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ディジタルタトゥー  作者: 阿相アイ
2部
21/33

20話

 午前八時三〇分。

 深夜勤の先輩から軽い引き継ぎ、と言っても雑談がメインだが――を済ませ、観測ルームのモニタ前に着席した。モニタは五台並び、それぞれが別の衛星から受信した映像を映していた。

 三交代の勤務制度で常時五人のスタッフが各モニタに張り付き、仮想世界から現実世界を監視している。俺が配属された外部観測部は、その他に管理職が五人と事務が七人、総勢二七人の比較的大きな部署である。

 仮想世界の運営に人が足りていないのは知っている。それに、この部署にこれだけの人手が必要だとも思わない。ならば、この部署の人間を開発やサポートの部署に異動させればと常々考えるが、会社はそうは思っていないらしい。

 今日の俺の監視対象は、アメリカ西海岸上空の衛星から宇宙空間の観測。ここ数日、地球側の観測はほぼしなくなった。天文学部でもないのに、宇宙空間の星を一日中眺めるのは正直苦痛だ。

 しかし、最近は仕事にも慣れ、今まで気付かなかったところも目に付き始めた。

 特定の座標に衛星映像が差し掛かると、そこに必ず現れる極小の黒点。地球と太陽を直線に結び、その直線上から西に一度、北に二度ほどズレた位置にある。地球を公転しているわけではなく、決まった座標位置に留まっているようだ。

 かなり遠いところにあるのか、最初に見つけたときは太陽の黒点かと思った。黒点が目視できるなんて有り得ない話だ。それからこの近辺を通過する度、意識して観測を続けた結果、決まった宇宙空間座標に存在する点だと認識した。

 不思議な点だ。黒だと表現したが、色が存在しないのかもしれない。太陽の光さえも遮断しているように見えた。その点が現れると目が離せなくなる。まるで、仮想世界にいる自分の身体が吸い込まれていくように。

 上司に報告したが、片眉を釣り上げ「そうか」と、一言返ってきただけだ。俺が気付くずっと前からそこにあるのだと、教えてくれた。

 今日も座標位置的には映像視野内に黒点があるはずだが、背後に太陽が来る位置でなければ真っ暗な宇宙空間の中で視認はできない。それとも、視認できていたつもりなだけであって、視認できるようなものではないのかもしれない。背後に太陽が重なると、その一部が太陽ではないことがわかる。何故なら、黒点の部分だけが背後の太陽とは別のもの。つまり、その部分だけ太陽が見えないのだから。

 そうだ、俺は見えない一部を黒と思い込み、勝手に黒点という名を付けていたにすぎないのだ。適当な名が思いつかないので、とりあえず虚無と呼ぶことにした。

 同期である仲さんの誘いを受け、一度だけという約束でマーズを体験したが、かなり完成度の高いゲームなのは間違いない。VVWのβ版をやっていた頃のように、時間が許す限りプレイしたいとさえ思うようになったが、仲さんはそれも見越して誘ってきたのだろう。昨日の今日にも関わらず、今夜もデジタルタトゥーの皆でプレイしようというお誘いメールに、全員が賛同した。一人乗り気になれない俺を除いて。

 それは父の言葉に起因する。ただ一人現実世界に残された家族を、あの男は見捨てたのだ。俺はそれから母に会う方法を模索しているが、未だ糸口は掴めないでいる。そもそも、この世界から抜け出すのは不可能なのかもしれない。

 試しに、エルジェップ取締役技術開発部長の綿井さんにVVWログアウトの申請をメールしたが、返信は来ていない。

 ユウこと阿比留勇にいたっては二ヶ月以上も顔を見ていない。エルジェップ社長という肩書きを持つが、空いた社長の席は未だに誰も就かないままだ。久しぶりにユウの占い屋敷にでも行ってみるかと背伸びをすると、衛星映像に映る違和感を視線の隅に捉えた。

 一部の宇宙空間が大きく欠けて見えた。虚無が背後を遮断するのは、太陽を背にしたときだけ。言い方を換えれば、背後に太陽ほど強く輝く物質がなければ、小さすぎて認識できないのだ。暗闇広がる宇宙空間の中では尚更識別は難しい。にも関わらず、空間の欠如を強く認識すると言うことは、虚無が肥大しているということだ。しかし、俺の眼光が虚無を目視することはできない。虚無はおそらく光を発さないし、反射もしない。

 俺の眼球に虚無の情報は届かない。

 かと思えば、宇宙空間の欠如は縮小し、目に見えないほどになった。虚無の拡大縮小を宇宙空間を介して脳が理解した。まるで心臓の鼓動のようだ。その後、虚無は何度か鼓動を繰り返した。

 鼓動が落ち着くと、肥大した状態で虚無の中心から灰色の何かが頭を出した。タッチ式パネルを素早く操作し、映像を拡大する。生物ではない。球体の一部のように見える。

 「部長! 虚無が。見てください!」

 背後の島でメールチェックをしていた部長が顔を上げ、慌てた様子で立ち上がった。

 直後、虚無のおそらく中心であろう位置から灰色の球体がヌルッと排出されると、五台並んだ全ての衛星映像が途切れた。何が起きたのかはわからなかったが、虚無から排出されたものが原因であるに違いない。部長は部屋を出たのか、既に姿はなかった。

 「う……うぅ、うそだ…………嘘だ……」

 隣の席にいた主任が沈黙するモニタを鷲掴みにして全身を震わせていた。普段から物怖じせず意見し、ときには上司に噛み付くこともあるが、三つ下の俺をいつも庇ってくれる上司が声を荒げた。たしか今日の勤務で唯一地球を観測していたはずである。

 「地球が……消滅した」

 先輩が声を震わせた。

 そんな馬鹿な話があるか。いくら慕っている主任の言葉でも、地球が消滅するわけがない。現に俺たちは地球にサーバを置いたVVWの仮想世界にいるではないか。モニタが一斉に消灯したのは驚いたが、常軌を逸した主任の状態に周りも注目し始めた。

 フロアのドアが開くと部長が戻ってきた。しかし、部長と一緒に入ってきた人物が周囲を緊迫した空気に包んだ。阿比留社長だ。β版で占い師をしていたユウのアバターではなく、現実の容姿を完全に再現した阿比留社長だった。

 いや、そんなことはこの際どうでもいい。何故、辞任した身でありながらうちの部長に連れられ、外部観測部の観測ルームに現れたのか。

 阿比留社長は部屋を一見し、震えている先輩に近づいた。

 「彼を直ちにヴァオ中央病棟へ連れていきなさい。事情を知っている精神科医も待機させている」

 他は業務に戻るよう指示を出すと、阿比留社長は足早に出口に向かった。

 ユウには聞きたいことが沢山ある。しかし、阿比留社長の姿に社員の俺が声をかけられるわけがない。

 「ちょっと待てよ!」

 しかし、抑えていた声が口から漏れた。

 尚とはちゃんと会っているのか。父とはいつ知り合い、何故仮想世界にいるのか。そして、移住計画のときからずっと疑問に感じていたこと――移住という引篭りに退化は無かれど人類の進歩はあるのか。俺たちに未来はあるのか。ユウなら全てを知っているだろう。

 「俺をログアウトさせてください。母に合わせてください」

 俺が言いたいのはそんなことじゃない。しかし、口を衝いて出た言葉は、自分の欲望を満たすものだった。

 「できないわ。仕事に戻りなさい」

 阿比留社長は立ち止まりもせず答えた。

 眼前の人物はユウとはまるで別人だ。人の温もりを一切持たない目。美しいこの世界を創り上げた人間の目ではない。デジタル信号の集合体でしかない目だ。

 部長がドアを開錠しフロアを出た。それに続く阿比留社長がドアの前で立ち止まった。

 「そうだわ、志堂くん」

 静まり返るフロアに俺の名が響く。阿比留社長が何と発するのか全員が注目していた。

 「ユウというプレイヤーから伝言があったのを忘れていたわ。『鍵を探せ』あなたに言えば伝わると言っていたけど何のことかしら」

 阿比留社長は踵を返し、部屋を後にした。

 おそらく俺にしかわからない言い回しだ。他の社員がユウと阿比留社長との繋がりを懐疑する予知もない。「ユウって何処の女だよ」と茶化す者さえいたくらいだ。

 そして、阿比留社長を――いや、ユウを疑った先刻の自分を恥じ入った。

 俺とユウに共通した意味を与える《鍵》というキーワード。その鍵とは、ユウのプライベートホーム内にある小扉を開ける鍵のことで十中八九間違いないだろう。その扉の中には、β版時代の重不適合により命を落とした目森吹喜のアバターが、仮想空間に焼き付き残っているはずだ。

 ユウはその事故の記憶を忘れないため、グラフィックと化した目森周囲の空間リソースごと保護し、プライベートホームの外装で覆ってしまった。

 ユウがそこに俺を呼ぶのなら、きっと望む答えがあるはずなのだ。


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