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ディジタルタトゥー  作者: 阿相アイ
1部
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11/33

10話

 温度を持った白が瞼を撫でる。

 見慣れない天井。真っ白で一点のシミもない面をしばらく見つめていた。

 ようやく意識がはっきりし始め、俺は上半身をゆっくりと起こした。枕元には猫のキーホルダーがちょこんと置かれている。見覚えはあるが、今の思考力ではこれが何だったのか思い出せない。

 ベッドに腰かけ、俺は記憶を辿る。たしか、綿井と神童に連れられ、車で施設へ向かっていたはずだ。ということは、白く空虚なこの部屋がその施設なのだろうか。

 ――ふと、俺は首元に手をやった。やはり、ない。まさかとは思ったものの、サークフスは装着されていなかった。

 静寂な部屋を見渡すと、大きめのドアがあるのみだった。ふらふらと近づくが、ドアノブはなく自動ドアでもない。かと言って、一向に開く様子もない。

 「うーん……これって、もしかして……」

 ある可能性に至った俺はドアを軽くタッチしてみた。高いエフェクト音と共に、開錠を促すメッセージボックスがポップした。

 ここは施設でも何でもない。既に、VVWの中なのだ。

 すぐに開錠し、部屋を出る。廊下は一転して黒を基調とした、静寂な空間となっていた。左右にドアが並び、まるでホテルのようである。

 足早に歩くと、誰にも合わずロビーへ辿りついた。そこにも人の気配はない。やはりまだ運営していないのではないだろうか。綿井と神童が俺の実家に来たように、世界中で移住者をかき集めている可能性だってある。現実世界のことを考えると、どうしても残された母親のことを思い出し、胸の奥が痛んだ。

 そのままロビーを素通りし、外光に照らされカラフルに染まったモザイク模様の硝子戸を開錠した。

 雲一つない蒼天は、高丘から街を見渡すのに最適な気候設定となっていた。右から左へと隈なく遠望すると、馴染み深い景色に、俺の鼓動は速度を増していく。西洋を思わせる街の景観、煉瓦造りの家、街の外れには水車が数基見える。初めて見る建物オブジェクトもいくつかあるが、ここは間違いなくヴァオの街だ。

 開発者のこだわりであろう、俺が出てきた宿舎も近代的な内装とは裏腹に、外観は煉瓦造りのテクスチャが貼り付けられ街の一部と化している。

 そして、ここがヴァオならあるプレイヤーがいるはずだ。宿舎を背に坂を下ると、すぐに見覚えのある道に出た。そこから水路を二本渡った先に、漆喰塗の家を見つけた。

 「今は居ないよ」

 背後の声が、ノックする俺の手を止めた。

 俺は声の方向へ振り返る――が、立っていたのは初めて出会う男性プレイヤーだった。パーマがかった黒髪の隙間から、男は俺に笑いかけた。しかし、その微笑にはどこか見覚えがあった。一度BNLの決勝を観戦しに行ったとき、優勝チームの投手をしていたプレイヤーだ。ヒーローインタビューで眼前と変わらぬ微笑が、バックスクリーンの液晶パネルにデカデカと映し出されていた。別リーグなので対戦こそしたことはないが、変化球重視の丁寧なピッチングが強く印象に残っている。

たしか、名前は――。

 「エテミって言えばわかるかな? セリトくん」

 「どうして俺の名を?」

 困惑する俺にエテミと名乗るプレイヤーが言った。

 「夏乃さんも既にログイン済みだよ。ここではたしか、スターラヴィだったかな?」

 かえでのことも知っている。俺はもう一度、エテミという名を脳裏で探った。

 「あっ……!!」

 突如よぎった男の名に、身体中に電撃が迸る。俺は直前までこの男に会っていたではないか。

 「綿井……さん……!?」

 内定式の直後、俺は綿井からある噂を聞き、VVWでのアカウント名も受け取っていた。当時、エテミと言う名に聞き覚えがあったのは、BNLの決勝戦を見たからだ。VVWの制作チームが運営するBNLで優勝するチームの投手と言えば、実質VVW内でのトップ投手ということになる。

 「やっと思い出してくれたかい。車の中では失礼した。あのままではログインすらしてもらえないと思ってね。あの後、間もなく高速を降りて、君の身体は埼玉のとある施設で管理している」

 「管理……? 他にも管理されているプレイヤーがいるということですか?」

 「VVWへのダイブ専用に作られた病院施設がある。ログイン中の栄養補給はもちろん、二四時間体制で君の身体を管理する。ここにいれば半永久的に君の命は継れ、保障されるんだ」

 非現実的な綿井の言動を素直に受け入れることができなかった。エルジェップは対象者を選別し、仮想世界に移住させ、人を延命するシステムを作っているのか。俺の母親は現実世界に取り残され、俺だけ半強制的にダイブさせられたことを考えると、エルジェップの内定者を優先させていることは明らかである。ということは、かえでも。

 「……そこに、かえでも?」

 「ああ、もうこの世界にダイブしている。アカウントは君と同様、以前のものをこのサーバーに複製しておいた。メールを飛ばしてごらん、すぐに会えると思うよ」

 俺はメニューウィンドウをポップアップさせると、フレンドリストを表示した。ベータ版でリスト追加したほとんどのプレイヤー名がグレーになっている。ウィンドウをスクロールさせると、最下部にスターラヴィの名があった。文字はログインを知らせる白表示になっていた。

 「それじゃあ、セリトくん。生まれ変わった本当のこの世界を楽しんでくれ」

 綿井なるエテミは何か光るものを俺に投げると、水路を渡り街に消えていった。

 キャッチしたそれはどこかの鍵か、しかし、何を開錠するものか皆目見当も付かない。鍵オブジェクトをタッチし、ウィンドウをポップさせると、ひとまずアイテムストレージへ保管した。

 不要なウィンドウを閉じ、ホロキーボードから手早く文章を入力すると、俺はスタラビにメールを飛ばした。通信会社が倒産してしまった現実世界と違い、エルジェップの独自回線は生きているようだ。VVWから飛ばしたメールは、問題なく送信された。

 数秒と待たず、メールの受信を知らせるエフェクト音が響く。「すぐに来て。セントラル、転移門前」とだけの短い文章が、差出人スタラビから届いた。


 転移門をくぐると街の風景よりも先に、スタラビの顔が飛び込んできた。俺の登場を今か今かと待っていたらしい。

 スタラビからセントラルの街に視線を移した俺は、その光景に言葉を呑んだ。

 かつて繁華街として栄えたセントラルの飲食店は、軒並み閉店。行列を作っていた人気店も、今ではクローズの表札をドアノブにぶら下げている。営業しているのは機械的に接客ができるNPC店だけだ。

 不思議なことに、ヴァオより遥かにひと気がなかった。

 「どうなっているの? いきなりこの世界に連れてこられちゃったんだけど!」

 どうやらスタラビも状況を呑み込めてないようだ。

 「おそらくエルジェップ社員が内定者を招集しているんだ。夜行バスで実家に着くと母親と綿井さんが話してて、どうやら親もこの件に同意しているらしい」

 「綿井さん? 内定式のときに話した、綿井さん?」

 「ああ」

 スタラビは希望の光でも見つけたかのような表情に変わった。

 「アカウント名!!」

 「はあ?」

 「内定式の後、アカウント名貰ったじゃない! 状況を教えてもらいましょうよ! 何かあったら連絡してくれって言っていたし、この世界にいれば連絡が取れるわ!」

 「それなんだけど……えーと……」

 スタラビの希望の光を閉ざしてしまう思いで、俺は言い淀んだ。スタラビは続きを待っているかのように、目を瞬かせている。

 「ついさっきこの世界で綿井さんに会ったんだ。アカウント名はエテミ。それでスタラビがログインしていることを聞いて、まあ、今に至るわけなんだけど」

 全てを打ち明けるべきか。現実世界の人口は今や二割にまで減少している。新潟から埼玉までの移動中、綿井は衝撃的な事実を俺に伝えた。スタラビはきっと知らないだろう。

 「それで、他には?」

 知りたがりの子供のように、無邪気に訊いた。正直、一人で悩んでもどうする術もない。スタラビの協力も視野に含め、俺の知る真実を全て伝えることにした。

 「――なるほど」

 日本の人口、世界の状況、エルジェップの役割、母親とのやりとり。口早に一通り話し終えるとスタラビが呟いた。

 「うちの両親は海外にいるから、日本より状況はマシだとして、ひとまずおいておきましょう。たしか、セリトのお父さんも海外だったわよね?」

 「……うん」

 こんな状況にも関わらず、母を一人日本に残して仕事をする父に、元より頼る気などさらさらない。大切なときに近くにいない。それは昔から変わらず、いつしか父はいなくて当たり前の存在となってしまっていた。それでも、母は父のことを悪く言わなかった。それが尚更、父を受け入れづらくさせた。

 「交通機関が停止している以上、日本へ帰ってくることは難しいわ。国内に残されたお母さんが心配ね。それに……」

 鉄道会社の営業停止以降、航空、船舶、路線バスといった交通機関に需要が集中したが、車両を提供している企業の相次ぐ倒産や品質低下に伴い、交通事故が急増した。そのため、航空、船舶、路線バスの順に運行数が減り、今では月に数本の夜行バスを残すのみとなっている。

 「それに……?」

 言葉を切ったスタラビに、俺は続きを促した。

 「……それに、美愛のことも」

 美愛はエルジェップの内定者ではない。両親が公務員の美愛は、きっとVVWの移住対象者ではないだろう。外の世界で生活を送っていくことは、今後ますます困難になってくる。

 「そうだな。美愛の生活が心配だ。それにしても外部と連絡も取れないんじゃ、一旦ログアウトして会いに行くしかないじゃないか」

 俺はため息を吐いて、メニューをポップさせた。

 国内の通信会社は全て潰れていた。アメリカに一社、そしてヨーロッパに一社がかろうじて生き残っているだけである。海外の通信会社と契約している家庭などまずない。海に隔たれたこの島国は、事実上世界から隔離された状態と言える。

 「あれ…………!?」

 メニューを勢いよくスクロールさせた俺は困惑した。本来なら、メニュー欄の最下にログアウトの文字があり、現実世界へ通ずる出口となっている。しかし、何度指を振っても、それ以上メニュー欄が下へスクロールしない。

 「おい……スタラビ。ログアウトができない……」

 「そんな馬鹿な話ないでしょ」

 スタラビは半信半疑で自分のメニューをポップさせると、指を振り、直ぐに表情を変えた。

 「なんで……どういうことよ……」

 唖然としたスタラビの表情に、俺と同様、ログアウト項目がなくなっていることを察した。一時的なシステムのバグなのか。それも二人同時に起こるなんて厄介なバグだ。車内での綿井の言葉を思い出した。

 「スタラビ、もしかして誓約書を書かされたか?」

 「うん……書かされた。あっ、たしかログアウトには責任者の権限が必要だって……」

 スタラビは今にも泣き出しそうな顔で、開いた口を手で覆った。

 俺は初めて誓約書の意味を理解した。そして、実家の玄関、車内で感じた、俺だけにわからない空気の意味も。親同意のもと、俺はこの世界に閉じ込められたのだ。

 「エルジェップは現実への帰り道なんて用意していない」

 エルジェップが考える移住計画は、現実世界の生活を完全に捨て、延命装置に繋がれた現実の身体を守りながら、切り離されたこの仮想世界をリアルそのものにしてしまうつもりなのだ。

 「そんな……じゃあ綿井さんに連絡して、現実世界に残された人の現状を……」

 「ダメだ!!」

 俺はスタラビの言葉を遮った。

 「エルジェップの人間は信用できない。他に方法があるはずだ」

 俺は幾つかの方法を描き、消去法で絞っていく。しかし、可能性のある選択肢は一つも残ってはくれなかった。

 「なにか……なにか方法があるはずだ」

 「できなくもないわよ」

 スタラビの言葉に耳を疑った。

 「今、何て?」

 「だから、仮想世界にいながら現実の人間と連絡を取る方法があるって言ったの」

 あっけらかんとスタラビは言い放った。疑問符を浮かべる俺に、「やったことないから、推測なんだけど」という前置きをしてスタラビは続ける。

 「既に構築されていて一般的に公開されているネットワークが外の世界にはあるじゃない」

 「……インターネット?」

 俺は半信半疑に答えた。

 「正解! インターネットを経由したソケット通信プログラムを作っちゃえばいいのよ! アドレスがわかかる相手なら、メールの送受信ができるし、比較的簡単なプログラミングでいけるはずよ!」

 スタラビの顔からは、すでに陰鬱な表情が消えていた。

 「かなり現実的な案だな。どれくらいで実現できる?」

 「二時間……いや、コードはもう頭の中にできてる。わたしならコーディングだけで一時間ってとこね」

 人差し指を立て、スタラビはきっぱり言い切った。

 「よし、それじゃあ一時間後に……」

 「ちょ、ちょっと待って!」

 言いかけた俺をスタラビが制止した。

 「問題はここからよ! 美愛とあなたのお母さんが持っている端末はインターネットに接続していないわ」

 国内の通信会社は一社残らず倒産していることを思い出した。つまり、今まで当たり前のように利用してきた国内のネット回線サービスは全て利用停止中ということになる。

 「そんな……他に方法は……」

 俺は肩を落とす。スタラビの希望の案も、環境が揃っていなければ意味がない。

 「わたしに考えがあるわ。上手くいくかどうかは賭けだけど、絶対に何とかしてみせる。任せなさい!」

 スタラビは数歩俺に近づくと、俺の肩を力強く叩いた。一直線に俺を見据える目。入学当初から俺の部屋で幾度も相談を聞いてもらったが、俺は何度もこの目に救われてきた。

 「ありがとう。やっぱり俺にはスタラビの協力が必要だ。俺も調べたいことが一つある。この件を一任してもいいかな?」

 「だから言ったでしょ? 任せなさいって!」

 もう一度俺の肩を叩く。触れた手から、デジタル世界には存在しない、暖かく強いものを確かに感じた。できる限り急いで作業を終える約束をすると、スタラビは依然閑静なたたずまいのセントラルに消えていった。

 両の手を広げ、肩の高さまで持っていくと深く呼吸を置く。瞬間、吸気を止め、勢いよく両手を両頬へとぶつけた。今しがたスタラビを見送ったばかりの俺は、気を引き締めるため自らに衝撃を与えた。本来なら痛覚・軽い目眩といった不快パラメータの後、ひりひりという状態異常まで感じるところだが、今だけは多くの不安を拭うのに十分な行為であり、爽快感さえ覚える。

 向かうべき場所は決まっている。転移門へ近づき、低く呟いた。

 「……ヴァオ……」


 今度はノックする手を呼び止める声はなかった。

 しかし、部屋からの返事も同様になかった。ドアノブに手をかけ時計回りに捻ると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。

 ボタン一つで開錠するドアタイプが多いVVWにおいて、ノブを回すタイプの戸口を好んで使用する富裕プレイヤーは少なくない。とりわけ、ヴァオに住むプレイヤーは、街の景観からかドアノブを採用しているプレイヤーが多く思えた。そして、ユウもその例外ではないらしい。

部屋は相変わらず用途のわからない雑貨で溢れ、壁紙には巨大な魚拓が泳いでいる。無秩序な空間に、占いテーブルだけが不自然に整理されていた。

 部屋の中央には家を支える通し柱がある。占いテーブルは柱の脇におかれ、ユウは必ず柱を背に座っていた。しかし、部屋のどこを探してもその姿は見当たらなかった。

 今ほどユウの助けを欲したことはなかった。ユウの力がなくとも、俺に物事の真意を見破る目があれば。道標を見つけ出す知識があれば。俺にはリーグ一の制球はあれど、占いの能力は微塵もない。僅かな期待を裏切られた俺は、脱力してユウの専用椅子に腰を下ろした。

 初めて座る椅子からは、普段の景色とは異なる空間が広がっていた。対面の背後にはだらりと灰色のカーテンがぶら下がり、隙間からは金色のドアノブが覗いていた。何度も来ている部屋だがあんなところに扉の存在は知らなかった。ユウから聞いたこともない。いつも背後に位置していた扉の存在に、全く気づきもしなかった。

 俺は立ち上がり、灰色の布切れを退けた。

 現れた木製の扉は、子供が通れるほどの背丈しかない。何故この扉はここに存在し、何の役割を果たしているのだろうか。どうしてこの大きさに作られ、どこに通じているのだろうか。沸き上がるいくつもの疑問を振り払い、俺はドアノブに手をかけ引き寄せた。


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