第40話『知将の手札』
大闘技場――地下通路中央広場。
天井には光石が埋め込まれ、広場を昼間のように明るく照らしていた。
コツ。
コツ。
石床を踏む音が近づいてくる。
三方向へ伸びる通路。
右手側の暗い通路から、三つの人影が現れた。
三人はそのまま、光石の明かりの下へ歩み出た。
ライアンは腰の剣から手を離さなかった。
護衛たちも一斉に身構え、レグリア王国第三王女を囲んだ。
先頭へ出たのは、レグリア王国近衛騎士団長。
分厚い甲冑をまとった、ガタイのよい中年男だった。
鋭い目が三人を射抜く。
「何者だ? 貴様ら」
返事はない。
現れたのは、先ほど《レッドスター》と戦った《グレイファング》の三人。
頬に傷のある剣士。
長槍を携えた馬型獣人。
そして、大柄な拳闘士。
剣士が護衛の向こうへ目を向けた。
「レグリア王国第三王女――リセリア・セレネ・レグリア様とお見受けするが、相違ないか?」
近衛騎士団長の眉が動く。
「こちらの問いに答えよ」
腰から剣を抜いた。
シャッ――。
槍使いが答える。
「なに。姫様にちょっと、ご同行願いたくてね」
その一言に、王女の肩がびくりと揺れた。
近衛騎士団長は三人を見回した。
「……貴様ら三人だけか?」
「ええ」
「ぶはっ!」
近衛騎士団長が吹き出した。
レグリア王国の騎士たちからも失笑が漏れる。
両国の護衛を合わせれば二十人近い。
それを相手に、たった三人。
レグリア王国の王室外交官まで腹を抱えた。
「身の程知らずの大馬鹿者だの」
ギルド長のライアンは笑わなかった。
白髪の混じる黄金のたてがみの下、古傷の走る片目を細め、三人を見据えていた。
「チユチウ」
ライアンは隣に控えていた小柄なネズミ系獣人へ顔を寄せた。
耳元で何かを短く告げた。
チユチウは頷く。
ライアンがホウホ首相へ目配せした。
ホウホ首相も小さく頷いた。
その間にも、近衛騎士団長は三人を見下ろしていた。
「貴様らは確か……先ほどのグループ戦で敗退した奴らだな」
剣士の顔を見て、鼻で笑う。
「一人の拳闘士に二人まとめてのされていたが、なんだ? 腹いせに血迷ったか?」
槍使いの眉がわずかに動いた。
剣士は何も言わない。
「まあよい。貴様らの処遇はあとで決める」
近衛騎士団長が片手を上げた。
「拘束しろ」
「はっ!」
護衛騎士たちが前へ出る。
同時に、《グレイファング》の三人の呪印から光が走った。
ドクンッ。
★
少し前――。
大闘技場地下――選手控室。
天井に並ぶ光石のおかげで、控室の中は明るかった。
「カプリオスさん!」
ティプスタンが顔を上げた。
「やあ」
入口でカプリオスが片手を上げる。
大きく湾曲した角に、ふんわりとした茶色の髪。
口ひげとあごひげは整えられ、薄手の上着とベストを品よく着こなしている。
背後には従者と軽装の護衛が一人ずつ付き従っていた。
「次の試合前に、皆さんの顔を見ておこうと思いましてな」
「応援に来てくれたのか!」
「もちろんです」
カプリオスが従者へ目を向けた。
従者は白い布のかかった大きなバスケットを、長机へ置く。
「なんだこれ?」
ミミリルが覗き込む。
「メリシアが朝から腕によりをかけて作りましてな。皆さんでどうぞ」
布が取られた。
ふわりと甘い香りが広がる。
中には、ドーナツやクッキーなどの焼き菓子がぎっしりと詰まっていた。
「おおっ!」
《レッドスター》の声が揃う。
「うまそうだゾ!」
「すごい……」
近くにいた選手たちも寄ってきた。
「メリシア理事長のお菓子だって!?」
真っ先に飛び込んできたのは、《ファイブスター》のピクトだった。
「お前も食べるか?」
ミミリルがドーナツを差し出す。
「食う!」
受け取った直後。
「クッキーもくれ!」
「大きいのは渡さんゾ」
二人のやり取りに笑いが起こる。
「メリシアが多めに作りましてな。よろしければ、皆さんもどうぞ」
カプリオスが声をかけると、遠巻きにしていた選手たちも集まってきた。
「いいんですか?」
「いただきます!」
従者が紙に包み、次々と配っていく。
「メリシア理事長のお菓子って、学園じゃ有名なのよ」
アンナもクッキーを一枚取った。
「すごく美味しくて、滅多に食べられないの」
「ほんほあっ!」
すでにドーナツを頬張っていたミミリルが大きく頷く。
「食いながらしゃべんな」
レヴィもクッキーへ手を伸ばした。
カプリオスはふと、控室を見回した。
「少なめですな」
今年は個人戦の参加者が例年以上に多いが、今いるのはグループ戦の選手を合わせても三十人ほどだった。
毎年、この時期は蒸し暑い。
こんな日は、屋台で昼食を買った選手たちも長く外には残らず、涼しい地下で過ごすことが多いのだが。
カプリオスはそれ以上気に留めず、椅子を借りた。
その間にも焼き菓子は次々と選手たちの手へ渡り、バスケットの底が早くも見え始めている。
カプリオスはクッキーを一つつまんだ。
「私も若い頃は、仲間とこうして星核戦で戦ったものです」
「おっちゃんも選抜戦に出たことあんのか?」
ガミがクッキーを頬張りながら尋ねた。
「ええ。当時はこれでも、《知将カプリオス》なんて呼ばれていたんですよ」
胸を張る。
「へぇー!」
ティプスタンが感心する。
「知将! なんか凄そうだゾ」
ミミリルの目も輝いた。
「まあ、戦闘はからっきしでしたけどね」
「なんだよ!」
ガミが笑った。
レヴィはカプリオスの腹を見る。
「その腹じゃな〜」
カプリオスは自分の腹を見下ろした。
「若い頃はスマートだったんですよ。これでも、女性にはよくモテたんです」
「ほんとかよ」
「本当ですとも」
「怪しいゾ」
皆が笑う。
カプリオスも肩を揺らし、手の中のクッキーへ目を落とした。
賑やかな笑い声に耳を傾け、懐かしそうに目を細める。
「食べないのか? タンクス」
少し離れたところで、コウが紙包みを差し出していた。
「理事長のお菓子なんて滅多に食べられないぞ」
タンクスは不満そうに眉を寄せる。
「俺は甘い物が苦手なんだよ」
「なら、オイラにくれ!」
横からピクトが包みに飛びついた。
タンクスはため息をつく。
「緊張感のねー奴らだぜ……」
「さて」
カプリオスが立ち上がった。
「私はそろそろ戻ります」
「もう行くの?」
「ええ。来賓の皆さんも休憩に入る頃ですからな」
服の裾を整え、皆を見る。
「では、次の試合も頑張ってくださいね」
「はい!」
「任せろ!」
「頑張るゾ!」
カプリオスは穏やかに頷き、従者と護衛を連れて控室を出ていった。
★
来賓用控室へ向かう地下通路。
ここには光石がなく、壁際のろうそくと、先を歩く護衛の手提げランプだけが足元を照らしていた。
控室の賑わいは、すぐに遠ざかった。
カプリオスが階段へ足をかけようとした時。
「カプリオスさんっ!」
下から声が飛んできた。
「?」
ランプの明かりの向こうから駆け上がってきたのは、ネズミ系獣人のチユチウだった。
灰褐色の毛並みは汗で湿り、その表情に普段の落ち着きはなかった。
「チユチウさん?」
「カプリオスさん……」
チユチウは周囲を確かめながらカプリオスへ近づいた。
息を整え、声を落とす。
「敵襲です。地下通路中央広場に賊が現れました」
カプリオスの表情が変わった。
「状況は?」
「賊は三人。先ほど《レッドスター》と戦った《グレイファング》の剣士、槍使い、拳闘士です。第三王女へ同行を要求したあと、三人の身体に異変が起き……護衛が応戦を始めました」
「……三人?」
カプリオスの眉がわずかに動いた。
両国の護衛は二十人近い。
すでに制圧されていてもおかしくない。
――陽動か。
「残る二人は?」
「分かりません」
チユチウは続けた。
「三人の武器は大会用ではありませんでした。通路の衛兵も消えています。戦闘が始まったら、すぐ外部へ知らせるよう命じられました」
「……なるほど」
カプリオスは顎ひげへ手をやった。
狙いは第三王女。
だが、《グレイファング》は五人。
現れたのは三人だけ。
残る二人の所在は分からない。
しかも三人が手にしているのは、大会用の武器ではない。
殺傷性のある私物武器は選手控室へ持ち込めず、この地下通路も、選手が自由に入れる場所ではない。
通路を守る衛兵まで消えている。
――敗戦に腹を立て、血迷ったとは思えない。
「…………」
選手控室の様子が頭をよぎった。
こんな日は、地下で過ごす選手がもっといてもいい。
それなのに、今日はグループ戦の選手を合わせても三十人ほどしかいなかった。
それだけなら、異常とは言い切れない。
だが、今は違う。
もし、残る二人や別の仲間がすでに地下で動いているとしたら――。
中央広場の三人だけを敵と考えるのは危険だった。
「賊は三人だけではないと考えた方がよさそうですな」
チユチウの顔が強張る。
「……どうします?」
カプリオスは顎ひげから手を離した。
「まずは、手札を用意します」
後ろに控えていた従者へ向き直った。
「《レッドスター》と《ファイブスター》のメンバーを呼んできてください」
★41話に続く★




