第42話『古戦場』
「ほうっ、ほうっ、ほうっ……!」
荒い息が、暗い通路に響いていた。
ホウホ首相はリセリア王女を抱え、入り組んだ石造りの通路を駆けている。
脇腹から滴る血が、石床に赤い跡を残していた。
灯りはない。
それでも、ホウホの足に迷いはない。
《白昼眼》。
暗闇を白昼と変わらぬ明瞭さで見通す、ホウホの能力だった。
「ホ、ホウホさん……」
胸元から震える声がした。
「大丈夫ですよ。リセリア殿下。もうしばらくご辛抱下さい」
それだけ答え、先を急ぐ。
やがて、闇の向こうに色が滲み始めた。
青と緑が溶け合った光。
出口だった。
ホウホがそこを抜ける。
「……!」
リセリア王女が息を呑んだ。
眼前に、巨大な地下空間が広がっていた。
岩壁や崩れた石柱には青や緑に光る苔がこびりつき、その光が古びた遺跡を水底のような色に染めている。
とうに役目を失った、古代の闘技場。
ホウホは立ち止まらず、岩壁の間へ駆け込んだ。
「ほうっ……ほうっ……!」
足取りが重くなる。
それでも進む。
幾つもの岩壁を抜けた先で、わずかに開けた場所へ出た。
中央には、石畳が円形に組まれている。
その中央を挟むように、朽ちた鎖が二本残されていた。
先端には、原形をほとんど失った足枷の名残がある。
ホウホの足が止まる。
「…………」
金色の瞳が鎖へ落ちた。
眉間に、わずかな皺が寄る。
だが、それも一瞬だった。
抱えていた王女を、静かに地面へ降ろす。
「ホウホさん?」
リセリア王女が不安げに見上げた。
「リセリア殿下。どうか、何があってもここから動かずにいてください」
「……え?」
「ここにおられれば安全です」
ホウホが離れようとする。
その服を、王女が掴んだ。
「待ってください!」
「殿下」
「どういうことですか? 私を一人にしないでください!」
掴む手に力がこもる。
「お願いします……ホウホさん……!」
ホウホは王女を見下ろした。
王女の身体が震えている。
だが、追っ手はすぐそこまで迫っている。
「……申し訳ありません。リセリア殿下」
「え……?」
金色の瞳に、紫色のオーラが宿った。
《月梟の瞳》。
視線を交わした相手を、強制的に眠りへ落とす魔法。
「ホウ、ホ……さん……」
王女が何度か瞬きをした。
服を掴んでいた指から力が抜ける。
傾いた身体を、ホウホがそっと受け止めた。
ほどなく、静かな寝息が聞こえてくる。
「ご無礼を、お許しください」
王女を円形の石畳の中央へ寝かせる。
身につけていたマントを外し、その身体へ掛けた。
そして懐から、小さな宝石を取り出す。
見る角度によって幾つもの色を浮かべる、虹色の宝石。
エーテリウム。
ホウホは片膝をつき、それを握ったまま石畳へ手を置いた。
短く詠唱する。
手の中のエーテリウムが、鮮やかに煌めいた。
虹色の光が掌を伝い、石畳の隙間へ吸い込まれていく。
ホウホは立ち上がった。
遺跡の奥へ目を向ける。
幾重もの岩壁に遮られ、その先は見えない。
それでも、その先に何があるのかは分かっていた。
★
「隠し通路は予想していたが、ククルシア側の対応が早かったな」
拳闘士が松明を掲げながら言った。
《グレイファング》の三人は、Bルートを進んでいた。
先頭を歩く剣士の手にはランプ。
その後ろを槍使い。
最後尾を大柄な拳闘士が進む。
三人とも、身体のあちこちに傷を負っていた。
中でも槍使いの負傷が目立つ。
「ああ。さすがはギルド長といったところか」
剣士が横目を向けた。
「大丈夫か?」
「この程度なら問題ねーよ」
槍使いは長槍を身体の脇へ寄せ、短く持ち直した。
「レグリアの精鋭も、思ったほど大したことなかったな」
拳闘士が鼻を鳴らす。
「そうでもないだろう」
「あ?」
「あれだけ密集したところに要人がいれば、後衛は大技を撃てん。前衛も好きには動けんしな」
剣士が足元の血痕を追いながら言う。
「こちらに都合のいい戦場だった。それだけだ」
「あの団長はしぶとかったな」
「まともに殺りあえば、勝てなかっただろうな」
槍使いは面白くなさそうに顔をしかめた。
血痕は、青緑色の光が漏れる通路の先まで続いている。
三人はその跡を追った。
やがて出口を抜ける。
足が止まった。
「なんだ? ここは」
剣士が周囲を見渡した。
「地下にこんなでっけー施設があったのか」
槍使いが口笛を鳴らす。
青緑色の光に浮かぶ、巨大な遺跡。
剣士はすぐに視線を足元へ戻した。
「行くぞ」
血痕を追い、岩壁の間へ入る。
しばらく進んだところで、槍使いが足を止めた。
「いたぞ」
少し先。
円形の石畳の中央に、一人の少女が横たわっている。
「姫さんじゃねぇか」
「王女を置いて逃げやがったか? あいつ」
「…………」
剣士は地面を見る。
「警戒を緩めるな。王女を囮に使っているかもしれん」
拳闘士へ振り返る。
「入口を見ていろ。追っ手が来る可能性がある」
「ああ」
拳闘士が来た道を引き返す。
槍使いは長槍を下ろし、周囲へ目を配った。
剣士が王女へ近づく。
石畳の縁まで来た。
王女へ向けて一歩踏み出そうとした、その時――
石畳の下から、低い音が響いた。
隙間を紫色の光が駆ける。
バチィッ!!
「ぐっ!」
剣士の身体が押し戻された。
「これは……」
紫色の光が円を一周する。
ヴゥンッ。
半透明の紫色の幕が地面から立ち上がり、円形の石畳をぐるりと囲んだ。
「防護魔法か……」
「おい」
槍使いが遺跡の奥を指した。
岩壁の遥か向こうにも、同じ紫色の幕が天高く立ち上がっている。
その間は幾重もの岩壁に遮られ、見通せない。
「…………」
剣士の目が細くなる。
「星核戦か……」
「は?」
「中央を見てこい。恐らく中央陣があるはずだ」
数秒。
槍使いの口元が吊り上がった。
「なるほどね」
長槍を担ぎ直す。
そのまま岩壁の間へ消えていった。
剣士は防護壁の内側で眠る王女へ、再び視線を戻した。
★
大闘技場地下――Bルート。
複数の足音が、暗い通路を進んでいた。
先頭はライアン。
コウの肩を借りている。
呼吸は浅く、時折、胸元を押さえていた。
その後ろをネラ、キリカ、ティプスタン、ガミ、ミミリルが続く。
松明と手提げランプの光が、足元を揺らしていた。
ライアンが地面を一瞥する。
「…………」
血痕。
古傷の走る目元が険しくなった。
「ホウホ……」
歩みは止めない。
三班が別れる直前に発動した《インスクリプト・ヴァーミリオン》は、まだ続いていた。
離れた班へ向かったレヴィとの繋がりも残っている。
(アニキ)
「……!」
不意に、頭の中へ声が届いた。
(制御室前の支柱広場に着いた。数十人の兵士が倒れてる)
(了解)
ティプスタンはすぐにライアンへ伝える。
「そうか……」
ライアンが頷いた。
その時、コウが前を見た。
「光が見える」
通路の先から、青緑色の光が漏れていた。
ライアンが片手を上げる。
「灯りを消せ」
松明の火が消える。
ランプも閉じられた。
一行は足音を殺し、出口へ近づく。
ライアンがコウの肩から腕を外した。
壁へ手をつき、自分の足で立つ。
「ライアンさん」
「大丈夫だ」
息を整え、出口から中を覗く。
すぐ近くに大柄な男が立っていた。
《グレイファング》の拳闘士が待ち構えている。
岩壁の向こうには、紫色の光が高く立ち上がっていた。
「ホウホは上手くやったようだな」
ライアンは顔を引っ込めた。
「拳闘士一人だ」
全員へ目を向ける。
声を落とした。
「コウ、ネラ。奴を引きつけろ」
二人が頷く。
「四人はその隙に抜けろ」
ティプスタンたちを見る。
「ティプスタンとミミリルは予定通り王女のもとへ。おそらく、手前の防護壁に王女がいる。ガミとキリカは中央へ」
一呼吸。
最後に告げる。
「中央を一人にさせるな。無理に倒そうとするな。時間さえ稼げればそれでいい」
「はい」
ティプスタンの胸元で、中央の赤い宝石が明滅し始めた。
「……!」
残り一分。
(レヴィ。僕たちも遺跡に到着した。残り一分。作戦を開始する)
(分かった。気をつけろよ。アニキ)
(レヴィもね)
ティプスタンが仲間たちへ付与魔法を施していく。
翠色の光が、次々と仲間たちの身体を駆けた。
ガミへ手を向けた時だけ、ティプスタンの視線が右脚の包帯に止まる。
「大丈夫だっての!」
ガミが煩わしそうに言った。
頷き、最後に自分の身体にも翠色の光を巡らせる。
やがて、中央の宝石から赤い色が抜け落ちた。
身体を巡っていた疑似魔力も消える。
レヴィとのレゾナンスも途切れた。
だが、付与された力は残っている。
ライアンが出口へ目を向け、片手を前へ振った。
コウとネラが詠唱を始めた。
コウの銀鋼鎧とサーベル、ネラの黒革の鞭に紫色の光が走る。
二人は同時に飛び出した。
拳闘士が二人に気づいた。
コウのサーベルが右から迫った。
ギィンッ!
分厚い手甲が刃を受け止める。
反対側から、ネラの鞭が走った。
「チッ!」
拳闘士が手甲で鞭を受ける。
「今だ! いけっ!」
キリカが駆けた。
次いで、ガミ。
ティプスタン。
ミミリルが続く。
四人が拳闘士の脇を抜ける。
「待て!」
拳闘士が振り返った。
その進路へコウが滑り込む。
ネラの鞭も再び伸びた。
四人は真っすぐに岩壁の奥へ駆け込んだ。
ライアンは入口付近に残った。
壁へ片手をつき、拳闘士と走り去る仲間たちの双方を見る。
★
「こっち!」
キリカを先頭に、四人は障害物の間を駆ける。
手前の岩壁を抜けると、紫色の防護壁が立ち上がる円形の石畳が見えた。
「……王女様」
ティプスタンが声を潜めた。
防護壁の内側。
ホウホのマントを掛けられたリセリア王女が眠っている。
その外には――剣士。
四人の気配に気づき、静かに振り返った。
キリカとガミが剣士の手前で左右に別れる。
その後ろからティプスタンとミミリルが剣士に向かっていく。
ティプスタンは《緋幻紋の盾》を構え、剣士の側面へ回り込む。
「ミミリル!」
「おうっ!」
ミミリルも反対側へ回る。
長槍の穂先が、剣士の動きを追った。
「まかせたぜっ!」
「うん!」
ガミがキリカと共に、中央陣へ向かって駆けていった。
★
キリカが岩壁の間を駆け抜ける。
一つ。
二つ。
その先で視界が開いた。
古代闘技場の中央。
地面に、円形の術式が浮かんでいる。
中央陣。
その右手から、一人の男が中央陣へ向かっていた。
長槍を携えた《グレイファング》の槍使い。
「……!」
キリカの腕輪の魔石から紫色の光が走った。
ギュン。
一気に加速する。
キリカは斜めに進路を切った。
槍使いの前方――中央陣の手前へ駆ける。
槍使いも気づき、駆け出した。
中央陣まで、あと数歩。
ザッ!!
横合いから砂が蹴り上がった。
「なっ――」
キリカが槍使いと中央陣の間へ滑り込む。
間合いが近い。
槍使いは穂先を繰り出さず、長槍の柄を横薙ぎに振るった。
キリカは身を沈め、その一撃をかわす。
そのまま懐へ潜り込んだ。
幻豹流――《拳雨》
ダダダダダダダッ!!
左右の拳が、槍使いの腹部へ立て続けに叩き込まれる。
「ぐっ……!」
槍使いがたまらず後ろへ下がる。
中央陣から距離が開いた。
キリカは追撃せず、その場で腰を落とす。
槍使いも踏み止まり、長槍を構え直した。
横手の岩壁の向こうから、砂を踏む足音が近づいてくる。
「はえーなアイツ……」
岩壁の切れ目から、ガミが姿を現した。
槍使いがそちらへ顔を向ける。
ガミを見た瞬間、その表情が変わった。
「お前は――あの時の拳闘士か」
★43話に続く★




