30話
毎日がお祭り騒ぎのVVWだが、今日の店内には一段と人が溢れていた。
豪華な料理は壁際にずらりと並べられ、いつも注文を取りに来る無愛想な店主の姿は見ていない。
尚の協力の下、甘美堂を貸切にし、セントラルに住む紳士淑女を招待した立食パーティを開催させてもらった。もちろん、西田のおっさんと特別ゲストにダッテンも呼んでいる。
先日、家に帰ってくるダッテンを尚の家から見張り、ちょうど帰宅してきたところに出席を頼み込みに行った。渋っていたダッテンだったが、富裕層の集いだというフレーズにファンの美女も多数呼んでいるという虚言が背中を押して、快く承諾してくれた。
この場に似つかわしくないデジタルタトゥーのメンバーがいるのは、折角やるなら純粋にパーティを楽しみたいという尚たっての希望だったからだ。おっさんの家を取り戻すための会だということを、尚が理解しているのか不安になってくる。
西田のおっさんは隅で大人しく様子を伺っていた。
「尚ちゃん、こっちにも頼むよ」
尚が阿比留社長の娘だということは、あの通りでは有名な話らしく、株主のおじさんたちは尚を名指しに酒を注文していた。株主が尚を慕うのは、阿比留社長の信頼の表れでもある。それをいいことに、尚は株主たちにデジタルタトゥーのメンバーを紹介して回った。
そのせいもあってか、久しぶりに社外の人と触れ合った平井は、ダッテン登場前からすっかり出来上がってしまったようだ。深紅の葡萄酒を飲みすぎたせいだろう。仲さんの肩を借りてもなお、酒を煽っていた。
ふらつく平井を美愛と笑いながらグラスを傾けると、重い硝子戸が開いた。
「おお、待ってたんだぜ。ダッテンさん」
入口付近でスタラビを口説いていた大柄な株主が声をかけた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
硝子戸を閉めてダッテンは言った。
俺と視線を交わしたスタラビは、こくんと頷いた。
「きゃあ! ダッテンさんじゃないですか。わたし大ファンなんです! よかったらご一緒してもよろしいですか?」
スタラビが勢いよくダッテンの腕に抱きついた。俺はそこまでの指示は出していない。
「ちぇ、結局色男かよ」
スタラビを口説いていた男が舌を鳴らした。
美女のファンの出来上がりである。
「あたしもお邪魔しちゃおうかしら」
さっきまで俺の傍らにいた美愛が、もう片方の腕を掴んだ。美愛にはそもそも指示などしていない。もしかしたら、この二人はダッテンと触れ合えるのを楽しんでいるのかもしれない。
「いやあ。こんなに歓迎されるとは思わなかったよ」
ダッテンも満更ではなさそうだ。サイン会のときダッテンの助手をした女性プレイヤーの容姿を見た限り、ダッテンがスタラビを気に入るのは容易に想像できた。
そろそろもう一人の助っ人が登場するころだ。仕掛けてもいいだろう。俺はメニューを手にダッテンへ近づいた。
「何かご注文されてはどうですか?」
「おや、君か。今日は招待ありがとう。これだけの人を集めるとは素晴らしい。今度私のところでお手伝いでもどうかな。報酬は弾むよ」
「それは勉強になります。何かスキルを盗めるかもしれない」
「はは、冗談が上手いな」
ダッテンはドリンクのメニューに目を落とした。
「ダッテンさんは株主優待に何をもらったの?」
スタラビはダッテンを上目に覗き込んだ。
「何のことだい?」
「あの家に住んでいるんだから、株主の方なんでしょう?」
ダッテンは何のことだか、周囲を見回した。興味を持った株主たちは静まり、聞き耳を立てていた。
「あ……ああ。ええと、何だったかな。昔のことで……あ、そうそう断ったんだ。欲しいものは自分で手に入れるとね」
ダッテンにはセントラルに住む富裕層パーティだと伝えている。よもや、セントラルに住める条件が株主だとは思うまい。
「コレクションハウスみたいに?」
「ああ、そうだとも。必要とあらば、何でも作って見せるさ」
「流石、ダッテンさん。なにか好きなものでも注文なさって」
スタラビはメニューを進めた。
「これが好きなんだ。しゅわしゅわと弾けるようでね」
安堵したダッテンは炭酸風葡萄酒を打鍵した。通常なら確認を促すウィンドウがポップするはずだが、飛び出したメッセージには操作禁止を伝える言葉が書かれていた。
「何だ? システムトラブルか…………これは!?」
心情を現実以上に表現してしまうVVWのアバターが、徐々に青ざめていくのがよくわかった。
「ダッテンさんもこれを利用したんでしょ? あの家に」
さっきまで甘えていた美愛が、意地悪く笑った。
「な……何をバカな。あの家は悪質なファンから身を守るためにセキュリティを上げただけだ」
「あたしたちみたいな?」
「いや……君たちはどうだか知らないが……ええ!? 何なんだ君たちは……」
混乱したダッテンは二人の美女から距離を取った。
静かに耳を傾けていた店内がざわつき始めた。瞬間、それを静止させるように硝子戸が開いた。
「あなたをこの旅に招待したつもりはありませんよ」
カールした黒髪のアバターのエテミは、現実の綿井さんよりも随分若く見えた。隅で大人しく飲んでいた西田のおっさんの表情が変わった。
「誰だ、お前は!」
ダッテンが怒鳴った。
「綿井さんも呼ばれてたのか。ダッテンさんは本当に株主なのか?」
大柄な株主が綿井さんに声をかけた。
「わ……綿井だと?」
「直接会うのは初めてだが、思い出してくれたかい?」
西田のおっさんを救うため、綿井さんに協力を要請したのは計画のうちだ。しかし、「思い出す」という発言がどういうことか、俺にはわからなかった。
「ダッテンさん。僕が誰だかご存知かな」
「エルジェップ取締役の綿井だろ」
ダッテンは綿井さんのことを知っているようだ。
「ではこのパーティがどういう会かご存知かな」
「セントラルに住んでいる人たちの集まりだと聞いたが」
「それが何を意味するか、おそらく貴方には予想もつかないだろう」
「どういう意味だ?」
「我々エルジェップは阿比留社長の意思に共感し、多額の資金援助をしてくれた株主たちに深く感謝している。そのお礼として、無条件の火星移住権と仮想世界での特別待遇を用意させてもらっている。特別待遇とはセントラルに住める権利とこの世界で使える株主優待権だ。あなたはそのどちらも持っていない。何故なら、株主ではないからだ」
「そういうことだったか。いや、俺は株主だぜ、綿井さん。だったら俺が株主ではない証拠を見せてみろよ。あの家に住めていることが、何よりの証拠じゃないか」
開き直ったダッテンは早くもハメられたことを理解し、それを利用し出した。
「あの家はコレクションハウスを使い私物化したんじゃないですか?」
俺はダッテンに歩みさらに続けた。
「サイン会に参加したとき、自身をオブジェクト化してコレクションハウスから登場させました。本来、プレイヤーの収集はアプリに制限されていますが、あなたはあのとき特別仕様だと言いました。アプリの制限を操作できるあなたなら、コレクションハウスが謳っている大きさ制限も無視できるはずです。家という巨大なオブジェクトも簡単にコレクションし、操作禁止コードによって本来の持ち主から取り返されるのを防いだ」
俺の後に綿井さんが言葉を続けた。
「あなたのソースコードを解析させてもらいました。コレクションハウスの基本機能である、『オブジェクトの追加』、『オブジェクトの選択』、『選択されたオブジェクトの具現化』。見事に一致しましたよ。僕が開発したこのメニューアプリのソースコードとね。プログラマー特有の書き方や癖、コメントまでまったく同じだった。一部ライブラリ化されていた五感に刺激を与える機能までは、真似ることはできなかったようだけどね。あなたを宇宙空間に投げ出してもいいが……」
綿井さんはドリンクのメニューをひらひらと揺らした。
「ま……待ってくれ! そんなことしたら今すぐログアウトして、身動き取れない大勢の移住者どもの首を切りつけて回るぞ」
「やれるものならやってみろ。現実に意識を戻したとしても、服を脱がされ手足を縛られた姿で起き上がるだけだ。何本も注射針を持った医療チームに囲まれてな」
「だ……黙れ! 元はと言えばお前らが世間に内緒で移住計画を進めるから――」
「西田英世さん!」
綿井さんの張り上げた声が店内に響いた。隅で様子を伺っていたおっさんは、遠慮がちに前に出た。おっさんを見つけると、綿井さんは近寄り、風切り音が鳴るほどの勢いで頭を下げた。
「申し訳ない!」
「綿井さん。そんな頭を下げなくても」
おっさんはおろおろと慌てた。
「いえ。西田さんの受けた被害は甚大です。それを誘発したのはエルジェップなのかもしれない」
俺は耳を疑った。今回の責任は全てダッテンにあり、ソースコードを盗まれたとはいえ彼が単独で行った犯行だ。そこまで、綿井さんに非があるとは思えない。
「何か事情がありそうですね。頭を上げて話してください」
頭を下げ続ける綿井さんにおっさんは言った。
「ダッテンは元々、ウォズという名で活動していた海外のハッカーでした。VVWの開発途中に重大な不適合を起こしたエルジェップは、阿比留社長の指示の元、あらゆる証拠と関連するログを抹消したのですが、そのとき足のつかないスペシャリストとしてハッカーであるウォズを雇ったのです。僕も後になって不適合に気づきましたが、マーズ計画を成功させるために下した阿比留社長の判断は正しかったと信じています」
綿井さんの言う不適合とは、目森さんのことだとすぐに気づいた。目森さんの死亡事故は株主にすら知らせていないはずである。
「そのときにマーズ計画のことを調べさせてもらったのさ! エルジェップという会社には驚いたよ。人を選別した上で、そいつら連れて火星に逃げようとしてやがった。世界経済を崩壊させたあげく、一体何人の善良な市民を見捨てたんだ?」
「選別には厳格な基準を設けさせてもらっている。船の許容できる最大限の人数を移住させたつもりだ」
「本当にそうか? 機密にはNASAとしか協力していなかったようだが、世界中の航空宇宙局とも連携が取れたんじゃないのか?」
「それは……」
綿井さんは言葉を詰まらせた。
「それはおそらく現実的ではないだろう」
助け舟を出したのは西田のおっさんだった。
「エルジェップはできる限り政治と絡まないように計画を進めてきた。それは阿比留社長の考えだったが、私たち株主皆の思いでもあった。火星に行く目的は人類を絶やさないためであって、お金を稼ぎに行くためではない。政治家を巻き込めば、必ずお金が動くだろう。移住を商売の道具にしだす者も出てくるかもしれん。我先に助けてくれと懇願されては、混乱を生むだけだ。協力国を増やせば、国の代表との接点がおのずと増えてくる。NASAに話を付けてくれたのは、アメリカ大統領本人。しかも、当の本人は地球に残り、地球の最後を見届けると申し出た。彼は地上で最も優れた人格者だ。アメリカという巨大な協力を得られた瞬間に、その他の協力を断れたおかげで、用意していた全宇宙船の打ち上げが成功したと、私は思っている」
西田のおっさんの力強い言葉だった。株主たちは惜しみない拍手を送った。俺も自然と手を叩いていた。
マーズ計画を知らないデジタルタトゥーのメンバーには後で説明を要求されるだろう。
「残念だがダッテン。貴方を拘束することはできない。拘束しても連れていく場所がないからな。代わりの家をセントラルの外れに用意した。もちろんダイブ中は二四時間監視されると思ってくれ。火星に到着するまでこの世界を堪能するといい。現実世界の貴方の写真を預かってきた」
綿井さんは一枚の写真をダッテンに手渡した。途端、写真を握りつぶし、店を出て行ってしまった。
「悪くない余興だった」
体格のいい株主は手にした酒を飲み干した。
「西田さん、本当に申し訳なかった。マーズ計画に力を入れる余り、仮想世界の監視を疎かにした運営側の不注意によるものです。エルジェップは貴方の資金援助に大きく助けられたにも関わらず、貴方を助けることができなかった。火星では貴方に素晴らしい環境をお約束しましょう」
綿井さんはもう一度深く頭を下げた。
「現在の苦しい環境はよくわかっています。だから、家を取られてからも、運営に負担をかけたくなく連絡をしないでいました。こんなもの取るに足らない問題なのです。無理せず皆の安全を第一に考えてください」
おっさんは綿井さんの手を取って言った。
「人の命を救ってきた貴方らしいお言葉、痛み入ります」
「おっさん、よかったな」
「セリトくんもありがとう。君が皆に働きかけてくれたおかげだ」
「いえ。尚と綿井さんのおかげです。綿井さん、ダッテンは今後どうなりますか?」
「セントラルの外れに特殊な家を用意した。入ったら最後。外に出るという行為に操作禁止コードを指定しておいた。そこで、監視されることになる。コレクションハウスはユーザーも多いし、削除せずにエルジェップがそのまま引き継ぐよ」
「そうですか。ところで、ダッテンに渡していた写真は?」
「この前、君に送った写真に細工をしたんだ。西田さんのベッドの下に潜り、西田さんのサークフスと自身の旧型を連結する方法でログインしていた。くしくも君がやったことと同じ方法でね。何度もログアウトしていたんだろう。大量の点滴を抱えていたよ」
綿井さんは笑いながら写真を手渡した。
この前メールに添付されていた写真は、ベッドの下に潜り、点滴袋を枕にダイブしているダッテンの姿だった。綿井さんが手渡した写真のダッテンは、ベッドの下で拘束され、手錠をかけられていた。未使用の点滴と、大量の使用済みの点滴も写真に写っている。火星で目を覚ましたダッテンは身動き一つ取れないだろう。
「ベッドの下がお似合いだったから、身体はそのままにしているよ。もちろん、ログアウトはもうできなくしている。それは君も同じだ」
「俺はもうしませんよ」
「だと、いいが。おっと、お友達は君に用があるみたいだぞ」
振り返ると、スタラビ、美愛、仲さん、そして仲さんに担がれた平井が並んでいた。
「わたしたちに説明することがあるんじゃないかしら」
「スタラビ、俺の指示通り迫真の演技だったぞ」
スタラビは片眉を上げた。
「マーズ計画って何よ」
美愛が詰め寄り、俺は綿井さんに助けを求めた。
「説明を許可するが、この店内でだけだ。外では一切口外するな」
綿井さんの許可をもらい、火星移住の話を四人に伝えた。
スタラビ、美愛、仲さんは涙を流し、俺の言葉に耳を傾けた。彼女らはマーズ計画と同時に、地球の家族を亡くした事実を受け入れなければならないのだ。辛い話の何ものでもない。
尚は一人少し離れたところで聞いていた。尚が言っていた「言えない話」とは、この計画のことだったのだ。
パーティを解散し、皆が帰った後、俺は店の片づけをする尚を手伝った。
「尚、ありがとう」
店内に張り付けたパーティ用の飾りをテーブルに集め、一つずつ破棄した。キラキラした飾りはポリゴン片を撒き散らし消えていった。
「なにが?」
尚が首を傾げた。
「店を貸してくれたり。いろいろ協力してくれただろ」
「そんなん、別にいいんよ……皆、泣いとったな」
「ああ……」
「皆、なおのこと嫌いになるかもしれん」
「なんでだよ?」
パーティ飾りのオブジェクトを破棄する手を止め、尚は俯いた。
「皆、家族いなくなってしまったやろ? でも、なおは家族がまだおるもん」
「それは……俺だって、まだ父さんがいるよ」
「…………」
尚は顔を上げない。
「家族を亡くした皆が辛いのはわかる。でも、それを決断した阿比留社長はもっと辛い思いをしたはずだ。そして、それを知っていたのに、皆に隠していなければならなかった尚も辛い思いをした。皆、それくらい理解できる人間だ」
尚の両肩は小さく揺れていた。
「……あり、が……とう……」
尚は声を震わせ、涙を流した。輝く装飾にぽたぽたと雫が溜まった。精神の内側で渦を巻いていた思いが、流体となって零れ落ちていくように。
漏れ出るそれがデジタル信号の集合体には、どうしても見えなかった。




