16話
浮遊する水の玉が紅い岩石に覆われた羊の硬装を弾いた。
水の玉は岩石と接触する度に、重低音を響かせ大量の水しぶきと共に破裂した。四発目の強打でようやく標的の身体が揺らいだかと思うと、五発目の接触と同時に岩石は音をたてて崩れ落ちた。
このゲームでは、戦闘に参加できるプレイヤー及びモンスターの頭部上にヒットポイントバーが浮遊している。今まさに退治した岩石羊のヒットポイントはゼロを示していた。直後、岩石羊は解像度の粗いポリゴン片となり四散した。
「え……ええ? ええ!? 何それ、何それ、何それ!!」
初心者然りの軽装備に身を包んだ仲さんは、岩石の崩落よりも大きな悲鳴を上げた。矛先はどうやら俺の使用した魔法に対してのようだ。それを囲む平井、尚、美愛、スタラビたちは何がどうなったのかさえ理解していない。
前日、仲さんから仮想世界内で体験できるRPGに誘われ、折角ならと思った俺は尚、美愛、スタラビの三人も招待した。仲さんと平井は彼女らと会うのは初めてだったが、二人とも快く受け入れてくれた。特に平井はこの提案に感謝しているらしく、俺の手を取るなり懇親の謝辞を述べた。スタラビの美貌に惚れ込んでいるらしい。作り込まれたアバターだと知らない平井に、現実世界の夏乃かえでを見せてやりたい。
「志堂くん、どういうこと!? 今、何したの?」
仲さんが俺に詰め寄った。
このRPGのアプリケーション名は《マーズ》。
その名の通り火星を舞台にした本格RPGで、魔法やら剣技を振り回し魔物を倒していく。ゲームスタイルこそありふれたものに感じるが、眼前に現れるモンスターを見たときは皮膚感や臭い、邪悪さに至るまで生唾を呑む表現度であった。このグラフィックを作り上げた仲さんが所属する部署の努力には敬意を評したい。
このマーズに対する予備知識があるのは仲さんだけであり、その仲さんがこれ程動揺しているのにはきっと訳があるのだろう。
「ええと、ドスなんちゃらっていう魔法を使ったと思うけど」
「なんでその魔法が使えるのかって聞いてるのよ」
「いきなり言われても……ちょっと待って」
俺は慣れない操作でゲーム専用のコマンドを開いた。
マーズのウィンドウ操作はVVWのそれとは少し違う。親指と人差し指をくっ付けピンチアウトの動作でシステムウィンドウをポップさせるVVWに対し、マーズは人差し指を立てた状態で一秒間フリーズしているとコマンドウィンドウがポップする。
マーズ内で使える武器やアイテム、又は習得済みの魔法を閲覧できるのがこのコマンドである。武器やアイテムはコマンドから選択でき、魔法に関してはコマンド非表示中でも詠唱することで使用ができる。
俺はコマンドの取得魔法一覧から、今しがた使用した魔法のページを表示した。
「ええと、ナダ・ドス……圧縮した水の玉を相手にぶつけ水圧で攻撃する、と……取得条件はレベル5以上……」
「レベル条件はどうでもいいわ。チュートリアルを終えた時点で、皆レベル5になってるはずだから」
仲さんの言う通りマーズのチュートリアルで植物っぽいモンスターを何体か倒したら数レベル上がった気がする。
「問題は技の属性よ。この世界では水、火、土なんかの魔法が使えるけど、基本的にはVVW同様、物理運動に沿ったアルゴリズムでプログラムが組まれているわ。そして、魔法の難易度は影響を受けるエネルギー量によって、難易度が変わってくる。エネルギー量と質量の関係は知っていると思うけど、お互い比例関係にあるわ」
「エネルギー量と質量……?」
「一流企業に就職しているくせに、相対性理論も知らないの?」
首を傾げた平井はスタラビの指摘に肩を落とした。
「E=mc^2はアインシュタインが発見した有名な式よ。cとは光の速度で、速度は一定だから求まるエネルギー量は質量であるmに比例するの。そんなことも知らないで、よくエルジェップに受かったわね」
言いたいことを言い終え、満足した元学科主席のスタラビは、仲さんにバトンを返した。
「補足ありがとう。少し簡単に表現するなら、扱う分子の数が多ければ多いほど技の難易度が上がってくる。例えば、風魔法は気体、水魔法は液体と区分できて、両者を比べたとき質量の大きい液体が高難易度になる、と言った具合でね。分類は気体、液体、固体、プラズマと分かれていて、皆チュートリアルで使ったのは簡単な風魔法だったはずよ」
「うん。下から強風を起こした後に、上からも発生させて相手を地面に叩きつけたで」
妖精のような囁き声で尚が言った。
「尚が言うと、ちょっと怖いわね」
美愛のぼやきに皆が同意した。
「取得難易度で言うと気体、液体、固体の順で上がっていくわ。扱う分子の数が増えていくと難易度も高くなるの。気体の最高位魔法としてプラズマがあるけどこれは少し特殊ね。難易度で言えば固体より上になる。皆が使える魔法は風属性の低レベル魔法しかないはずなんだけど、志堂くんが今使ったのは水属性だから液体を扱う、それも液体の中でもひとつレベルの高い魔法よ。そんなのを初っぱなから使っちゃうなんて、相当の――」
「わっ、待った! たまたまだよ。たまたま」
俺は仲さんの言葉を遮った。
初心者離れした能力を持っている理由に心当たりがないこともなかった。
β版時代にやっていた野球では、アカウントの持つ五大パラメータが競技専用パラメータを強化補正する仕様になっていた。このマーズというRPGも例外でなければ、課金して上昇させたパラメータ分の補正がされているのかもしれない。仲さんはこのことに勘づいているようだが、敢えて皆に言うのは止めておこう。
「怪しいわね」
スタラビが目を細めた。俺は視線を逸らし、開いたままのコマンドを意味もなく弄った。
「まあ、いいでしょう。それより仲さん。今の戦闘でダメージを受けちゃったんだけど、ヒールスキルは何かないの?」
スタラビが訊いた。
「ああ、えーと……スター……」
「ラヴィでいいわよ」
「ら……ラヴィ? スタラビ、俺のことは下の名前で春と呼んでくれ」
スタラビは仲さんに言ったはずだが、何故か平井が反応を示し、しかも誰も呼ばないファーストネームをスタラビに告げた。同時に、ラヴィという呼び名に困惑する平井だったが、スタラビと呼称する俺に習い、結局スタラビの指定した愛称で呼ぶことは止めたようだ。
「思ったんだけど、あなた……内定式のとき、同じ綿井さんのグループで質問をした方じゃない?」
「おお! なんと覚えていてくれたのか。現実の夏乃さんも可憐だが、デジタル信号に身を包んだあなたは更にキュートだ」
俺は自分の記憶力を疑った。
スタラビがその事実を口にするまで、平井とは初めて会ったものだとばかり思っていたからだ。綿井さんのグループとは、内定式で設けられた先輩社員と触れ合うために用意されたグループのことで、俺はスタラビと同じグループにいた。つまり、俺と平井も現実世界で会ったことがあるということになる。それを一目見ただけでずばり言い当てるとは、スタラビの脳を持って初めて可能な芸当だろう。さらに、現実の夏乃かえでを知った上で、スタラビに求愛する平井の神経にも驚愕した。
「はいはい、平井くんは置いといて。スタラビちゃんね。ヒール魔法もないことはないんだけど、今のレベルじゃ扱えないわ。さっき説明した難易度で言うと、最高位魔法のプラズマより難しく設定されているの。それに加えて、レベル以外の習得条件もあって、基本的な医学の知識も必要になってくる。どこをどう治せば傷が癒えるのか、明確なイメージを持っていれば思いつくこともあるわ」
「思いつく……こともある?」
「ええ、思いつかないこともある……マーズには、思いつきでしか習得できない魔法がたくさんあるのよ」
「ええ! じゃあ傷ついたら?」
「回復薬は売っているから近くの街まで買いに行きましょう。ここからだと最初の街に戻った方が良さそうね。このゲームの目的でもあるクエスト攻略もプリメロから参加できるはずよ」
回復の自由度が制限されるとなると、単騎でのクエスト攻略は難しそうだ。ダメージの分散、資金調達などを考慮すると、チーム人数が多いに越したことはない。スタラビたちを誘っておいて正解だった。六人で行動している俺たちは、多すぎず少なすぎず丁度いい人数なのかもしれない。
マーズのフィールドは見渡す限り、赤色砂岩の地表が続いていた。ゲームタイトルのように本物の火星もこのような環境なのだろうか。雨上がりの林地に鉄粉を撒いたような匂いが鼻に付く。
少し前に、現実世界で火星への片道旅行を果たした宇宙飛行士がいた。その船の船長が、火星に資源はないと言ったのは世界的にも有名な話だ。そう考えるともう少し火星の環境は悪いのかもしれない。
チュートリアルで通った道を引き返し、プリメロに到着すると大勢のプレイヤーで賑わっていた。俺たちと同じようにマーズを始めた人たちが、チュートリアルを終えて戻ってきたのだろう。
「回復薬は一人三本は買えるはずよ」
仲さんが道具屋の前で指示した。
マーズではVVWの通貨であるビルとは違い、インと呼ばれる通貨単位を採用している。俺も回復薬を買おうと店主の前でコマンドを広げると、所持金の桁が一つ多いことに気付いた。皆が二五イン前後なのに対し、俺の所持金は一四〇インだ。7インの回復薬が二〇本買える計算になる。寸刻思案し、その原因に考え至った。どうやら、最後に討伐した岩石羊がそれなりの強敵だったのだろう。全額使う勇気はなかったので、俺はこっそり一〇本の回復薬を購入した。
「それじゃあクエストに出発――の前に、腹ごしらえしましょう。朝早かったし、お腹空いちゃったわ」
仲さんの提案に全員が賛同した。
プリメロの広場は、中央の噴水を囲むように市場が賑わっていた。街は全体的に茶色い印象だが、その一角にある白い壁のレストランで食事を取ることにした。
店内には木製の家具が並び、各テーブルには雑種なランプに火が灯っていた。メニュー表を見た俺たちは、店長一押しの意外な料理名に目を疑った。岩石地帯のこの街には決して似つかない料理、パエリアがあったからだ。パエリアと言えば、魚介を乗せて炊き上げたスペインの米料理だ。
「マーズの開発チームにスペイン人が多くてね。世界観とか魔法の名前とか結構影響受けてるみたい」
仲さんが苦笑いした。
「よし。じゃあ皆でパエリアの大鍋食べようぜ」
メニュー表を叩いてオブジェクト化するのではなく、店員に注文を取り付けるタイプの店のようだ。平井がNPCの店員を呼ぶと、バレンシア風パエリアの大鍋六人前を注文した。
「ねえ、仲さん。このゲームにクリアっていう概念はあるのかしら?」
水を飲んで一息付くと、美愛が訊いた。
「ああ、たしかに。魔王が世界を闇に変えてとか。凶悪な魔族が街に攻めてきた。とか、RPGだとよくある設定だよな」
平井も疑問に思っていたようだ。かくゆう俺もこのゲームの目的をいまいち理解できないでいた。
「そういう意味でのラスボスっていうのはいないかな。エンディングっていうのも、今のところ用意されてないし。基本的には定期的に更新されるクエストをクリアしていって、強さを磨くところに楽しみがあるんじゃないかしら」
「ほんなら、なおそんなに強くならんでもええよ」
尚のように強さを求めないプレイヤーがいるのは当然だ。そもそもVVWはSNSに特化した仮想世界だ。RPGのためのものじゃない。
「それは甘いわ、尚ちゃん。一度ボスを倒す達成感に浸ってしまえば、きっと同じことを言えなくなるわよ」
「そうなんかな」
「それに敵を倒すことだけが楽しみ要素じゃないわ。それをサポートする人も必ず必要になってくる。武器を作ったり、素材を集めたりね。サポート系のスキルも沢山用意されているしね」
「まあ、皆と一緒やったら何でも楽しいやろうからいいけどな。わあ、美味しそう」
漁師のような出で立ちをしたNPCスタッフが巨大な鍋を運んできた。
「あれ? 魚介じゃないの?」
スタラビが首を傾げた。トマトソースで煮込まれた米の上には、豆やパプリカといった山の幸と鶏肉のようなものが並べられていた。華やかな海鮮料理だと思っていた俺も不思議に思った。
「平井くんバレンシア風って注文してたじゃない。それだと山の幸メインの猟師飯が一般的よ。ちなみにお肉はうさぎの肉だと思うわ」
「へえ、仲さん詳しいのね」
スタラビが感心して言った。
「開発チームのスペイン人に教えてもらったのよ。さあ、早速頂きましょう」
気を利かせたかえではパエリアを人数分小皿に取り分けた。受け取りざまに礼を言い、熱々のうさぎ肉を俺は頬張った。
「うん……めえ!」
顎髭に米粒を付着させ、平井が唸った。
うさぎ肉は柔らかくほぐれ、濃縮された出汁を吸ったお焦げが香ばしい。俺も平井の唸りに共感した。
「なおもお店のメニューにパエリア入れようかな」
「それいい! このパエリアも美味しいけど、尚ならもっとすごいの作れるわよ」
尚の呟きをスタラビは聞き逃さなかった。
たしかに、尚の料理スキルがあれば、これを超えるパエリアを作り上げてしまうかもしれない。甘美堂のメニューが一つ増えるかと思うと、今から楽しみでならないし、誰よりもいち早く食べてやろうと心に誓った。
「それで、仲さん。うちらみたいなビギナーでも挑戦できるクエストだと何があるの?」
俺は残りのパエリアを喉に押し込み訊いた。
「そうね。クエストと言っても簡単なお遣い系からボス討伐系まで色々あるんだけど……RPGと言ったら、やっぱりモンスターを倒さなくちゃね!」
「そう来なくっちゃ!」
平井は親指代わりスプーンを立てた。
「そのための準備として――はい」
仲さんが空中に表示した小さなメッセージウィンドウを指で五方に弾くと、パエリアを頬張る五人の眼前に停止した。そこには、《ギルド名:デジタルタトゥーに参加しますか?》の表記と、YES/NOを促すボタンがあった。
「チームとして行動した方が何かと便利だと思うの。ほら、ドロップしたアイテムの分配とか面倒じゃない? 経験値はシステムが勝手に割り振っちゃうけど、お金のやり取りとかも発生するだろうし……」
「ギルド名は仲さんが考えたの?」
「デジタル世界でも決して消えない絆の入墨を……ちょっとクサかったかな」
俺がYESを打鍵すると同時に、他の四人もギルドへの招待を承認した。それを見ていた耳を赤らめていた仲さんは笑顔を溢した。
「最高だぜ、仲さん!」
平井はまだ髭の米粒に気付いていないようだ。
「よし、行こうぜ! モンスター退治に!」




