28話
デジタル世界に意識が繋がると、重かった身体は羽が生えたように軽くなった。それにより、幾ばくか鼓動も凪いだようだ。
狭っ苦しい宿屋最奥の部屋を出ると、いつもと変わらないセントラルの街が出迎えた。
人は賑わい、音楽を楽しんでいるエリアもあり、まるでテーマパークのようだ。誰もこの世界を疑わず、現実世界に横たわる己の身体の心配などしていない。長い時間のフルダイブに、ここが現実だと思い込んでしまっている人もいるかもしれない。
転移門前広場の巨大街頭ビジョンには、時の人となったダッテンのアプリ広告を兼ねたインタビュー映像を放送していた。
「ダッテン氏の家はセントラル高級住宅街に構える豪邸だとお聞きしましたが」
「ええ。コレクションハウスが予想外にヒットしてくれたおかげで、有り難いことにこの世界の通貨を稼ぐことができました。思い切って、購入したんです。代わりに財産がなくなって、ご飯が食べられません。食べなくても餓死しない仮想世界で助かりましたよ」
インタビュアーは大袈裟に笑い、街頭ビジョンを眺める通行人からは羨む声が上がった。
ダッテンは大きな墓穴を掘った。おそらくダッテンは高級住宅街が株主たちの住む街だと知らないのだろう。高笑いするインタビュアーも、羨む通行人も同様だ。
今の発言でダッテンは株主じゃないことが判明した。残すは家を横領したトリックを暴くだけだ。その糸口は未だ掴めないでいた。
俺はメニューからメールを起動した。ホロキーボードが手元に広がり、素早く打鍵する。宛先に尚を指定して送信すると、すぐに着信がきた。
「え、家?」
調査に行き詰まり、以前協力してもいいと言っていた尚に相談したのだが、返信文には「うち来てええで」の記載があるだけだ。
一人暮らしの女性宅に上がることを一瞬躊躇したが、ここからすぐ近いという立地が背中を押した。
現状ダッテン宅となってしまったおっさんの家を素通りし、隣家のインターホンを鳴らした。
「早かったなあ」
玄関が開くと、扉の隙間から尚は顔を覗かせた。
「ああ、近くにいたんだ。家に入れてもらえるのはありがたいんだけど、本当にいいのか?」
異文化交流の場として開発されたVVWだが、その反面プライベート空間には深く立ち入らないという風潮があり、それは今でも深く根付いていた。加え、この状況を知り合いに見られ、変な誤解を持たれたくないという思いも重なった。
「ええよ」
簡潔な返答に促され、遠慮しがちに玄関に入った。
二階まで筒抜けになった玄関ホールにはシャンデリアが垂れ下がり、それを包み込むように螺旋階段が延びていた。外観も立派だが、内装にはさらに豪華な空間が広がっていた。ホテルのような社員寮も高級感はあるが、それの比ではなかった。
「大株主様の住まいは違うな。こんなところに一人で住めるなんて」
「一人やないで。お母さんも一緒やもん」
「ユウもここにいるのか?」
「へえ……呼び捨てで呼ぶ仲なん? かえでちゃんに言うとこう」
アカウント名とはいえ実の母を呼びせてにされ、尚は目を細めた。
「こ……これには色々と経緯があってだな。そもそも、何でかえでの名前が出てくるんだよ。それにかえではユウが阿比留社長だってこと知らないと思うぞ」
尚と美愛はVVWでもかえでのことを本名で呼んでいた。アカウント名で呼ぶ俺は、それにつられ久しぶりにかえでの名を呼んだ。
「何でもええやん。まあ、お母さんがここに帰ってくるのは稀やけどな。ここ以外にもたくさん家持っとるから」
「占い屋とか?」
「そうやで。でもあそこは特別な場所やな。目森さんおるし」
「…………!?」
尚の口から目森の名が出たことに驚愕した。
「知ってたのか」
「知っとるよ。全部」
尚の言う全部とは、どこまでを含んだものなのか。外の世界の施設のことも知っているのだろうか。
「この世界に移住するとき尚も誓約書にサインした?」
「したで」
「誰から説明を受けたんだ?」
「お母さんやけど、そのときに全部教えてもらったんよ」
「その全部ってのは、俺たちが眠る施設についても?」
尚は縦に頷いた。
「教えてくれ。あの施設はどこにあって、何故俺たちは仮想世界から出られないんだ?」
「うーん……。ごめん、それは言えへん」
尚は深く悩み、説明を拒否した。
「ど……どうして?」
「エルジェップの人も偉い人しか知らんて言いよった。移住が全て終わるまで、知らん方がいいと思う。それより西田さんのことで来たんやろ?」
「あ……ああ……」
二〇二五年二月二八日に仮想世界への移住計画は完了したはずだ。しかし、尚の言い方ではまるで移住はまだ終わっていないという口ぶりだ。
「夕飯食べながら話さん? 御馳走するで」
思考を巡らせていると、尚は一枚の紙を差し出した。
「……これって」
数十種類の料理名が並んだメニュー表のようだ。しかし、そのメニュー数は尚が経営する洋食レストラン甘美堂より遥かに多かった。
「練習で作ったやつもあるけど、この中から甘美堂に出すメニューを決めてるんよ。あっちで食べよ」
尚はダイニングに俺を案内した。
窓があるだけの殺風景な部屋ではあったが、中央には美術品のようなテーブルと四脚の椅子が置かれていた。俺は尚の向かいに腰を下ろした。
メニュー表を上から順に眺めた。仔羊のナヴァランなど甘美堂と同じメニューをいくつか見つけたが、初めて見るものがほとんどだった。
尚が作った料理だ。どれを食べてもおいしいだろう。選択に思案していると、最下のメニューに目が止まった。
「パエリアなんて、マーズのプリメロの街を思い出すな」
「それを真似て作ってみたんよ。まだ甘美堂にも出してない、なおの最新作やで。ちょっとアレンジはしてあるけどな」
「一番に食べてもいいかな」
「ええけど、コメント頼むで。しゅば!」
尚は人差し指を立てて俺を指差した。
パエリアを叩くと、半透明のグラフィックが宙に浮いた。魚介が盛られたパエリアは、色はなくとも食欲をそそった。上空には決定を促すメッセージがポップしている。甘美堂では購入を促すメッセージだった。記述に差異はあれど、基本的な操作に違いはない。俺はOKを打鍵した。
パエリアは色を帯びながらテーブルに降りると、魚介の香りを振り撒きオブジェクト化した。
「なおもそれ食べよ」
尚はコレクションハウスを起動すると、皿を二枚、スプーンを二本、取り分け用のサーバーをオブジェクト化した。
「そのアプリにそんな使い方があったとはな」
「食べ物とか生き物は本来の性質がなくなってただの置き物みたくなってまうけど、動かん固形物やったら関係あらへんもん。複製もできるし、便利やから店でも使ってる」
非常に合理的なアプリの使い方だ。勉強ではスタラビ、美愛に劣るかもしれないが、最も頭が切れるのは間違いなく尚だ。阿比留社長の血を引いていることを考慮すれば、それも自然と納得できる。
尚に取り分けてもらった皿を受け取った。
いただきますと合掌し、山吹色の米を口に運んだ。
「うまい!」
うさぎ肉を使ったプリメロのバレンシア風とは違った磯の風味が口に広がった。盛られている海老、アサリ、イカから取れる以上の濃厚な出汁を吸った米は香ばしく炊き上げられていた。
「ダッテンの話だったな」
口いっぱいに頬張っていた尚はスプーンを置いた。
「実はここに来る前、セントラルの街頭ビジョンにダッテンのインタビューが放送されているのを見たんだ。彼はセントラルの豪邸を仮想世界の通貨で購入したと言っていた」
「なら株主じゃないことは確定やな」
「ああ、株主名簿に西田のおっさんの名前があることも確認したから間違いないと思う。あとは盗んだ方法と取り返す方法なんだが、正直言うと行き詰ってて。尚にも協力してもらえないかと思ったんだ。ほら、この前協力してくれるって言ってたから」
「うーん。どうやったんやろな。なおも考えてみたけどわからんかった」
本当に協力してくれる気はあるのだろうか。尚はメニューを弄りさらにもう一品をテーブルに具現化した。
「ナヴァラン!」
スタラビのダイブ初日に奢らされたのを思い出した。甘美堂で最も高額に設定されているメニューだ。
「なおの一番好きな料理これなんよ」
「それであの金額設定なのか」
尚はパエリアの付着したスプーンを羊肉に入れた。柔らかく煮込まれた羊肉は簡単に切断され、それを口に頬張った。
「幸せやあ」
一口貰えないかと見つめていると、尚はナヴァランの皿を俺の方に寄せた。大きめに肉を掬い口に入れた。
こんな美味しい料理をワンタッチで食せるようにしてくれたメニューアプリ開発者に感謝をしつつ、肉の味を噛みしめた。
「コレクションハウスも収集した料理食べられたらいいのになあ」
「それを許しちゃうとメニューアプリの開発者は涙目だな」
紙媒体をタッチすることで対象物をオブジェクト化するメニューアプリに対し、コレクションハウスは起動した時点でこぶし大の半透明オブジェクトが整列している。その中から対象物を選択するというユーザーインターフェースの違いがあった。一見、優れて見えるが、オブジェクトに味や匂い、モーションといった動的性質が伴わないコレクションハウスは、例え料理という分類制限を持っていても動的性質を損なわないメニューアプリの下位互換であると言える。
「そのメニューアプリはどこのフリープログラマーが作ったんだろうな。それもダッテンだったりして」
「これはエルジェップの開発グループやったと思うで。α版のときから組み込まれてたから」
β版は一般ユーザーを対象にした試用期間だが、そのステップに進むには開発者がテストをして、ある程度の評価をクリアしなければならない。その前段階がα版なのであるが、バグや深刻な不具合が多く、一般人が関わる工程ではない。
「もしかしてα版のときからプレイしてた?」
「終わりごろやけどな。お店の準備とかもあったし」
採用が早かった俺は一番乗りでβ版にフルダイブした。そのとき既に甘美堂が開店していたことを、何故今まで疑問に思わなかったのだろうか。
「開発グループか……」
エルジェップ開発部の長と言えば綿井さんだ。取締役と兼任している。
仮想世界の現地調査を担うサービス員はVVWに常駐しているが、ソフト修正や機能追加を行う開発部門は現実世界にいる。理由は至極当然のことで、もし重大な欠陥が見つかりサーバが止まってしまうようなことがあれば、仮想世界内からの改善が行えなくなってしまうからだ。
「うーん…………あっ!」
一抹の可能性が脳裏に過ぎった。家を盗む人間ならやりかねない行為だ。それを確かめるためにもある人物に会わなければならない。
「尚、ありがとう! ヒントが貰えた!」
俺はスプーンを置くと食べかけの料理を前に立ち上がった。そのまま急いで部屋を出る。
「え?」
話を呑み込めない尚の応答が遅れて届いた。背中で捉え、重要なことを言い忘れていることに踵を返した。
「尚、もう一度だけ協力してくれ! 詳細は後で連絡する! それと、夕飯ご馳走様!」
口早に言い終わると、口を開けていた尚は一変、目を輝かせ親指を立てた。
ダッテンのインタビューを長々と放送している街頭ビジョンを横切り、一刻前通った道を全力で駆けた。セントラルの宿屋に飛び込み、誰も見ていないことを確認すると最奥の部屋に入った。
仮想と現実の出入りをする人間がいなくなった今、この部屋を使う者はいない。部屋はいつものように静寂に包まれていた。
俺はメニューウィンドウを開き、最下までスクロールするとログアウトを打鍵した。確認ウィンドウがポップし、直後、鉛のように重い身体へと意識が転じた。




