第46話『死角』
「くそっ……!」
槍使いは何度も瞬きをした。
瞼の裏に入り込んだ砂がざらつき、涙が滲む。
「…………?」
霞んでいた視界が戻るにつれ、槍使いの眉が寄った。
ガミとキリカ。
二人とも、中央陣の中にいる。
「どういうつもりだ? 貴様ら」
「いちいち中央陣なんて気にしながら戦ってたら、やりづれぇからな」
ガミが拳を構えた。
「だったら最初から、ここでやりゃいい」
キリカはその背後。
円形術式の縁ぎりぎりに位置を取っている。
槍使いがガミへ寄れば、キリカは《断界》の外へ回り込み、背後を狙う。
逆にキリカを追えば、その隙をガミが突く。
二人の目的は、槍使いを倒すことではない。
中央陣の中で、奴を一人にしないこと。
どちらかが外へ弾き出されても、もう一人が残っていれば防護壁は解除されない。
「面倒くせぇ真似を……!」
槍使いが舌打ちし、中央陣へ踏み込んだ。
「来い!」
ガミが正面から迎え撃つ。
長槍が一直線に伸びる。
狙いは胸。
速い。
だが、ガミ自身の速度は《断界》に奪われていない。
上体を捻る。
穂先が胸元を掠めるように横を抜けた。
ガミは拳を返さない。
槍使いと中央陣の中心との間に立ったまま、次の一撃を待つ。
今の拳では、まともに当てても威力を削がれる。
なら、無理に攻める必要はない。
「チッ……!」
槍使いが長槍を引き戻す。
横薙ぎ。
ガミが後ろへ跳んで外す。
すぐさま返された石突が腹へ伸びた。
身体を捻り、空を切った石突の脇を抜けて横へ回る。
槍使いも向きを変えた。
その間にキリカは二人から距離を取り、反対側へ移る。
槍使いの意識がガミへ向いている限り、《断界》の外から死角を狙える。
長槍が再び伸びた。
一撃目。
ガミが顔を逸らして外す。
二撃目。
半歩下がる。
三撃目が足元を薙いだ。
跳び越え、そのまま着地する。
「へっ! 当たんねぇぞ!」
槍使いの眉が動いた。
「なら、これはどうだ?」
槍を覆っていた魔力のオーラが、ふっと消えた。
「……?」
直後、槍使いの両前腕を覆う籠手に、魔力が宿った。
長槍に回していた力を、振るう腕へ移したのだ。
槍の威力よりも――速さを取った。
「っ!」
次の瞬間。
長槍が跳ねた。
突き。
薙ぎ。
石突。
切り返しが、明らかに速い。
休む間もなく攻撃が連なっていく。
ガミはひたすら凌いだ。
右へ。
左へ。
後ろへ。
時には前へ潜り込み、長槍の間合いそのものを潰す。
それでも、すべては避け切れない。
シュッ!
「っ!」
穂先が二の腕を掠め、薄く血が滲んだ。
続く一撃が脇腹へ走る。
ザッ!
黒革の表面に傷が刻まれた。
だが、刃はその奥まで届かない。
《グレイブクロウの革胴衣》が受け止めた。
さらに肩口。
太腿。
紙一重で外した切っ先が肌を掠めるたび、浅い傷が増えていく。
「チッ……!」
致命傷にはならない。
だが、確実に削られていた。
そんな攻防を繰り返すうち――
ピキッ。
「っ……!」
右のふくらはぎに鋭い痛みが走った。
脚が僅かに沈む。
肉離れした箇所。
筋肉がひきつる。
そこへ穂先が迫った。
「くっ!」
咄嗟に上体を反らす。
シュッ!
切っ先が胸元すれすれを通過した。
続けて横薙ぎ。
後ろへ跳ぼうとした瞬間、右脚にまた痛みが走る。
「ぐっ……!」
動きが遅れた。
ガミは左の手甲を差し込み、柄を受ける。
ガキィン!
「っ……!」
衝撃が腕を突き抜けた。
後退しながら、右脚へ一瞬だけ視線を落とす。
――このまま動き回んのは、キツいな。
槍使いは待ってくれない。
長槍を引き、再び踏み込んでくる。
その姿を見ながら、ガミの脳裏にポット・ポークンの声が蘇った。
『速い攻撃ほど、慌てて避けようとしちゃ駄目なんだな』
訓練所でのやり取り。
『怖くても、ギリギリまで見るんだな。見るのは速さじゃなくて、どこから来て、どこへ抜けるのか――つまり、軌道なんだな』
大きく避ける必要はない。
急所だけを軌道から外す。
避け切れなければ、触れた瞬間に攻撃の向きへ身体を逃がす。
「……こういう細けぇの、あんまし得意じゃねぇんだけどな」
ガミの琥珀色の瞳が細くなった。
これ以上、脚を使って逃げ続けるのは難しい。
なら、動く距離を減らす。
繊細すぎて、実戦では使ったことがない技。
力任せに殴るガミには、性に合わなかった。
「獅子神流――獅天離起転」
槍が胸へ届く。
直前。
ガミの身体が僅かに傾いた。
ギャリッ!
穂先がダマスカス鋼製の手甲を浅く擦る。
火花が散った。
受け止めない。
槍の進む方向へ身を逃がし、触れた瞬間だけ手甲を添え、穂先を滑らせる。
次の突き。
上体を僅かにずらし、迫る穂先へ脚甲を合わせた。
ギャリィン!
穂先が外へ流れる。
三撃目。
今度は反対側の手甲。
ギャリッ!
黒銀の波紋が浮かぶ金属の表面を、穂先が滑っていく。
先ほどまでのように、大きく跳ぶ必要はない。
半歩。
あるいは、それ以下。
急所だけを軌道から外し、避け切れない分を手甲と脚甲で逸らす。
右脚への負担も明らかに減った。
槍使いの目が僅かに見開かれる。
「……急に動きが変わったな」
「へっ」
ガミが口角を上げる。
槍使いは攻撃の手を緩めない。
突き。
石突。
横薙ぎ。
ガミは最小限の動きで、それらを外へ流していく。
だが、《獅天離起転》は集中を削る。
軌道を読む。
身体を逃がす。
接触する角度を合わせる。
一撃ごとに、そのすべてを寸分の狂いなくこなさなければならない。
ガミが最も苦手とする戦い方だった。
額に汗が浮かぶ。
呼吸が荒くなっていく。
ギャリッ!
「っ!」
手甲へ当てる角度が僅かにずれた。
穂先がそのまま脇腹へ滑る。
《グレイブクロウの革胴衣》が刃を逸らし、深く食い込むのを防いだ。
「くっ……!」
次の突き。
今度は身体を逃がすのが遅れる。
ザシュッ。
黒革の表面へ新しい傷が走った。
槍使いが口元を歪める。
「学生のわりに、いい装備を持ってるな」
「へっ……羨ましいだろっ」
強がって返したが、もう余裕はなかった。
槍の軌道を追い続けるほど、集中が乱れていく。
右脚の痛みも消えてはいない。
一歩踏み替えたところで、ふくらはぎが再び引きつった。
「くっ……!」
姿勢が崩れる。
槍使いは見逃さなかった。
長槍を頭上へ持ち上げる。
「終わりだ」
振り下ろされる槍。
ガミは逃げない。
落ちてくる穂先をぎりぎりまで見据え、右へ身をずらす。
左の手甲を槍の側面へ浅く当てた。
ギャリッ!
長槍が手甲の表面を滑り、肩口から外れて地面へ落ちる。
捌いた。
だが、槍使いは止まらない。
地面へ落ちた長槍を支点にするように踏み込み、一気に懐へ入った。
「……!?」
ガミが気づいた時には、籠手を覆っていた魔力のオーラが消えていた。
代わりに――槍使いの具足へ魔力が集中している。
身を引こうとする。
右脚が痛み、半歩遅れた。
メリッ!
「がはぁっ!」
魔力を宿した具足が腹部へ深くめり込んだ。
肺から一気に空気が抜ける。
ガミの身体が中央陣の外へ吹き飛ばされた。
槍使いが蹴り脚を引き戻す。
その足元へ、大きな影が落ちた。
「……!?」
顔を上げる。
真上。
キリカが降ってきた。
ガミが攻撃を引き受けている間に《断界》の外まで距離を取り、助走をつけて跳び上がっていた。
「落下速度も鈍るのかしら?」
「なっ――!」
キリカが背中へ落ちる。
両腕を首へ回した。
右腕を喉元へ深く差し入れ、右手で左の上腕を掴む。
左手を後頭部へ当て、両肘を締めた。
「ぐっ!」
槍使いが長槍を手放し、前へよろめく。
キリカは背中へ張りついたまま、身体ごと締め上げる。
「この……離せっ!」
槍使いが腕を掴み、引き剥がそうとする。
《断界》の中ではキリカの速度は鈍る。
だが、一度組みついてしまえば関係ない。
体重を背中へ預け、肩と肘を固定し、首へ圧力を集める。
「ぐ……っ、が……!」
槍使いが肘を後ろへ入れた。
キリカは身体を僅かにずらして逃がし、さらに締める。
「ぐぅ……!」
男の膝が崩れる。
同時に、《断界》も解除された。
顔が赤く染まり、首筋に血管が浮かぶ。
指先がキリカの革手甲を掻き、ガリガリと表面を削った。
「く……そ……」
キリカにも余裕はない。
腹部には激痛が残り、息をするたび胃の奥がひきつる。
額から汗が流れ、腕にも痺れが広がっていた。
「早く……落ちなさいよ……!」
歯を食いしばり、腕に力を込める。
槍使いの身体が傾いた。
焦点が定まらなくなり、瞳が上ずって白目が覗く。
キリカの腕を掴んでいた指から、ついに力が抜けかけた。
ドシュッ。
「……え?」
キリカの身体が止まった。
背中に、鋭い痛み。
赤黒くひび割れた剣が胴着を裂き、深く突き刺さっていた。
「なっ……」
吐息だけが漏れる。
背後。
そこに《グレイファング》の剣士が立っていた。
「…………」
キリカの腕から、ゆっくりと力が抜けた。
剣士がキリカの背中から剣を引き抜く。
身体が槍使いの背中をずり落ちた。
ドサッ。
「…………っ」
少し離れた場所。
中央陣の外まで吹き飛ばされたガミは、ほぼうつ伏せに倒れていた。
片腕で腹を押さえ、もう一方の手を砂へつく。
息を吸うだけで腹の奥が軋んだ。
それでも顔を上げる。
倒れたキリカが見えた。
「……おい」
声が出ない。
槍使いは両手を喉へ当て、激しく咳き込んでいた。
「げほっ……! ごほっ……!」
何度か荒く息を吸い、ようやく顔を上げる。
「……助かったぜ」
「手こずり過ぎだ」
「油断したぜ……」
槍使いが首をさする。
剣士は王女防護壁側へ目を向けた。
「さっさと王女のところへ戻るぞ」
「一人、残ってなくていいのか?」
槍使いが中央陣を見る。
剣士は答える代わりに、顎を僅かに動かした。
「そいつがいる」
「……あ〜」
うつ伏せに倒れているキリカを見る。
「なるほどね」
★
――作戦開始前。
「ん?」
コウが頬をかきながら、カプリオスへ尋ねていた。
「両方の防護が解除されるなら、一人を中央陣に残す側だけ、その分不利になりません?」
「それは……」
カプリオスが僅かに言葉を止める。
「古代星核戦では、中央に置く者が生きている必要はなかったからです」
一瞬、誰も意味を理解できなかった。
カプリオスが静かに続ける。
「敵を一人殺し、その亡骸を中央陣へ残す。それでも条件は成立しました」
「…………」
誰も口を開かなかった。
防護壁を解除するために、一人を残す。
その一人は――味方である必要はない。
生きている必要もない。
殺した敵を置けばいい。
まるで。
中央陣へ捧げる、生贄のように。
★
「……っ!」
ガミの瞳が大きく開いた。
槍使いと剣士が中央陣の外へ出る。
中に残ったのは――キリカだけ。
ヴゥン……。
遠く。
古代闘技場の両端に立ち上がっていた紫色の光柱が揺らいだ。
次の瞬間。
フッ――。
二本とも消えた。
「!?」
ガミの顔から血の気が引く。
「よし。戻るぞ」
剣士が踵を返した。
「待てよ」
槍使いが親指で背後を示す。
「あいつはどうする?」
その先。
ガミが腹を押さえたまま、地面に伏している。
剣士は振り返って一瞥した。
「殺しておけ」
それだけ言い残し、王女のいる方角へ駆け出す。
「了解」
槍使いが地面に落ちていた長槍を拾った。
柄を握り直し、ゆっくりとガミへ近づいていく。
「くっ……」
ガミは上目遣いに、槍使いを睨んだ。
★47話に続く★




