18話
モンスターが出現することはなく、平井が受けたスタラビのビンタを除けば、ノーダメージで洞窟を進むことができた。
「それにしても寒いな」
掌で露出されている腕を擦り、平井は身震いした。日の光が届かない洞内を深く潜るにつれ、気温は徐々に下がり、軽装備の俺たちの士気を幾らか奪っているのは事実だ。また、冷気に比例して足元に転がる骸骨オブジェクトの数も増していった。こちらはスタラビの士気に影響を及ぼしているようだ。
薄暗い洞内を肝試し感覚で進んでいくと、いかにもボスが待機していそうな重厚な扉に行き止まった。
プリメロを出発してから既に二本の回復薬を使用している。ボス扉を前に皆三本目、つまり最期の回復薬を飲み、体力を全回復させた。
「それじゃあ、心の準備はいいかしら。この扉を開ければ恐らくボスのクリスタルゴーレムが現れるはず」
仲さんは早く開けたい様子だ。出発当初は一番緊張している様子だったのに、クエスト難易度を間違えたことで何かふっ切れたのかもしれない。
「ボスが単騎であるのを祈るばかりだぜ」
今や平井の方が緊張している。スタラビに良いところを見せようと、変なことを企んでいなければよいが。
全員の顔を見渡して、仲さんが三メートルはあろう扉を強く押し込んだ。低い唸りをあげながら二枚の扉が開いていくと、更に強烈な冷気が強風となって俺たちに襲いかかった。背後で山積みになっていた骸骨オブジェクトが音を立てた。
思わず手で顔を覆い、その隙間から部屋の奥を覗く。全社員緊急集会を開いたホール程度の部屋の中央に、これから討伐する巨躯が静止していた。
鋭利な七本の脚を地面に突き刺すように屹立し、透けるほど目映い胴体の上には小さな頭部が乗っている。一言で表現すれば優美だが、紅く光る目が獰猛さを付与していた。部屋の主は名前通りの煌びやかなフォルムを淡く発光させ、真っ暗な部屋を蒼く照らしていた。
モンスター頭上に浮遊するアイコンには、クリスタルゴーレムの表記と二本のHPバーがあるのみ。あのバーをゼロにすれば報酬である魔法が手に入るのだ。
依然、静止を続けるクリスタルゴーレムが待つ部屋へと俺たちは足を踏み入れた。瞬間、身体に突き刺さる凛冽。二つの星を付けた討伐クエストは、洞内とはまるで比にならない冷寒の中、このモンスターと対峙することを強いている。
レベルは足りねど、デジタルタトゥーのメンバーの表情は一様に引き締まっていた。環境の悪さを言い訳に逃げ出すような者はこのギルドにはいない。数秒後、地鳴りと共に扉が閉止すると、氷の砕けるような破裂音が反響し、クリスタルゴーレムの華奢な脚がぴくりと動いた。
「来るぞ!」
俺の発声とほぼ同時だった。クリスタルゴーレムは七本の脚を器用に動かすと、六人のビギナーに猛突進してきた。硬質な脚が地面を抉り迫ってくる。俺の背丈よりも長い脚の一本を、眼前で高く振りかざした。
「…………ッ……!」
一擊、二擊、三擊。そして強めの四擊を地面に打ち付けた。七本中四本の脚が地面に深く突き刺さっている。
「大丈夫か?」
六人は一斉に横に飛び退いたため直撃は免れたようだ。にも関わらず、HPバーは激減し、全員黄色表示にまで落ち込んでいた。
「嘘でしょ!? 擦り傷でこの威力なんて。もう回復薬は残ってないわよ」
この中で最もレベルの高いスタラビが喚いた。クリスタルゴーレムが脚を抜こうともがいている隙に、俺はコマンドのアイテム欄から六本の回復薬を取り出した。
「皆、これ使ってくれ!」
「志堂くん、何でこんなに持ってるの?」
全員に投げ渡すと仲さんが言った。
「プリメロで買い物する前、岩石羊を一人で片付けただろ? あいつ思いの他強敵だったみたいで、多めに金を落としたんだ。だから、回復薬一〇本買えた」
「そんならパエリア代全額払えよな」
平井が飲み終わった回復瓶を地面に叩きつけた。
「恩人にその言い方はないだろ。おっと、もう一撃来そうだぜ。取り敢えず固まってるといい的にされるから、バラけよう」
六人は等間隔に距離を取り、体勢を立て直しているクリスタルゴーレムに向かって風魔法のブリサウーノを唱えた。
「重すぎる、持ち上がらない!」
クリスタルゴーレムの巨体はピクリとも動かず、仲さんは悲痛に叫んだ。
ブリサウーノは生成した風魔法を利用し、敵を上空に持ち上げ、地面に叩き落とす攻撃だ。身体が浮かなければ、叩きつけることも当然できない。
「ナダ・ドス!」
全ての脚を抜きこちらに向き直ろうとしている背中に、五つの高圧縮水泡を命中させた。水泡は爆発音を反響させながら弾け飛んだ。が、何かがおかしい。
クリスタルゴーレムのHPバーが僅かも減っていないのだ。
「おいおい、志堂。お前の最強魔法がまるで効いてないぜ」
水泡の残響が洞内に虚しく木霊する。
「こっちに……来るな!」
スタラビが手に持っていた回復瓶をクリスタルゴーレムに投げつけた。大きな弧を描いて巨大な胴体にコツンと当たる。瞬間、紅い目にいっそう光を灯したが、しかしある違和感が視界の隅に残った。
そして、クリスタルゴーレムは等間隔に散ったメンバーの中から、次に突進する相手を俺に絞ったようだ。一直線に加速する巨躯が俺との距離を詰める。先刻の違和感が本当なら、試してみる価値はあるかもしれない。俺は逃げずに、敢えて巨躯を待ち構えた。
巨躯は寸刻前と同様、三擊の踏みつけ攻撃をし、俺はそれを三弾飛びで掻い潜った。さっきと同じなら最後に強烈な踏みつけをするはずだ。俺は着地と同時に、もう一回横に飛んだ。振り降ろされた脚は俺の前髪を数本散らすと、垂直に地面へと突き刺さった――が、四擊目も三擊目と同程度の衝撃しかない。攻撃パターンが変わったのか。俺は地面に片手を触れる直前、天蓋を仰いだ。そこには、五擊目の脚が既に振り上げられていた。両手で地面を掴み、急制動をかける。即座に、五擊目の軌道を読むと、軌道から二〇センチ横にズレたポイントから、真上に向かって跳躍した。
五擊目は読み通り、身体に触れることなく地面へと沈んだ。
スタラビの放った瓶が巨躯へ当たったときの違和感。俺の予想が正しければ、クリスタルゴーレムは打撃が有効なはずだ。回復瓶が身体に命中した瞬間、HPバーが数ドット減少したのを見逃さなかった。
パラメータ課金によって敏捷値から補正された俺の跳躍は、巨躯の懐へと届く距離まで来ている。さらに、攻撃重視に補正された正拳突きを叩き込めば、一撃では倒せないにしてもそれなりのダメージを期待できるだろう。
俺は拳を握りタイミングを図った――。
「セリト、避けて!」
しかし、スタラビの大声が俺の攻撃を直前で中断させた。
俺は躊躇したが再チャンスはまだあると判断し、眼前にそびえるクリスタルゴーレムの腹部を水平に蹴った。一刻もはやくクリスタルゴーレムから離れるためだ。しかし、この俺の判断は正しかった。
スタラビの横に立つ尚が右手で空を軽く払うと、そこから巨躯めがけ一直線に水柱――いや、氷柱が伸びた。
正確には、生成した水柱を敵に衝突させる呪文だろうが、付け根から瞬間的に氷結し、液体魔法を固体魔法としてぶつけたように見えた。氷柱は物理攻撃に弱いクリスタル体を貫通し、フィールド壁をも深く抉った。
俺の水泡魔法は凍らなかったのに、尚の魔法が凍ったのは解せないが、物理攻撃が有効だという俺の読みは当たっていたようだ。魔法耐性に優れたクリスタルゴーレムだったが、二段並んでいたHPバーは両方削り取られゼロを示していた。
クリスタルゴーレムは部屋中に鮮やかなポリゴン片を撒き散らした。
ボスを倒したファンファーレ音に続き、部屋内にいる全プレイヤーのアバターが三度発光し、レベルが三つ上昇したことを知らせた。クリスタルゴーレムが一気に3レベルも上がるほどの強敵だったということだ。
「倒した……のか……」
明滅する思考が放心から回復すると、尚の魔法による風圧で一〇メートル近く飛ばされたことに気付いた。一瞬の出来事だったが、それが尚によるものだったことは今でも信じられなかった。
尚の魔法は固体魔法ではなく、液体魔法を生み出したあと凍ったように見えた。しかし、水の柱を水平に発射する魔法は俺でも扱うことはできない。それも、物理攻撃が有効だと即座に判断した上でだ。
「尚……すっごーーい!」
尚の傍らで目と口をあんぐり開けていたスタラビが叫んだ。一番遠いところにいた美愛は尚のところまで走り寄ると両手を広げ勢いよく抱きついた。不意打ちを受けた尚がよろめく。皆尚に駆け寄り賛辞を述べた。
「尚、俺ごと貫く気だったろ」
俺も皮肉めいた賛辞を述べた。
「バレた?」
爛漫な笑みを浮かべ尚は舌を出した。
「でも、どうして……尚ちゃんって何者なの?」
仲さんは尚の手を取り、目を瞬かせた。
「あのな。ここから冷たい風が出てきててな、水やったら凍るかな思ったんよ。平井くんが瓶投げたらHPが減ったやろ? それって物理攻撃なら有効やってことやろ? 固体生み出す魔法は覚えてないけど、氷やったら作れそうかなって」
尚の背後の壁には大きな亀裂が入り、そこから冷風が出ていた。俺が手をかざすと、瞬間的に霜が指に付着した。この洞窟内が凍えるほど寒いのはこの冷風の仕業だ。
「尚ちゃん、あの短時間でそこまで考えて」
仲さんは深く感心した。
「セリトも何かしようとしてたわよね。もし、わたしが声をかけなかったら、間違いなく巻き込まれてたわよ」
「俺も物理攻撃が有効なのは気付いてたから、パンチの一発でも入れてやろうとだな」
「そんな負け惜しみしても、いくらビギナーがパンチ入れたところで到底無理だろ」
「うるせえ。顎髭に付いた米粒を取ってから言えよ」
平井は慌てて顎を擦り、プリメロから連れてきたパエリアの一部を回収した。女性メンバーは皆気付いていたようで、平井から顔を逸らし肩を震わせていた。
パラメータ課金のおかげで俺の攻撃力がどれほど補正されているか、皆は知らないのだ。それを説明する気にはなれず俺は鼻を鳴らした。
パラメータ補正――いや、待て。尚は創業者である阿比留勇の娘だ。VVWの世界で大量のパラメータを取得していてもおかしくない。むしろ、俺以上のスーパーアカウントである可能性は十分高い。もしそうなら、同じギルドメンバーでいる限り非常に心強い存在だ。それに、さっきの水魔法はおそらくナダ・ドスの上位魔法。それをレベル5で扱えたということは、魔法の取得条件にレベルはさほど関係ないように思える。どちらかというと、パラメータの割り振りが大きく関係してくるのかもしれない。
「わあ、見て。さっきまでなかった杖のオブジェクトが!」
部屋中央に出現した白く光る杖オブジェクトを美愛が指差した。誰が支えるわけでもなく、垂直に浮遊している。美愛はそれに駆け寄り引き抜こうとした。
「……取れない」
美愛が強引に引いたが、杖はぴくりともしなかった。しかし、触れた美愛の前にメッセージがポップした。
「……フラ……クタルを覚えました。あっ、これ報酬の魔法みたいよ」
聞くや否や、順々に杖に触れ魔法を取得した。最後、俺が杖に触れると、メッセージを残し杖が消滅した。続いて、重たい唸り声をあげながら入口の扉が開いた。
クエストの全てが終了したということだ。
「終わったわね……一体どんな魔法なのかしら」
仲さんがコマンドを開き、魔法の効果を確認している。
「フラクタルを発生する、としか書いてないわね」
フラクタルと言えば、数学者マンデルブロが発見した幾何学の概念のようなものだ。それがどう敵にダメージを与えるのか、はたまた自身に有利な特殊効果をもたらすのか期待が膨らむ。
「じゃあ使ってみるか」
俺の提案に全員が賛成した。
入口を背に六人が並び、部屋の奥、誰もいない空間に向かって詠唱した。
「フラクタル!!」
突如、指先に熱を感じた。見ると、指先から墨のような液体が溢れ出した。徐々に広がり五指の墨が結合していく。墨の縁は黄色や蒼、又は白など様々で美しい。墨の結合が止まると色艶やかな縁が成長を始めた。右手と左手から伸びる紋様が合わさると、今度は隣のプレイヤーと、更に隣のプレイヤーも巻き込み広範囲に何学な模様を拡大していった。
「……綺麗」
幾何学模様が部屋中に広がると、隣に立つスタラビが天蓋を見上げ囁いた。
フラクタルという魔法は言葉の通り、フラクタル図形を描く魔法のようだ。決まった型の漸化式を持ち、その式を再帰的に呼び出すことで幾何学的な模様を描き出すのだ。
フラクタル生成源である指先が熱い。何度も何度も呼び出される数式によって大量の演算負荷がかかり、サーバが熱を帯びたのだろうか。もしそうであれば、仮想世界にいながら現実世界と触れ合えたようで、過去の記憶が蘇ってきた。それは、肌に触れる母の温もりのように懐かしい記憶だった。
「ここにいたか」
背にした入口から声が飛んできた。このクエストに出発してから他のプレイヤーとすれ違うのは初めてだ。六人は一斉に振りかぶった。
「あっ、小父様だ!」
「やあ」とスタラビに手を振り、俺の父、志堂希維が部屋に入ってきた。俺たちのようなマーズの初期装備ではなく、動きやすそうな上下黒の服に、腰には装飾の付いた長剣を一本装備していた。
「小父様?」
エスポワール湖で一度会っているスタラビと尚以外、まだ首を傾げている。
「紹介するわ。セリトのお父さんよ」
「ええ! こんなダンディな父親がいるの?」
大学時代、短い期間だが交際をした美愛にも父を紹介したことはなかった。
「この前から美女が二人も増えているじゃないか」
父が顎鬚を掻いた。
「こんなところまで何しに来たんだよ」
父とこの世界で再開したのは、全社員緊急集会の直後。そのとき父は、母の様子を頻りに聞いてきた。もしかしたら、母を助ける手段が見つかったのかもしれない。
「お前に報告があって来たんだ」
「報告?」
やはり、母を救出するため、俺に協力の要請に来たのだ。
「残念だが、母さんはもう駄目だ。それを伝えに来た。事後報告ほど虚しいものはないからな」
父は自身のグラフィックをグラつかせながら言った。
「…………そうじゃないだろ……助けるんじゃないのか……?」
父の言ったことを理解できなかった。
俺は頭が燃えるのを感じた。ボス戦の数倍は早く心臓が鼓動している。フラクタルで熱を帯びた拳を強く握った。
「この空間は処理が重すぎるようだ。少しグラつくな。お前たちは、マーズに慣れる必要がある。もう少しこの世界を探求してく――」
俺は父の言葉を待たずに殴りかかった。しかし、俺の拳が空を切ると、父の姿はポリゴン片すら残さず、音もなく消えた。
拳を覆う幾何学模様が、空振った空間に線を残した。
「何なんだ!」
俺は固く握った拳を緩めることなく地面を叩いた。
母は一人、新潟の自宅に残され、今も孤独に耐えている。父は世界恐慌が訪れたときも、家には帰らず、あろうことか母を残したまま仮想世界に移住しているではないか。
「母さんを助けるんじゃなかったのかよ」
一時でも父に期待し母を任せようと思った自分が情けない。去り際に「マーズを探求し慣れろ」と言い残して消えた父の力など借りずとも、母をこの世界に連れてくるのが俺の役割なのだ。
固く握った拳を開き、俺はフラクタルを解除した。




