6話
「次の街にはどうやって進むの?」
来た道を引き返す最中、満腹になったお腹を摩りながらスタラビが訊いた。しかし、この世界でどれだけ食べても、お腹が膨れることはない。
「それはだな。これだ!」
スタート地点の宿屋まで戻り、裏手に回り込むと巨大な転移門が現れた。
横三メートル、高さ五メートルもあろう門の内部は、何やら怪しげなオーロラ色に蠢いている。良い言い方をすれば艶麗だが、街のどのオブジェクトとも調和しない独立した妖美さを放っていた。
「わあ――すごく綺麗」
スタラビがその光景に見とれていると、今まさに三人組のプレイヤーが鮮やかな翠に渦巻く空間から現れた。
「もしかして……あの中に入るわけ?」
スタラビはきょとんとして言った。行き先の見えないところに飛び込むのは、いくら信頼できるパートナーと一緒でも足が竦むものだ。
二人は門の前に立った。妖艶なスタラビの顔を門が照らす。
「転移! コロッセオ!」
臆するスタラビの右手をそっと取ると、俺の声と同時に二人は光の渦へ一歩踏み入れた――と思った。
突如、目の前に何か黒い物が実体化し、容赦なく俺の頭部を打ち付けた。避ける間もなく、天と地がひっくり返る。
「いってえ……大丈夫か……スタラビ」
混濁する意識の中、上半身を起き上がらせたが返事がない。衝突の際、あまりの衝撃に掴んでいたスタラビの右手を離してしまったようだ。
「ウォズのやつ、この世界にまで追いかけてきちゃって、しつこいわね。ごめんなさい……て、セリト?」
代わりに黒い物体の正体が話しかけてきた。目の前にペタリと座り込む女性は、柄の派手なT シャツに太股を出したホットパンツ、そして見知った顔。
「ユ、ユウ!?」
ユウはVVWで知り合った女性プレイヤーで、見た目にはそぐわないが優秀な占い師でもある。初めてこの世界に入った右も左もわからない俺を、一度だけ占ってくれたことがあった。占いは見事的中し、そのおかげでゲーム内で今の職業につけたと言ってもよい。
「ごめんね……ちょっとトラブルに巻き込まれちゃって。転移先まではバレてないから、追って来れないと思うんだけど……」
ユウは警戒して辺りを見回した。あの高さから落ちてきたということは、転移元から大ジャンプをかましたに違いない。
「占いでも外したか? ユウに限ってそんなことはないだろうけど」
「仕事でちょっとね。執念深くて」
仕事とは占い家業のことだろうか。
ユウの腕は口コミで広がり、この世界をある程度経験しているプレイヤーなら知らない者はいない程だ。
「あの店では当分の間、営業できそうにないわ。店の雰囲気、気に入ってたんだけどな」
ユウはトラブルのことを、とりわけ思いつめている様子ではなかった。
「少しの間、遊んで暮らせば? 金はたんまりあるんだろ?」
「そうね、それもいいかも。ところでセリト、さっきの女性は新しい彼女さんかしら?」
ユウは身体を擦り寄せて訊いてきた。
「……あっ!」
スタラビの存在が脳裏に蘇った。
「ごめん、急いでるんだ! またメッセージ送るから!」
俺は「コロッセオ」の言葉と共に門を潜った。
スポーツの街――コロッセオ。
イタリアの首都ローマをモチーフとしたこの街は、ローマ帝国時代に造られた円形闘技場コロッセオが名前の由来となっている。首都セントラルの一・四倍の面積を有し、その広さはVVWに存在する街で最大の敷地面積を誇っている――と、ヘルプに書いてあった。
中央区には円形闘技場を思わせる巨大な競技場があり、ジャンル問わず毎日何かしらの試合が行われている。と同時に、ここは俺のホームタウンでもあった。
転移門を抜け、石畳に降り立った。スタラビだと思しき人影はすぐに見つかった。今回ばかりは丁寧に造りこまれた彼女の容姿に助けられたと言う他ない。スタラビは大勢の男性プレイヤーに囲まれ、その中の数人と連絡先を交換しているところだった。
男性プレイヤーが手を振り離れていくのを見届けてから、俺はスタラビに近づいた。
「手離して悪かったな」
「あっ、セリト! 今ね、ナンパされちゃった! フレンド登録って言うの? 頼まれたからやってみたの!」
一人寂しく泣いているかと思いきや、現実の彼女同様、肝の据わったスタラビに限って要らぬ心配だったようだ。
「……初めてだろ」
スタラビの目をじーっと見つめながら訊いた。
「な、何が?」
「ナンパされたの……初めてなんだろ?」
「そ、そんな訳ないでしょ! 現実でもナンパの一度や二度されたことあるわよ! こう見えて人気あるんだからね!」
明らかにスタラビは動揺している。そして、現実のかえでも嘘を吐くとき、動揺して目が泳ぐことを俺は知っている。更に、俯いているところを見ると、初めてナンパされたのは図星だったようだ。
「ごめん……からかって悪かった」
「セリトだって、その子……どこでナンパしてきたのよ」
スタラビは言うと、俺の背後に視線を送った。
ナンパなんて身に覚えがないし、生まれてこの方やったこともない。からかった仕返しにおちょくっているのだろう。
「その手には乗らないぞ。振り向いたら、騙されたって――」
「行くとこないからついて来ちゃった」
「そう、振り向いたら……え、ついて来ちゃった!?」
俺は慌ててスタラビの視線を追った。その先にはたしかに、女性プレイヤーが立っている。デニム生地のホットパンツ、小麦色にマテリアル設定された肌。このファッションに出会うのは本日二回目だ。
「ユ、ユウ!?」
セントラルの転移門で別れたはずの、少なくとも俺は別れたと思っていた――ユウに跡をつけられたようだ。
「追われてるし、店戻れないからさ……一緒にいてもいいでしょ? ……あっ、ユウって言います。よろしくね!」
俺の返事は無視し、ユウはスタラビに自己紹介を始めた。
「す、スターラヴィって言います。ラヴィでいいですよ」
まだ状況を理解できないでいるスタラビもつられるがままそれに応じる。
「ラヴィね。私もユウでいいよ」
ユウは両手でスタラビの手を掴むと、がっしり握手をした。スタラビは視線で俺に助け舟を求めている。
「ええとだな。ユウにはこの世界のこと色々と教えてもらった、というか占ってもらったというか……」
「占い?」
スタラビは首を傾げた。
「そうそう、セリトったら始めのころ一人ぼっちだったの。街と街を転移しまくっててさ。それも聞いてよ、面白いの。意味もなくずっと転移してるの。明らかに不審者よね。どこでうちの店を見つけたんだか、何をしたらいいかわからないから占ってくれって言うのよ。職業を見つけられたのだって、私の占いのおかげなんだから」
「そのおかげで俺は全財産失うことになったんだがな」
「手数料よ」
「手数料が資産の一〇〇パーセントってどういうことだよ! そんなにお手数かけてないだろ」
「しょうがないでしょ? あなた所持金一万しかなかったじゃない。格安よ。か・く・や・す!!」
正論過ぎるユウの意見にぐうの音も出なかった。ユウの占いは的中率だけではなく、その法外な報酬にも世間に名を知らしめる理由があった。
聞いた話によると、通常一度の鑑定料で数百万の請求をしているらしい。いくら物価の高いこの世界でも常識を超えた金額である。今お客に追われているのも金銭絡みのことであろう。
「セリトの場合、元金取り戻せたんだからいいでしょ? むしろその何百倍も稼いでいるんだから」
「……えっ! セリトそうなの?」
スタラビが威圧感のある視線を投げてくる。
「あら、私なんか余計なこと言ったかしら」
ユウはむしろその空気を楽しんでいるようだ。
スタラビに何て説明するか、俺は考えた。幾通りかの思考の末、正直に話した方が賢明だという結論を俺の脳は導き出した。
「俺の職業はな――」
「きゃあーーーー!!」
突如、割れるようなエフェクト音に、俺は耳を覆った。何事かと振り向くと、二人組の男女がこちらに駆け寄ってきた。声の主は女性プレイヤーのようだ。
二人の行動の意図することに想像が付かないわけではない。むしろここ最近、このような輩が増えてきている。それも俺の職業の影響なのだろうが、未だに慣れない。
「あの……セリトさん……ですよね? 良かったら写真を一緒に撮ってもらえないですか?」
写真、握手、サイン。大体このどれかが要求される。一度通りすがりの女性にデートを申し込まれたこともあったが、流石に怖くなって丁重にお断りした。いくらSNSが交流の場だと言っても、ナンパはするのもされるのも今一つ抵抗がある。以来、フレンド登録以上の要求は断るようにしていた。
「ああ、もちろん」
俺がそう答えると、男性プレイヤーが手早くカメラのアプリを起動した。
この世界のカメラアプリは便利なもので、起動するとカメラのオブジェクトが空中に出現する。オブジェクトはウィンドウ操作により四方八方への移動が可能で、それがカメラの視点位置となる。カメラから見える映像は常にウィンドウに表示され、映像を確認しながら位置調整が行える。
また、最も驚かされた機能は、写真の共有にある。風景の撮影の場合、撮った写真は当然撮影者のフォルダに保存される。しかし、撮影対象がプレイヤーだった場合に限り、アプリの共有機能が働き、対象プレイヤー全員のフォルダに自動的に保存されるのだ。この機能の誕生により、撮影後メールに添付して送り合うといった面倒な作業を行わないで済むようになった。現実世界のカメラにも、是非搭載してほしい機能である。
「こんなもんでいきますね!」
男性プレイヤーは視点の調整を終えたようで、撮影ボタンを打鍵した。一呼吸おいて、シャッター音が鳴る。
「応援してます! 明日のデイゲーム頑張ってください!」
フォルダに転送された写真を二人組が確認すると、労いの言葉を残し行ってしまった。
「……とまあ、俺はこんな職業だ」
終始ぽかんとしていたスタラビに言った。
「……わ、わからないわよ! 教えなさいよ!」
「プロ野球選手よ。それもかなり良い成績を残している有名人」
言い淀んだ俺に代わってユウが言った。スタラビはまだ呑み込めていないようだ。
何故、野球という競技をユウが薦めたのか定かではないが、俺には図らずも野球経験があった。
父親のテレビの影響で幼いころから野球中継をよく見ていて、小学校に上がると自然に近所の少年野球チームに入り、中学でもほぼ変わらないチームメンバーと学校の野球部へと入部した。俺が三年になった春の大会で、日々の努力が実り信越北陸大会への切符を掴んだ。中学校始まって以来初の快挙だと、当時の地元では大きな話題となった。周りの教師たちは出場した実績を称え、信越北陸大会で負けて戻ってきた部員達に「良くやった」「偉い」などの労いの言葉をかけた。負けたのに褒められるということが、子供の俺には理解できなかった。
どうしても全国の舞台を経験したかった俺は、高校入学と同時に野球を辞めた。なぜなら、野球部よりも成績を修めていたソフトボール部への入部を決めたからだ。
正直、競技人口の少ないソフトボールというスポーツを甘く見ていた。もっと言えば、女子のスポーツという印象も少なからず抱いていた。入部して先輩たちのレベルの高さに驚愕した。中学時代そこそこのチームでレギュラーを張っていたくらいの技術では、全国常連の先輩たちには筋力・体力・技術全てにおいて遥かに劣っていたのだ。しかし、それほどのレベル差が全国への目標を更に明確なものにしてくれた。やはり、野球で全国に進めなかったのは、単純に技術がなかっただけなのだと。先輩の技術に追いつければ、確実に全国には行けるのだと。
重いバットで軽いボールを打つ野球に比べ、ソフトボールは軽いバットで重いボールを打つ競技だ。必然的にボールは飛ばない。塁間が短いので、内野ゴロがセーフになる。似ても似つかない競技の違いに初めこそ戸惑ったが、二年秋の全国選抜選手権大会で県予選を突破し、信越北陸大会、そして全国への切符を手に入れた。俺は目標を達成した。そして、全国のレベルを知った。上には上がいるのだ。
その後、国体にも選ばれたが全国で花は咲かなかった。引退してからは受験に専念し、大学に行くこともできた。
そんな経緯など知るはずもないユウが、この職業を勧めてくれた。
「報酬は全てパラメータ強化に使いなさい。やるなら野球がいいんじゃないかしら」
ユウからのアドバイスは二つだけだった。
占い師としての腕は確かだ。デジタル世界において、他のプレイヤーには決して見えないアカウントの性能や相性、イベントの起こり得るフラグ要因まで見えているような。ユウはそんな不思議なプレイヤーだった。
「私の助言のおかげで、元来の才能が開花したってところじゃないかしら」
ユウは常に自信に溢れ、謙虚という言葉を知らない。しかし、その言葉にスタラビの呆気にとられていた目つきが変わった――ように見えた。
「ユウお願いがあるの……初対面でこんなこと失礼かもしれないけど……わたしを弟子にしてください!」
てっきり占いを頼むのかと思いきや、自分が占い師になろうとは。
「ごめんね。たぶんあなたには難しいわ……あなたというより、私以外の人と言った方が正確かしら」
スタラビはガクッと肩を落とした。
「まあ、なんだ。そんなに落ち込むなよ。この世界で稼げる仕事はそれだけじゃないんだ。それなりの収入で将来性もあって、スタラビの得意とする分野の職業もあるぞ」
「例えば?」
スタラビは慌てて顔をあげた。
「プログラマーだ。アプリ作って公開すればそれなりの広告収入にもなる。さっき使ったレシピも名のあるプログラマーがこの世界で組み上げたものだしな」
VVWは三つの制限付きで、アプリ開発を許可している。ゲーム内にフリーのプログラミング開発キットを用意しており、エルジェップと契約を結べば年間五〇〇〇ビルで自作のアプリケーションを公開することができる。
制限とは、一に、VVW専用のアプリしか作成できないこと。開発キットで作成したアプリを自宅PCへ転送し、起動することはできない。OSに互換性がないから当然と言えば、当然である。逆に、外部のアプリをVVW内で作成することは可能である。一般的なアプリケーションであれば、エルジェップが動作保証している。そのため、大学のレポートをVVWで作成できる。
二に、開発キットを外部へ持ち出せないこと。開発キット自体をサークフス以外のハードに転送することは不可能である。開発キットのライセンス管理は厳格である。
三に、サークフス専用のソフトは作れない。VVWのようにサークフスを媒体にして動作するソフト作成は行えない。あくまでも、VVWというベースがあって初めて動作する。
現実世界の有名なプログラマーも数人介入しており、アプリ産業としてもまだ飽和していない。市場の広がりへ期待が膨らみ、最近になって盛り上がりを見せている。
「うーん、やらないとこっちで生活できないのよね。馴染みのある言語だったらいいな――あっ!!」
ウィンドウの項目を適当にスクロールしていたスタラビは手を止め、茶色い瞳を見開いた。
「セリト……ここの時間は現実と同期してるの?」
「右上に二つ時刻表示があるだろ? 上がこの世界の時刻で、下が登録した国の時刻だ。まあ、この世界の標準時は日本のものを採用してるからどっちも同じはずだがな」
どの画面に展開しても常に時間が確認できるよう、ウィンドウ右上には時刻が組み込まれていた。上段にはTIME、下段にはJPNの表記で、七セグ表示のデジタル時計が秒を刻んでいた。
「……終電……あと一〇分なんだけど」
VVWの夜は短く、ほとんどの時間は擬似の太陽光が降り注ぐ白昼だ。時間の間隔を忘れ、ついつい長居してしまうことも少なくない。しかし、今日はスタラビが隣で横たわっていることをすっかり忘れていた。一〇分――急げば間に合う。
「ユウ、ごめん! 帰るわ! スタラビ、ログアウトだ!」
ログアウトの仕方が分からずスタラビは動転している。スタラビのウィンドウを横から操作し、メニューの一番下にあるログアウトを選択した。スタラビは極端に解像度を落としたポリゴンの塊となった。途端、発光する無数の欠片に変化し離散した。
見慣れた天井が現実世界へ帰還したことを伝えた。放心したかえでが隣に座っていた。さっきまで同じ世界に居たことが嘘のようだ。
VVWから現実世界に戻った直後は、思考がはっきりせず、脳神経が自分の体へ信号を送っていく不思議な間隔を実感できる。ゲームを終えた余韻とでも言うべきか。かえでもそれに浸っているようだ。
俺は枕元の時計で、終電までの時間を確認した。八分――走れば間に合う。
「そろそろ行かないとまずいんじゃないか?」
かえでは少し間をおいて口を開いた。
「ねえ……今日泊まっていってもいいかな?」
少し震えた声でかえでは言った。顔を伏せたため表情は見て取れなかった。
泊まる。ベッドは一つ。となると……。仮想世界から覚めやらぬ思考回路をフル回転させ、俺はその言葉の真意を探った。
「あの……それはどういう意味で――」
不意に殺気を感じ、途中まで言いかけた言葉を切った。
「終電ないから泊めてって言ってるのよ、志堂芹人」
赤面したかえでは、俺の首元を覆うサークスフを壊れんばかりに握った。
「ああ、待て……悪かった。泊まっていっていいから……放してくれ。新品なんだ! 壊れる!」
ミシミシと嫌な音を出し始めたところで、ようやくかえでは固く握った手を離した。
「……ごめん」
それだけ言うとかえでは布団に潜った。
遊びに来たことは何度もあるが、ホームパーティで酔い潰れたときを除けば宿泊は初めてだ。
俺は枕元の照明リモコンを手に取った。かえでは俺に背を向けて横になっている。まだ怒っているのだろうか。「ごめん」と、言ったから怒ってないよな。思考は巡るが、かえでの背中からは何も読み取れない。照明を消しかえでの隣に横になった。
「もう寝た?」
俺はかえでの背中に訊いた。
「……うん」
「起きてるじゃないか。うんって何だよ」
「……楽しかったよ、今日。ハマっちゃいそう」
かえでは身体を半回転させ、掛け布団の半分を俺に被せた。データの構造体が持つことのない人の温もりを感じる。
梨乃と別れてもう一〇ヶ月も経とうとしていた。久しぶりの温もりとそれが与える安心感を、少し早い心臓の鼓動が邪魔をする。
そういえば、かえでって誰かと付き合ったことあるのかな――一年の頃から一緒にいるが、彼氏をつくったという話は聞いたことがない。
閉じた瞼の裏に浮かぶかえでの寝顔が、心地よい暗闇へと導いた。




