第44話『重圧』
地下古代闘技場――王女防護壁付近。
紫色の防護壁を背に、コウとネラがじりじりと横へ動く。
ネラはコウより半歩後。
少し斜めに位置を取り、黒革の鞭を構えていた。
正面には《グレイファング》の拳闘士。
何度進路を変えようとしても、二人が先回りして道を塞ぐ。
「チッ。邪魔くせぇ。さっさと済ませるか」
「地の渦道――《礎界》」
「第一階位・解放」
ドクンッ。
拳闘士の左腕の呪印から、灰色の光が溢れ、身体へ走った。
全身が灰色のオーラに包まれる。
拳闘士が地面を蹴る。
ドッ!
巨体が二人めがけて一直線に突っ込んできた。
「風魔法――《ウィンド・ボール》!」
バシュ!
コウが片手を広げ、握り拳大ほどの風の塊を打ち出した。
ビシッ。
拳闘士は手甲でそれを防ぐ。
ビュッ!
その隙に、ネラの鞭がしなる。
鞭が手甲へ届く寸前――軌道が変わる。
バシィッ!
「ぐっ……!」
黒革の鞭が脇腹を叩いた。
巨体が僅かに傾く。
「今だ!」
コウが踏み込もうとした。
「うっ……」
後ろで声が漏れる。
「!?」
ネラが片膝をついていた。
「どうしたっ!? ネラ!」
コウがすぐに駆け寄る。
「か、身体が重い……」
「重い?」
体勢を立て直した拳闘士が迫る。
「くそっ!」
コウはネラの身体へ腕を回した。
抱えて退こうとする。
「……っ!?」
持ち上がらない。
力を込めても、ネラの身体は微動だにしなかった。
まるで地面に根を張っているように動かない。
コウは拳闘士に向き直り、サーベルを構えた。
地面を蹴る。
一気に懐へ踏み込み、サーベルを振るった。
拳闘士が右の手甲を差し出す。
ギィンッ!
サーベルの刃を、分厚い手甲が受け止めた。
その瞬間、コウは身体を捻った。
ラズファルト流剣法――
「……!?」
ガランッ。
技を繰り出すより先に、サーベルが手から落ちた。
「なっ……」
肩。
腰。
脚。
全身へ、一気に重さがのしかかる。
「ぐっ……!」
膝が地面に落ちる。
拳闘士の足元。
――まずい……やられる!
動かない身体に焦りと恐怖が込み上げる。
その背後から、風を切る音が迫った。
ヒュッ!
ゴッ。
小石が拳闘士の背に当たった。
「……あ?」
拳闘士が振り返る。
入口付近。
ライアンが壁へ片手をつきながら立っていた。
荒い呼吸を繰り返し、それでも拳闘士から目を逸らさない。
「チッ。死に損ないが」
拳闘士は不快そうに目を細めた。
しかし、追撃はしない。
「……え?」
コウの横を、そのまますり抜ける。
後ろにいるネラにも目を向けない。
巨体は紫色の防護壁がある方向へ駆けていった。
「待っ……」
声を出すのが精一杯だった。
拳闘士の背中が、岩壁の向こうへ消えていく。
入口付近のライアンは、その背中を険しい表情で見送った。
――なぜ追撃しない?
★
少し前――王女防護壁前。
《グレイファング》の剣士は、正面から駆け込んできた四人を見た。
――増援か?
早すぎる。
先頭にいたキリカとガミへ目を向ける。
ククルシアの兵士でも、レグリア兵でもない。
装備も服装も違う。
ガミを見た剣士の目が細くなる。
――選抜戦の学生か。
中央広場から最も近い場所には、選手控室がある。
そこへ助けを求めたのだろう。
ならば本隊ではない。
増援が到着するまでの――時間稼ぎ。
剣士が片手剣と盾を構えた。
その瞬間。
キリカとガミが左右へ散った。
「……?」
その後ろからティプスタンとミミリルが回り込む。
まるで最初から、この場所の状況を知っていたかのような動きだった。
「…………」
剣士の眉が僅かに寄る。
右側にはティプスタン。
左側にはミミリル。
奥へ走るキリカとガミ。
この場を離れて中央陣へ向かえば、王女を連れ出す者がいなくなる。
防護壁が消えた隙にこいつらに王女を奪われ、逃げ回られれば厄介だ。
増援が到着する前に、連れ去らなければならない。
「悪いが、時間稼ぎに付き合うつもりはない」
「火の渦道――《灼界》」
「第一階位・解放」
ドクンッ。
赤黒い光が呪印から全身を走る。
そのまま片手剣へ。
盾へ。
ヴゥゥゥン――。
二つの武器を、赤黒いオーラが覆った。
「とりゃ!」
ミミリルの長槍が走った。
ヒュッ!
狙いは剣士の肩口。
剣士は半歩だけ踏み込み、片手剣を斜めに滑らせた。
ギィンッ!
穂先が外へ流れる。
「っ!」
空いた懐へティプスタンが入った。
ショートソードを突き出す。
ガンッ!
剣士の盾が刃を受け止めた。
そのまま盾を押し込み、ティプスタンの体勢を崩す。
「くっ!」
直後に剣士の右脚が跳ね上がった。
ドッ!
ティプスタンは《緋幻紋の盾》を差し込み、蹴りを受ける。
身体が後ろへ押された。
ザザッ!
靴底が地を擦る。
「ティプスタン!」
ミミリルが槍を返した。
剣士の脇へ横薙ぎに振るう。
剣士は盾を引き、身体を沈めてかわした。
ティプスタンもミミリルも、すぐに間合いを切った。
三人の間に距離ができた。
二人は互いに広がりながらも、防護壁から大きく離れない。
ティプスタンが一瞬だけ横目を向けた。
紫色の光の中。
ホウホのマントを掛けられたリセリア王女が眠っていた。
★
――作戦開始前。
「ホウホ首相が向かったBルートは、古代遺跡へ通じる通路です」
カプリオスは集まった一同へ説明していた。
「その先にあるのは、現在の星核戦の元となった地下闘技場です」
「首相は恐らく、その命座……現在の星核座にあたる防護壁で王女を守り、時間を稼ぐはずです」
カプリオスは一同を見回した。
「非常に強力な防護壁ですが、欠点があります」
「闘技場中央にある中央陣へ誰か一人が入ると、両方の星核座の防護壁が解除されます」
「防護壁の発動を確認した場合は、すぐに中央陣を守ることを優先してください」
「誰か一人? 中央陣に入るのは、敵味方関係ないんですか?」
ティプスタンが尋ねた。
「ええ。古代の星核戦には、そのような区別はありません」
カプリオスが指を立てる。
「さらに、防護壁が解除されたあと、誰かが星核座の内側へ入った場合、その者が中にいる限り、中央陣から人が出ても防護壁は再展開されません」
「一度入り込まれたら、中央を取り返すだけじゃ駄目ってことか」
コウが眉をひそめた。
「ん?」
そこで頬をかく。
「両方の防護が解除されるなら、一人を中央陣に残す側だけ、その分不利になりません?」
「それは……」
★
ティプスタンとミミリルの目が合った。
二人は頷く。
ガミとキリカは、無事に中央陣へ向かった。
ここからは様子を見て、可能な限り戦力を中央へ送る。
王女の保護が最優先。
次に、増援が到着するまで時間を稼ぐこと。
防護壁がある限り、王女と首相へ直接手を出すことはできない。
ならば中央陣を守ればいい。
ただし、いつ防護壁が解除されるか分からない。
王女のそばにも、最低限の戦力は残す必要がある。
ティプスタンが盾を僅かに上げた。
剣士を倒す必要はない。
ここで抑える。
その役目は自分だ。
近距離なら、短剣盾術で相手の攻撃を受けながら足を止められる。
剣士が動いた。
ザッ!
一気にミミリルへ間合いを詰める。
「……!」
ミミリルが槍を構えた。
その直後——
「あちちっ!」
ガランッ!
ミミリルの長槍が手から落ちた。
「なっ……!?」
剣士は止まらない。
武器を失ったミミリルへ、そのまま踏み込む。
「ミミリル!」
ティプスタンが地面を蹴ろうとした瞬間。
「っつ!」
右手に鋭い熱が走った。
反射的に指が開く。
ガランッ!
ショートソードが落ちた。
「なっ……!」
熱い。
柄を握っていられないほどの熱が、手のひらへ残っている。
その間にも剣士はミミリルへ迫る。
片手剣が振り上げられた。
ミミリルが腰へ手を伸ばし、短い棒を引き抜いた。
カシュッ!
棒が一気に伸びて、長槍へと変わる。
ガキィィィン!!
「うぐっ!」
ミミリルが展開した長槍で受ける。
衝撃に逆らわず、そのまま後方へ跳んだ。
ザッ!
数歩離れて着地する。
だが、剣士もすぐに地面を蹴った。
間合いを開けさせない。
「くっ……!」
ミミリルが槍を構えながら後退する。
「あっちちちっ!」
ガランッ!
二本目の槍まで地面に落ちた。
「また!? なんなんだコレ!」
剣士の目が鋭くなる。
ミミリルは完全に丸腰だった。
剣士が一歩踏み込む。
ミミリルはすぐに身を翻し、剣士から距離をとった。
剣士は追わない。
「チッ」
逃げるミミリルから視線を外す。
「鬼ごっこに付き合うつもりはない」
その視線がティプスタンへ向いた。
ティプスタンはチラリと地面に落ちたショートソードを見て、剣士の武器の赤黒いオーラに目を移す。
最初に剣士の盾へ突きを入れた。
その直後、自分の剣が熱くなった。
ミミリルの槍も、剣士の片手剣に触れた後に熱くなっている。
――もしかして。
――あのオーラに触れると、熱くなるのか?
「ミミリル! あの赤黒いオーラに触れないで! たぶん、あれに触れると熱くなる!」
「!? 分かったゾ!」
剣士が地面を蹴った。
今度はティプスタンへ向かう。
「……!」
ティプスタンは《緋幻紋の盾》を構えかけ――やめた。
あのオーラに触れれば、この盾まで使えなくなる。
横へ跳ぶ。
ブンッ!
赤黒い刃が空を切った。
ティプスタンはそのまま剣士から離れる。
剣士が数歩追う。
それに合わせて、ミミリルが反対側から防護壁へ再度近づいた。
「こっちだゾ!」
「……!」
剣士の視線が動く。
剣士はティプスタンへの追撃を止めた。
だが、ミミリルへ向かうこともしない。
そのまま防護壁の前へ陣取り、二人を牽制した。
「…………」
ティプスタンの足が止まる。
ミミリルも、それ以上は近づかなかった。
思惑を読まれている。
どちらかを追わせて、防護壁から引き離すことはできない。
剣士も二人を追わない。
防護壁の前から離れず、近づいた方だけを仕留めるつもりだ。
二人とも、攻め手を失っている。
さらには赤黒いオーラには触れられない。
近づけない。
だが、剣士も王女の前を離れられない。
そのまま、しばらく膠着が続いた。
ティプスタンの額に、薄く汗が滲む。
剣士の視線が、ティプスタンたちの向こうへ動いた。
「……?」
構えが解かれた。
岩壁の間から、大きな人影が現れる。
「手こずってんなぁ」
灰色のオーラを纏った、《グレイファング》の拳闘士だった。
「……!」
ティプスタンが息を呑む。
――コウさんとネラさんは?
後から追跡してくる様子もない。
拳闘士は歩きながら、紫色の防護壁へ顔を向けた。
「なんだ? これは」
内側に眠る王女を見つける。
「古代の星核戦のようなものだ」
剣士が答えた。
「中央陣に誰か一人入れば消える」
「ほぉー」
拳闘士が顎をさする。
「俺は中央陣に向かう。防護壁が解除されたら、すぐに王女を外へ出せ。そのまま転送陣を展開しろ」
「了解した」
剣士が身を翻した。
「待てっ!」
ティプスタンは追えなかった。
このまま追えば、ミミリルと王女を拳闘士の前に残すことになる。
「……っ!」
その間に剣士は中央陣へ続く岩壁の間へ駆け込み、姿を消した。
ティプスタンは岩壁と拳闘士を交互に見やった。
――どうする?
剣士まで中央陣へ向かった。
ガミとキリカが相手にする《グレイファング》の戦力が増える。
中央陣を奪われれば、防護壁は解除される。
ならば、こちらからも一人を中央へ送るべきか。
だが、目の前には拳闘士が残っている。
王女を連れ去る役目を任された男。
ここに二人で残れば中央陣が不利になる。
一人を向かわせれば、王女を守る戦力が減る。
ミミリルも武器を失っている。
自分の熱を帯びたショートソードも、まだ地面に転がったまま。
ティプスタンは胸元へ目を落とした。
深紅のマントを留める金具。
五枚の花弁。
その中央にある丸い宝石は――まだ透明なままだった。
――ヴァーミリオンは使えない。
「…………」
ティプスタンが《緋幻紋の盾》を前へ出す。
ミミリルも腰を落とした。
拳闘士は――動かない。
「……?」
攻撃してくる様子がない。
構えも取らずに、思案するように顎をさすっている。
「なんだ……?」
ミミリルが小声で呟いた。
拳闘士が、ゆっくり歩き始めた。
一歩。
また一歩。
ティプスタンは腰のポーチへ手をやった。
何か使える物はないか。
指先が、硬い金属に触れる。
「……!」
入れたまま忘れていた。
折り畳みナイフ。
ティプスタンはそれを取り出した。
カチッ。
刃を起こす。
刃渡りは八センチほどしかない。
目の前の大男を、こんなものでどうにかできるとは思えない。
それでも、何も持たないよりはマシだ。
「ミミリル」
「うん?」
「僕が注意をそらす」
拳闘士から目を離さない。
「その隙に中央陣へ向かって。ガミとキリカさんに、あいつの赤黒いオーラに注意するように伝えて」
「……分かったゾ」
ミミリルが走る。
拳闘士の足が止まった。
少し遅れて、身体の向きを変える。
そして――ミミリルを追った。
「……?」
ティプスタンの眉が寄る。
――ミミリルを追う?
目の前には王女の防護壁がある。
剣士からも、王女を任されたはずだ。
しかし、ティプスタンは考えるより先に踏み込んでいた。
「させない!」
拳闘士の側面へ回る。
狙うは脚。
このナイフで倒せるとは思っていない。
当たらなくてもいい。
避けてもいい。
反撃してきてもいい。
自分へ注意を向けさせれば、それで十分だった。
ティプスタンが拳闘士の間合いへ入る。
右手のナイフを低く構える。
攻撃した直後に離れ、反撃が来れば盾で受ける。
そのつもりだった。
ナイフを突き出す。
ドッ。
「……!?」
拳闘士は避けなかった。
反撃もない。
刃先が太ももへ刺さった。
だが浅い。
魔力で強化された肉体に阻まれ、刃は僅かに食い込んだだけだった。
拳闘士の顔色は変わらない。
――なんで避けなかった? なんで反撃してこない?
ティプスタンはすぐにナイフを抜いた。
地面を蹴って、間合いをとろうとした時だった。
「――っ!?」
身体が沈んだ。
「ぐっ……!」
突然、全身へ鉛を流し込まれたような重さがのしかかる。
脚が上がらない。
肩が落ちる。
「な……に……」
ティプスタンは拳闘士の眼前で膝をついた。
拳闘士はティプスタンを見下ろし、口の端を吊り上げた。
「まさか……」
――最初からこれが狙いだったのか?
ティプスタンの視界の下端に、赤い色が滲みはじめた。
★45話に続く★




