12話
先刻、ヴァオにあるユウのプライベートホームにおいて、オブジェクトと化した目森吹喜のアバターを発見した。それは、ユウの忘れてはいけない罪への象徴であると同時に、エルジェップが残した重不適合の残骸でもある。部下を失ったエテミは原因調査の末、キーアイテムである文字通りの《鍵》を俺に託し、偶然にもユウの部屋奥にある小空間に求めていた真実を見出した。
ユウがその場から立ち去った後、調査協力の謝礼かはわからないが、綿井さんは興味深い話を口にした。
「セリトくん。結果的にではあるが目森の行方をつかめたのは君のおかげでもある。礼を言うよ……ありがとう」
エテミは浅く頭を下げ、言葉を続けた。
「この鍵は保管しておくよ。必要になるときが来るかもしれない。社長の持っているオリジナルは要検討だね」
エテミが鍵のオブジェクト化を解除するとポリゴン片となり飛散した。しかし、消滅を表す朱いエフェクト光ではなく、格納を意味する青い光だった。
「君がここを訪れた目的はおそらく、現実に残された者とのコンタクトだろう。だが、あいにく外部と連絡を取れる通信手段は存在しない。インターネットに接続できない以上、それは揺るぎない事実だ。母親とのコンタクトは諦める他ないだろう」
スタラビにも同じことを言われ、頭では理解しているつもりだった。この瞬間もスタラビは打開策を見出してくれているのだろう。それでも、改めて告げられる受け入れ難い事実に俺は俯く。そんな様子を汲み取るわけでもなくエテミは続けた。
「母親に会いに行くのは難しいが、君の同級生がログインしているようだ。名前は何だったかな……うちの社員じゃないから思い出せないが、容姿はリアルとそっくりに造ったから見ればすぐにわかると思うよ」
一瞬、思考停止に囚われたが、すぐにある人物の顔が目に浮かんだ。この世界に隔離されてから、母親と同じくらい再開を祈願した人物――。
「それは――……」
突如、VVWローカルメールの着信が喉元の声を押し戻した。短いサウンドエフェクトと左胸付近にポップアップした窓が、セントラルという発信源とスタラビの名を知らせる。
息を呑み、開封した本文は通信環境の完成を知らせる内容ではなかった。むしろそれ以上の幸福を導く文字の羅列に、俺の胸が早鐘を打った。
――美愛がいる!
ただそれだけの短い文章は、無意識で駆け出すに十分な意味を含んでいた。と同時に、詳細な位置を記さない文面からスタラビの焦りも十分伝わった。
パラメータ補正された、驚異的な速度で俺は駆けた。思考は意外にも冷静だった。曖昧に思えたエテミの台詞には、ある重要な情報が含まれていたからだ。
現在、VVWには例外なくエルジェップ社員しかログインしていないはずである。俺の母親の移住が認められなかったのと同様に、エテミこと綿井徹の親族も例外ではないはずだ。だとすれば、公務員の家系に育った美愛がログインするには、エルジェップ役員であるエテミ以上の権限が必要となってくる。きっと強力な助っ人が現れたのだろう。
場所は告げられていないが、ビギナーのスタラビから考察するに、ある程度の目処は付いていた。二人がそこにいること、そしてその店が開いていることを切望し、脱兎の如く地面を蹴った。
――重厚なガラス戸を開くと、俺の気配に気付き手を振るスタラビの姿が見に入った。甘美堂のガラス戸にオープンと書かれた表札を見て安堵、スタラビが店内に居たことに二つ目の安堵、三つ目の安堵に期待を込め店内の奥へと歩を進めた。
奥に進むにつれ、俺の期待は具現化されていった。嗚咽に喉が詰まり、素直に言葉が出てこない。そこには、現実のものとほとんど同一の容姿を纏った美愛がいた。懐旧の情にかられ、俺は溢れ出る涙を抑えられない。
「泣いてる場合じゃないわよ! ここ片付けるから、そこに座って!」
卓上に散らかっている紙媒体のオブジェクトを手で掻き集めながらスタラビが言った。手の甲で涙を拭い、紙を一枚拾う。難しい数式や、通信プロトコルの仕様を記述した資料のようだが、さっぱり理解できずスタラビに手渡した。
「ありがとう。よくここがわかったわね。わたし焦って、場所伝え忘れちゃってたでしょ」
「ああ……歴の短いスタラビのことだから知ってる店も少ないだろ? それに、ここは初めて二人で来た場所でもあるしな」
「へえ、二人っきりでねえ」
美愛の意地悪な眼光を感じて、俺は慌ててかぶりを振った。
「ちがう、ちがう! いや、違わないけど……」
「ふふっ、冗談よ。来てくれてありがとうセリト。心強いわ」
美愛は目尻に涙を貯めて笑った。そして、心強いと言ってくれた。
今朝、俺は強制的に母親と離され、自分の意思とは無関係にこの世界に連れてこられた。ログアウトは許されず、外界との連絡手段すら存在しない。しかし、ログイン中のスタラビを見つけ、更に美愛とまで合流することができた。側に居てくれてありがとう、心強いよ――と、お礼を言いたいのは俺の方だ。
「俺とスタラビは今朝、この世界に連れてこられたんだ。それ以降、現実にいる親、友人とは一切連絡を取る手段がない。外で起きている状況を知りたい。美愛がここに来た経緯を教えてくれないか」
俺は美愛の隣に腰を下ろした。
「うん。順を追って話すわね。昼の一時頃かな、いつも通り家族で昼食を取り終わって、テレビを見ていたの。テレビといってもやっている番組は国営のニュースしかないんだけどね」
美愛は遠い昔のことでも思い出すように、数時間前の出来事をぽつりぽつりと話し始めた。
国営の放送局は「ほとんどの地域がスラムと化している。家から出ないこと。外を出歩かないことが安全です」というのが、ここ最近のお決まりだった。唯一のメディアが国外の情報を一切放送しなくなった。そこに留まるよう仕向けているとも取れない放送に、俺はいつしか見るのを止めた。こんな経済状況にも関わらず、多くの人が外に目を向けなくなったのは国営放送が原因にあるのも少なくない。
言葉を整理した美愛が話を続けた。
「いつもなら、外に出るなってお決まりの放送なのに、今日に限って違ったの。アナウンサーは仕切りに日本を出るよう勧めていたわ。一緒に見ていたお父さんもお母さんもびっくりして……。丁度そのとき彼女が訪ねてきたの……」
内に籠れ、石橋は叩いても渡るな、の精神だった国営放送が掌を返したような発言をしたことが信じられなかった。そんなことをしても、国民がパニックになるのは明白だ。一貫した主張を変えるほど、政府は一体何を踏み切ったのだろうか。
「彼女って……?」
俺は美愛の言葉を待った。
「あっ……」
店内を広く見渡せる位置にいたスタラビが声を漏らした。
視線は俺ではなく、背後の何かを捉えているようだ。追って俺が振り向こうとした途端、鼻の横からコーヒーカップが現れた。コーヒーカップは俺の顔を素通りすると、コトンと木製のテーブルに置かれた。湯気が立ち上るコーヒーからウエイトレスへと視線を泳がす。
「サービスです」
そこには、華奢な少女がシルバートレイを抱えて立っていた。腰まで垂らした髪は抑え目な茶髪で、胸からひざ下まで垂れる白いエプロンが店員であることを告げている。
幼い少女のような声で発せられた一言は僅かな郷愁を感じさせた。独特のイントネーションで、聞き覚えのある京言葉。
「君、もしかして……」
「あのな。美愛ちゃんここ連れてきたの、尚なんよ」
ウエイトレスの正体を知らなかったのは、俺だけだったようだ。窓側に座る二人は困惑する俺を見て、吹き出しそうになっていた。
思考の整理が追いつかない俺を無視して、尚は話し続けた。
「美愛ちゃん仲良しやったからな、どうしても連れてきたかってん。それでご両親に相談したら、ええっちゅうことやったからな――」
「ちょっと待ってくれ……美愛、まとめるとどういうことなんだ?」
混乱を増した俺は、尚の説明を中断して結論を美愛に委ねた。話を折られた尚は、小さな口を尖らせ頬を膨らませている。
「要するに、ニュース見ているときにうちを訪ねてきたのが尚なのよ。尚は黒スーツのエルジェップ社員と来て、今の現実世界に安全なところはない、VVWの世界に移住しないかって提案してきたの。いきなり言われて最初は戸惑ったけど、あんなニュースの直後でしょ? あたしのお父さんが国家公務員で経済産業省にいたから、少しはエルジェップの噂も知っていて、あたしだけでも入れてくれって逆に頼み込んでいたわ」
国の機関の人間がVVWを安全だと判断している。それはつまり、寝たきりの身体から意識を引き離し、仮想世界で生活を送るという、言ってみれば延命行為を国家が認めたということに等しい。
只でさえ不透明な国の現状は、情報が遮断された日常からは想像すら難しいが、美愛の話から俺の母親も非常に危険な状態にあると判断できる。一刻も早くスタラビには通信環境の構築を急いで欲しいところだが――。
「スタラビ。ところでさ……」
「わかっているわ! はい、これ!」
スタラビが素早くウィンドウを操作すると、テーブルに黒い箱がオブジェクト化した。昭和のラジオを思わせる形状で、角張った後部にはアルミ素材の触角が伸びている。
「あの……スタラビ。一体これは?」
「ユーザーインターフェースは遊び心よ。この容姿の方がしっくりくるでしょ? ネット回線は運用停止中の無線基地局をハッキングして無理やり稼働させたわ。サービス停止中のサーバーに電源が供給されているかは、賭けだったけどね。さあ、このボタンを押してみて」
スタラビの指差す先には、下向きの矢印を円で囲んだアイコンが点灯している。半信半疑ながら押下すると、作業の進捗度合いを示すプログレスバーがポップ。数秒後、インストール完了を告げるメッセージボックスが現れ、消滅した。
「セリトへのインストールが成功したようね。一部のキャリア限定だけど、メール機能を回復させたわ。お母さんにメッセージを送ってあげて」
スタラビはこの短時間で本当にプログラムを組み上げてみせた。国内のインターネットサービスを復帰させる荒業まで見せ、ソケット通信のプログラムを組み、指定アドレスとの通信環境を構築した。たった一人の技術力で、絶望的な状況に希望の光を灯したのだ。
俺はメニューを開き、アプリ欄から新規追加された《コンネクシオ》なるアプリを起動した。
宛先、件名、本文からなるシンプルなデザイン。
三人が見守る中、ゆっくりと、そして正確にホロキーボードを叩いた。




