第8話『可能性』
リュミナリア学園の一角。
ルベッカの研究室は、学園内でもひときわ静かな場所にあった。
窓はあるものの、差し込む光は弱く、昼間だというのに室内には薄い影が沈んでいる。
その薄暗さを埋めるように、部屋の中は物で溢れていた。
分厚い本の山。
用途不明の金属器具。
石板めいた古代遺物の断片。
束ねられた紙資料は棚に収まりきらず、机や床へと侵食している。
いかにも――ルベッカらしい空間だった。
「……すごい部屋だね」
研究室中央の机を挟んで向かいに座るティプスタンが呟く。
「必要な物を置いているだけです」
ルベッカは淡々と返した。
青みがかった長い髪を後ろでまとめ、今日はいつもの濃紺のマントではなく、白衣を羽織っている。
銀縁眼鏡の奥の青い瞳は、机に並べられた道具へ向けられていた。
見覚えのあるスクロール。
白い折り紙で作られたカエル。
そして――
一本の羽ペン。
ただの筆記具ではない。
大きめの白い羽根は柔らかな曲線を描き、羽先には黒い差し色が入っている。
中央には親指の爪ほどの紫色の魔石。
それを包む銀の装飾フレームには、蔦のような細かな彫刻が施されていた。
「昨日の話の続きをしましょう」
ルベッカが顔を上げる。
「あなたが、魔導具を扱えないという件についてです」
ティプスタンは背筋を伸ばした。
「昨日の講義で説明されたのは、現在もっとも一般的な魔導具です」
ルベッカはスクロールを手に取る。
「ですが――例外もあります」
「例外?」
「この識別式スクロールも、広義には魔導具です」
ティプスタンはスクロールへ目を落とした。
「あれ? そういえば、魔石がないね」
「その通りです」
「じゃあ、どうやって動いてるの?」
「魔石を用いない魔導具。これを――術式魔導具と呼びます」
「術式魔導具……」
「使用者自身の魔力を必要とせず、定められた呪文によって起動します」
ティプスタンは目を瞬いた。
「じゃあ……魔力ゼロでも?」
「使えます」
「でも……魔力はどこから?」
「この空間からです」
「……空間?」
「魔力は生物の内部だけに存在するものではありません。空気、地中、水――自然界にも微量ながら存在しています。術式魔導具は、それを集積して使用します」
「空気の中にも……」
「ええ」
ルベッカは羽ペンを手に取った。
「実演します。これは――魔導刻筆。物質へ術式を刻むための魔導具です」
短い詠唱。
紫の光が、魔石からペン先へと走った。
折り紙のカエルの背に、静かにペン先を滑らせる。
音はない。
インクもない。
だが――
一瞬だけ、光る文字が浮かび、消えた。
「術式刻印です」
羽ペンを置き、今度はカエルを手に取る。
再び詠唱。
机に戻した。
静寂。
ググ……と。
折り紙のカエルが、ゆっくりと動き出した。
「……っ」
ぴょん。
ぴょん。
ぎこちなく、それでも確かに跳ねている。
「すごい……」
「空気中の魔力を集める術式と、“跳躍行動”を刻印しました。集めた魔力が尽きるまで、指定した動作を繰り返します」
ティプスタンは目を離せなかった。
カエルには魔石がない。
それでも――動いている。
「……何にでも書けば動くの?」
「いいえ。対象の構造と機能に依存します。石に刻んでも跳ねません」
「なるほど……」
「さらに――」
ルベッカはカエルを掴み、
ビリッ、と破いた。
「えっ」
カエルの動きが止まった。
「術式、あるいは媒体が破損すれば機能は停止します」
続いてスクロールを示した。
「これも同じです。術式、集積機構、起動呪文――必要なものがあらかじめ組み込まれています」
ティプスタンは、破れたカエルを見る。
「……つまり僕でも、使えるんだ」
「はい。ただし、制限はあります」
「制限?」
「外界から集められる魔力は少量です。強力な現象を起こすのは容易ではありません」
「……そっか」
「条件が整えば、魔石を用いた魔導具に近い性能を再現することも可能ですが」
ティプスタンは顔を上げた。
「条件って?」
「高耐性素材。高度な術式。精密な刻印。そして、扱う者の技術」
「……なんか難しい」
「ええ。極めて」
「…………」
「僕……一人じゃ何もできないんだな」
こぼれた言葉に、ルベッカは黙って耳を傾けた。
「みんなが当たり前にできることが、自分にはできない。昨日は、それでもう駄目なんだって思った。でも、ルベッカが道を教えてくれた」
「きっかけが他者でも、それをつかむかどうかはあなた次第です」
ルベッカは銀縁眼鏡の奥から、ティプスタンをまっすぐ見た。
「以前、あなたは私に言いましたね。私ひとりが背負い込む必要はない。使えるものは使うべきだ、と」
ティプスタンは息を呑んだ。
「他者の知識、技術、助力。それを排除する理由はありません。非合理です」
「あなたが、あきらめるならば止めはしません。ですが――あきらめないならば、私は手を貸します」
ティプスタンは破れたカエルへ目を落とした。
「……僕」
顔を上げた。
「あきらめたくない」
「普通じゃなくていい。僕にできるやり方で“正解”を探すよ」
ルベッカの瞳が、わずかに見開かれた。
ルベッカは小さく頷いた。
「それで十分です」
ティプスタンは静かに拳を握った。
☆9話に続く☆




