14話
半透明の3Dオブジェクト群が頭上から落下し、しばらく浮遊したあと音もなく客席に消えた。日本の地方都市のようだが、俺は行ったことのない街だった。頭上から次の街が現れては消え、最後に東京都内の街が映し出された。
再現度は仮想世界の景観に勝るとも劣らないが、どの街も共通して荒廃している印象を受けた。俺の記憶の最浅に浮かぶ首都高から眺めたコンクリート塊なんか比にならないほど、黒ずみ、霞み、死灰に侵されてしまっていた。
もはや、非現実だった仮想世界が当たり前の生活になり、過去の現実は遠い異国の物語となってしまった。
「二〇二四年一〇月一日。弊社は新しいビジネスモデルとして、仮想世界を提供するサークフスを世界に発売しました。人が暮らせる環境を整えた仮想世界内に、1ドットでも大きなフォントで広告を載せたい企業たちから、弊社は大量の受注を受けました。しかし、受注した注文を納入し、売り上げる機会が訪れることはありませんでした。
膨れた期待は株価へと顕著に現れました。翌日の一〇月二日には、弊社の株価は前日比十九倍の取引価格を付けました。弊社と契約を結んだ企業も同様に高騰し、日経平均株価は瞬間的にではありますが、前年終値の五倍にまで引き上げられました。しかし、それは期待による結果であり、実績に起因するものではありません。実態を持たない過剰な期待は、突如収束を見せました。サークフスの世界一般公開から三十一時間後のことでした」
東京・新宿のホロオブジェクトが消えると、株価の推移を見せるトレンドグラフが眼前に現れた。エルジェップの赤いトレンド線とそれを追いかける青い日経平均株価。急勾配に上昇した二本の株価は、一〇月二日午後一〇時を少し過ぎたところから、上昇以上の傾きで下落していた。
機関投資家たちのレバレッジが効いた買い建ての手仕舞いと、新規の空売り注文が日経平均株価をナイアガラの滝のように下落させていた。
「二〇二四年一〇月二日午後一〇時。エルジェップ代表取締役社長の阿比留勇が会見を開きました。発売直後に更なる吉報だと予想していたマスコミは、冒頭の発言に耳を疑いました。カメラマンはシャッターを忘れ、生中継していたメディアは慌ててコマーシャルを挟んだほどです。
呼吸を置かず続ける阿比留社長の言葉が、辞任を表明したのです。辞任の理由は告げませんでした。
最速の決断を見せたのは、エルジェップ社に広告依頼を出した企業たちでした。新奇な技術の見積金額は決して安くはありません。営業時間外にも関わらず、営業窓口への受注キャンセルの電話は明け方まで続いたそうです。ここで敢えて断定的な言い回しを避けたのは、一部の声の大きな社員に基づく情報であり、信憑性に掛けるためと断っておきます。
続けましょう。弊社からスポンサーが離れていく様は、多くの人に伝えられました。何故なら、メディアも仮想世界に広告依頼を出した一企業だったからです。翌朝、報道番組では弊社を批判し、株価の下落を世論に訴えました。番組を見た多くの株主はエルジェップ株を即座に手放そうとしました。
しかし、どれほど売りたいと願っても、買いたいと思う人がいなければ成立しないのが取引です。残念ながら、どん底まで下がったエルジェップ株に買い注文を出す投資家は現れませんでした」
観覧席のエルジェップ社員たちは、無言で映像に見入っていた。ホールに緊急招集された意味を、映像の断片から模索しているようだ。そして、俺もその内の一人だった。
澄んだナレーションの声は現代社会を、まるで古い日本史のように語っていた。しかし、これはほんの四ヶ月前に現実で起きた出来事なのである。
「過剰な期待は不安へと、一気にステップを踏みました。大勢を引き連れて高騰したエルジェップ株は、栓を抜いたゴム風船のように再び大勢を引き連れて萎んでいったのです。
日本の株式市場が機能を失うのは、メディアから発信された予想よりも随分早く訪れました。
資本を失った企業の設備投資が落ち込むと、下流工程を請負う中小企業から順に倒産していきました。このころから徐々に働き口はなくなり、生活苦から自殺者が急増します。線路を走る電車も同時に姿を消しました。人口が少なくなると需要は減り、それに比例して生産も落ち込みます。そうやって、中小企業に引きずられた大手メーカーも次々と倒産していきました。最後まで生き残ったのは農家でしたが、農作物の天敵は雨でもなく、風でもなく、食に飢えた人間でした。盗みが常習化し、農家でさえ自分の食に困るようになりました。
もちろん、被害国は日本に留まりません。
エルジェップ株の暴落から始まった大恐慌は、世界中の人々の生活を襲撃、剥脱、喪失させました。裕福だった国は貧困に、貧困だった国は大貧困になりました。
日本は火種となった割に、寧ろよく持ち堪えた方です。
アジアの発展途上国では、盗む前にまず相手を殺害しました。その方が、確実にものを盗めるからです。日本人は相手を殺すことはしませんでしたが、代わりに自分の命を絶つ者がほとんどでした。日本の国民性が人口の減り方に、大きく反映されていることがわかります。
スラム化していない土地を探すのは不可能でした。中東のテロリスト集団は過激化し、欧州にまで活動範囲を広げていきました。また新しい集団も多数誕生し、背景には必ず政治と宗教の話が付いて回りました。救いを求める信者と、信者を受け入れ騙し奪う聖職者の均衡が、見事に合致していました。
調査し得る国連加盟国の中に、世界恐慌の被害を受けていない国はひとつもありませんでした。
国際自然保護連合が早い段階で、人類を絶滅危惧種に分類したのは正解だったのかもしれません。第二次世界恐慌は世界人口の約八割を削ったと深く歴史に刻まれるはずでしたが、歴史を後世に伝える人間が絶えようとしているのが現状です。
人類が絶滅危惧種に指定された直後、弊社は絶滅の防止策として、仮想世界の移住を極秘裏に行いました。
移住には大容量化された新型のサークフスが開発されました。問題となったのは新型サークフスのハード数に制限があったことです。移住できる人間を選別する必要が出てきました。
公式に発表された選別の条件は、以下の通りです。
――弊社で業務を行う者、業務を行う会社を経営する者、業務の委託に関わる者及び一部優待者以外の移住者は無作為に選別するものとする」
直後照明が点灯し、背後のカーテンが開くと外光がホール内に差し込んだ。
「――というのが、人類移住計画に至る原拠であります。私からは以上。是にて全社員臨時集会を終了します」
社員たちは大きく伸びをしたり、物足りなさを感じながらも三々五々に退席した。今後どうなるのか、俺たちは何をするべきなのか、エルジェップからの助言を期待していたが、現状に至った経緯しか聞けなかった。
隣席の同僚の存在も忘れ、しばし放心していた俺は現実世界で別れた母のことを考えていた。仮想世界での生活が長くなるにつれ、母の顔を思い出す回数が増えた。現実世界の企業はほぼ全てが潰れているため、母の生活を救済してくれる機関は何もない。実家の電気は止まってやしないか、水は出るのか、湯は沸かせるか、母の住む新潟の冬は極寒である。「苦労もあるけどこっちは心配しなくて大丈夫」と、たまに送ってくれるメールでは強がっているが、余計に嫌な場面が脳裏をよぎる。
ここ最近は、母と同様に父のことも思い出すようになった。何年も家には帰らず何処にいるのかもわからない。顔はうっすら覚えているが、父との会話はまるで思い出せない。優しくしてもらった記憶を持たない脳が、勝手に思い出を消してしまったのかもしれない。せめて、母の傍にいてさえくれれば。からきし期待できない可能性を捨て、かぶりを振った。
全社員臨時集会が行われたこの巨大ホールはエルジェップ社が仮想世界内に所有する建造物であり、ホールそのものが街としての機能も備えている。
館内は会議やイベントに特化した設計がなされ、建造物のエントランスが転移門と同化した構造となっている。本来街の入り口として構える転移門が、建物の玄関の役割を担っているのだ。
ホールの周囲には木や川、草原といった自然リソースが広がり、広大な土地の中央に巨大ホールがぽつんと佇むこの街の名は、まさしく《ホール》。覚えやすく、想像に難くないが、この街をデザインしたエンジニアは随分奇抜な思考の持ち主だと印象を受けた。
「滅多に訪れないエリアに来たんだ。少しこの辺を散策しようぜ」
隣に座るスタラビに提案した。スタラビは手持ち無沙汰にメニューウィンドウのポップとリポップを繰り返していた。
「行く! 話長過ぎて肩凝っちゃった」
軽微な負荷をサーバに与える無意味な行為を止めると、スタラビは端麗な顔を上げた。
「この世界に肩凝りなんて症状はないだろ。外傷や感染症といった病気とは無縁だからな。この世界に精神科医以外の医者は必要にならない」
綿井さんのマイバッハに乗せられ六〇日が経った。そして、今しがたの臨時集会を以て、概ねの人類移住計画の工程が完了した。およそ二ヶ月という時間は、現実世界の匂いを薄れさせるのに十分だった。システム的に作られた妖美なスタラビは、俺の中で本当の夏乃かえでになりつつあった。
「なんでお前もいるんだよ。社員じゃないだろ」
散策と聞いてスタラビの影から突如現れた顔に言った。
「お母さんおるかな思って見に来たんよ。結局おらんかったけどな」
「ホールの入場セキュリティはどうなってるんだ」
「尚、お母さんと会えてないの?」
エルジェップの創業者である阿比留勇を母に持つ尚は、内定者である俺よりも早くVVWへ移住していた。役員の家族ですら認めてもらえない優先移住なのに、例え社長という権力を使ったとしても簡単ではなかっただろう。またそれは同時に、阿比留社長が尚を大切に思う気持ちとも等しい。
「お母さん忙しいからな。何やっとるか全然わからん」
尚は俯く様子もなく平然と言った。
「会えないとわかっているよりも寂しいものがあるかもな」
「そんなことないで。お母さんこの世界がよくなるように頑張っとるもん」
尚は俺の慰めを払い除けた。
「そうよね。VVWが生き残った人々に与えた希望は大きいわ。少なからずこの世界で暮らす人に、絶望した顔をしている人は見かけないもの」
スタラビの同意には尚も微笑み頷いた。尚の母に対する信頼は、俺の介入するところではなかったようだ。
ホールのエントランスは転移門になっているのでそこから外へ出ることはできないが、建物の出入口は玄関口とは別に数ヶ所用意されている。催事がないときは誰でも自由に出入りができるようだ。逆に、イベントがあるときは外部からの全ての出入口に入場規制が張られ、条件を満たしたアカウントのみエントランスの転移門から入場可能となっている。全社員臨時集会に社員ではない尚が入れたように別の抜け道があるのだろうが、一社員でしかない俺には想像も付かない。尚に訊いても「よくわからへんけど入れた」とちぐはぐな回答しか返ってこなかった。
ホール西出口から外へ出ると、広大な草原が視界に飛び込んできた。肉眼では隣町を捉えることすら難しい。遥か彼方には、深い峡谷が見え、その手前の障害物といえば、視界を遮るものは樹木が密集した小さな林くらいで、その中央にそびえる大型建造物のホールは例外的な隔離地区にも思えた。
緩勾配を西へ寸刻歩くと樹木の浅い林へと続いていた。整備されたとは言えないが踏み固められた土壌から木の根が顔を出し、その横で細流が音を立てている。川が流れているということは、誰も来ない様な土地にまでエルジェップのエンジニアは湧水オブジェクトを組み込んだのであろうか。エンジニアのこだわりを見つける度、芸の細かさに感服させられる。
先頭を歩く尚はときおり飛び跳ねたり屈んだりを繰り返し、俺とスタラビはその度視線を交わして苦笑いした。
「尚ってどこかから内定もらってたのか?」
茂みからきな臭い木の実を拾ってきた尚に俺は訊いた。
「内定なんかもらってないで。なお就活しとらんもん」
「え……どうやって生活していくつもりだったの?」
「株主言うてな。年二回配当っていうお小遣いもろてるんよ」
先程まで自然と戯れ飛び跳ねていた尚の口から、配当という凡そ一般人では触れ合わないような語彙が出てきたことに驚愕した。数ヶ月前まで株取引に勤しんでいた俺でさえ、配当金を受け取ったのは二回しかない。
配当を受け取るには確定日を跨ぐ必要があり、確定日を跨いだ株は急激に下落する傾向が強いため、俺は確定日を待たず手放すことがほとんどである。さらに言うと、受け取った二回の配当金を足しても、数千円というお小遣い程度にしかならない金額だ。
常時吞気な弁口であるがばかりに、意表を突いた尚の返答は、学科主席だったスタラビの端正な顔さえ歪めてみせた。
生活できるほどの収入源となると、数百万という額に上るだろう。二二歳にして定期的な不労所得を確立しているとは、是非その技法を教授願いたい――と、言いたいところだが尚の場合、エルジェップ代表取締役社長の地位に就く母を持っている。保有している株もおそらくエルジェップ株ではないだろうか。
「配当で生活できちゃうなんて夢のようだわ。一体いくらもらっているの?」
「わからんけど一度、びっくりするくらい上がったんよ」
株式上場のタイミングで、初値に五倍の値を付けたという話を聞いたことがある。予想だにしない上昇に株式分割を行ったが、業績が好調だったエルジェップは配当金を据え置きにした。一株当たりの配当金は変わらず保有株数が増え、株主にとっては異例の待遇であった。ネット記事を見た記憶だと、株式分割の比率が一対四だったはずなので、尚の年間配当は四倍となった計算になる。
配当が大きく増えたのなら尚は株式分割を経験した可能性が高い。特定の株を長期保有する投資家にとっては、かなりおいしい話だ。
「そろそろやで」
「そろそろ……?」
尚に相槌を打つ間もなく眼界は広がった。足元に流れていた小川は、水源である眼前の湖に接合していた。セントラルが丸々収まってしまうほどの面積だ。そして、水面から立上る粒子の眩さに俺は目を奪われた。
「蛍……?」
水面から無数の光点が上昇し、昼間にも関わらず発光する水面がスタラビの頬を照らした。湖を覗き込むが、湖底も水中も発光している様子はない。水面、もしくは水上の空間が光っているように見えた。
「蛍は違うと思うけど、妖精さんとか居りそうやろ?」
「尚はここに来たことあったんだ」
スタラビは水辺に腰を下ろし、両手でひと掬いした。
「この場所はお母さんが教えてくれたんよ。面白いもの作ったから見せてあげるって」
「尚ってセントラルで洋食屋やってたり、こんな綺麗な場所知ってたり、何ていうか……普通のプレイヤーとは少し違うよな。これ、む……掴めないのか」
立ち上る光点を必死に搔き集めてみたが、発光する空間リソースを圧縮する俺の試みは尽く失敗に終わった。
「ッだあ……これは駄目だ!」
空ぶる手を放り、俺は後ろの芝生に身を投げた。
――むぎゅ。
途端、反発する手の感触。同時に俺は過去の誤ちを想起した。
VVW公開初日、転移門から落ちてきたスタラビを訳もわけらず押し退けたことがあった。不快な白色光の中、身体のどの部位を触れたのかは覚えてないが、今の状況と非常に類似している。目の前に立つ二人の女性を目に捉え安堵すると共に、低反発ながら若干とげとげしい手元を恐る恐る見やった。
「手を退かせ。俺は妖精さんじゃないぜ」
「うげ……」
この世界に決して居るはずのない人物を目の当たりにした衝撃から、思わず奇声が漏れた。俺は世界で一番会いたくない人物の顔を、あろうことか押しつぶしていたのだ。
「二人も女を連れて、お前も偉くなったもんだ」
男は短く整った顎鬚を撫でた。
「なんでこの世界にいるんだよ。海外にいたはずじゃあ……」
「なになに? ダンディーなお髭のおじさんは、セリトの知り合いなの?」
「ほお、これは美しいお嬢さん。その顔は作り物かな? 私は志堂希維という者だ」
スタラビを視界に捉えると、男は詰寄り自己紹介をした。
「志堂って……もしかして芹人くんのお父さんですか?」
スタラビに差し伸べた男の手を取ったのは尚だった。
「あ……ああ、そうだよ。君は確か阿比留尚ちゃんかな」
男は少し困惑して言った。
「すごい。なおのこと知ってはるんですね」
「このプライベートレイクを知っているのは、俺ともう一人だけだからな。さっきお母さんに教えてもらった、と話していたのが聞こえたんだ。君は阿比留の娘だと推測した」
「お母さんのお友達やったんですね」
「君のお母さんには世話になっている。今まさに大忙しだろう」
「――じゃなくてさ、何でここにいるんだよ!」
子供のころから父は厳格な人間――と、いうわけではなかった。
むしろ仕事で忙しく、会話した記憶もほとんどなかった。俺は父の邪魔に思われないよう極力関わりを持たないよう努めた。しかし、父のためというのは言い訳なのかもしれない。単に俺の気が楽になるから、というのが正直な理由だ。
社交的な父はたまに地域の集まりに出席すると、大人たちに俺の話をした。俺のことなんか何も知らないくせに、知っている風に話す父が気に食わなかった。父の隣に立つ俺は、知らない大人を介して父と会話をした。歪な親子の会話に大人たちが違和感を覚えなかったのは、俺もまた社交的だったからだ。何故なら俺も父のことをよく知らなかった。
小学校を卒業した月に父は家から居なくなった。家族をほったらかして仕事を続ける父が嫌で、以来、父の話はしないようにした。母も話題に出すことはしなかった。
父は海外にいて日夜株取引に忙しい、と母から聞いたのは中学を卒業するときだった。
世界恐慌が起きても家族を助けに来なかったとき、父の存在は俺の中で消滅した。父親なんて初めから居なかったのだと。
「ちょっと待って。なんで作り物だってわかったんですか……その、わたしの容姿です」
スタラビは赤面して言った。
「これは失礼なことを言った。冗談で受け取ってくれて構わないよ。ただ、うちの倅にこんな美人な友達はできないだろうと思ってね」
父は握っていた尚の手をようやく解放した。スタラビはいっそう頬を染めると、視線を俯け父を直視できないでいた。
俺の何を理解して、美人な友達はできないと言っているんだ。一〇年ぶりに会っても頭に来る物言いだ。
「だから何で此処に――」
「ホールで集会があっただろ。そのせいであそこを追い出されたんだ」
「追い出されたって、おじさん問題でも起こしたんですか?」
「問題なんか起こさないさ。ホールは俺の家だ。しかし、イベントのときはいつも追い出される。世知辛い世の中だ、まったく」
「……!?」
ホールはエルジェップの所有するオブジェクトであり、購入可能な建築アイテムではない。そもそも、自宅の玄関が転移門なんて聞いたこともない。
「いいリアクションだ、三人とも。秘密にするのも勿体無い。俺の自慢話になるがせっかくだ、説明しよう」
我に返ると三人同時に半開きの口を閉じた。
「今日のイベントは全社員臨時集会だったはずだ。しかし、その集会には社員以外の人間も出席していた」
「たしかに、最前列に来賓席っていうのが設けてあったわ。会場は満席で遅れてきた社員は立見の人も居たのに、来賓席だけまばらに空席だった」
「彼らはエルジェップの大株主たちだ。まばらなのは集会に興味のないやつが欠席したんだろう」
「かえでちゃん良く見てはるね」
「待ってくれよ。エルジェップ社員以外の移住者は無作為に選別したはずだから、故意的に株主の椅子が用意されるなんておかしくないか」
「うむ、よく理解できているじゃないか。流石、俺の子だ」
「んな……バカにするなよ」
「だがな、大人の世界だ。そんな訳ないだろう。一般人じゃないのは他にも紛れ込んでるぞ。芸能人とかじゃないから探すのは難しいが、皆エルジェップの利益に繋がると判断された人物たちだ。まあ、世界バランスの均衡を取るため、ひと握りだがランダムに選ばれた一般人も存在する。あながち嘘じゃない」
「そんな……でも、それがどう繋がったらホールに住めるんだよ」
「そう急くな。大株主になるメリットは何かわかるか、芹人」
「……配当が貰える」
俺は自信なげに言った。
「うむ、半分正解だ。大株主ともなれば、配当金だけで生活できる金額になるだろう。だが、こんな世の中になってしまっては、現実世界の紙幣を幾らもらったところで、使う場所なんかありはしない」
「…………株主優待かな……」
尚が呟いた。
「おお。正解だ、お嬢ちゃん。株数に応じてVVW内のアイテムが一つ手に入る。プライベートホームに住みたくなかった俺は家を貰った。それが、ホールだ」
「なんだ。要は父さんも株主なのかよ」
「おじさん、無茶苦茶だわ」
無言で聞いていたスタラビはすとんとその場に腰を落とした。
購入不可オブジェクトである転移門付き一軒家を入手するには、一体何パーセントの株を保有すれば許されるのだろうか。おそらく大株主の中でも上位なのは間違いないだろう。
「来賓席の空席の一つは俺だ。腰を抜かしているところ申し訳ないが、そこのお嬢ちゃんも大株主の一人だぞ」
「そう言えば尚、社員じゃないのに出席していておかしいなと思ってたのよ。でも、来賓席に座ってなかったじゃない」
「二人がおらんかったら、出るつもりなかったもん。一人じゃつまらん」
「尚らしいわね」
尚も株主優待の恩恵を受けているはずだ。だとすると、そのアイテムは一つしかない。
「なあ、尚の株主優待って甘美堂のレストランか?」
俺の予想に、スタラビがはっとした顔で尚を見た。
「そうやで。本当は店番してくれるNPCも付けてほしかったんやけどな。そこまで我まま言えへんかった」
「そう言うなよ、お嬢ちゃん。俺なんか条件付きで住んでるんだぜ」
「条件?」
尚は首を傾げた。
「元々エルジェップ所有の物件だったからな。イベントのときは家を解放することだとさ。住んでみるとイベントばかりさ」
「充分だろ。あんな大豪邸に暮らしてるんだ」
ヴァオにあるリゾートホテルのような社員寮も悪くないが、セントラルに行くと一体誰が住んでいるのだろうかと考えてしまう高級住宅がいくつもある。その主の出生を種明かしされた気分だ。
「まあ、そうだな。悪いことばかりじゃない。この湖はエスポワール湖って名だが素晴らしく綺麗だろ」
「綺麗だけど、いいことって湖が近いこと?」
スタラビは首を傾げた。
「この世界は現実の物理現象を忠実に再現している。水は流動し、発熱すれば炎が生まれ、物質には重力が働く。存在する全てのオブジェクトは、現代物理学に基づいたアルゴリズムで運動をしている」
「じゃあ、おじさん。この光る水面も物理学で説明が付くの?」
「おじさんはやめろ、お嬢ちゃん。少し若目にアバターを作ったつもりだ」
「ごめんなさい。わたしはスターラヴィよ、小父様」
「呼び辛い名だな。だが、小父様は悪くない。光る水面はエンジニアの遊び心だな。水面から蒸発する水蒸気のコンマ数パーセントを発光する粒子に置換しているだけだ。大気圧を超える圧力が加われば発光は消える。つまり、掴もうとしたり風が吹くだけでも光は消える。だが、天候条件が整い無風状態となれば、光の粒子たちは理論上際限なく昇る。上空に行けば行くほど大気圧は下がり、障害となるものはなくなっていくからな。ホール西側の窓から樹木に囲まれたエスポワール湖は見えないが、樹木の隙間から天まで立ち上る光の渦が見えるんだ。全世界一般公開の夜に一度だけ見たが、どんな宝石よりも素晴らしかった」
「わあ、ロマンチック」
地べたにへたり込んでいたスタラビは、胸元で手のひらを組み妄想に耽った。スタラビ同様、尚の脳内にも同じ絵が再生されているようだ。
「一般公開のときはお祭りだったからな。無風状態を維持するため運営が天候を操作したんだろう」
「詳しいんですね。まるで開発者みたい」
「まあな。開発者ではないが開発者とは友達だ。そうだ今度見せてもらうといい。この湖を作ったのは阿比留なんだから」
「えっ……お母さんが!?」
尚は見開いた目を輝かせた。
「阿比留とは古い仲だが、あいつは変わったものを好む」
阿比留勇ことユウのプライベートホームは、壁一面を白地のキャンパスが覆い、墨を零した魚拓が遊泳していた。あの魚もここで釣り上げたものかもしれない。変わりもの好きという見解には納得であるが――。
「父さんは阿比留社長と知り合いだったの!?」
「知っているも何も、今のエルジェップとこの仮想世界があるのは、俺が阿比留の研究に投資し続けたからだ」
母からそんな話し聞いたこともなかった。俺の内定先がエルジェップだと母に告げたときも、おめでとうと一言あっただけだ。
「そんなに昔から社長と知り合いだったなんて、セリトのパパって実はすごい人だったんですね」
「……別にすごいことないだろ」
否定的な言葉が俺の口を衝いた。
「すごいじゃない。少しは認めなさいよ。あんたさっきから変よ」
「まあいいさ。久しぶりの再会で動揺しているんだ」
「そんなんじゃないよ」
俺は父の慰めも払いのけた。
「芹人、母さんの調子はどうだ?」
父の口から母の名が出たことに驚いた。父は母のことなど気に留めていないと思っていたからだ。だから、母を現実に置き去りにして、自分だけ仮想世界に移住しているのだと思っていた。
「え、どうって?」
「最後に会ったのはいつだ」
「年末だから、二ヶ月くらい前かな」
「どんな調子だった?」
質問を浴びせる父に疑問を持ちながらも、年末に綿井さんたちと話したときの母を思い出した。
「どんなって、普通だったけど……あ、痩せたように思ったけど、少し太ったとか言ってた。仮想世界に移住させられたのは、ちょっと強引だったけどね」
父が母のことを忘れてしまったと思っていたのは、俺の勘違いなのかもしれない。そうでなければ、こんなに母のことを聞いてくるわけがない。父は自分なりに、母を助けようとしているのかもしれない。
「そうか」と答える父のグラフィックが少しグラついて見えた。
「すまんが仕事の時間だ」
引き止める間もなく、父はそう言い残し森に消えた。
父の職業は投資家ではなかったのだろうか。世界恐慌を迎えて以降、取引をしている証券会社は最早世界中に存在しない。




