5話
「すっご――い!」
三十秒間隔に、かえでなるスタラビの口から発せられるボイスエフェクトにもようやく慣れてきた。
VVWの中は日本の標準時を採用しているが、長く遊べるようエルジェップの配慮からか、夜の時間帯が極端に短い。今現実世界では午後八時ごろだが、VVWでは太陽が街のオブジェクト群を昼間然りに照らしていた。陽が傾き、夕焼け空へと染まっていくにはもう暫く掛かるだろう。
「感動しっぱなしだな、かえ……じゃなくて、スタラビ」
アカウント名で呼ぶことにかなりの違和感を感じながらも、スタラビの意見には俺も同感だった。傍から見れば初めての地を踏んだ海外旅行者にしか見えないだろうが、この世界を体験してしまえば、きっと誰もが同じリアクションを取るだろう。
その色彩豊かで緻密なグラフィックを活かし、剣もしくは魔法といった類いのスキルを駆使するRPGアプリを制作しているチームの噂も聞いたことがある。個人的には、早く完成しないか待ち遠しくて仕方がない。
首都――セントラル。
中世ヨーロッパをモデルにした、品格のある街並みを見事に再現していた。居住、娯楽、行政、交流における全てが揃っている街。VVW内最大のダウンタウンとしても機能している。中でも、飲食店の数が膨大で、NPCが経営する大手チェーン店はもちろん、料理熟練度の高いプレイヤーが経営する個人店までひしめき合っていた。
人と人との繋がりの促進を目的に作られたVVWにおいて、国際的な交流の次にプレイヤーを惹きつける魅力が味。そして、匂いである。脳へと直接電子パルスを送ることで、擬似的な五感を使用者に与える――というのが、サークフス元来の仕様であるが、味覚・嗅覚の二感においては、現実世界では味わえない幸福感を体感できるのではないだろうか。もちろん、幸福度合いには、相応の対価が必要となってはくるが。
そして、この世界の食べ物をスタラビにも是非口にして欲しいと、俺は密かに思っていた。
「なぁ、腹減ってないか?」
「減ってる訳ないでしょ。さっきセリトの部屋で食べたばかりなんだから…………あっ!」
田舎者丸出しでキョロキョロしていたスタラビは、急に立ち止まるり不思議そうな顔で首を傾げた。
「……あれ? お腹、空いてるかも……」
「だろ!」
仮想世界と現実世界の体調は必ずしもリンクしていない。
例えば、現実世界で足を怪我して歩けないとしよう。しかし、ひとたび仮想世界にダイブしてしまえば、どれほどの重症者でも風を切って走り回ることができる。
空腹においても同じことが言え、更に言えば、空腹度は満腹指数と言われるステータスによって数値管理されている。時間が経てば数値は減少し、プレイヤーの脳にお腹が空いたという擬似信号を送る。何か飲食物を摂取するまで、擬似信号はプレイヤーに不快感を与え続ける。満腹指数はログアウト中もVVWのシステム時計の経過とともに減少を続ける。そのため、ログインしたら仮想世界内で食事を摂り、ログアウトしたら現実世界で再び食事を摂るという現象が度々起こる。
初ダイブ直後のステータスはまっさらなデフォルト値――つまり、空腹度を表すスタラビの満腹指数はゼロということになる。
「うわぁ、この世界の造りは何から何までおしゃれ!」
重厚な硝子戸は街の騒音を完全に遮断し、スタラビの大きな声を一層際立たせた。宿屋から十分ほど歩いたプレイヤー経営の洋食レストラン《甘美堂》は、薄暗く静かなBGMが流れ懐古的な店内だ。俺たちが食事をするには少し洒落すぎている気もするが、味の質はこの世界で最上級と言っても過言ではない。
「いらっしゃいませ――」
俺とスタラビが向かい合わせで席につくと、大柄の男性プレイヤーがだらし無いお腹を揺らしてメニュー表を持ってきた。
アバターを自由に弄れるこの世界で、これ程飾らないプレイヤーも珍しい。俺と同様、恐らくこの店主も、現実の容姿を限りなく精密に再現したのだろう。メニューを渡した店主は、何か説明するでもなくそそくさと裏に引っ込んでしまった。
注文の仕方を説明しようと顔を上げると、メニュー表を見つめたまま凍りついているスタラビの姿がそこにあった。スタラビは震える手で自分のメニューウィンドウを操作すると、余計に肩を竦めた。
「セリト、ごめん。わたし、食べないでおこうかな……」
「現実よりも随分スマートなアバターなんだ、ダイエットの必要もないだろ?」
余計なことを口走ったと気付いたときには時すでに遅し、激怒の表情をつくったスタラビが口をついた。
「うるさいわね、志堂芹人! だって……このお店の単価だとわたしお水しか飲めない」
ウィンドウの所持金額とメニュー表を交互に見ながら涙目で訴えるスタラビには悪いが、俺は思わず笑い声を上げた。
「ははは……、そっか、そうだよな。いや、気にしなくていいよ」
「気にするなって言ったって、無理なものは無理なのよ」
腹を抱えて笑う俺に、スタラビは一層苛立った。
初期プレイヤーの所持金は一万ビル。サラダ、スープなどメニュー表に記載された低価格なアラカルトでも、一万五千~二万ビルはする。肉料理にいたっては五万以下は見当たらない。
「ここは俺が払うよ。そもそも初期プレイヤーにお金出してもらおうなんて思ってないから、気にしないでくれ」
俺は二人分の支払先に、自分のアカウントを指定した。交流ツールというだけあり、ご丁寧にも《奢り》機能を備えているのは開発者に感服だ。
「言うじゃない、遠慮はしないわよ」
さっきまで涙目だったスタラビは、ニヤリと悪い顔をしてみせた。VVWのサーフェスモデルがもっと緻密であれば、間違いなく鳥肌が立っていただろう。次回バージョンアップの際には、是非《鳥肌》機能も取り入れてもらいたい。
「お手柔らかにお願いします」
スタラビの開き直りに尻込みをしつつも、俺は承諾した。
「すいませーーん!!」
予想以上のメニュー数の多さに散々悩んだ挙句、「よしっ」と、ひと呼吸置いたスタラビは大声で店員を呼んだ。現実世界なら間違いなく店の人から何らかのリアクションがあったはずだが、代わりに返ってきたのは他の客からの嘲笑のまなざしだった。
「何よ……店員来ないじゃない」
痛い視線から身を守るようにスタラビは呟いた。
「悪い。言い忘れたけど、注文はメニュー表からするんだよ」
初期プレイヤーの誰もが犯す過ちだ。それをこの高級店で犯したスタラビは運が悪い。スタラビは顔を赤らめた。
俺はメニュー表の欧風オニオングラタンスープと印字された部分をトンと叩いた。途端、メニュー表から半透明の物体が浮き上がり、テーブル一センチ上に静止した。眼前には、食欲をそそるオニオングラタンスープの三次元グラフィックスがふわふわと漂っている。
対面のスタラビは、あんぐり開けた口と同じくらい目を見開いていた。半透明のそれを何度も掴もうとしては、スタラビの手は虚しく空を切った。ダイブ初日に全く同じ動作をしたことを思い出し、ニヤつく顔を必死に堪えた。
オニオングラタンスープ上空には購入の決定を促すメッセージウィンドウがポップアップしている。一八九〇〇ビルという価格表示を一瞥し、OKボタンを打鍵した。
チャリンという効果音と共に、宙に浮いた半透明の物体は静かにテーブルに降りた。次第にスープが彩りを帯び、湯気が立ち上ると玉葱の甘い香りが鼻をくすぐった。物体は完全に実体と化した。
他にも注文タイプはあるが、この世界では今の一連動作が飲食店での主流となっている。
「……とまぁ、こんな感じなんだが――」
「すっごーーい!」
言い切らないうちに、スタラビが言葉を被せた。
「今度はわたしの番ね。緊張しちゃうなあ」
スタラビは慣れない手付きで、生ハムのサラダをオーダーした。大きめの深皿に綺麗に盛り付けられたサラダがポリゴン化する。
悪くないチョイスだ。俺も以前この店で食したことがあるが、後を引く塩辛さ、噛み溢れる肉の甘味は現実のものを忠実に再現している。
スプーンを手に取った俺は、スタラビの異変に気がついた。スタラビは何の躊躇もなく、既にもう一品のポリゴン化に取り掛かっているところだった。気のせいだろうか、OKボタンの効果音が一際大きく聞こえた。
実体化していく料理を見て、俺は言葉を失ったが、覆水盆に返らず。
仔羊のナヴァラン リュクス風 春野菜を添えて――という、メニューらしい。欧州料理特有のいかにもピンと来ないネーミングである。赤ワインとデミグラスソースで柔らかく煮込まれた分厚い羊肉の隣には、色とりどりの野菜が申し訳程度に添えられていた。
あろうことかスタラビはこの店で一番高い料理を注文していた。俺は息を呑んで問う。
「参考までに聞かせてくれ。一体……いくらだった?」
「あっ……えーと。ごめん。見てない」
スタラビの返答に言葉を失う。
「まあ、出しちゃったものは仕方ないし……ね、勿体無いから美味しくいただきましょうよ」
たしかに、一度購入したものを返品するクーリングオフ制度は、仕様上存在しない。スタラビに乗せられるのは気が進まないが、せっかくのご馳走を前に食欲は遠慮を知らない。欲望のままに、透き通ったコンソメスープをスプーンで掬った。
流体力学に基づいてパーティクル処理された黄金色のスープ。そして、スプーンの軌跡を追う粘度の高いチーズは、ゲームの中とは思えないほど精工に表現されていた。そのまま口にスプーンを運ぶ。途端、口の中に熱が伝わった。チーズの香りと玉葱の甘味が口いっぱいに充満し、大きな幸福感を味わった。もし、この世界に幸福指数なるものが存在すれば、この瞬間かなりの数値を記録しているだろう。しかし、あるのは満腹指数だけだ。
「料理スキルなしでこんな美味しいもの作れるなんて、便利な世の中になったものね。ボタン一つでこんな高いもの提供できるんだから、ここのレストランはボロ儲けじゃない」
最高級仔羊肉をスタラビは既に六割程食していた。
「料理スキルか。そのカラクリ……教えてやってもいいが。それには一つ条件が……」
「なによ」
俺はスタラビと羊肉を交互に見やった。
「一口だけだからね」
俺の金なんだが――という強い思いを呑み込み、大きめの羊肉を口いっぱいに頬張った。ほどける程煮込まれた肉に臭みはなく、歯を立てた部位からは肉汁が溢れ出た。グラタンスープの幸福指数など比べものにならない。
噛めば噛むほど広がる旨味を時間をかけて味わうと、俺は思い出したように口を開いた。
「レストランの話だったな。最初にメニュー表を持ってきた男いただろ。あのプレイヤーがここに並ぶ全ての料理を作ったんだ」
「ええ? そんなわけないわよ。だってゲームシステムが自動的にポリゴン化してたわよ」
スタラビは漠然とした。
「二回目以降はな。レシピ機能といって、一度作った料理は保存しておける便利なツールがあるのだよ」
一度作った料理はその直後、システムログのキャッシュエリアに一時保管される。レシピ機能はキャッシュエリアの情報を記憶領域に格納し、適時呼出しを可能にしてくれるのだ。特定のフォルダに食材さえ揃えておけば、記憶された料理は具現化された紙に表記するか、メニューウィンドウから呼び出すかで、あとはシステムが自動的に再現してくれる。ゲーム内でアプリケーションをインストールすれば、誰でもレシピ機能を使用可能になる。もちろんレシピは無料アプリケーションに分類されている。
「まぐれでも一度作れればいいんでしょ? それなら簡単に作れそうじゃない」
「あのな、言うのはタダだが意外と難しいぞ。俺もアプリインストールしてチャレンジしたが、そもそも料理の知識がないから何から手をつけていいやらで。出来上がった料理は見るも無惨に廃棄処分することになってしまった。それに――」
「それに?」
「それに……これは噂だが、売れっ子シェフのレシピは高値で闇取引されているらしい。レシピと材料さえ手に入れば、後はワンタッチで誰でも作れるしな」
俺は声のトーンを落として、顔をスタラビに近づけた。
「高値っていくらよ?」
スタラビも同じく声を落とした。
「俺が聞いたところによると、これくらい……」
俺は人差し指を立てて見せた。
「一本……た、単位は?」
興奮冷めやらぬスタラビを制して言った。
「まあ、あくまで噂だ。良からぬことを考えないこと!」
「お肉あげたでしょ。教えなさいよ」
「俺の金で注文した肉だ。これ以上は割に合わない。それに、売れっ子シェフになるにもかなりの運パラメータが必要みたいだしな」
「パラメータ? それも新しい機能か何か?」
「いや違うよ。本来アカウントが持つステータスのこと。ウィンドウの左側に五角形があるだろ?」
「五角形……ないわよ」
体力・筋力・敏捷・器用・運――プレイヤーなら誰しも持っている五つのパラメータだ。ないはずはない。俺は半信半疑にスタラビのウィンドウを覗き込んだ。
「――あるじゃん」
パラメータが全て初期値の一なので、限りなく点に近い微小な五角形が、たしかにそこに存在していた。
「セリトの五角形も見せてよ」
ウィンドウを覗き込んでくるスタラビに慌てて俺はウィンドウを閉じた。
「ま、まあいいじゃないか……俺のは……あはは」
俺は目を逸らし、乾いた笑いで誤魔化した。
「わたしたちの中に隠し事はなしでしょ? じゃあパラメータの上げ方を教えて」
何とか話が逸れたことにホッと胸をなで下ろした。
「上げる方法はただ一つ――課金だ」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「どっかのRPGみたいにモンスターを倒してレベルアップなんてのは?」
「なんてのはなし。そもそもこの世界にモンスターなんていないし」
「どうせまた高額なんでしょ?」
「ご名答。パラメータ一つ上げるのに、一〇万ビル也」
「じゅ、一〇万!?」
「ちなみに聞くけど、マックスまであげようと思うといくら掛かるの?」
「ええと……初期値が一で……最大値が一〇〇〇だから……ざっと一億だな! さらにそれが五つあるから、五億ビルってとこだ」
「なんだか途方もない金額ね。ただのSNSだと思ってたのに……」
スタラビはガクッと肩を落とした。
VVWはコミュニケーションの場としても十分魅力的なツールだ。今まで携帯端末上でのやり取りが主流だったSNSに対して、サークフスは世界初のフルダイブ環境下でのプレイを可能にした。俺のような内定者以外からどのようにして極秘にデバッガーを募ったかは謎だが、既に世界各地にプレイヤーが存在し、交流を深めることに成功している。コミュニケーション機能単体で見ても、VVW内に少しの広告を出すだけで、世界中の企業が契約権を取ろうと大金を出すだろう。この世界は確実に成功するビジネスモデルだ。
そのオマケ機能のような形でパラメータ要素が盛り込まれている――が、実際に高額課金してまでパラメータをあげている人は極少数で、そのほとんどは仮想世界での仕事を本業にしようとしている人たちだ。なぜなら、コミュニケーションを楽しむのに初期値以上のパラメータの必要性を全く感じないからだ。
オニオングラタンスープの最後のひと掬いを口に運ぶと、じろじろと全身を見てくるスタラビの視線を感じた。
「ふと思ったんだけどさ。こんな高い食事を支払うお金があって、どうして質素な服装をしてるの? 言っちゃなんだけど、おしゃれ……ではないよね」
たしかに俺は初期アバター同然の身なりをしていた。レストランにいる他のプレイヤーと比べても、高級レストランだからかもしれないが――場違いな格好だ。
「俺は洋服には金使わないからいいんだよ」
理由があるにはあるのだが、はてなマークを浮かべているスタラビをもう少し楽しむことにした。
「じゃあもう一つ質問! どうしてそんなお金持ってるの?」
「それもノーコメントで」
期待した答えが聞けなかったスタラビは、あーうーと唸った。
「さあ、食べ終わったら次の街だ!」
この言葉を待っていたかのように、スタラビの表情は再びわくわくを帯びた。




