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ディジタルタトゥー  作者: 阿相アイ
1部
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14/33

13話

 日はすっかり傾き、赤み混じりの陽光がダークグレーのコンクリートを鬱(う)金色(こんいろ)に染めている。

 強制ログインから五日が経とうとしていた。商店に並んだ色彩豊かな野菜たちも、時刻に同期した色を帯び、リアルと見紛(みまが)う空間演出を助勢していた。

 コロッセオ、セントラル、それに次いだ面積を有する街《ダンフェル》。初めて来る街だ。開発者の趣向なのか、VVWには中世ヨーロッパ様式の街が多い気がする。

 セントラル同様、ダンフェル市街もひと気がないかと思いきや、まばらではあるが生活の匂いが感じ取れることに驚いた。しかし、その理由もすぐに知ることになる。

 暮らしと商業が一体となっているダンフェルは、商店街に並ぶ建造オブジェクトのほとんどが一階に店舗、二階が住居の間取りを採用していた。商業施設のみで住居は素泊まりの宿屋ばかりだったセントラルに比べ、ダンフェルの街に人の生活臭が漂うのは仕事と居住が融合した環境のせいでもあるようだ。

 おそらく中流階級のプレイヤーにとってこの街にマイホームを買うことが、ひとつのステータスになるのであろう。そんなことを考えながら、俺は待ち合わせ場所であるこの街唯一のタワー型商業施設、一階のチーズ専門店《ヴァランセ》のショーウィンドウ前に到着した。

 タワー型と言っても五階までしかなく、飛び抜けて高いとは言えない。言い換えれば大きめのショッピングモールだ。それでも、ほとんどの家が二階建てなのに対し、頭一つ抜けているので十分に街のシンボルとなっていた。

 VVWでショッピングを楽しむとなるとセントラルで事足りてしまう俺が、初めてこの地を踏むことに至るには、昨晩着信した美愛のメールを誘因とする。

 この世界での生活にも、いつの間にか慣れてきたころ、美愛から食事の誘いが来た。

 ここ最近の俺はというと、本格的に始まったエルジェップの業務をこなすことで、どちらかと言えば忙しい日々を送っていた。今日は二日出勤し一日休むというサイクルの初めての休暇日でもある。

プレイヤー人口は五日前と比べ、外国人の割合が急激に増えた。世界中で移住者を募っているようだ。セントラルをはじめ街は本来の街らしさを取り戻しつつあった。

 季節は冬。日本同様の四季があるこの世界では、待ち合わせ時刻の十七時にもなると天候ステータスが夕方に近い色を帯びていた。極端に夜が短いこの世界でも、冬の太陽は一応早く沈むようだ。

 茜空を背景に、長身の女性プレイヤーが近づいてきた。俺はすぐに美愛だと気付いた。ルックスだけではなくスタイルまで実物を真似た、完璧な再現度だ。

 「お待たせ」

 「やあ、俺も今来たところ。適当な店に入ろうか」

 俺は背後にそびえる、タワー型商業施設を親指で差した。

 「いいお店知ってるんだ。NPCのお店なんだけど、このモール五階にあるケーキ屋さんが、すっごく美味なのよ」

 「ほお。この辺詳しくないしその店にしよう」

 初めて来た土地だったので、美愛に予備知識があって助かった。断る理由もなく、モール五階に歩を進めた。

 沢山のショップがひしめくモール内を、人を縫うように歩き、お目当てのケーキ屋に着いた。窓側の背の低いソファー席に腰を下ろすと、眼下の光景に目を奪われた。

 ダンフェルの街は夕陽に塗られ、茜色の住居が数キロ続いている。目視できる景色の最奥には、境界をなくした空と大地が見事に融合していた。作りものとは思えない幻想的な光景に俺は言葉を失った。正面に座る美愛も全く同じことを感じているとこだろう。大きな瞳と同じくらい口を開けている。

 「現実の家族にも見せてやりたいな」

 俺の言葉で意識を戻したのか、美愛はにこりと笑い小さく頷いた。

 「あそこ、あたしの家。実はここから近いんだ」

 モールから数分の位置だろうか。しかし、美愛の指す先には住宅が密集していて、どの建物かは判断が難しかった。

 「ところで今日はどうしたんだ?」

 俺は早速本題を切り出した。

 「そうそう。報告したいことと、質問したいことがあるんだけど。どっちからがいい?」

 「うむ。全く想像がつかないが報告から聞こう」

 「オッケー。実はあたし……」

 美愛はそこまで言うと言葉をきり、俯いた。予想外の沈黙に唾を呑む。すると、突然顔を上げ、言葉を続けた。報告とは悪いニュースなのだろうか。

 「実はあたし、仕事を見つけました!」

 「なんだ、変な演出するから悪い報告かと思ったじゃないか」

 「へへ、ごめんね。どう言ったら盛り上がるかなって思って」

 「リアルの心臓に悪いから止めてくれ。で、どんな仕事?」

 「運営の手伝い。まあ、アルバイトみたいな感じかな」

 「――ということは、エルジェップでバイトしてるのか?」

 「そういうことになるわね。簡単なプログラミング作業よ」

 せわしなく店内を歩き回るウェイターが注文を受付に来た。VVWの飲食店には二種類の注文スタイルがある。一つは甘美堂の様にメニューをタッチすることで、瞬時に料理のオブジェクト化ができるタイプ。もう一つは、店員が注文を受付けるタイプだ。敢えて現実に似せて作られた世界観で、β版では一部のコアユーザーに人気のタイプだった。この店は後者のようだ。それだと、料理の提供まで多少の時間が掛かる。

 俺はチョコレートケーキを、美愛はチーズケーキをオーダーすると、腰にレース付きエプロンをしたウェイターが「かしこまりました」と言って奥に消えた。

 「まさかエルジェップがアルバイト募集していたなんて、思いもよらなかったよ。ということは、社員以外のプレイヤーもいるのかもな」

 「噂なんだけど、もう少ししたらどっと人が増えるみたい。それに向けての人員募集なんじゃないかな」

 俺も聞いたことがある。現在ログイン中のプレイヤーはそのほとんどがエルジェップ社員。そこから人が増えるということは、多くの一般人を受け入れるということになる。現に、社内に新しい部署も増え、人事異動があったばかりだ。

 「待てよ? 美愛がこの世界に来れたのは尚のおかげだよな。なんで尚は美愛をこの世界に呼ぶ権利を持っていたんだ? エルジェップの役員でさえ、家族を連れて来れないはずだよな」

 「んー、これ言っちゃっていいのかな。実は彼女の親、エルジェップ元社長の阿比留勇なのよ」

 「……まさか……え?」

 「そのまさかよ」

 「社長令嬢ですか……いや、でも尚の苗字は」

 「阿比留尚」

 四年も同じ学び舎にいて、そこそこの交友もあり、時には課題提出を助け合いもした。そんな学友がよもや内定先企業の創始者の娘だったとは――。その上、学友の姓をこの瞬間まで知らなかったことが、自分でも信じられない。

 「社長結婚してたのか。というか、もう社長じゃないだろ。権利もクソもないんじゃないか」

 「うん、たしかに阿比留社長は退任したわ。でも、空席になった社長の席には未だに後任は就いていない。それどころか、国内証券取引所の相次ぐ閉鎖によって、株式市場は機能停止。株式の価値はもはやゼロよ。会社のトップを決めるのはあくまでも社員であって、保有している株式数なんて飾りにもならないわ」

 「なるほど。退任を宣言しても実質トップは変わらず、エルジェップを動かす力は未だ阿比留社長のものということか」

 「ちなみに洋風レストラン甘美堂のオーナーは尚よ。尚が趣味で始めて、たまに営業手伝っているみたい」

 「へえ。となると、あそこに並ぶメニューも男性店主じゃなくて、尚が作った可能性が高いな」

 あの店のメニューはどれも味がよく、レシピの作成には苦労したに違いない。そのレシピを一から作ったのなら、類稀(たぐいまれ)なる料理スキルの持ち主だ。そして、それに見合った高額な料金設定は極めて絶妙。総合して評価すると、尚は飲食店経営の才能がある、という結論に俺の思考は至った。

 「ところで、俺に質問ってやつは?」

 「ああ、うん。それなんだけど……その……お母さんからの返信は来たのかなって思って」

 「それが、まだ来てないんだ。通信会社が倒産してから携帯端末を見る習慣がなくなったから、俺のメールに気付いてないのかもしれない。美愛はどうだったんだ? あの日、たしか美愛もメールしてたと思ったけど」

 「うん、返信来たよ。お父さんもお母さんも元気にしてるって。二人のことは気にしなくていいから、そっちで楽しくやりなさいって……」

 美愛の表情に笑みはなかった。

 「……でも、そんなの無理だよね。気にするなって……気になるよ。会いたいよ。お父さん。お母さん」

 美愛は堪えるように口を歪めた。しかし、感情が正直にアバターへと反映されてしまうこの世界で、堪えることは難しかったようだ。

 美愛の泣き顔は初めて見た。流動する涙は頬の膨らみを係数に、流体力学に基づいた軌跡を肌に描いた。美愛は現実世界でも同じような顔で泣くのだろうか。美愛の気持ちは痛いほど伝わってきた。

 「今できることをやろう。暫くしたら、一般人を受け入れるアップグレードが始まる。そこで家族を受け入れてもらうんだ」

 「……うん。ありがとう、芹人」

 ウェイターが二つのケーキを持ってきた。残念ながら、ケーキの味はよく覚えていない。


 脳の回路が一本ずつ繋がっていくような。光の沼に身を沈めていくような。この世界の独特な起床感覚にも、いつの間にか慣れてきた朝である。

 VVWローカルメールフォルダとは別の、外部メッセージフォルダに一つのお知らせがあった。強制ログインから一週間、初めてのことである。

 メニューから順に受信トレイを開く。差出人は母からだった。

 胸が高鳴った。

 強制ログインの初日。スタラビの作ってくれたコンネクシオという通信ソフトウェアにより、外部の受信端末に一件のメッセージを送った。宛先は母親。自分の置かれている現状、外の世界の情報が欲しい旨、母親の今後の生活の見通しなど、必要なことだけを書き、最後に「会いたい」と一言付け加えた。

 深呼吸から心拍の安定を待ち、メッセージの本文を開いた。

 俺は呟きながら文字を追った。


 メッセージありがとう。まさか芹人からメールが来ているなんて思わなかったから、びっくりしています。返信が遅くなってごめんね。

 こちらは厳しい中でも変わらない生活を送れているから、心配無用よ。また太ったみたい。今までもそうだったし、お母さん強いから! それに数日に一回は芹人の会社の人が話し相手に来てくれるから、寂しくないしね。

 芹人を送り出すのに悩まなかったというと嘘になります。でもね、子供を持つ親なら皆送り出していたと思うの。それはお母さんも同じで、後悔はありません。

 いつか、病院施設に眠る芹人に会いに行ってみたいものです。今すぐには難しいかもしれないけど、状況は時間とともに移りゆくもの。過ぎ行く時間の力は偉大よ。だからね、芹人も現状を嘆く前に、未来に希望を持ってください。お母さんの願いは芹人の幸せだけ。

 身体に気を付けて。枕元の猫ちゃんはお母さんからのクリスマスプレゼントです。

 母より


 いつの間にか頬を伝う大粒の涙が、半透明のウィンドウを貫通し床へと滴った。

 子供の頃、うちには可愛がっていた猫がいた。名前はフユ。今日のような冬の寒い日に、我が家に来たのが由来だ。長生きしたが、ある晩、フユはその生涯を終えた。うちに来たときと同じ、寒い夜だった。可愛がっていた俺は酷く落ち込んだ。見かねた母親が買ってくれたのが、フユとよく似た猫のキーホルダーである。母もフユとの別れは寂しかったのか、一つは俺に、もう一つは自身に買っていた。そして未だにキーホルダーを覚えていてくれたのである。

 現実の母と繋がる、この世界唯一のオリジナルアイテムだ。母が大切に保管していたものをモデルに、グラフィックデザイナーへ再現を依頼したのだろう。

 母からのプレゼントを手に取り、胸に抱く。

 強制ログイン初日――つまり、十二月二十五日、クリスマス。

 最も必要としている人へ光を与えるために。


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