めた。
普段の魔術であれば、魔力で魔導式入りの魔法陣を空間へ展開するだけで済むのに。
また、リンジーさんが握っているペンから滲むインクは不思議な煌めきと魔力を帯びていた。
アレックスは作業の手を止め、私と一緒にリンジーさんの方を見つめている。
「隕鉄を混ぜ込んだインクか……久しぶりに見るな」
「アレックス、隕鉄って?」
問いかけると、アレックスは「ちょっと待ってくれ」と店の奥へ向かい、何かを持ってきた。
彼の手には拳大の石が握られている。
「隕鉄ってのはこういう、要は鉄が主体の流れ星だ。夜空を眺めていると、時たま流れ星が降ってくるだろ? 大抵は空で焼けて消えるけど、稀に地表まで落ちてくることがある。ざっくり言えば、そいつが鉄の流れ星なら隕鉄って訳だな」
「へぇ……流れ星なんだ」
今まで流れ星の正体については考えたこともなかったので、少し驚きだ。
「まあ、流れ星にも色々あって鉄だったり岩だったりするそうだけどな。……それで隕鉄なんだが、これは魔導的には強い力を持っているんだ。言ってみれば、俺たちの世界の外からやってきた代物だからな。帯びている魔力は特殊なもので、俺の目には七色に輝いて見える」
普通、魔術として出力される前の純粋な魔力は見ることはできないし、私にはあの隕鉄は黒っぽい塊にしか見えない。
でもアレックスの目は特殊なので、きっと本当に七色に見えているのだろう。
「七色の魔力とは即ち、様々な魔力属性を内包しているということだ。そんな物体はこの世に隕鉄以外にないとされている。しかも隕鉄は希少なこともあって、非常に高価なんだが……」
魔導の話だからか、アレックスは饒舌に語りつつ、リンジーさんの手元を見た。
その視線はどこか残念そうな雰囲気でもある。
「……たとえ少量でも、こうやってインクに混ぜ込んで使い捨てるのは師匠くらいなものだろう。正直、師匠がこうやってインクに粉砕した隕鉄を混ぜ込んでいるのを最初に見た時は、かなり驚いたよ」
「ティアラへの解説は終わりかい? 脱走王子や」
リンジーさんは魔法陣を一通り描き終え、立ち上がった。
「別に私の所有物なんだからどう扱おうが私の勝手だろう。それにアレックスが話した通り、隕鉄は強い力を持っている。こいつで描いた魔法陣なら、普通の魔術じゃ不可能なことさえ可能にできるのさ」
リンジーさんがわざわざ普通に魔法陣を展開せず手で描いていた理由は、どうやらそこにあるようだった。
リンジーさんの技量を持ってしても「普通の魔術じゃ不可能」と言わしめるもの。
その正体は一体何なのだろうと考えていると、アレックスはリンジーさんの描いた魔法陣の魔導式へ視線を向ける。
「これは召喚の魔術か……? 師匠、こんなに魔導式を描き込んで何を召喚する気なんだ?」
するとリンジーさんは肩を揺らして「ふっふっふ……」と笑い始めた。
「よくぞ聞いてくれたな我が弟子よっ! 私はこれから……魔導書の翻訳作業を手伝ってくれそうな奴を召喚するっ!」
「えっ……?」
どういうことかと、思わず声を漏らしてしまった。
するとリンジーさんは腕を組んでしたり顔になった。
「びっくりしているようだね、ティアラ。そうとも……私だってさっき、寝起きの頭でこの発想に思い至った時はティアラみたいな声が出たもんさ。……よく考えたら、私とアレックスしか魔導書の翻訳ができないから問題なんだ。だから私の睡眠時間が日々削れていくんだよ……!」
「日中延々と寝ている人がよく言えたもんだ」
嘆息するアレックスを他所に、リンジーさんは話を進めていく。
「ともかく! もう一人魔導書の翻訳を進められそうな奴がいればこの問題は解決! 故に……私は隕鉄を使った魔法陣をわざわざ描いたっ! この無理難題を解決できそうな奴を召喚するためにっ!」
「……なるほど、そうかそうか。だから魔導式をこんなに描き込んだのか。魂の目覚めた魔導書の読める奴を選定する条件式を……」
「よく分かったねアレックス。……まあ、実際この大陸においてこの魔導書を読めるのは、私とアレックスくらいだって思っているよ。後はティアラが頑張って旧王国語を覚えればってところかな。でも……世界は広い。もしかしたら何かの間違いで大陸の外にいるかもしれないだろう? 今すぐにこの魔導書を読めて、翻訳可能な猛者がっ!」
……ここまで聞いて、私にもリンジーさんの計画の全貌が見えてきた。
要するに、リンジーさんは魔導書の翻訳作業が辛くなったので、お手伝いさんを全世界規模で探し出して、条件に合う人を大陸すら超えて召喚しようとしているのだ。
希少な隕鉄さえ使い捨てにして。
睡眠時間が足りないからと言ってここまでやるのは多分、全世界でもリンジーさんくらいなものだろう。
魔導好きのアレックスでさえ、半ば呆れ顔だった。
「師匠……。店の片付けを王子である俺に任せるほどずぼらなのは知っているが、見ず知らずの人間を召喚してどうする。それはいわゆる拉致ではないのか。召喚に成功しても外交問題は必至だぞ」
「ふっふっふ……」
リンジーさんは怪しく笑い始めてから、傍らに置いてあった革袋を取り出した。
中をこちらに開いて見せれば、そこには黄金の塊が入っていた。
「これだけあれば文句は言わないだろうよ」
「拉致した上に買収する気とは……」
アレックスは本格的に呆れ顔になりつつ「俺は責任を取らんぞ」と念押しする。
「でも、リンジーさん。ここまでする必要があるんですか? 翻訳作業だって、そんなに急ぐ必要ないんじゃ……?」
私がそう聞けば、リンジーさんは指を二つ立てた。
「急ぐ理由は二つあるんだよ。一つは近々、王国で開かれる魔導学会だ。立場上、私も毎年出なきゃいけない決まりでね。今年も何かしらの論文を仕上げなきゃまずいんだが……」
リンジーさんはこちらに紙の束を渡してきた。
捲ってみたところ、全て……。
「あの、白紙ですけど?」
「そうだよッ! まだ白紙なんだ……! だから早くこの魔導書を翻訳して、この論文へ諸々を引用、出典を明記できる形にしたいのさ。……全く、どうして王国の魔導学会は大陸の統一言語限定なんだ……っ! 由緒正しき旧王国語でもいいじゃないか……っ!」
リンジーさんは頭を抱えて唸っていた。
アレックスと一緒に翻訳作業を頑張っていた理由は、どうも王国の魔導学会にあったのかとようやく私も納得した。
すると、アレックスの失笑が飛ぶ。
「何を言うかと思えば。俺とティアラが魔導書を持ってくるまで魔導学会で発表するネタがなかった師匠のせいじゃないか。身から出た錆だ。そもそも困るくらいなら日頃から発表できそうなネタを整えておくべきだったな」
「……ネタはある。あるけど……面白い封印指定の禁術研究ばっかりやっていたから……発表できない……」
……今、禁術って。
聞こえちゃいけない内容が聞こえてきた気がする。
でもアレックスでさえ「そ、そうか……」と深く触れるつもりはないようなので、私も敢えてスルーした。
「それでリンジーさん。二つ目の理由は?」
「ああ、それについては俺から答えよう」
アレックスは先ほどまで翻訳作業を進めていた魔導書を手に取った。
……すると魔導書には、大きなお札が張られていた。
あれは魔導符と呼ばれるもので、魔術が込められた一種の魔道具だ。
また、魔導符に込められた魔術については私にもすぐ察しがついた。
何故なら魔導符自体に大きく「封印」と統一言語で書かれていたからだ。
「この魔導書が先日、ティアラが買い出しに出かけていなかった時、遂に叫び始めてな。暇すぎてもっと話したいとのことだったが、師匠も飛び起きてしまい安眠妨害だと判断した。何より俺の作業の手も止まった」
「だから魔導符を貼っているんだ……。最近静かだと思ったらそういうことだったんだね」
「だが、この魔導符にも限界はある。後もう少しすれば効力を失う。この封印の魔導符も作るのが難しい品だからな。多忙かつ疲労の溜まっている師匠に作らせては本末転倒だし、どこの魔道具店にも中々入荷しない品だ」
「そっか。二つ目の理由が魔導符の効力切れなんだね……」
一応、私の力で魔導符を万全の状態に戻すことはできると思う。
でもそれをやると魔導書の方がちょっとだけ可哀そうなので、言うのはやめておいた。
……翻訳作業が魔導学会に間に合わないのに魔導書がまた騒ぎ出した、とかなら実行する可能性はあるけれど。
「まあ、そんな訳でね。私も切羽詰まった状態だから、もうなりふり構っていられないのさ……!」
リンジーさんは描き終えた魔法陣へ、自身の魔力を流し始めた。
隕鉄を使った影響か、魔法陣から七色の閃光が広がっていく。
「いっぱい寝たい! というかちょっと休みたい! 魔導学会に出す論文を書く時間もほしい! だから頼む……っ! 助っ人よ、こいっ!」
リンジーさんの切実な願いと共に、魔法陣は輝きを最高潮に達させ、魔術が起動する。
その末、魔法陣の中に朧気ながら人影が現れ始めた。
「なっ……!? まさか、本当に該当者がいるのか!? 魂の目覚めた大賢者の魔導書を読めるほどの魔力量に加え、旧王国語を習得し、師匠の言うことを素直に聞き、店の手伝いもしてくれる猛者が……!?」
「……もしかして最後の二つって、魔法陣に書き込まれていた魔導式の内容?」
驚愕するアレックスへ問いかければ、彼はこくりと頷きつつ「他にも色々あるが」と呟いた。
──アレックスが呆れていた理由、絶対魔導式の内容も大きいよねリンジーさん。
心の中でそう思っていた時……七色の魔法陣が、何とひび割れ始めた。
「なっ!? しまった、魔導式が複雑すぎたのか……!? この王国随一の魔術師、リンジー・ダイアスが召喚に失敗したとでも!?」
「いいや、師匠。これは純粋な失敗というより……何かが魔術に干渉している! 俺の目には映っている、隕鉄の魔力さえ浸食するほど強大な力だ!」
アレックスがそう言った途端、魔法陣から暴風が吹き荒れ、店の中の物を吹き飛ばして倒してゆく。
直後……魔法陣がボフン! と白い煙を吐いて、粉々に破れた。
はらはらと舞い散る、魔法陣の描かれていた紙の破片。
リンジーさんはその場に膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……。魔法陣も魔導式も完璧だったはずなのに……。……一体、どこの間抜けが私の魔法陣に干渉していたんだいっ! 返せっ! 私の魔力と労力っ!」
涙目のリンジーさんが立ち上がって立ち込める白煙の中を見つめる。
咳き込みつつ私が魔道具店の窓を開け放つと、白煙は外へと流れてゆく。
すると次第に視界が晴れていき……魔法陣のあった場所に、小さな二つの人影があった。
「何だい、召喚自体は成功したのか?」
「一応はそのようだが……ふむ」
アレックスとリンジーさんが見つめる先。
そこには新緑色の髪を乱して倒れる、二人の子供の姿があった。




