26話
十三時、セントラル転移門から出ると、既に集合している皆の姿があった。
「それにしても今日は暑いわね。運営は何をしているのかしら」
スタラビは手のひらを揺らし顔を仰いだ。気持ちばかりに発生した風が、派手な芳香を周囲に撒き散らす。
「きっとサーバが炎上しちゃってるのよ。今日はコロッセオの解禁日だもの。久々の大容量演算処理に熱を持ったのね」
美愛は鬱陶しく粒子を払いのけた。
コロッセオで野球に明け暮れていたころが懐かしい。出来ることならもう一度あのマウンドに立ち、VVWのトッププレイヤーたちと勝ち負けを競いたい。あの頃は今よりもこの世界を純粋に楽しんでいたはずだ。
俺は悪意が籠らないようにスタラビをじっと睨んだ。ダッテンファンである尚、美愛がお洒落な装飾をアバターに装着してくるのは理解できるが―ー。
「お前、今日どうしたんだ?」
「どうって? いつもとさして変わらないけど」
「さして変わるから聞いているんだ」
エルジェップが発行する週刊バーチャルに掲載されていた、高級ブランド《ビルブリーズ》のドレスに身を包んだスタラビは、通行人の視線を釘付けにしていた。ワインレッドの生地が大きく開け、胸元を露出している。凡常な神経ではない。
しかし驚いたのは、それを薄れさせるほどの、頭部の演出だった。
VVW一部富裕層で流行っている光る髪の毛。通称、妖精ファッション。
空間リソースのコンマ数パーセントの粒子を数秒間発光する光素に置換する技術で、対象プレイヤーの指定した空間に適用すると、プレイヤーの通った道が残り香のように光を残す。まるで光の湖エスポワール湖を頭髪に宿しているようだ。スタラビの容姿でやられると、妖精にしか見えない。
「今日もスタラビは素敵だぜ」
絶賛しているのは平井だけだ。
「興味ないんじゃなかったのか?」
「アプリやってみたら、それなりに面白かったのよ」
「嘘やで。昨日見せてもらったけど、かえでちゃん、めっちゃハマっとるもん」
「説明しなくて結構よ、尚。さあ! 行きましょう」
スタラビの振りまく粒子を浴び、転移門から東に進むと、会場の広場が見えた。広場には若い女性が溢れ、ダッテンの人気が伺える。ダッテンの姿はまだないようだ。
広場北に設置された特設会場では、十数人のスタッフたちが、来場客を整列させていた。
早速、俺たちもその列に加わったが、かなり後方の位置になってしまった。
「すごい人ね」
仲さんが空中に漂う光の粒子を、手で払いながら言った。
「サインって何に書いてもらう?」
美愛も光の粒子を手で払い除けた。
「尚は色紙持ってきたんよ」
尚も例に習って同様の仕草をした。
「もう! わかったわよ」
スタラビは泣く泣く、頭部に設定していたエフェクトを解除した。
瞬間、歓声が上がり、特設会場の装飾が点灯する。水着の女性スタッフが一人ステージに現れた。スタラビに劣らず、妖美な金髪美女だ。ダッテンは男だと聞いている。美女も演出の一部なのだろう。
美女が自身のメニューウィンドウを操作し、コレクションハウスを起動した。先日、尚に見せてもらったものと同じものだが、そこに収集されているコレクションは一つしかなかった。美女はそれを打鍵し、オブジェクト化した。
美女の傍らに、一人の男が出現した。男は右手を下腹部に、左手を腰部に添え、深くお辞儀をしてみせた。具現化した男はオブジェクトではなく、動くプレイヤーだ。金色の髪を全て後ろに撫で上げ、愛想よくウィンクを投げたこの男がダッテンで間違いない。会場の歓声は最高潮に達し、サーバの処理限界に達したのか一部音割れが発生している。
「ありがとう。皆、ありがとう。ギルデロイ・ダッテンだ」
会場が沸き、隣に立っていたファンの女性が貧血で倒れた。しかし、女性は何事もなかったように立ち上がると、ダッテンに再び手を振り始めた。酸素濃度が下がり血液を失うことは、仮想世界では起こり得ない。女性が倒れたのは、貧血になりそうという思い込みで足がふらついたにすぎないのだ。
「たった今紹介したのは、私の代表作であるコレクションハウスだが、もちろんプレイヤーをオブジェクト化することは許可していない。パフォーマンスのための特別仕様だ。何故なら、それを許可してしまうと、VVWは私のオブジェクトで埋め尽くされてしまうからね」
ダッテンのつまらないジョークで会場は笑いに包まれた。
「なんなんだ。この茶番は……うげっ」
俺は毒づき、傍らを見た。
ステージを見上げる美愛、尚、スタラビの口角は緩み、システムアシストされた眼球はキラキラと光り輝いて見えた。
「私はここに集まってくれた皆さんに感謝している。皆さんの支援のお陰で、私はこの世界で富を築くことができた。セントラルに住める日が来るなんて夢のようだ。今日は恩返しをするために、魂込めたサインを皆さんにプレゼントしようと思います」
テーブルが設置されると、美女が一人目のファンをステージに上げ、ダッテンのサインと握手がプレゼントされた。
俺たちの番が回ってきたのは三時間も経ってからで、終わるころには既に日が傾き始めていた。
「家の場所なんて言っちゃっていいのかよ」
「大丈夫よ。彼の家は特殊で触れることもできないようになっているから」
「特殊?」
「ファンの間では有名な話よ。ここから近いから、行ってみましょう」
他人を入れたくなければ、ユウの家のようにマスターキーを作るか、パスワード設定にしておけばいい。美愛の言う特殊とは、それ以外の方法で他人を拒否するシステムに感じる。
広場を抜け転移門手前のブロックを右折すると、セントラルメインストリートに最も近い居住エリアに到着した。全てデザインの違う、個性的な住宅が並んでいる。住宅街の背景には屋根から伸びる転移門が首を出していた。VVWで最も居住が困難なエリアだ。
「ここよ」
転移門側から数えて五軒目の家を美愛は指差した。
家の外壁にはコンクリートのマテリアルが貼られているが、よく見ると木目模様になっているこだわりぶりだ。
「ほら。どこでもいいから家を触ってみて」
美愛に促されるまま、木目模様のコンクリートに手を伸ばした。
触れる一センチ手前で弾かれ、警告メッセージがポップした。メッセージは五秒ほどで、消えた。メッセージにはYES/NOの確認ボタンはなく、一方的な通告メッセージだ。これでは鍵どうこう以前に、玄関ドアに触れることすらできない。
「このメッセージどこかで――あっ、おっさん!」
見覚えのある顔が通りの隅に見えた。三ツ星クエストに挑戦したとき、瀕死になった俺たちを助けてくれたおっさんが、突き出た豊満なお腹を抱えていた。
「おや、君たちは小火蜥にやられそうになっていた……」
今更ながら、自己紹介していなかったことに気付いた。
「芹人です」
俺に続き、スタラビ、美愛、尚、仲さんが自己紹介した。
「おい、志堂。このおっさんは誰だ?」
「ああ、平井は強制転送されたから知らないんだったな。三ツ星クエストに挑戦したとき、小火蜥を倒し、回復までしてくれたおっさんだよ」
「あっ……あのときか。俺は平井って言います」
平井はおっさんと握手を交わした。
「すっごく強いんだから! でも、マーズで生活していて、VVWには行かないんじゃなかった?」
スタラビの言う通り、おっさんは生活の主をマーズに移してしまうほどの高レベルプレイヤーだ。VVWには帰ることろがないとも言っていた。
「街の様子を見に来たんだよ」
スタラビの洋服を見ても、何も示さずにおっさんは答えた。
「ああ、VVWにはたまに様子を見に行くって言ってたわね。それで、久しぶりのVVWに変わったところはあった?」
「いや……何も変わってはいなかった。待っていても変わらないのかもしれない……」
おっさんは急に落ち込み、通りに座り込んでしまった。
「どうしたの? 変わらないって、何のことを言ってるの……?」
「ここは……この家は、私の家だったんだ……」
大らかな印象を持っていたおっさんは顔を歪ませた。
「ここって、でもダッテン氏の家よ? ファンなら皆知っているわ」
「いや、彼は私からこの家を盗んだんだ。マーズが公開された少し後のことだ」
家を盗まれ、行き場をなくしたおっさんはマーズに辿り着いたということか? しかし――。
「おっさんに聞きたいことがある。おっさんには助けてもらった借りもあるし、答えによっては家を取り返す手助けをしたい」
元々ダッテンに好意を持っていなかった俺は、おっさんに質問を投げた。
「ちょっと待ってよ、セリト。わたしはダッテンさんを疑いたくはないわ」
「スタラビは強制しない。他の皆もだ。これは、俺が勝手に手助けするだけだ」
「わかった。何でも聞いてくれて構わないよ」
皆が黙ったのを見て、おっさんが言った。
「それじゃあ正直に答えてくれ。プレイヤーはこの世界に移住した瞬間、例外なく住居を与えられる。俺はエルジェップ社員だから、ヴァオの社員寮を与えられた。しかし、見ての通りこの家はVVWの中心、セントラルの一等地にある。そんな家を与えられる人間は一般的な移住者とは思えない。例え、元医者でお金持ちだったとしてもだ。この家に住める条件は何なのか。もし住んでいたのなら、その条件を知っているはずだ」
短い沈黙のうち、おっさんが口を開いた。
「この通りには四〇軒の家が並んでいる。その全員に共通しているのが、エルジェップの大株主だということだ。私は阿比留社長に共感し、自分の意思で投資をしてきた。株主同士の付き合いはないから確かめたことはないが、おそらく他の株主も阿比留社長の意思を継いでいると思う。家なんてただのオブジェクトだから、正直どうだっていい。マーズに暮らすことだってできる。しかし、この家は阿比留社長から与えられた意思の象徴だと思っている。それを盗まれたことが悔しいんだ」
元より、どんな答えが返ってきても助けるつもりだった。おっさんの魔法には温かさがあった。システムが脳に送る疑似信号とは違う、人の心の温かさだ。移住前のおっさんはきっと、人を助ける強い志を持った医者だったに違いない。おっさんの回復魔法がそれを教えてくれた。
「なおも協力したい」
賛成を表明したのは意外な人物だった。ダッテンのファンだと思っていたが、それを放棄してまで、尚はおっさんの協力に賛成した。おっさんの言葉を受けた尚の中では、ダッテン対おっさんではなく、ダッテン対母の意思の構図が出来上がっているのかもしれない。
スタラビと美愛はまだ困惑しているようだ。
「俺はもちろん協力させてもらうよ。初めからそのつもりだったし」
俺はおっさんにフレンド登録を送った。すぐにおっさんから認証の通知が届いた。そこには西田英世と表示されていた。おっさんの本名のようだ。
「それじゃあ、また連絡するよ。西田のおっさん」
マーズに帰るおっさんに俺は手を振った。
「たしかに、おっさんが良い人なのはわかるけど……さっきの話、信じたの?」
「ああ、もちろん。スタラビは?」
「この家に住む条件は本当だとしても、ダッテンさんが株主なのかもしれないじゃない」
「それは可能性としてあるけど、調べればすぐにわかる」
「調べるってどうやって?」
「俺もスタラビもエルジェップ社員だろ。株主名簿見れば一発でわかる」
「ダッテンさんのプレイヤーネームが本名なのかわからないじゃない」
自分が本名で登録していたせいか、ダッテンも本名でプレイしているとばかり思い込んでいた。スタラビの言うように、固有のプレイヤー名を付けていてもおかしくない。
「確認できるのはおっさんが株主かどうかだけか。それに一番問題なのは、おっさんの家だった場合、どうやって取り返すかだ。システム的に拒否されてるんじゃ、手の出しようがないしな。それも含め考えないといけないが……悪い。今日は予定あるから、俺はこれで」
「え!? このあと皆でマーズ行こうと思ってたのに。おっさんも呼び戻して行きましょうよ」
強いメンバーを入れて、攻略を楽にするのが仲さんの狙いだろう。
「あたしも今日は止めとこうかな」
「美愛ちゃんも?」
ダッテンの件で疲れたのか、珍しく美愛は誘いを断った。その様子を気にかけたのか、仲さんも渋々了承し、提案虚しくここで解散することにした。
転移門に向かおうと踵を返すと、「それじゃあ」と尚がダッテンの隣の家に入っていった。そこで、ようやく重要なことを見落としていたのだと俺たちは気づいた。尚も大株主だったということに。尚の経営する洋食レストラン甘味堂は、ここから目と鼻の先だ。
「……知ってた?」
俺の問いに全員がかぶりを振った。その後、誰も口を開くことなく、消えるように帰路に着いた。




