19話
「はあ――――」
「もお! 何度目!? ラーメンみたいに長いため息吐かないでよ」
スタラビは音を立てて醤油ラーメンを啜ると、汁の付いた箸を振り回した。
「お母さんの件は気になるだろうけど、一週間もその調子じゃあ、こっちの気が狂っちゃうわ。メールの返信は定期的に来てるんでしょ? ログアウトして現実世界に戻れないんだから、わたしたちではどうすることもできないわよ」
いつの間にか昼食時になると、デジタルタトゥーのメンバーでエルジェップの社員食堂に集まるのが恒例になった。
クリスタルゴーレムを討伐してから、俺は一度もマーズをプレイしていない。寝ているときを除けば、時間の許す限り母親救出の方法を思案していた。しかし、考えれば考えるほど、仮想世界に閉じ込められた俺たちには、現実に戻る手段が何一つないのだと思い知らされるばかりだった。
食欲がなくなり、食事を抜くことが増えた。太りも痩せもしない世界だ。それで餓死することはない。精神科医以外の医者は必要のない世界なのだから、食事を抜いても何の支障もなかった。
「ずっと思いつめていても体に毒やで」
「そうだぜ、志堂。たまには気分転換にモンスター討伐行こうぜ」
「……ああ、そうだな」
尚と平井に励まされ、肩の力が抜けた。
「そうと決まれば、仕事が終わり次第、プリメロに集合しましょう」
「久々に全員集合ね。芹人がいない間に、次の街まで進んだんだから」
仲さんが仕切り、美愛がそれに答えた。
仕事を終え、ヴァオの仮想本社ビルを出たところでアプリ一覧からマーズを起動した。
アプリの起動がマーズへの強制転送となっている。サークフスのデータ処理に視覚野が追いつくと、マーズ第一の街プリメロの前に集合している皆の姿が目に入った。
「会社出たところで、速攻アプリ起動したのに。早すぎないか?」
「予鈴と同時に起動するのが癖なのよ」
スタラビが鼻を鳴らした。
「なおはお昼ごはん食べてから、一人でずっとおったで」
「尚ちゃん、レベル上げすぎなのよ。気づいたら知らない魔法覚えてるんだもん」
仲さんが悔しがったが、尚が強すぎるのはもっと根本に理由があるのだ。
「早速、次の街に移動しましょう。街の名前は《パラドール》。古城がシンボルになった、古い街よ。芹人は行ったことないから、ギルド転送を使いましょう」
「ええっと、美愛……ギルド転送って?」
「行ったことない街でも、ギルドの誰かが行ったことあれば、メンバー全員をエリア選択先に一括転送できるのよ」
「へえ、それVVWにも実装してほしいな」
美愛がコマンド操作をすると全員の身体が光り、次の瞬間巨大な城門が出迎えた。入らずとも、プリメロより規模の大きな街だとわかった。
「でかいな……」
「周囲のモンスターも強力よ」
仲さんの説明は正しいだろう。左右に伸びる煉瓦の外壁には至るところに爪痕が残っており、遠くで魔物の遠吠えが聞こえた。このフィールドのモンスターから街を守るには、これほどの備えが必要なのだろう。
俺が城門に触れると、開錠を促すメッセージがポップした。この辺の仕様はVVWと同じようだ。YESを打鍵し、城門を開錠した。
外壁に覆われた大地には、広大な湿地帯が広がり、徐々に盛り上がる標高の天辺には巨大な古城が佇んでいた。プリメロを悠々と呑み込むほど広大な湿地帯を囲む外壁は、数十キロに及ぶだろう。遥か古城の周辺には、隣家と競い合うように高くそびえる住宅街が、城下町を成していた。
「広っ……てか、城門潜ったんだから圏内じゃないの? ここもフィールド?」
「安心して、圏内よ。城下町が遠すぎるだけ。ここのエリア制作者がちょっと変わり者でね。プレイヤーの苦情から改善された救済措置がこれよ」
仲さんは説明を加え、今し方潜った門の裏手を指差した。
振り返ると城門の脇に門番専用のたて屋が設けられており、中には間借りしたNPCがクエストの受付をしていた。その後ろには道具屋の出張所まである。
「はい! 提案!」
美愛は華奢な腕を垂直に立てた。
「あたしたち二ツ星くらいのクエストなら平気で攻略できるようになったじゃない。せっかく皆揃ったんだし、三ツ星クエストに挑戦してみない?」
「ちょっと、それはまだ……」
「熱いこと言うじゃなえか。俺は賛成だぜ」
仲さんの異論は平井にかき消されてしまった。他に反対する者は現れなかったため、苦情を言ってくれたプレイヤーを称えつつ、俺たちはクエストを受注した。
三ツ星クエスト《鱗竜の鱗の効能》。
城門下でクエストの受付を済ませ、道具屋で回復アイテムを補充した。出張所なだけあって、品揃えは最悪だと文句を垂れるスタラビの不満に、皆賛同した。
「回復アイテムが足りなくてもきっと大丈夫よ。今までも、尚の一撃で乗り切ってきたじゃない」
美愛は胸元で両掌を握った。尚が「えへへ」と照れ笑う。二ツ星なら攻略できると大見得切れたのは、やはり尚の活躍があったからのようだ。しかし、快調な足取りは一〇分も経たず止まってしまった。
「如何にも強そうだぜ」
二ツ星クエストのフィールドモンスターに比べ、ひと回り大きなトカゲが三体出現した。
赤砂の大地マーズにポップするモンスターはフィールドの影響を受けてか、赤色のモンスターが多い。眼前のトカゲも例外ではなく、火でも吐きそうなほど赤々としている。
いち早く戦闘態勢に入った美愛と仲さんは、二人がかりでブリザウーノを唱えた。下から持ち上げる風に耐えたトカゲは、上から叩き付ける風圧によろけた。
間髪入れず、尚は滝のようなジェット水流を生成すると、正面からトカゲに突き立てた。大勢を崩したトカゲに逃げ場はない。
ここまで、全員無傷。見事な連携だ。俺は戦闘の終了を決め込み、水に呑まれるトカゲたちを傍観しながら、既に戦闘から頭は離れていた。
突如、先頭のトカゲが大口を開けると、両隣のトカゲもそれに倣った。強力な水流を呑み込もうとでもいうのだろうか。直後、トカゲの口内は紅に発光し、熱を帯びた。生成される真っ赤な塊は、小さな太陽の如く燃えている。三体のトカゲは熱塊を吐き出し、ジェット水流にそれをぶつけた。
大量の水流は一瞬にしてそのほとんどが蒸発し、残った少量の水しぶきをトカゲが浴びた。当然HPバーは微量も減っていない。
誰も事態を把握できていなかった。俺でさえ放心し、頭では全く別のことを考えていた。
――母を救出する手立ては何かしらあるのではないかと。気晴らしに来たマーズの中でも、脳裏では無意識に母のことを考えていた。
高エネルギーを放出した先頭のトカゲは激怒し、攻撃者の尚に突進している。助けようにも俺の手は届かない。
「尚――――……うッ!!」
腹部を襲う突然の衝撃。痛みはないが、視界が一瞬明滅した。視界上部に浮遊する自身のHPバーが、八割程度減少しているのが見えた。危険を知らせるレッドラインになり、すぐにでも回復薬を使用しなければならなかった。しかし眼前のトカゲがそれを許さない。
先頭のトカゲは尚に、両脇のトカゲは俺と平井にそれぞれ攻撃を仕掛けたようだ。尾で強烈に叩かれ、俺は数メートル吹き飛ばされた。
尚を攻撃したトカゲの咆哮し、残りの二体がそれに調和した。すると、トカゲは体躯を肥大化させ、倍ほどの背丈に――いや、そうではない。肥大化したのはトカゲではなかった。トカゲの足元が不自然に盛り上がり、隆起した大地がそのままトカゲを呑み込んでしまった。個体を操る土魔法だ。しかし、一体誰が――。
尚は吹き飛ばされ、地面に膝を付いている。平井は完全にダウンし、今にも強制転送されようとしていた。スタラビは回復薬を二本も開栓し、意味もなく平井にぶちまけている。勿体無い。平井はもう諦めて、俺に一本譲ってほしい。美愛と仲さんに至っては、戦闘開始直後の風魔法を発動した体勢を保持しているではないか。見事な連携と称した数秒前の己を、酷く恥じた。
瞬間、背後を振り返った俺の目に飛び込んできたのは――。
「――おっさん? いや、失礼」
飛び出た大きなお腹を擦りながら、巨漢の戦士が現れた。戦士と表現するにはだらし無い肉鎧ではあるが、腰からぶら下がる装備品が、高レベルプレイヤーであることを無言で告げていた。
「いいんだよ、おっさんなんだから。むしろその方が、親しみがあって受け入れやすい。それより、すぐに手当てをしよう」
おっさんは呪文を唱え、手に宿した粘着質な光素を俺の腹部に塗りたくった。
「もうひとりは間に合わなかったな。すまない」
おっさんは尚のところに向かい、俺と同じことをした。腹部は温まり、HPバーが時間を掛けて全快した。
「ありがとう、おっさん。これがマーズの回復魔法なのか?」
「おっさんは止めなさいよ。助けてもらって失礼でしょ」
「いいんだよ。おっさんがそれでいいって。むしろ、それがいいって言ってるんだ」
仲さんは俺の説明に納得いかないようだ。
「君たちの遭遇したモンスターは、三ツ星クエストで出現するコビトだ。一撃で瀕死になるようなら、このランクに挑戦するのはまだ止めておきなさい」
「コビト? 小人には見えなかったわよ」
スタラビは首を傾げた。
「小さな火の蜥蜴と書いて、小火蜥だ。体力こそ少ないが、攻撃力が高く頭もいい。エンカウントすると、ギルド内の強いプレイヤーから順に攻撃対象にする。先頭の小火蜥がリーダーで、指示を出している。そいつがやられると途端に統率は乱れるがね」
「尚、俺、平井が順に狙われたのは、小火蜥にランク付けされたからなのか。尚が真っ先に狙われたのは、尚の方が強いってことか……」
「やったあ」
悔しがる俺を他所に、尚は喜んだ。
「魔法攻撃をするフィールドモンスターなんて初めて見たわ。今までは物理攻撃をするモンスターしかいなかったもの。それに、火は個体魔法よりも高位のプラズマに属する攻撃魔法なのよ」
「魔法を使う雑魚キャラなんか、三ツ星では腐る程いる。やつが火を吐くのは一回の戦闘に一度きり。攻略の手はあるが、君たちでは単純にレベルが足りない」
「私たちが力不足なのはわかったけど、おじさんは何者なの? 回復魔法を使っていたみたいだけど、それってプラズマより習得条件が複雑で難しいのよ」
仲さんは肩を落とし嘆きながらも、おっさんに興味を持ったようだ。
「聞いてくれるか。実はね、昨日覚えたばかりなんだ。運パラメータを上げまくっていたら、運よく思いついたんだよ。誰かに言いたくてウズウズしていたが、ようやく言えた」
「運パラメータって、そこに作用するのか」
VVWの五大パラメータにも運はあるが、その効力は未だに実感を持てずにいた。
「ちょっと待って。それだけじゃあ、回復魔法は覚えられないはずよ。医学の知識を持っていなければ……」
「それは元々持っているんだ。移住前、現実世界で医者をしていたからね。この世界では必要ないらしい。今は無職さ」
仮想世界で怪我をしたり、病気に罹ることはあり得ない。求められる治療は、環境の変化による心理的な神経症を診る精神科医くらいだ。元医者を名乗るプレイヤーは珍しく、移住後知り合ったのはおっさんが初めてだ。VVWで不要とされる医術を活かせるマーズは、おっさんの性に合っているのかもしれない。
「私はわけあって生活のほとんどをマーズで過ごしているが、住んでみれば意外と便利なものさ。宿はあるし、料理も美味い。モンスターを退治すればお金ももらえる。VVWと通貨が違うのは、ちと残念だがな」
マーズはインと呼ばれる通貨単位で、VVWのビルには変換できない。ゲームの中でしか意味を持たない閉鎖的な通貨だ。
「VVWには何しに行ってるの? 家だってあるでしょ?」
「たまに街の様子を見に行くくらいかな。帰るところがないから、ずっとマーズをプレイしているのさ」
おっさんは意に介さない様子で笑っていた。
エルジェップ社員にはヴァオの社員寮が与えられる。その他の一般移住者にもどこかの街のどこかの家が必ず充てがわれるはずだ。大株主であればセントラルの一等地だったり、美愛のようにダンフェルの住宅街の一室だったり、貧富の差はあれど家なしは存在しない。
おっさんの帰るところとは、一体何を指して言っているのだろうか。単純に「家」のこと言っているようには思えない。
「私たちにこのクエストはまだ早かったみたい。珍しい魔法も見れたし、今日はもう解散にしましょう」
膝を付いていた尚に仲さんが手を差し出した。
「HPが半分も減ったからびっくりした」
仲さんの手を支えに、尚が立ち上がった。
俺のHP減少は八割程度。尚が半分くらいなら、俺と尚の力の差は歴然だ。小火蜥は適確な評価を見事に下していた。
「仲さん、平井くんのこと忘れてない?」
「あっ……解散じゃなくて、平井くんを迎えにパラドールに戻らないと」
尚に指摘されるまで、俺も平井の存在を忘れていた。
助けてくれたおっさんに礼を言い、モンスターとエンカウントしないよう五人はパラドールまで全力で駆け抜けた。
一撃で小火蜥に伸され、強制転送される直前スタラビに回復薬をかけられた平井は、上機嫌で俺たちを出迎えた。




