第36話『故意地』
ククルシア共和国代表選抜戦まで、あと二日。
「よっしゃあぁぁぁぁ!」
ガミの雄叫びが、旧訓練場いっぱいに響き渡った。
その向こうで、クエンティン側の模擬星核が崩れ落ちる。
「はぁ……」
レヴィが投擲紐を下ろした。
「やったゾー!」
ミミリルのウサギ耳型魔導具が勢いよく跳ねる。
アンナも短杖を下ろし、額の汗を拭った。
ティプスタンは《緋幻紋の盾》を下ろしながら息を吐く。
「……勝った」
前回の敗北で見つかった課題を、それぞれが補った。
ティプスタン自身も、星核の前で待つだけではなく、状況に応じて前へ出た。
完璧ではないのかもしれない。
それでも――初めて五人で勝った。
「よし! この調子で明日もやるぞ!」
ガミが両拳を突き上げる。
「明日の訓練はなしだよ」
クエンティンの一言で、その顔が固まった。
「なんでだよっ!」
クエンティンは煙管から細い煙を吐く。
「身体を休めるのも大切だよ。それに、これ以上、手札の分かっている吾輩のゴーレムと戦っても仕方がない。本番で相手にするのは、何をしてくるか分からない人間だ」
五人を見渡す。
「今日の勝利を自信にはしても、答えだとは思わないようにね」
「なんだよ。つまんねーなー」
ガミが不満げに眉を寄せた。
クエンティンがパンッと両手を合わせる。
岩や竹林を覆っていた擬態の煙がほどけ、本来の透明な氷が露わになった。
パキパキッ――。
表面を走った亀裂が広がり、崩れた氷は白い冷気を残して砕けていく。
やがて、あとに残ったのは雑草の生い茂るいつもの旧訓練場だけだった。
その後、五人はメリシア邸へ戻った。
模擬戦で見つかった問題を確認し、選抜戦で取る最終的な戦略を擦り合わせる。
装備も一通り点検した。
できるだけの備えは整えた。
あとは本番を迎えるだけだった。
★
翌日。
選抜戦まで――あと一日。
朝食を終えたメリシア邸の大食堂。
食器が片づけられていく中、ガミはまだ席に残っていたティプスタンとルベッカを見比べた。
「そういやよ」
「ん?」
「ルベッカとはレゾナンスで繋がったことあんのか?」
「え?」
ティプスタンの動きが止まった。
「うん……まあ」
「あるのかよ! いつだ?」
「いつって……」
ティプスタンの目が泳ぐ。
そこへルベッカが淡々と答えた。
「疑似魔力で呪怨を安定化させるため、ティプスタンに添い寝をしてもらった時です」
「ルベッカ!?」
「添い寝?」
ガミの眉が上がる。
「お前ら、一緒に寝たのか?」
「け、研究のために必要だったんだよ!」
「なんでお前が慌ててんだ?」
「慌ててないよ!」
ガミはルベッカを見る。
「その一回だけか?」
「そうですね」
「いつでも繋がれんのか?」
「試していないので分かりません」
「なら今やってみようぜ!」
「再現性を確認する意味はありますね」
「ルベッカまで……」
結局、試すことになった。
ティプスタンが《インスクリプト・ヴァーミリオン》を発動し、ルベッカへ意識を向ける。
「…………」
「…………」
しばらく待ったものの、紅光は現れなかった。
「……駄目みたい」
「そうですね」
ルベッカも静かに頷く。
「なんだよ」
ガミが腕を組んだ。
「ルベッカもダメなんじゃねーかよ」
太い尻尾が、ぱたん、と床を叩く。
「ガミ、ちょっと嬉しそうだゾ」
「べ、別に嬉しくねーよ!」
慌てて尻尾を掴んだ。
「俺様だけが繋がれねーわけじゃねぇって分かっただけだ!」
★
午前中。
今日は訓練もなく、皆それぞれ好きなように過ごしていた。
ただ一人。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
ガミだけは落ち着かない様子で、筋力鍛錬に励んでいた。
そして昼食後。
メリシア邸の空き部屋に、ガミ、ミミリル、レヴィの三人が集まっていた。
かつて教室として使われていたらしく、古い机と大きな黒板が残されている。
その黒板の前。
「コホンッ!」
ミミリルが胸を張った。
顔には大きな黒縁眼鏡。
小さな身体には、ぶかぶかの白衣。
眼鏡はカプリオスから。
白衣はルベッカから借りたものだった。
「それでは、第二回! 『ガミ、レゾナンス成功させるゾ! 大作戦』の会議を始めるゾ!」
「なんで選抜戦前日にこんなことやってんだよ……」
レヴィが机へ頬杖をつく。
「前日だからだゾ! 明日までにガミも繋がれるようになれば完璧だゾ!」
「そういうこった!」
ガミが拳を握った。
「俺様だけ繋がれねーまま本番なんて気に食わねぇ!」
ミミリルが指示棒で黒板を叩く。
そこには、ティプスタンを中心とした関係図らしきものが、拙いイラスト付きで描かれていた。
「ウチとレヴィはティプスタンとのレゾナンス成功者なのだ! 二人でコツを伝授するゾ!」
「なんで俺っちまで付き合わされてんだよ」
「夕食の唐揚げ一個やっから協力しろよ」
「一個かよ」
レヴィがため息をつく。
「つーか、第二回なのか?」
「第一回はガミがティプスタンに唐揚げあげたり、肩揉んだりした回だゾ!」
「あー……だからあんな妙なことしてたのか」
「まあまあ。まずはレヴィ先生! お願いしますだゾ!」
「マジでやんのかよ……」
渋々、レヴィが教壇へ立った。
「アニキの力は分かんねーことも多いけど、レゾナンスに限って言や、やっぱ信頼じゃねーかな?」
「それは前に聞いた。そもそも信頼ってなんだよ」
「面倒くせぇ質問すんなぁ……」
レヴィは頭を掻く。
「なんつーか、背中任せられるとかよ。ヤベぇ時に力になってやりてぇとか、そういう気持ちじゃねーの?」
「なるほど」
ガミが手元の紙に羽根ペンを走らせる。
「俺っちとアニキの場合は、いくつもの困難を二人で乗り越えた経験ってもんがあるしな。玄冥郷でも――」
十五分後。
「それでアニキが――」
「なっげーよ!」
ガミが机を叩いた。
「途中から思い出話になってんじゃねーか!」
「な、なってねーよ!」
「――ハッ!」
机へ突っ伏していたミミリルが顔を上げる。
「お前寝てただろ!」
「き、聞いてたゾ!」
レヴィは額を押さえた。
「……まあ要するに、相手の力になりたいって本気で思えるかじゃねーの?」
ガミの羽根ペンが止まる。
「レゾナンスって、決まった片方から紅光が伸びるって訳でもないんだよな?」
「ああ。アニキから伸びる時もあれば、相手からの時もある」
「だったら、俺様がティプスタンの力になりたいと思わなくても、ティプスタンが俺様を助けたいって心から思えば繋がるんだよな?」
「……理屈じゃ、そうなるかもな」
「なんだよ!」
ガミの顔が明るくなった。
「簡単じゃねーか!」
「そうか?」
紙へ大きく書く。
『ティプスタンに俺様を助けたいと思わせる!』
「次! ミミリル先生だゾ!」
二人が入れ替わった。
ミミリルは指示棒を手に教壇へ立つ。
「ウチは――好きって気持ち。つまり、好感度が大事だと思うゾ!」
「それも前にやった。駄目だっただろーが」
「方向性が間違ってたんだろ」
レヴィが横から言った。
「お前、アニキに唐揚げやって肩壊しただけじゃねーか」
「壊してねー!」
ガミは机を叩き――ふと止まった。
「……待て」
「今度はなんだ?」
「俺様がティプスタンを好きになる必要はねーんだよな?」
レヴィの目が細くなる。
「お前、まさか……」
「ティプスタンの方が俺様を好きになればいいんだろ?」
「…………」
レヴィとミミリルが顔を見合わせた。
「アニキにガミを好きになってもらうってか?」
「そうだ!」
「無理ゲーじゃねぇかよ」
「なんでだ!」
「普段のお前見てりゃ分かんだろ!」
「俺様の魅力を、アイツがまだ分かってねーだけだ!」
ガミは堂々と胸を張った。
ミミリルが首を傾げる。
「ガミの魅力ってなんだ?」
「力があって頼りになる!」
「馬鹿力でアニキの肩痛めただろ」
「あれは好感度下がったかもしれないゾ」
「それに何より――」
ガミは自分を親指で指した。
「こんな美人と一つ屋根の下で暮らしてんだぞ? 魅力感じねーわけがねー!」
「美人……」
レヴィが背を向ける。
肩が震えていた。
ミミリルだけは真剣に頷く。
「そうか。ティプスタンは、まだガミの魅力に気づいてないんだゾ!」
「だろ!?」
紙へ新たに書き込む。
『ティプスタンに俺様を好きにさせる!』
二つの文章を大きく丸で囲んだ。
「よし!」
「嫌な予感しかしねーな……」
「そういや、ティプスタンってどんな女が好みなんだ?」
「知らねーよ」
レヴィが鼻を鳴らす。
「まあ、案外家庭的な女とかじゃね?」
「家庭的?」
ガミの狼耳が動く。
「料理できたり、世話焼いてくれたりとか」
「料理……」
「適当に言っただけだぜ」
すでに紙には、
『料理』
と書かれていた。
ミミリルが腕を組んで考える。
「あとは……化粧とかしたら、女らしく見えるんじゃないかの?」
「なるほど!」
『化粧』
「決まった!」
ガミは雑に紙をポケットへしまった。
「好感度爆上げ作戦開始だぜっ!」
★
夕食前。
西日が長い廊下を赤く染めていた。
ティプスタンが角を曲がる。
その先の薄暗がりに、人影が立っていた。
「ん?」
白すぎる顔。
はみ出した真っ赤な口紅。
左右で濃さの違う頬紅。
首筋からは、甘い香油の匂いまで漂っている。
「ティプスタン……」
一歩、近づく。
「…………」
ティプスタンの顔から血の気が引いた。
「ティプスタン……」
「うぎゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
「なんだよっ!?」
後ずさった足がもつれる。
「うわっ!」
ドスンッ!
その場に尻もちをついた。
「ガ、ガ、ガミ!?」
「あ? 見りゃ分かんだろーが」
ガミがずかずか近づく。
「どうだ?」
「何が!?」
「化粧だよ!」
「それ、化粧だったの!?」
「見りゃ分かんだろーが!」
「分かんないよ!」
「なんだとぉ!?」
その時。
「アニキ!?」
「なんだ今の悲鳴!」
レヴィとミミリルが廊下の向こうから駆けてきた。
「どうしたんだ!?」
二人は角を曲がり――ガミを見る。
「…………」
「…………」
ぴたりと止まった。
「なんだよ」
ガミが睨む。
ミミリルが恐る恐る口を開く。
「ガミ……」
「あ?」
「口から血が出てるゾ」
「口紅だよ!」
「ブッ!」
レヴィが吹き出した。
「お、お前……その顔……!」
「笑ってんじゃねー!」
「いや、無理あんだろ!」
「どこがおかしいんだよ!」
「全部だよ!」
「ぶっ飛ばすぞ!」
「待て待て! 明日選抜戦だぞ!」
「関係ねー!」
ミミリルは、まだ床に座り込んでいるティプスタンへ顔を向けた。
「ティプスタン」
「な、何?」
「好感度、上がったか?」
「え?」
レヴィもティプスタンを見る。
まだ胸を押さえ、息を整えていた。
「……お前な」
呆れたように息を吐き、手を差し出す。
「好感度じゃなくて、心拍数上げてどーすんだよ」
その手を掴み、ティプスタンはようやく立ち上がった。
★
その日の夕食。
メリシア邸の大食堂には、屋敷の者たちが集まっていた。
いつもの料理が並んでいく中――。
「待て!」
ガミが厨房へ走った。
ほどなくして、大きな深皿を手に戻ってくる。
ティプスタンの前へ置いた。
ドンッ。
「…………」
真っ赤な汁が、マグマのようにポコポコと泡立っている。
立ち昇る湯気だけで鼻の奥がつんとした。
「……これ、何?」
「俺様特製、肉と野菜のスープだ!」
ガミが胸を張る。
「ガミが作ったの!?」
「おう! お前のためにな!」
「僕のため……?」
「ティプスタン専用の紅スープだ!」
嫌な予感しかしない。
「遠慮せずに食え!」
ティプスタンは恐る恐る匙を取り、肉を一切れ口へ運んだ。
「…………」
一瞬の沈黙。
「いっだぁぁぁぁぁぁいっ!?」
椅子から飛び上がった。
「どうだ!?」
「辛いよ!」
「だろ!」
「なんで嬉しそうなの!?」
慌てて水を飲む。
レヴィが食事の手を止める。
「ガミ! お前、香辛料どんだけ入れた!?」
「よく分かんなかったから全部だ!」
「厨房にあった赤いやつ全部か!?」
「おう!」
「バカか!」
「口が……いだぁいっ!」
「もう食うな、アニキ」
レヴィが止める。
「でも……」
ティプスタンは皿を見る。
それから、ガミへ目を向けた。
「せっかく僕のために作ってくれたんだし……」
「…………」
ガミの狼耳がぴんと立った。
その顔を見てしまい、ティプスタンは震える手でもう一口。
「っ……!」
涙が滲む。
さらに一口頑張ったところで、レヴィが皿を取り上げた。
「もういい!」
「でも――」
「死ぬぞっ!」
「まだ残ってんぞ」
「お前は黙ってろ!」
★
食後。
「うぅ……」
ティプスタンは長卓へ突っ伏していた。
レヴィが顔を覗き込み、固まる。
「アニキ……」
「なに……?」
顔を上げる。
唇が、真っ赤に腫れ上がっていた。
「ティプスタン、唇すごいゾ」
「ほ、ほんほ?」
「何言ってんのか分かんねーよ!」
「ひほい……」
「喋んな! 余計ひでぇ!」
レヴィは頭を抱えた。
「ガミ!」
「あ?」
「選抜戦前にアニキを殺す気なのか? お前は!」
「殺すわけねーだろ!」
「見ろよ、この顔!」
「ちょっと腫れただけじゃねーか!」
「どこがちょっとだ!」
ティプスタンが何か言おうとした、その時。
きゅるるるる……。
腹から、不穏な音が響いた。
「…………」
顔色が変わる。
「アニキ?」
「ご、ごべん……!」
腹を押さえ、大食堂から駆け出していった。
一同がその背中を見送る。
「…………」
クエンティンは煙管を口元へ運び、白い煙を吐いた。
「身近なところに強敵は潜んでいるものだね」
ガミが机を叩く。
「俺様は味方だ!」
「対戦相手と戦う前にアニキ潰してどうすんだよっ!」
「料理作戦、失敗だゾ」
「まだだ!」
「まだやんのかよ!? やらせねーよ!」
ガミは腕を組んだ。
――相手の力になりたい。
昼間のレヴィの言葉が頭をよぎる。
「……そうか」
「今度はなんだよ」
「ティプスタンが俺様を助けたいと思えばいいんだよな?」
「あ?」
ガミの顔が明るくなる。
「だったら簡単だ!」
レヴィの顔が引きつった。
「お前、今度は何する気だ?」
「俺様が困ればいい!」
「待て!」
ガミは駆け出した。
「どこ行くんだよ!」
「困ってくる!」
「意味分かんねーよ!」
★
しばらくして。
何度目かの厠から戻ってきたティプスタンは、腹を押さえながら廊下を歩いていた。
唇もまだ赤く腫れている。
「ひどい目にあった……」
明日は選抜戦だ。
それまでには、どうにか治ってほしい。
そう願いながら角を曲がると――。
「……いてぇ」
壁際にガミが座り込み、片方の足首を押さえていた。
「ガミ?」
ティプスタンは慌てて近づく。
「どうしたの?」
「足ひねった」
「大丈夫!? 誰か呼んで――」
「呼ぶな!」
「なんで!?」
「いいから部屋まで連れてけ」
「分かった。肩貸すよ」
手を差し出す。
「違う」
「え?」
「抱えて運べ」
「……抱えて?」
ガミは両腕を広げた。
「歩けねーんだよ!」
かなり疑わしい。
それでも、本当に痛めている可能性はある。
「……分かったよ」
ティプスタンはしゃがみ込み、片腕を背中へ、もう一方を膝裏へ回した。
「い、いくよ」
「おう!」
「せーの……!」
力を入れる。
ガミの身体が少しだけ浮いた。
「ぐっ……!」
そこで止まる。
「どうした?」
「ちょ、ちょっと……」
腹を下したせいで力が入らない。
「早く運べよ」
「お、おも……」
「ん?」
「重い……」
ガミの狼耳がピンッと立った。
「…………」
「ガミ?」
「今、なんつった?」
声が低くなる。
「え?」
「俺様が重いっつったかぁぁぁぁ!?」
「うわっ!」
腕から力が抜けた。
ドンッ!
「いってぇ!」
ガミの尻が床へ落ちる。
「ご、ごめん!」
「俺様は重くねー!」
「ご、ごめん。でも、お腹壊して力入らないんだよ!」
「それはお前が弱ぇからだ!」
「いや……料理のせいだと……」
「なんだと?」
「なんでもないです」
ガミが勢いよく立ち上がった。
「もう知らねー!」
ずかずかと歩き出す。
ティプスタンは、その足を見る。
「え? 歩けるの?」
ガミの足が止まった。
「…………」
「嘘だったの!?」
「うるせー!」
走って逃げる。
「走れるじゃないか!」
★
夜。
メリシア邸の縁側には、昼の熱をわずかに残した夜風が流れ込んでいた。
裏庭では、星紡ぎの樹の葉がさらさらと揺れている。
ティプスタンは縁側へ腰を下ろし、庭を眺めていた。
腹痛はようやく落ち着き、唇の腫れも少しずつ引いている。
その肩では――。
「すぅ……」
ミミリルが眠っていた。
「ミミリル。寝るなら部屋に戻った方がいいよ」
「んー……」
起きる気配はない。
そこへレヴィがやってきた。
「アニキ、腹どうだ?」
「もう大丈夫だと思う」
「明日の試合、大丈夫なのか?」
「うん……たぶん」
レヴィは顔を覗き込む。
「まだちょっとタラコみてーだな」
「言わないでよ……」
レヴィは笑いながら隣へ腰を下ろし、そのままティプスタンへ身体を寄せた。
反対側では、ミミリルが肩にもたれて眠っている。
少し離れた廊下から。
ガミが、その様子をじっと見ていた。
ミミリルはくっついている。
レヴィもくっついている。
そして――。
朝食後に聞いた言葉が頭へ浮かんだ。
――添い寝をしてもらった時です。
「…………」
ガミの狼耳がぴくりと動く。
「……そういうことか」
小さく頷く。
★
その夜。
ティプスタンは自室のベッドへ倒れ込んだ。
「今日は疲れたな……」
休養日のはずだった。
なのに、訓練をした日より疲れている気がする。
「明日は選抜戦なのに……」
布団を胸元まで引き上げる。
「もう寝よう……」
ほどなく、意識は沈んでいった。
どれくらい経っただろう。
妙な違和感で目を覚ます。
温かい。
それに――動けない。
「ん……」
薄く目を開く。
ぼやけた視界のすぐ先に、見慣れた狼耳があった。
「…………え?」
目を見開く。
「なっ、なんでガミが僕の布団の中にいるんだ!?」
反射的に身体を引こうとする。
動かない。
ガミの両腕が、がっしりとティプスタンへ回されていた。
「ちょ、ちょっとガミ! 離してよ!」
「んむ……」
むにゃむにゃと口を動かす。
目は閉じたまま。
「寝てる……?」
返事はない。
腕を外そうとしても、びくともしない。
「なんで僕の布団で……」
ティプスタンは諦めて息を吐いた。
その時。
ふわり。
鼻先を、ほのかな香りがかすめる。
「……ん?」
夕方につけていた香油だろうか。
甘く、どこか深い香りが僅かに残っている。
眠気もあって、頭がぼんやりした。
「……ガミのくせに」
小さく呟く。
「なんか、いい匂いがする……」
目の前の顔を見る。
怒鳴っていない。
眉間にも皺はない。
ただ静かに目を閉じている。
「まったく……」
ティプスタンの口元が少し緩んだ。
「黙ってれば、可愛いのに……」
ガミは動かない。
ティプスタンの瞼が再び重くなる。
「今は……もう寝たい……」
ほどなく、小さな寝息が聞こえ始めた。
「…………」
数秒後。
パチリ。
ガミの目が開いた。
腕の中では、ティプスタンがすっかり眠っている。
「……可愛い?」
頬が、じわりと熱くなる。
ドクン。
「……あれ?」
ガミは胸へ手を当て、眠るティプスタンを見つめた。
――黙ってれば、可愛いのに。
「おっかしーな……。なんか胸のあたりが、モヤモヤしてんぞ……」
しばらくして。
「……まあ、いいか」
ティプスタンを抱く腕へ、ほんの少しだけ力を込める。
「これで好感度は上がったな……」
そう呟く。
それでも、頬の熱はなかなか引かなかった。
★37話に続く★




