第39話『暗流』
大闘技場――選手用通路。
試合を終えた《グレイファング》の五人が、石造りの通路を歩いていた。
敗北したというのに、誰の顔にも悔しさはほとんどない。
「……うっ」
不意に、剣士の足が止まった。
胸元を押さえ、身体を丸める。
「おい」
隣を歩いていた槍使いがすぐに寄った。
剣士の呼吸が荒い。
胸当ての隙間から覗く肌には――赤黒い《火の呪印》。
槍使いは懐から一枚の黒い札を取り出した。
剣士の胸当てをずらし、黒札を呪印の上へ押し当てる。
端を指で破いた。
ジュッ――。
微かな音。
札に刻まれた赤い文字が一瞬だけ光って消えた。
「……ふぅ」
荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
拳闘士が呆れたように鼻を鳴らした。
「おいおい。こんなとこで倒れんなよ」
「……ちょっと熱くなり過ぎたみたいだな」
剣士が胸当てを戻す。
槍使いは破れた札を折り畳み、懐へしまった。
「学生ばかりと侮っていたな」
「ああ」
「どうする?」
剣士は通路の先へ目を向けた。
試合場から遠ざかるほど、観客の歓声も薄れていく。
「問題ない」
一拍。
「予定を早める」
五人は歩き出した。
★
《レッドスター》の五人も、試合場を後にしていた。
選手通用口へ続く通路を歩いていると――。
ピキッ。
「……いっ!」
ガミの顔が歪んだ。
右のふくらはぎへ、鋭い痛みが走る。
「ん? どうしたんだ、ガミ?」
隣を歩いていたミミリルが振り返った。
「いや」
ガミは何事もなかったように足を進める。
「なんでもねーよ」
「そうか?」
ミミリルが首を傾げる。
「おっ」
ガミの狼耳が立った。
通路の先から、小柄な獣人が歩いてくる。
「ポークン先生!」
先ほどまでの痛みなど忘れたように、ガミが駆け寄った。
「先生も選抜戦に参加すんのか?」
「いや……」
ポット・ポークンは鼻先をぽりぽりとかく。
「オイラは生徒の付き添いで、観戦しに来ただけなんだな」
「ふーん」
「ガミ」
「あん?」
「ちょっといいかな?」
ポット・ポークンの目は――ガミの右足へ向いていた。
★
「痛っつっ!」
休憩場の片隅。
長椅子へ腰を下ろしたガミが、思わず声を上げた。
ポット・ポークンは右のふくらはぎから手を離す。
「軽い肉離れなんだな」
「これくらい大したことねーよ」
ポット・ポークンは冷たい布をふくらはぎへ当て、包帯を巻いていく。
きつく締め過ぎず、それでも筋肉が不用意に動かない程度に。
「次の試合まで、できるだけ休ませるんだな」
「へいへい」
ガミは露骨に面倒そうな顔をした。
処置を終えても、ポット・ポークンは立ち上がらない。
「さっきの試合。見てたんだな」
ガミの狼耳がわずかに動く。
「君の戦い方。少し変だったんだな」
「……どこが?」
「君は以前から、攻撃へ意識が向き過ぎなんだな」
「悪ぃかよ」
「悪いんだな」
即答。
ガミが口を尖らせる。
「だからずっと、身体を守る魔力循環を先に意識するよう教えてきたんだな」
「…………」
「攻撃のためだけに一気に魔力を回せば、筋肉も関節も耐えられないんだな。身体を守って、その上で技へ力を乗せる」
ポット・ポークンは自分の拳を軽く握った。
「少しずつできるようになってたんだな」
ガミの視線が僅かに落ちる。
「でも、さっきは違った」
「…………」
「順番にギアを上げるところを――いきなりトップギアへ入れたみたいだったんだな」
獅閃。
獅突。
獅脚。
ティプスタンと繋がった直後、反射的に放っていた。
自分の魔力ではない疑似魔力だったからか。
普段なら無意識にできていることが、できなかった。
「何かあったのかな?」
ガミは答えなかった。
レゾナンスのことは言えない。
クエンティンからも、チームの手札を不用意に外へ漏らすなと言われている。
ましてや、次の相手も同じ学園の生徒だ。
「……とっさだったんだよ」
ガミは肩をすくめた。
「仲間がやられて、ムカついてよ。防御まで意識できなかっただけだ」
「…………」
ポット・ポークンは鼻先をぽりぽりとかいた。
それ以上は何も聞かない。
「大丈夫だって!」
ガミは勢いよく立ち上がった。
「次は上手くやらー!」
「ガミ」
「じゃあな、ポークン先生!」
呼び止める声を無視し、休憩場を出ていく。
その背中を、ポット・ポークンは黙って見送った。
歩き方には、僅かに右足を庇う癖が出ている。
「…………」
また鼻先へ指をやる。
「困った子なんだな……」
小さく呟いた。
少し離れた壁際。
一人の少女が立っていた。
斑点模様の獣耳。
細身の身体に、軽装の胴着。
長い尾が、ゆっくりと揺れている。
少女はポット・ポークンを見ていた。
やがて、その目がガミの消えた通路へ移る。
「…………」
尾の先が、ぴたりと止まった。
口を真一文字に結び、恨めしそうにその先を見ていた。
★
大闘技場地下――選手控室。
天井に並ぶ光石のおかげで、控室は十分に明るかった。
「ガミ! どうしたの、その足!」
ティプスタンが包帯に気づき、ぎょっとした。
「大したことねーよ」
ガミは答えながら、ティプスタンの隣へ腰を下ろす。
「ポークン先生が大げさなんだよ」
「大げさって……怪我したんじゃないの?」
「軽い肉離れだ。問題ねーよ。しばらくしたら治る」
控室では、大勢の選手が思い思いに休んでいた。
装備を整える者。
目を閉じて集中する者。
仲間と小声で話す者。
ミミリルはティプスタンの反対側へ座り、ガミの足を覗き込んだ。
「ほんとに大丈夫なのか?」
「大丈夫だっつってんだろ」
ティプスタンも心配そうな顔をする。
「無理しちゃダメだよ」
「しつけーぞ、ティプスタン!」
「でも――」
「アニキ!」
振り向くと、レヴィとアンナが紙袋や飲み物を抱えて戻ってきたところだった。
「買ってきたぜ」
「サンドイッチと果物。飲み物もありますよ」
アンナがテーブルへ紙袋を置く。
レヴィはその横で――ぴたりと止まった。
「…………」
ティプスタン。
その右にガミ。
左にはミミリル。
「なんでガミがアニキの横に座ってんだよ」
「あん?」
ガミが眉を寄せる。
「どこに座ろうがいいじゃねーかよ、別に」
「そこは俺っちの場所なのに……」
「何か言ったか?」
「別に」
レヴィは紙袋を乱暴に置いた。
それから、改めて二人を見る。
「つーか……」
目が細くなる。
「なんか近くねーか、お前」
ガミはティプスタンの肩が触れそうな位置に座っている。
「レゾナンスのためだ」
「はあ?」
「さっきの試合」
ガミはにやりと笑った。
「俺様、ティプスタンと繋がったぞ」
「えっ!?」
四人の声が重なる。
「いつ!?」
「ティプスタンが槍食らったあとだ」
ティプスタンの胸当てへ槍が入り、動けなくなった直後。
ガミの胸元から紅い光が伸びた。
ティプスタンは電流で身体が痺れていて、気づいていなかった。
「一分くらいだったけどな。ちゃんと疑似魔力も使えた」
「なるほど!」
ミミリルが手を打つ。
「だから急に動きが良くなったんだな! 疑似魔力を宿したからだったのか!」
「そういうこった」
ガミは得意げに胸を張った。
「今なら、いつでも繋がれる気がするぜ」
「その根拠どこにあんだよ」
レヴィが即座に突っ込む。
「やってみりゃ分かる!」
ガミがティプスタンの肩を掴んだ。
「今すぐ試すぞ!」
「ちょ、ちょっと!」
「やめろ!」
「なんでだよ!」
「今はヴァーミリオンを無駄に使うな!」
「一回くらいいいじゃねーかよ」
「よくねぇ!」
レヴィはティプスタンの胸元を指した。
五枚の花弁。
そのうち一枚だけが透明になっている。
「あと四回だぞ」
「四回もあんじゃねーか」
「順調に勝っても、あと二試合あるんだよ!」
レヴィは呆れながら、長椅子へ腰を下ろした。
「一試合十分。ヴァーミリオンを三分使って、三分待って、もう一回三分。二回使えば九分だ」
残った四枚の花弁を見る。
「次で二回。決勝でも二回。これでちょうどだ」
「現役冒険者の《グレイファング》が相手だったのに、一回で済んだのは大きいわね」
アンナがサンドイッチを配りながら言った。
「そういうこと」
レヴィが一つ受け取る。
「次からは、気にせず二回使える」
ガミが不満そうに腕を組む。
「一回くらい……」
「「「ダメ!」」」
「ケチ」
アンナが苦笑しながら飲み物を渡した。
「次の試合まで一時間あります。まずは身体を休めましょう」
「賛成だゾ!」
ミミリルがサンドイッチへ手を伸ばす。
「作戦会議しながら食べるゾ! 腹が減ったら頭も動かんゾ!」
「それは分かる」
ガミも即座に一つ取った。
ティプスタンは二人を見て笑いながら、自分も紙包みを開く。
控室の端では、個人戦の出場者が一人、立ち上がっていた。
荷物を残したまま、横の通路へ消えていく。
少しして、もう一人。
さらに二人。
その後も、ぽつぽつと席を立つ者が続いた。
誰かに呼ばれた様子はない。
周囲の選手たちは気に留めなかった。
試合前の選手が出入りすることなど珍しくない。
十分ほど経つ頃には――。
四十人ほどいた個人戦出場者は、二十人ほどまで減っていた。
★
「で」
レヴィがサンドイッチを食べ終え、テーブルへ身を乗り出した。
「次の相手だ」
アンナの表情も切り替わる。
「前回優勝チームの《ファイブスター》ね」
「どんな奴らなんだ?」
「リュミナリア学園でも、特に優秀な人材が集められる《特別選抜科》。そこの生徒だけで編成されたエリートチームよ」
「エリート?」
ガミが首をかしげる。
「まあ、しょせん学生だろ? グレイファングと比べりゃ楽勝なんじゃねーか?」
「そうとは限らないわ」
アンナがすぐに否定した。
「グレイファングは確かに強かった。でも、冒険者は基本的に魔物との戦闘を考えて編成されてる」
「どういうこと?」
ティプスタンが尋ねる。
「冒険では何が出てくるか分からない。魔物と戦うだけじゃなく、危険な場所を進んで、生きて帰るための役割も必要になるでしょ?」
「うん」
「でも星核戦は、最初から対人戦。相手の動きを止めたり、連携を崩したり、中央陣を奪ったり――人と戦うことを前提に組んでいる」
アンナは手元の紙包みを畳みながら続けた。
「学園の生徒は実際の冒険経験じゃ、冒険者に敵わない。でも、模擬戦や対人訓練は何度もやってる。特に特別選抜科はね」
「なるほど」
ミミリルが頷く。
「星核戦なら、グレイファングより厄介かもしれんってことだな」
「ええ。前回優勝してるくらいだもの」
「特別選抜科といったら、リリネアちゃんとイッサと同じだの」
「ええ」
「アンナも、その特別選抜科ってやつなのか?」
ミミリルが二つ目のサンドイッチを頬張ったまま尋ねた。
「私は……」
アンナの視線が僅かに落ちる。
「よう! アンナ」
横から声が飛んだ。
五人が振り向く。
こちらへ歩いてきたのは――太い眉をした、小太りの少年。
口元には相手を見下すような笑みが浮かんでいる。
「一貫組のお前が選抜戦に出るなんて、意外だな〜」
「……タンクス」
アンナの表情が僅かに固くなった。
少年の隣には、すらりとしたチーター系の獣人少女が立っている。
斑点模様の獣耳と長い尾。
細身ながら、脚にはしなやかな筋肉がついていた。
両手両足には革製の手甲と脚甲。
身につけた胴着は、どこかポット・ポークンのものに似ている。
「アンナは一貫なのか?」
ミミリルが尋ねる。
タンクスが目を丸くした。
「あん? チームメイトのことも分かってねーのか、お前ら」
「アンナは凄いから、特別選抜科だと思ったゾ」
「ククッ」
タンクスが喉を鳴らす。
「コイツは確かに優秀かもな」
アンナを見る。
「風魔法に限って、い・え・ば」
「…………」
「しっかし、転科試験じゃさっぱりダメダメ」
口角が上がる。
「緊張しまくって失敗続きのポンコツだぜ」
アンナの視線が膝へ落ちる。
「アンナさんはポンコツなんかじゃない!」
ティプスタンが思わず身を乗り出した。
「……あ?」
タンクスがティプスタンを見る。
上から下まで眺め、露骨に顔をしかめる。
「なにムキになってんだよ、ゼロが……」
鼻で笑った。
「キモっ」
ティプスタンの身体が固まる。
レヴィが両手を頭の後ろで組んだ。
「お前。目、腐ってんじゃねーのか。チビデブ」
「…………」
タンクスの顔がみるみる赤くなる。
「んだとっ! テメー!」
一歩踏み出した。
「タンクス」
隣の獣人少女が手で制する。
「やめろ。次で戦う」
「…………チッ」
タンクスは舌打ちした。
レヴィはどこ吹く風で果物を頬張る。
「ほざいてろ、ポンコツども」
タンクスが吐き捨てる。
「ザコが、いくら群がってもザコってことを教えてやるよ」
踵を返した。
獣人の少女も、その後を追おうとして――足を止める。
鋭い目が、ガミへ向いた。
「ストーカー女」
「あん?」
「お前は私が倒す」
それだけ告げ、歩き去った。
ガミは数秒固まっていた。
「…………」
首を傾げる。
「ストーカー?」
ミミリルを見る。
「なんだそれ?」
「ウチに聞かれても知らんゾ」
「俺様、誰か追い回したか?」
「アニキ追い回してんだろ」
レヴィが答える。
「それのことか?」
「知らねーよ!」
控室の向こうで、タンクスたちは仲間のもとへ戻っていった。
アンナはまだ少し俯いている。
「アンナさん」
ティプスタンが声をかけた。
「大丈夫?」
「全然大丈夫です!」
アンナはハッとして顔を上げ、笑顔を作る。
「ごめんなさい。作戦会議の途中だったわね」
ミミリルがポケットから飴玉を取り出し、アンナへ差し出した。
「甘い物食べたら元気になるゾ」
「……ありがとう」
「俺様にもよこせ!」
「もうないゾ」
「嘘つけ!」
アンナが苦笑する。
「じゃあ、《ファイブスター》のことを簡単に説明するわね」
「チームリーダーのコウ。サーベルを使う万能系の剣士よ。複数の魔力系統の特性を扱えるから、近距離だけじゃなく遠距離にも対応できる」
「万能系……」
「珍しい系統よ。一つ一つの能力なら、それぞれの系統を得意とする人には及ばないけど、組み合わせられるのが強みね」
「タンクスは生成系の魔術師。出力の高い魔法は使えないけど、低位魔法の種類が豊富で魔力量もかなり高い。それに頭が切れる」
「性格悪そうだったゾ」
「頭も悪そうだったよな」
「そこは関係ないから」
アンナが苦笑した。
「おそらく、作戦を組んでるのは彼ね」
「チビデブのくせに」
「レヴィ」
「はいはい」
「小柄なリス系獣人がピクト。構築系の弓使いよ。矢にいろんな仕掛けを作って、相手を撹乱するのが得意」
「普通の弓使いじゃねーってことか」
「そう思った方がいいわね。それに、弓の腕は学園一よ」
口にしてから、アンナはわずかに眉を寄せた。
「……?」
――弓の腕は学園一。
なぜか、その言葉だけが妙に引っかかった。
「鞭を腰に付けているのがネラ。制御系。鞭を自在に操って、中距離から拘束や牽制をしてくる」
「最後がキリカ。さっきのチーター系獣人ね」
「ストーカー女って言った奴か」
ガミの耳がぴくりと動く。
「循環系。魔力量は少ないけど、身体強化を速度に絞ってる」
アンナは少し間を置いた。
「スピードなら――たぶんガミより上。でも、パワーや持久力ならガミの方が上だと思う。まともに殴り合うタイプじゃないわね」
「ほぉー」
ガミが遠くのキリカを見つめる。
向こうも気づいたのか、こちらを見た。
目が合う。
キリカは何も言わず、ほんの僅かに顎を上げた。
「上等じゃねーか……」
ガミの口元が吊り上がる。
アンナは仲間たちを見回した。
「《ファイブスター》が厄介なのは、一人一人が星核戦の役割に特化してることよ」
コウが前に立ち、タンクスが戦況を組み立てる。
ピクトが撹乱し、ネラが動きを止め、キリカが隙を狙う。
「去年の優勝チーム。油断したら一気に崩されるわ」
誰も反論しなかった。
五人は次の試合へ向け、再び作戦を練り始めた。
★
大闘技場――地下通路。
観客席の喧騒は、分厚い石壁を隔てたここまでは届かない。
レグリア王国から訪れた来賓と、ホウホ首相らククルシア共和国側の一行が、次の試合まで休憩するため、地下の来賓用控室へ向かっていた。
石造りの通路は、観客席の蒸し暑さとは違ってひんやりとしている。
通路には光石がなく、壁の燭台に灯るろうそくと、護衛の手提げランプが足元を照らしていた。
やがて、三本の通路が交わる円形の中央広場へ出る。
暗い通路とは違い、広場は明るい。
ライアンが足を止めた。
「――待て」
一行も止まる。
「どうした?」
「おかしい……」
ライアンが右手側の通路を見る。
「通路前に控えている衛兵がいない」
話し声が途切れた。
コツ。
暗い通路の奥で、靴音が響く。
一つではない。
ライアンの手が腰の剣へ伸びた。
★40話に続く★




