第7話『適性と系統』
冒険者養成所《第3星腕リュミナリア学園》
講義室は、朝からざわついていた。
長机と椅子が段々に並ぶ講義室には、年齢も種族もばらばらな生徒たちが集まっていた。
一般編入科の者もいれば、一貫育成科の制服を着た初等部上級生もいる。
子どもと大人、制服と私服が入り混じる雑多な光景は、この学園の懐の深さそのものだった。
ティプスタン、ミミリル、ガミもまた、その中に座っていた。
「なんか、変な感じだな」
ガミが周囲を見回しながらぼやく。
狼耳がぴくりと動き、太い尻尾が落ち着きなく左右へ揺れた。
「子どもも大人もいるゾ。ウチ、こういうごちゃまぜなのは嫌いじゃないけど、妙に落ち着かんのだゾ」
ミミリルもきょろきょろと辺りを見回す。
頭に着けたウサギ耳型の魔導具が、ぴょこんと跳ねる。
そばかす顔には好奇心がにじんでいた。
「一般編入科と一貫育成科の合同講習、って言ってたよね」
ティプスタンは小声で言った。
「最初の基礎講義だから、まとめてやるのかもしれないね」
前方の教壇には二人の講師が立っていた。
一人は、狐のように細い顔に、きのこをかぶせたような不格好な髪型をしたヒューマンの男性。
猫背気味で、口元からは出っ歯が少し覗いている。
見るからに現場向きではなさそうな、いかにも座学担当の教師という風貌だった。
もう一人は、その隣に立つ小柄な獣人の男性だった。
身長は低い。
140センチに届くかどうか。
だが、濃い茶色の武術着の下からうかがえる体つきは引き締まり、短い手足には無駄のない筋肉が詰まっている。
薄茶色の毛に覆われた顔立ちは、イノシシを思わせた。
下顎から覗く長い牙が印象的だ。
しかし、第一印象としては――強そうには見えない。
「なんだ? あのチンチクリンは?」
ガミが遠慮なく言った。
声が大きい。
ティプスタンはぎょっとした。
しかし、小柄な獣人は特に反応を示さなかった。
ただ鼻先をぽりぽりとかき、少し困ったような顔をしている。
狐顔の講師が咳払いをひとつする。
「はいはい、静かに願いますよ。つまりはですね~、本日、皆さんに基礎講習を行うのは私、モブロンと――」
隣を手で示す。
「前衛職の実践武術を担当する、ポット・ポークン先生です」
ポット・ポークンは、ぎこちなく一礼した。
「……よろしく、なんだな」
それだけだった。
講義室に、少し微妙な沈黙が流れる。
モブロンがそれを取り繕うように、すぐ話を進めた。
「では、基礎講習を始めます。まずは、『魔石』と『魔導具』について知るところからです」
モブロンは懐から、親指の先ほどの大きさの石を取り出した。
紫がかった透明感のある石だ。
光を受けて、その内部に淡い揺らめきが見える。
「これが魔石です。魔鉱石を加工したものでして、魔導具を扱う上で欠かせない媒体となります」
「媒体?」
前の方の席にいた一貫育成科の少年が首をかしげる。
「そうです。つまりはですね~、魔導具を動かすための“引き金兼増幅補助”のようなものだと考えてください。本来、魔法というものは魔力蓄積量の多寡に大きく左右されます。しかし、魔導具を使えば、魔力が少ない者でも魔法的効果を引き出せる。これが一般的なスタイルなんです」
そう言いながら、モブロンは魔石を小さな筒状の魔導具にはめ込んだ。
短い詠唱を行うと、筒の先に淡い光が灯った。
「おお……」
思わずティプスタンは声を漏らした。
「魔力蓄積量が多いことは、もちろん理想です」
モブロンは講義室を見回した。
「ですが、少ないからといって絶望する必要はありません。今の時代、魔導具があります。自分に見合った道具を選び、適した役職につけばいい。それが一般的な冒険者の在り方なのです」
ティプスタンはその言葉に、少しだけ胸を撫で下ろした。
自分は何が得意かも分からない。
だが、魔導具があれば――何かしら道はあるのかもしれない。
モブロンとポット・ポークンは、生徒たちへ紙を配り始めた。
「こちらは希望・相談シートです。自分が目指したい役職、あるいは迷っている場合は相談内容を記入してください」
シートには大まかな役職の例が記載されていた。
「前衛、中衛、遠衛……いろいろあるんだな」
ティプスタンは紙面を見つめた。
ガミは早々に唸り声を上げていた。
「うーん……拳でぶん殴るのは好きだけどよ、そういうのって何て書くんだ?」
「モンクとか拳闘士じゃないかの?」
ミミリルが横から覗き込む。
「おお、それっぽいじゃん!」
「ミミリルはどうするの?」
「うーん……わからんゾ。ウチ、冒険は大好きだし、ダンジョン探るのはワクワクするんだけど……」
そう言って、チラリとティプスタンを見るミミリル。
しかし、すぐに視線をそらした。
「ティプスタンは?」
「う〜ん……」
ティプスタン自身も、シートを前にして手が止まっていた。
腕を組んで考える。
剣を持つ自分も、魔法を放つ自分も、うまく想像できない。
生徒の様子を見ていたモブロンが、細い目をさらに細める。
「つまりはですね~、希望を決める前に、まずは実際の使い方を見た方が良いでしょう。これより前衛職の実習授業をはじめます」
◇
学園の訓練所は、石壁に囲まれた広い屋外施設だった。
地面は踏み固められた土で、ところどころに木製の人形や標的が置かれている。
訓練用の武器を収納した棚も見えた。
生徒たちがぞろぞろと訓練所へ入っていく中、モブロンが場を整えるように前へ立つ。
「では、ここからはポット・ポークン先生にお願いします」
モブロンは手を差し向けた。
「三つ星★★★《トライステラ》冒険者であり、現役の拳闘士でもある方です」
その紹介に、生徒たちのざわめきが少し大きくなる。
「三つ星?」
「この人が?」
「あんなちっちゃいのに?」
ガミなどは、あからさまに口元を歪めていた。
「へぇ。見た目じゃ分かんねえもんだな」
ポット・ポークンは何も言わず、両の拳にはめていた鋼製の拳甲を見せた。
厚みのある金属製のそれは、ただの防具ではなく、魔石を装填する窪みが刻まれている。
「これは、拳甲型の魔導具なんだな」
ぽつりと彼は言った。
「前衛職は、こういう道具で魔力を増幅させるんだな」
そう言って魔石をはめ込み、軽く拳を握る。
瞬間、拳甲の継ぎ目に紫色の光が走った。
空気が、ぴん、と張る。
そして、ポット・ポークンは訓練用の丸太をひとつ、何気ない動作で突いた。
――バキンッ!
乾いた音とともに、丸太の中心が砕け飛んだ。
「おおっ!?」
「す、すご……」
生徒たちが一斉にどよめく。
だがガミは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なるほどな。つえー道具があれば、アンタみたいなチンチクリンでも強くなれるわけだ」
ポット・ポークンは言い返さなかった。
また鼻先をぽりぽりとかき、困ったように視線を泳がせる。
そしてふいに、彼は拳甲を外した。
少し離れた場所に拳甲を置く。
「……?」
ガミが眉をひそめる。
ポット・ポークンは近くに転がっていた棒を拾うと、自分の足元の地面に小さな円を描いた。
自分ひとりがようやく立てる程度の円だ。
「ここから、少しでもオイラを動かしてみるんだな」
ポット・ポークンはガミにそう言って、円の中にすっと立った。
「この円から押し出せたら、君の勝ちなんだな」
「は?」
ガミの目が輝く。
「好きに攻撃していいんだな?」
「いいんだな」
「へっ、おもしれー。やってやるよ!」
ガミは獣人らしい俊敏さで地を蹴った。
一気に間合いを詰め、低く潜り込むような体勢から肩でぶつかる。
だが――
ポット・ポークンは、動かなかった。
「なっ!?」
ガミはすぐさま体勢を切り替え、今度は腰に腕を回して持ち上げようとする。
踏ん張る。
歯を食いしばる。
だが、びくともしない。
まるで、地面に根を張った大樹だった。
「くっ……お、おらぁっ!」
何度も押す。引く。蹴る。
素早い踏み込みで角度を変え、横から崩そうとする。
ガミらしい、スピードを活かした連続攻撃だった。
だが結果は同じだった。
ポット・ポークンは円の中で静かに立ち続けている。
額に汗を浮かべ、息を切らしたガミが距離を取った。
「なんでだ……?」
その問いに、ポット・ポークンが口を開いた。
「確かに、魔導具の影響は大きいんだな」
フゥーと息を吐き出す。
「でも、鍛えれば、自分自身の魔力を体内で循環させて、肉体を強化できるんだな」
モブロンが、ここぞとばかりに前へ出た。
「補足しましょう。つまりはですね~、前衛職というのは最も危険で、最も死亡率が高い役目です。敵の魔力をまともに受ける位置に立つわけですからね」
講義の時よりいくらか生き生きとした口調で、モブロンは続けた。
「ですので、前衛職には基礎的な肉体強化が必須です。しかし、どれほど鍛えても、生身で魔力のこもった攻撃を受ければ致命傷になる。ゆえに前衛は、体内で魔力を循環させる術を身につけ、肉体そのものを魔力で保護するのです」
ティプスタンは思わずポット・ポークンを見た。
あの小柄な体の内側で、今も魔力が巡っているのだろうか。
「魔石はあくまで増幅器です」
モブロンが言う。
「魔導具を使用すれば鋼のような肉体を得ることも可能。しかし、達人ともなれば魔導具がなくとも、自分の蓄えた魔力だけでも最低限の強化ができるのです」
「ポット・ポークン先生の魔法系統は“循環系”」
「前衛向きの系統なんだな。でも、肉体強化系の魔法しか使えない系統なんだな」
ガミは荒い息を整えながら、それでも悔しそうにポット・ポークンを睨み続けていた。
モブロンはその顔を見て、口元をわずかに緩める。
「お分かりいただけましたかな?」
その笑い方が、ガミには気に障ったらしい。
「……まだだ!」
ガミは低く唸り、もう一度ポット・ポークンに飛び込んだ。
さっきよりも速い。
真正面からではない。斜めに回り込み、足払いを狙う。
悪くない動きだった。
だが次の瞬間、ガミの体がふわりと宙を舞った。
「えっ――」
ドスンッ、と地面に背中から落ちる。
「がはっ……!」
何が起きたのか分からず、ガミが目を白黒させる。
ティプスタンにも何が起きたのか分からなかった。
ただ、ポット・ポークンの腕が一瞬だけ動いたように見えた。
「確かに前衛職は、魔力を循環させて肉体を強化することに長けてるんだな」
ポット・ポークンは円の中に立ったまま、静かに言った。
「でも、今のは違うんだな。ただの技なんだな」
「……」
「今の君なら、強い肉体に頼らなくても倒せるんだな」
その一言に、ガミは唇を噛み締めた。
力だけではない。
技がある。
それを見せつけられたのだ。
◇
講義室に戻る頃には、生徒たちの空気は最初とはかなり変わっていた。
ざわつきはある。
だが先ほどまでの軽さとは違う。
訓練所で見たものが、それぞれの中に小さな現実感を残していた。
ポット・ポークンの姿はなかった。
どうやら、他の講義に向かったらしい。
再び教壇に立ったモブロンは、細い指で机を叩いた。
「では、先ほどの実習を踏まえて、魔力の系統について簡単に説明しましょう」
黒板に、彼は順に語を書いていく。
――制御系。
――循環系。
――生成系。
――構築系。
「魔力の使い方には、おおまかにこうした系統があります。もちろん例外もありますし、複数の性質を併せ持つ者もいますが、基本的には自分の特性に合った系統を理解し、その上で進路を決めた方が能力を最大限に生かせます」
彼は順に説明していった。
制御系――
物質や道具を操作することに長けた系統。
比較的扱いやすく、魔導具との相性も良い。
ヒューマンに得意な者が多い。
循環系――
体内を巡る魔力を活性化させ、肉体能力を高める系統。
前衛戦闘に適しており、魔力量だけではなく、日々の鍛錬がその強さを左右する。
魔力を内側へ集中させる特性上、他系統の魔法との併用は困難。
生成系――
火や衝撃など、魔力そのものを現象として生み出す系統。
遠距離攻撃向きで、強力だが魔力の消耗が激しい。
エルフに得意な者が多い。
構築系――
魔力を形にし、一時的に道具や武器を作り出す系統。
高い集中力と精神の安定を要するが、使い方次第で多彩な応用が利く。
ドワーフに得意な者が多い。
「そして、これらいくつかの特性を併せ持つ系統を、便宜上“万能系”と呼ぶこともあります」
モブロンは肩をすくめた。
「もっとも、膨大な魔力が必要ですので、そう多くはありませんがね」
説明を聞きながら、ティプスタンは自分の希望・相談シートを見下ろした。
どれが自分に向いているのか、やはり分からない。
だが、少なくとも何も知らないままよりは、少しだけ道の輪郭が見えた気がした。
「では次に、皆さんの魔力蓄積量を測定します」
モブロンは教卓から、魔導具を取り出した。
それは、ティプスタンが冒険者ギルドで使用したスクロールと似ていた。
「この測定結果と、皆さんの希望・相談シートをもとに、次の講習先を指示します」
生徒たちは一人ずつ前へ出て、器具に手を置いた。
モブロンが詠唱する。
スクロールが反応する。
魔法陣に浮かぶ赤い染みの広がりによって、おおよその蓄積量が分かるらしい。
「ほう、高いですね。詠唱・魔力練成の講義をお勧めします」
「平均的です。魔導具使用研修へどうぞ」
「少し低めですね。前衛か中衛の魔導具運用が現実的でしょう」
モブロンは淡々と振り分けていく。
蓄積量が高かった生徒には、「頑張ってくださいね」といった励ましの言葉をかける。
だが、平均以下の結果が出た者には、まるで荷物を仕分けるように次の教室だけを告げた。
ガミの番が来た。
手を置き、測定する。
赤い染みは平均よりわずかに狭い範囲で止まった。
「平均より少し低い、といったところですね」
モブロンがガミのシートを見る。
「希望は……モンク、拳闘士」
「おう!」
「前衛職の魔導具研修へ進んでください。循環系の基礎を学べる講義室があります」
「あいよー」
ガミは意外なほど、あっさりと指示に従った。
先ほどの実習の影響で、ガミの心にも変化が生じたようだ。
「じゃ、また後でな」
ガミはそう言って、ひらりと手を振って出て行った。
次はミミリルだった。
結果は平均。
希望・相談シートには、『中衛を考え中だゾ』と書かれている。
「中衛の魔導具研修を勧めます。槍術や支援用武器の適性も見られるでしょう」
「お、おお……わかったゾ」
少し緊張した面持ちだったが、ミミリルの目の奥には好奇心が宿っていた。
新しいことに足を踏み入れる不安と、それを上回る「やってみたい」が同居している顔だった。
ティプスタンの方を見て、小さく笑う。
「また後でな、ティプスタン。どんなのやるか、ワクワクするゾ」
「うん、頑張って」
ティプスタンがそう返すと、ミミリルは頷いて講義室を出て行った。
生徒たちは少しずつ減っていく。
そしてついに、ティプスタンの名が呼ばれた。
「次、ティプスタン」
ティプスタンは立ち上がり、スクロールの前に立った。
胸の中が妙にざわつく。
たとえ低くても、魔導具を使えばいい。
さっき、モブロンもそう言っていたのだから。
「手を置いてください」
「はい」
言われた通りに手を置く。
モブロンが短い詠唱をする。
スクロールから、赤い染みがじわりと滲み出た。
――だが。
広がらない。
「……?」
ティプスタンは瞬きをした。
見間違いかと思った。
だが、何度見ても同じだった。
赤い染みは、中心に小さく滲んだだけで、周囲の円へ広がる気配がない。
モブロンの口元が引きつった。
「……これは」
周囲に残っていた数人の生徒が、興味深げに身を乗り出す。
「ゼロ……?」
モブロンが漏らした。
ざわ、と講義室の空気が揺れた。
「ゼロ?ってあのゼロ?」
「まさか〜」
「そんなことあるのかよ?」
ティプスタンは耳を疑った。
「……ゼロ?」
「本来、誰にでも微量の魔力はあります」
モブロンはスクロールとティプスタンの顔を交互に見比べながら言った。
「しかし、この反応は……広がりがない。つまり、魔力が無いとしか……」
生徒の一人が吹き出した。
「うそだろ」
「魔力ゼロとか、初めて見た」
「そんなので入学したのかよ」
笑いが広がる。
くすくす、という軽いものではない。
明らかな嘲りだった。
ティプスタンの喉が乾く。
指先が冷たくなる。
モブロンは口では何も言わなかった。
だが、その細い目が、鼻先が、わずかに歪む。
――出来損ない。
そう言いたげな、鼻で笑うような表情だった。
ティプスタンは唇を結び、なんとか言葉を絞り出した。
「……魔力がゼロの場合は、どの系統を目指せばいいんですか?」
その瞬間。
モブロンは、まるで身の程知らずな冗談でも聞かされたように、小さく鼻を鳴らした。
「あ〜、つまりはですね~……どの系統も、魔力ありきですので」
声は穏やかだったが、その中に明確な冷たさがあった。
「制御も、循環も、生成も、構築も、すべて魔力が前提です。魔力無しで冒険者になるなど、裸で野獣に挑むようなものですよ」
ティプスタンは食い下がる。
「ですが、魔導具なら――」
「魔導具も、使用者の魔力を引き金にします」
モブロンは即座に切り捨てる。
「ゼロでは、その引き金すら存在しない。正直に申し上げて、なんの適性もありません」
なんの適性もありません。
その一言が、胸の奥へ重く沈んだ。
「……でも」
「他の道を探すのが賢明かと思いますよ」
モブロンは事務的に言った。
ティプスタンはなおも何か言おうとした。
だが、後ろに残っていた生徒から野次が飛ぶ。
「おい、早くしろよ」
「時間の無駄だろ」
「ゼロが何粘ってんだよ」
笑い声がまた漏れる。
モブロンはその声を咎めることもなく、ただ薄く笑って告げた。
「そういうわけですので、どうぞお引き取りください」
まるで教室から追い出すような言葉だった。
ティプスタンは震える手でシートを受け取る。
そこにはモブロンの字で、短く、無機質にこう書かれていた。
『すべての適性なし』
◇
夕刻。
学園中央広場。
巨大な大樹の影が長く伸び、石畳を橙色に染めている。
ティプスタンは広場から少し離れたベンチに座り込んでいた。
手には、モブロンから渡されたシート。
『魔力蓄積量:ゼロ』
『すべての適性なし』
何度見ても、文字は変わらない。
「……すべての適性なし、か」
魔力がない。
魔導具も使えない。
この世界で戦うための前提を、自分だけが持っていない。
紙を握る指先に、じわりと力がこもる。
胸の奥が、重く沈んでいた。
「どうされました?」
静かな声が降ってきた。
顔を上げると、ルベッカが立っていた。
青みがかった髪をまとめ、銀縁眼鏡の奥の青い瞳が、こちらをまっすぐ見ている。
その手には大きな本を抱えている。
「あ……ルベッカ」
彼女は何も言わず、ティプスタンの隣に腰を下ろした。
しばらく、沈黙が流れる。
ルベッカが口を開く。
「先ほど、ミミリルと会いました」
「ミミリルと?」
「ええ。あの子、槍術を学ぶことにしたそうです」
「えっ!? ミミリルが槍術を?」
ティプスタンは思わず大きな声を出した。
ルベッカは小さく頷く。
「あの子なりに考えた結果なのでしょう」
「へぇ……」
意外だった。
ミミリルはもっと、補助や後ろ向きな役割を選ぶと思っていた。
「ミミリルは、好奇心で行動する子ですから」
ルベッカは静かに言う。
「しかし、あの子は昔から戦うことが嫌いでした。相手を傷つけることも、自分が傷つくことも嫌っていました。ですから、今回の選択は単なる思いつきではなく、自分なりに必要だと判断したのでしょう」
「必要……」
「ええ。変わろうとしているのです」
その言葉に、ティプスタンは黙った。
変わろうとしている。
その響きが、胸の痛いところへ真っ直ぐ刺さる。
「……僕は」
視線が、手元のシートに落ちた。
「僕は、変わる前に終わってるみたいだ……」
ルベッカの視線も、シートへ落ちる。
「魔力測定の結果ですか」
「……うん」
ティプスタンは正直に話した。
魔力がゼロだったこと。
系統も職も選びようがないと言われたこと。
冒険者としては致命的に適性がないと突きつけられたこと。
話しているうちに、自分でも情けなくなってくる。
「……どうしようもないよね。魔力がなかったら、この世界じゃ戦えないって」
ルベッカはすぐには答えなかった。
考えるようにわずかに視線を落とし、それから静かに言った。
「確かに、一般論としてはそうでしょう」
「一般論……?」
「ええ。現在普及している魔導具の大半は、使用者自身の魔力を起点として、魔石を媒介に作動します。ですから、魔力がゼロであれば使えない――その説明自体は間違っていません」
そこで一度言葉を切る。
「ですが、才能がないからあきらめる――それは、言い訳にはなりません」
「……」
「才能など、後からいくらでも付いてくるものです」
静かだが、はっきりとした声。
「正解は最初から分かりません。試行と失敗を重ねれば近づき、あきらめれば遠ざかる。ただそれだけです」
「……正解?」
「ミミリルは、“正解”を探しはじめました」
ルベッカの視線が、まっすぐに向けられる。
「あの子はきっと“正解”に辿り着くでしょう」
その言葉には、確信があった。
「……」
自分は――どうする。
その時だった。
広場の中央から、妙に甲高い歓声が上がった。
ざわめきが波のように広がり、女子生徒たちの黄色い声まで混じる。
「……?」
ティプスタンが顔を上げた次の瞬間――
ズァンッ!!
重く鋭い音が、夕暮れの空気を震わせた。
「きゃー! マイコー!!」
「こっち向いてー!!」
歓声が弾ける。
人混みの中心にいたのは、やたら派手な男だった。
黒と黄色を基調にしたロングジャケット。
胸元を大胆に開き、金髪のリーゼント風ヘアを後ろへ流している。
レの字型の大きなモミアゲ。
肩から下げているのは、黒と黄色の稲妻模様が走る――斧型のギター。
男は大仰に顔を上げ、両手の親指を立てて頬を指した。
「マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪――マイコー!」
「きゃああああっ!!」
広場の熱が一気に上がる。
「……な、なにあれ」
ティプスタンが呆然と呟く。
男は、満足げに笑うと再び弦をかき鳴らした。
ビリィンッ!!
鋭い高音。
「俺のパッション、ちゃんと届いてるかい?」
挑発的な笑み。
そしてもう一度、派手なポーズ。
「マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ?」
今度は耳に手を添え、少し首を傾けながら、まわりの反応を待つ。
「「「マイコー!!」」」
広場は完全に、彼の舞台になっていた。
ティプスタンは目を丸くする。
「こ、これが吟遊詩人……?」
「違いますよ」
隣でルベッカが即答した。
「えっ!?」
「吟遊詩人の風評被害ですよ。コレは」
きっぱり切り捨てた後、ルベッカの視線が、すっと細くなる。
その目は、マイコーと呼ばれる男本人ではなく――彼が抱えるギターへ向いていた。
「……なるほど」
「え?」
ティプスタンが振り向く。
ルベッカは銀縁眼鏡を押し上げ、静かに言った。
「ティプスタン。明日、私の研究室へ来てください」
「け、研究室?」
「ええ。少し、確認したいことがあります」
それだけ言うと、ルベッカはベンチから立ち上がった。
「詳しい話は明日します」
「ちょ、ちょっと待って、ルベッカ!」
だが、ルベッカは足を止めない。
銀縁眼鏡の奥の瞳は、何かを思考するように前を向いていた。
ルベッカは人混みから離れていく。
ティプスタンは、その背中と、なおも歓声の中心でポーズを決め続ける男とを交互に見た。
「……なんなんだよ、もう……」
手の中には、『すべての適性なし』と書かれたシート。
それなのに――
胸の奥では、さっきまでとは違うざわめきが、かすかに生まれ始めていた。
☆8話に続く☆




