31話
二週間続いた最後の個別カウンセリングを終え、ホール西側のエスポワール湖を目指し歩いた。
あいにくホール開放日ではなかったので直接転移はできず、隣町である釣りのメッカ《フィシュル》から歩いて向かうはめになった。
火星到着を全プレイヤーに知らせるために、VVWでは二週間前から多くの変化を迎えた。移住者全員を対象にしたカウンセリングが始まり、一般移住者にはそのときにマーズ計画の説明がされた。エルジェップはこの瞬間のために、大量の精神科医をフルダイブさせていたようだ。初めこそ混乱するプレイヤーが目立ったが、今気強いカウンセリングを続けた結果、火星への移住はビッグイベントと化しつつあった。
どうしても興奮が抑えられず心拍が急激に上がるプレイヤーも沢山現れたため、一定の上昇を超えると心が安らぐ音楽をプレイヤーの聴覚に流す仕様が公式に組み込まれた。
一週間前には、セントラルの街頭ビジョンに、火星に在住しているジョバイロ船長が顔を出すようになった。火星の天気や気温を伝え、現地の作業は順調だと移住者を励ました。一昨日の放送では、火星の鉱石を利用した発電に成功したと発表し、セントラルは歓喜に包まれた。
また、日替わりで他のクルーも登場した。画面越しに父を見る勇気はなく、俺はその回だけ見逃した。
無事到着しても、しばらくは船内で生活を送らなければならないらしい。三機の貨物宇宙船も居住用に開放するらしく、スペースの心配はいらないそうだ。いきなり父と二人生活にならずに済んで、逆に良かったかもしれない。
到着予定時刻まで後三〇分を切っていた。到着直後は一度通信が切れ、順々に自動ログアウトが始まるらしい。順番待ちの間は意識がなく、麻酔をかけられたような状態となる。カウンセリングの先生は、長い人で六時間ほど待たされる予定だと教えてくれた。
小川の流れる森を抜け、集合場所であるエスポワール湖に着くと、美愛と尚がすでに到着していた。
「芹人!」
美愛は手を振って俺を呼んだ。
「二人で来たのか?」
「そうよ。こんな綺麗な湖があるなんて知らなかったわ」
美愛は光る水面を掬い、俺に水しぶきをかけた。圧力がかかると発光を終えるため、俺にかかったのはただの水だ。
「何だが緊張してきちゃった。きっと一人じゃ、こんな瞬間耐えられなかったわ」
美愛は尚の右手を握り締めた。
「なおは皆とおるで、大丈夫や」
「尚はこういうとき心強いわね。頼りになるって言うか。結局、マーズでは最後まで尚の独壇場だったしね。芹人でも敵わず」
「基本的にプレイヤーパラメータのデフォルト値が違いすぎなんだよ。β版の時点で五〇〇〇万円分のパラメータ課金してたなんておかしいだろ」
「それ以降はしてへんもん」
尚はぷいと頬を膨らませた。
「そうや。芹人も美愛ちゃんと手繋いで」
尚は左手で俺の手を取った。俺が美愛の手を取れば、三人で輪になる。
「い……いや、何でだよ」
「恥ずかしがらんでもいいやん。二人付き合っとったやろ?」
「…………ええ!?」
どうして尚がそのことを知っているのだ。美愛から誰にも言わないでおこうという提案に従い、俺は今まで秘密にしてきた。もちろん、かえでにも言っていない。
「あたし言ってない!」
美愛はぶんぶんとかぶりを振った。
「誰にも聞いてへんよ。でも、そういうの見ててわかってしまうんよ。別れた理由も何となくわかるもんね」
付き合おうと言ったのも、別れを切り出したのも美愛からだ。俺は今まで別れた理由を何となく聞けずにいた。そして、今を逃したら一生知る機会は訪れないだろう。俺は勇気を出して口に出してみることにした。
「な……なあ。その……」
「ど、どうしたのよ。芹人まで急に」
「いや……どうして別れたのか、ちゃんと聞いてなかっただろ。教えてもらえるのかな、と思って……」
「ああ……言ってもいいけど」
美愛は辺りを見回し、誰もいないことを確認してから言葉を続けた。
「かえでのため……かな」
「尚もそう思っとった!」
美愛は恥ずかしそうに顔をしかめ、尚は予想が当たったことに大はしゃぎした。
「何でかえでのためなんだよ」
「見てれば誰だってわかるでしょ! ずっと一緒にいたじゃない。履修登録まで全く同じだったし」
「それは、かえでが面倒くさがって、俺の履修を丸々パクったんだよ」
「あんた本当に鈍いわね」
「痛……いたたたた!」
美愛は握っている俺の手に力を込めた。
「仮想世界で痛みを感じるはずないでしょうが」
「尚はなんでそう思ったんだよ」
「前から思っとったけど、かえでちゃんのアカウント名見て確信したかな」
「アカウント名って……スターラヴィ?」
美愛と視線を合わせ、思考を凝らしたが思い当たる節はなかった。
「STOERLOVIEって、不思議な綴りやったから、並び変えてみたんよ。そしたらなSERITO LOVEやって」
「ぎゃーー! ほんとだ! 芹人、ラブ!」
美愛が叫んだ。俺は恥ずかしさで湖に飛び込んでしまいたい衝動に駆られた。
「何三人で手なんか繋いじゃって」
突如、頭上から降り注ぐスタラビの声に、肩を竦めた。急激な心拍の上昇により、現在俺の聴覚には心安らぐメロディが流れている。本人が近づいていることを、湖入口に背を向ける俺に教えないとは、尚は恐ろしい女性なのかもしれない。
「何でもないよ。もうすぐ着陸の時間やで。皆も一緒に手を繋がん?」
スタラビ、平井、仲さんの到着に、尚は平然と対処してのけた。
尚は俺の手を放し、三人を輪の中に迎え入れた。左手に美愛、右手にかえでの手を取り、何とも居心地が悪い。
「尚ちゃんなんで嬉しそうなの?」
にやにやしている尚に仲さんが訊いた。
「実はな――」
「わああ――――うわッ!」
スタラビの由来をばらされると察し、尚の声を遮ったが、直後別の理由で悲鳴が漏れた。突如、眼前に《safety》というメッセージが現れたからだ。メッセージは操作不能で消すことができない。俺以外のプレイヤーにも同じメッセージが出ているようだ。
聴覚に訴える心地いい音楽は、依然止まない。
「見て!」
スタラビはエスポワール湖を見つめて言った。
視線の先には広大な水面が輝きを増し、徐々に隆起していく――いや、水面が隆起しているのではない。気候が無風状態となり、光る粒子に加わる圧力がゼロになったのだ。消灯の条件をなくした光素は、ここぞとばかりに発光した。上昇するほど低くなる大気圧の恩恵を受け、光る粒子は速度を増していく。
「…………綺麗……」
スタラビは呟いた。
いつしか流れていた音楽は消えていた。
天まで達した光の柱を仰いだまま、かえでと美愛の感触を残り香に俺は意識を失った。




