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ディジタルタトゥー  作者: 阿相アイ
1部
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12/33

11話

 恐らく薄っぺらな木製扉は、分厚いコンクリートのようにピクリとも動かない。

 力を入れれば入れるほど、サークフスを伝い電子信号へと変換された《動かない》という命令が、脳を圧迫しているように感じた。

 俺は力の方向を逆にした。それでも、扉は開かない。横へスライドさせても、状況は変わらなかった。力の向きは問題ではないようだ。

 ドアノブは飾りで、扉自体ただの壁紙なのだろうか。部屋に散らかっているインテリアの類を見る限り、否定はできない。考えてみれば、不自然なほど平たい扉だ。扉を摩ってみた。材質は木のテクスチャが貼り付けられているが、凹凸が極端に少ない。扉を撫でる俺の指が、ある窪みで止まった。

 デジタル世界では非常に珍しい。俺もこの世界では初めて目にする穴だ。綿井から渡されたあるアイテムが、脳裏を掠めた。慌ててメニューを表示する。それをオブジェクト化し、改めて眺めた。

 はやる気持ちを落ち着け、手に握ったそれを鍵穴に射し込んだ。

 ――ガチャリ。

 扉の開錠を知らせるエフェクト音が、静まり返った部屋に響いた。

 俺の心臓は今にも飛び出しそうなほど高まっている。徐々に開く扉の向こうからは灯りが漏れ、薄暗い部屋と俺を包み込んだ。


 背の低い扉を潜ると、奇態な光景が目に飛び込んできた。

 狭い空間ながら芝生が生い茂り、壁や天井には宿り木が寄生している。手入れされずに長年放置されたような光景だが、まるで植物から発光しているかのように部屋中が光で溢れていた。そして、神聖さを演出するオブジェクトが中央にもう一つあった。

 俺と同じ位の身長で痩せ型、口は半開きで、何かを捕まえようとしているのか、右手を伸ばした状態の人型オブジェクトが、場の空間を明らかに異質なものへとしていた。プレイヤーと見間違えるほどに、精巧な人像だ。肌の質感もほとんどプレイヤーと遜色は――。

 「止めなさい!!」

 人型オブジェクトに手を伸ばそうとしたが、突然の声に遮られた。

 恐る恐る振り向くと、目を釣り上げ、仁王立ちしたユウの姿があった。

 「帰って来られなくなるわよ。そこの彼みたいに」

 俺は耳を疑った。ユウは人型オブジェクトのことを《そこの彼》と表現したのだ。

 「これがプレイヤーだって言うのか? 冗談はよせよ。確かに造りは精巧だが、どう見たってオブジェクトじゃないか」

 「…………」

 ユウは俯(うつむ)き、口を噤(つぐ)んだ。その態度が、冗談ではないことを告げていた。

 「……おい。本当なのか……」

 「セリト、あなたがここに居るということは、エテミに連れてこられたってことよね」

 「ああ。わた……じゃなかった、エテミさんとも知り合いだったのか」

 仮想世界では個人名を伏せ、アカウント名で呼び合うという暗黙のルールが常識だ。反射的にエテミと言い直した。

 「知り合いというか、私の部下よ。どうやってその扉を開けたのかしら」

 ユウの言っている意味をまるで理解できなかった。

 「綿井さんが……部下?」

 「やっぱり聞いていなかったようね。あなたこの街が何でヴァオっていうかわかる?」

 「そんなの開発者が勝手に付けた名前だろ?」

 「物事には必ず理由や動機があるわ。赤ちゃんが産まれたら、両親が願いを込めて名付けるように。この世界にある街、機能、オブジェクトに至る全ての設計にも、開発者の思いが込められている。この街の名前はね【VVW administrator office 】その頭文字をとってVAO。つまり、VVWの管理事務所ってわけ。開発、設計、メンテナンスまで全ての業務をこの街のスタッフが行っているわ」

 「VVWのスタッフがこの街に……」

 「正確にはエルジェップ社員じゃないとこの街には住めない。VVWで家の購入をするときも、選択肢にヴァオは表示されない仕様になっているわ。あなたが目覚めた部屋は社員寮よ。あなたがこの街に住む権利を得たことに賛辞を贈ります。おめでとう、志堂芹人くん」

 「…………!! どうして俺の本名を!?」

 「さっき、言ったでしょう。エテミこと綿井徹の上司だって」

 綿井の上司でエルジェップの社員であれば、俺の個人情報を知っていてもおかしくはない。それに、ヴァオの由来が本当なら、ここに住居を持っていることにも納得がいく。

 しかし、どれだけ考えを巡らせても、ユウの発言には疑念が多過ぎる。俺の背後で異質な存在感を放っているオブジェクトも然り。

 「こいつがプレイヤーだってどう説明するんだ」

 頭の隅からどうしても離れない人型オブジェクトを指差した。

 「彼のアカウント名は、メモリー。本名は目森吹喜(めもりふき)。VVWの開発主任で、エルジェップ創業メンバーの一人よ」

 表情に哀しみを含み、ユウは続けた。

 「事件の日、試作品のレベルまで出来上がったこの世界で、彼は数人のチームを率いてデバッグ作業を行っていたわ。デバッグと言っても作業は街中の簡単な巡回。オブジェクトのズレやテクスチャの不具合なんかを見つけて、その場で修正するというものだった。ベータ版公開の少し前だったから、大した不適合もなくチームメンバーの緊張も緩んでいたわ。そんな矢先に事故は起きた……」

 「…………」

 ユウの言葉は半分も頭に入ってはこなかった。

 「初めて建てた家の内覧に訪れた目森は、扉を開けようと手を伸ばしたところでフリーズ。近くで見ていたチームの一人が、バグだと判断し、直ぐにログアウトしてエルジェップ本社に横たわる目森へ駆け寄ったけど、呼びかけに応えることはなかった。無情にも、通信接続を知らせるLEDランプが赤点滅へと変わっていたそうよ」

 通信断はランプ消灯。赤点灯は何らかの異常を知らせる色だ。更に、点灯から点滅へと変わると、それは重故障に分類されている。

 ユウの話は、内定式で綿井が話した噂話に酷似していた。綿井の話では、プレイヤーは仮想世界から消息を絶ち、足跡すら追えないと。

 「……そんな……人が命を落とすほどの事故が本当にあったなんて……原因はなんだったんだ?」

 「自己再帰。プログラミングに精通している者なら知っていると思うけど、関数の中から自分自身の関数を呼び出す、プログラミングに用いられる手法の一つ」

 「ああ、知っているよ。大学の授業でフラクタル図形を作るときに組んだことがある。でも条件を間違えると永遠に再帰呼び出しを続けて、抜け出せなく……あっ!!」

 「そう、学生レベルのバグをうちの開発部門が起こした。更に最悪なのが、そのソースコードだけ例外処理を入れ忘れていたということ。扉を開けようと手を伸ばした目森は自己再帰のコードに引っかかり、抜け出せなくってフリーズ。チームの人間が駆けつけてサークフスの電源を落とすまで、約五分。メインサーバーのスペックから考えて、九〇万回は同じ関数を繰り返し脳へ出力していたことになるわ。プレイヤーグラフィックがこの世界に焼き付くほどに……」

 「じゃあ……このプレイヤーは……」

 「もうそこには居ない。魂はなく、抜け殻だけが残された」

 「そういうことだったのか」

 男の声が横やりを入れた。

 「…………!!」

 ユウが振り向くと同時に、俺も声の発生源に目をやった。玄関から一歩踏み込んだところに、男の姿があった。玄関から射し込む逆光が、わずかに波打つ男の髪を照らしている。男の視線は扉、ユウ、そして俺を通り越し、オブジェクト化したプレイヤーを捉えて離さない。

 男がゆっくりと近づいてくると同時に、玄関口から逆光に遮られた頭部が徐々に鮮明になってくる。距離三メートルまで近づくと、ようやく男の表情を判然と認識できた。

 「彼が急に退社したと聞いたときは、正直耳を疑いました。この世界を愛し、一般公開する日を誰よりも待ち望んでいた。そんな彼が公開を見ることなく、会社を去るはずがないと。それも、上司の私に一言も告げずに。思いもよらなかった……まさか、この世からも去っていたなんて」

 後半、言葉を呑み込むように話すエテミの頬に、光る滴が流れたような気がした。

 ユウもそれに気づいたのだろうか。きつく結んだ口を開いた。

 「わかってもらおうとは思わないわ。理解を求めるなら役員会を開いたし、株主にも情報を公開した。でもね……こうするしかなかった。公開前に重大な事故が起きたなんてことが明るみになれば、信用を失う上に、更に数年は公開が遅れる。それだけは、避けなければいけなかった」

 「海外サーバーを経由した端末から不正アクセスが見つかりました。その人物を特定し、話を聞かせてもらいました。ウォズという人物をご存じですよね。阿比留社長」

 ――社長!?

 その単語に俺は困惑した。さきほど、ユウも自分をエテミの上司だと言った。しかし、社長自らフルダイブし、仮想世界のプレイヤーと交流を図るとは誰も思うまい。まして、占いという職業を持ち、神がかった占術をプレイヤーたちに施すなどと。

 もしかして、その占術さえも管理者権限を使ったイカサマだったのでは、という不安が脳裏をよぎったところでユウが口を開いた。

 「流石、私の優秀な部下だわ。もうそこまで辿りついたのね。その不正アクセスは私が依頼した人物のもので間違いないわ。私は海外の優秀なハッカーを雇い、全てのログの末梢を極秘に依頼した。 本名は明かさなかったけど、ウォズという名で通っていたわ。一部を除いて、驚くほど簡単に何もなかったことにできたわ。その代わり莫大な報酬を要求され、私は保有するほとんどの株を失った。それでも、このVⅤWは必ず世界中の人間からなくてはならないものになる。小さな犠牲は、目をつぶる他なかったのよ」

 強い口ぶりとは裏腹に、ユウの表情は寂(せき)寥(りょう)を帯びていた。システムが表現し得る顔の動きでも、ユウの無念は十分に見て取れる。どうやら、それはエテミも理解しているようだ。

 動揺なり反論なりをしないエテミの態度から察するに、ユウの説明通りメモリーこと目森吹喜はデバッグ作業中のコーディングミスによる事故死で間違いないだろう。しかし、どこか不自然。俺は見えない棘が大切なところに引っ掛かっている気がしてならなかった。棘から延びるふわふわと漂う糸を目隠しで手繰(たぐ)っていると、エテミの言葉が思考を中断させた。

 「セリト君、お礼を言わせてもらうよ。君にその鍵を預けて正解だった」

 「でも、何でこの鍵を持っていたんですか?」

 「社長には申し訳ないが、事故が起きて以降、独自に社内調査を行っていた。捜査対象は全社員――もちろん社長も含めてね」

 エテミが俺からユウに視線を変えると、ユウは目を細めて言った。

 「知っていたわよ。あんたがこそこそデータベースに侵入して、私のアイテム持っていったことくらい。どうせやるならアクセスログくらい消しておきなさいよ。昔から爪が甘いんだから」

 「次回から気をつけます」と苦笑するエテミが話を続けた。

 「データベースから社長のアカウントを調べたとき、アイテム欄がどうも不自然でね。アイテム欄にあったのは、どうぞ持って行ってください、と言わんばかりにこの鍵のみ。お言葉に甘えて複製させてもらったのが、君に渡した鍵さ。鍵は見つけたが、肝心の鍵穴が見つからなかった。オリジナルはまだ社長のアイテム欄にあるからバレないと思ったんだけどね」

 再び苦笑したエテミは、襟足を掻いた。

 エテミは初めからユウを疑っていたわけではなく、調査の結果行きついた偶発的なものだと説明した。おそらく、事故に居合わせた社員も目森の意識がなくなったところまでは知っていても、病院に搬送され死亡が確定されたことまでは知らないだろう。目森の人事的処理は、自主退社。システム的なログに関しては、海外ハッカーを雇ってまで奇麗に処理されているとエテミは教えてくれた。

 瞬間、俺は棘から延びる、疑問の糸を掴んだ。それほどまで徹底して隠してきた真実を、何故、ユウは簡単に説明したのだろうか――。

 「ユウ――」

 「じゃあ、私仕事あるから! そこの扉は、来たときみたいに鍵閉めておいてね」

故意的とも思えるタイミングで、ユウは俺の発声を打ち消した。同時に、メニューを操作し、小さなウィンドウをポップアップさせる。最後、満面の笑みを見せたかと思うと、あろうことかログアウトしてしまった。

 直前までユウが居た空間には、ライトブルーに輝く無数のポリゴンの欠片が漂っている。呆然と見つめる破片は、数秒と待たず収束し消滅した。

 ユウは俺が訊こうとしたことを悟ったのか。

 「社長は簡単にログアウトできるんだな」

 驚くほど容易にアサインしたユウの残り香に、一人尋ねる。返答はなかった。


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