第32話『試行』
ククルシア共和国代表選抜戦まで、あと三日。
昼前――
メリシア邸の裏庭へ出たティプスタンたちは、旧訓練場を前にして足を止めた。
「なに、これ……?」
昨日まで雑草が生い茂っていた広場が、一夜にして別物へ変わっている。
大小の岩が不規則に並び、その奥には青々とした竹林が広がっていた。
岩と竹は広場の両端へ近づくほど密集し、奥を見通せないほど複雑に入り組んでいる。
対して、中央だけは大きく開けていた。
その地面には、大きな白い円が描かれている。
「あれって……」
ティプスタンは、昨日アンナが地面へ描いた図を思い出した。
「星核戦の《中央陣》のようですね」
アンナも同じことに気づいたらしい。
改めて見渡せば、左右の岩場と竹林も、白い円を挟んで向かい合うように配置されている。
「模擬戦のフィールドか!」
「おぉー!」
ガミとミミリルが、ほとんど同時に声を上げた。
ガミは近くの大岩へ歩み寄り、その表面へ手を触れる。
「やけに冷てぇな、この岩」
「氷でできているからね」
声のした方を見ると、大岩の上にクエンティンが腰掛けていた。
片手には、いつもの煙管。
そのそばにはモモネと、白銀の大狼マリがいる。
「氷?」
ガミが怪訝そうに岩肌を見直す。
「クエンティン様が作った氷に、煙の魔法で色や質感をつけてるんだべ」
モモネの説明を聞き、アンナが細い竹の葉へ触れた。
パキリ、と乾いた音を立てて葉先が折れる。
「この竹も氷なんですね」
幹の節も、細長い葉も、本物と見分けがつかない。
「すげぇな……」
レヴィが感心したように呟いた。
「陽を浴び続ければ溶けてしまうが、半日ほどはもつだろう」
クエンティンは大岩から飛び降りる。
その足元には、訓練用の武器と革製の胸当てが並べられていた。
「吾輩が用意した、模擬星核戦の舞台だよ」
「早く始めようぜ!」
ガミが拳を打ち合わせる。
「その前に、選抜戦の装備規則を確認しておこう」
クエンティンは煙管の先を、並べられた装備へ向けた。
「武器、弾薬、防具には、それぞれ重量規定が設けられている。各区分の規定内であれば、持ち込む数は問われないそうだ」
「俺っちのゴム弾も、重さ次第ってことか」
レヴィが腰の小袋を持ち上げる。
「うむ。弾薬の合計重量が規定内なら、複数持ち込んで構わない」
「俺様の手甲と脚甲は?」
「どちらも防具として認められる。徒手格闘へ使用することもできるが、安全基準は守りたまえ」
「おう!」
続いて、ミミリルが手を上げた。
「持ち込めない物もあるのか?」
「殺傷能力の高い道具や回復用の道具は禁止だ。爆発物も持ち込めない」
ティプスタンは、自分の赤いマントへ目を落とした。
「僕のマントはどうなんでしょうか?」
「うむ。術式魔導具は珍しいが、それは魔力を補うための補助具として扱われるだろう。まあ、大丈夫だよ。たぶん」
「たぶん……」
「あくまで、そのマントは魔力が使えない者のための補助ということにしたまえ。レゾナンスのことは言わなくていい」
「隠してもいいのか?」
ミミリルが尋ねる。
「能力の仕組みまで自分から明かす必要はない。問われるのは方式ではなく殺傷性だ。見せずに済む手札は、伏せておくに限るよ」
「そうなのかー」
「話を戻そう」
クエンティンはそこで、煙管をくわえ直した。
「衝撃や熱を伴わず、音だけを発する物なら持ち込める。当然、相手の鼓膜を破壊するような使い方は違反だがね」
ミミリルのウサギ耳型魔導具が、ぴくりと動いた。
「ウチの構築で作った物はどうなんだ?」
「試合中に作られた物は、持ち込み装備の重量には含まれない。本番では事前申請が必要だが、殺傷能力が低い物であれば使用できる」
「ふーむ……」
ミミリルは、何かを考えるように腕を組んだ。
構築系が生み出せるのは、あくまで物質。
薬効や治癒効果までは再現できないため、回復道具の代わりにはならない。
「魔法には、なんか制限とかあんのか?」
レヴィの質問に、クエンティンが頷く。
「魔法そのものに、一律の出力制限は設けられていない。ただし、道具と同じく殺傷性の高い魔法や、相手の生命を脅かす使い方は禁止だ」
「ふーん」
最後にクエンティンは、革製の胸当てを持ち上げた。
胸から背中までを覆う作りになっており、正面には小さな魔石が埋め込まれている。
「全員に、これを身につけてもらう。選抜戦でも使用される物でね。胸当てのどこかに一定以上の強い衝撃が加わると、魔石が作動して電流が流れる」
「ビリビリするのか?」
「うむ。ビリビリする。しばらくまともに動けなくなるが、それだけで退場にはならない。痺れが治まれば、戦線へ戻れるよ」
武器が軽く触れたり、地面へ転がったりした程度では反応しない。
胸当てを強く打ちつけた時にのみ、電流が流れる仕組みだった。
クエンティンは続いて、装備の隣に置かれた台座へ煙管を向ける。
その上には、人の頭ほどの氷の玉が載せられていた。
青白い煙が、玉の周囲を覆っている。
「これは模擬星核の見本だよ。実際に使用するものは、フィールドの両端に一つずつ設置してある」
ティプスタンたちは、フィールドの奥へ目を向けた。
しかし、岩と竹が密集しており、ここから模擬星核の姿を確認することはできない。
「相手に中央陣を占有されると、自陣の星核を包む煙が消える。その間だけ、相手からの攻撃が有効になるものとする」
クエンティンは、中央陣へ目を向けた。
「ちなみに、模擬戦は一日に一度だけとする」
「一回だけか?」
ガミが不満そうに尋ねる。
「本番では、初めて戦う相手へ何度も挑戦できないからね」
「一度の試合から何を見つけ、次へどう生かすか。それも大切な訓練だよ。たぶん」
「とにかくやってみようぜ!」
待ちきれない様子で、ガミが身を乗り出した。
五人は、それぞれの装備を整えた。
ティプスタンは左腕に《緋幻紋の盾》を装着し、訓練用の木製短剣を握る。
ガミはダマスカス鋼製の手甲と脚甲。
ミミリルは訓練用の木製槍。
レヴィは小型ハンマーと投擲紐を身につけ、ゴム弾入りの小袋を腰へ下げる。
アンナは、使い慣れた短杖を手にした。
最後に全員が、魔石つきの胸当てを装着する。
「あれ?」
ティプスタンは向かい側を見た。
クエンティンの陣営にいるのは、モモネだけだった。
「相手は、クエンティンさんとモモネさんだけですか?」
「吾輩は参加しない。残る四人は、今から用意するよ」
「今から?」
ティプスタンが首をかしげる。
クエンティンは煙管を口にくわえた。
側面に埋め込まれた魔石が紫色に輝き、煙管全体へ光が走る。
余っていた防具と武器へ、青白い煙が吐きかけられた。
青い霜が地面を走る。
渦巻く煙の中で氷が膨らみ、防具の内側を満たしていった。
腕。
脚。
胴体。
頭部。
やがて、四体の人型が姿を現した。
「アイスゴーレムだよ」
一体目は、片手剣と盾を持つ中型。
二体目は、長槍を構えた細身の長身。
三体目は、大型の棍棒を担いだ巨体。
最後の一体だけは、手に何も持っていなかった。
小柄な身体の腰には、丸く膨らんだ袋が二つ。
さらに、四体の胸元には、それぞれ青い光を放つ握り拳大のコアが埋め込まれている。
「片手剣と盾を持つのが《一号》。長槍が《二号》。大きいのが《三号》。最後の小さいのが《四号》だ」
「四号は何をするんだ?」
ミミリルが小柄なゴーレムを指す。
「それは、試合の中で確かめたまえ」
「教えてくれないのか?」
「実戦では、相手がどのような武器や魔法を隠しているか、事前に分からないことも多いからね」
クエンティンは煙管から細い煙を吐いた。
「見えている情報から考え、分からないものへも備える。それも経験だよ。たぶん」
「袋に何か入ってるのは分かるゾ」
「投擲用の何かか?」
レヴィが顎へ手を添える。
だが、クエンティンは答えず、四体の胸元を示した。
「ゴーレムは、あのコアを中心に身体を維持している。一定以上の損傷を与えれば、胸当てが作動した時と同じく、しばらく動けなくなる。ただし、コアの破壊は禁止とする」
続けて、クエンティンは五人を見渡す。
「動けなくなった相手へ攻撃を続けた場合も、選抜戦と同じく失格となる。注意したまえ」
「止まったら、それ以上は攻撃すんなってことだな! 全部ぶっ飛ばしてやるぜ!」
「倒すのが目的じゃねーんだぞ」
レヴィが薄目で突っ込んだ。
★
「両陣営とも、自陣側の開始位置へ移動したまえ」
クエンティンに促され、ティプスタンたちは所定の位置へ移動した。
模擬星核の近くには、ティプスタンとアンナ。
ガミ、ミミリル、レヴィは、開始線の中で可能な限り中央陣に近い位置へ立つ。
「最初の動きは、打ち合わせどおりだ」
レヴィが確認した。
「うん!」
ティプスタンは胸元の留め金具へ手を添える。
レヴィの付与魔法は、通常、一メートルを超えて離れた相手には届かない。
だが、レゾナンスで繋がった相手に限れば、距離を越えて付与魔法を届けられる。
通常版の付与魔法は六分間。
より効果の高い《グラン》系は、三分ほどで効果が切れる。
一方、《インスクリプト・ヴァーミリオン》によって疑似魔力を身体へ宿せるのは三分間。
現状では、効果が尽きるとレゾナンスも切れ、その後三分間は再発動できない。
「双方、準備はよいかね」
「いつでも来い!」
ガミが叫ぶ。
マリが大きく息を吸い込んだ。
「ウォォンッ!」
試合開始の遠吠えが、旧訓練場へ響き渡った。
「インスクリプト・ヴァーミリオン!」
ティプスタンは即座に発動した。
胸元に並ぶ五枚の赤い花弁。
そのうち一枚が輝き、色を失って透明へ変わった。
ドクンッ。
紅の疑似魔力が、ティプスタンの全身を駆け巡る。
発動を確認した瞬間、レヴィとミミリルが同時にティプスタンへ意識を向けた。
二人の胸元から伸びた細い紅光が、ティプスタンの胸へ触れる。
二本の繋がりが、一度に結ばれた。
(アニキ、聞こえるか?)
(うん!)
(ウチも繋がったゾ!)
「行くゾー!」
ミミリルが真っ先に地面を蹴った。
槍を抱え、中央陣へ向かって駆けていく。
レヴィは隣にいるガミへ手を向けた。
ティプスタンもアンナへ手をかざす。
「《アクセラ》!」
二人の声が重なった。
続けて《シェルド》。
最後に《バルクス》。
三度の翠光がガミとアンナの身体へ流れ込み、速さと力、身体の強靭さが引き上げられた。
「行っくぜぇぇぇぇ!」
ガミが地面を蹴る。
先に走り出したミミリルとの差が、見る間に縮まっていく。
「速すぎるゾ!」
「遅すぎだぜっ!」
ガミがミミリルへ追いつき、そのまま前へ出た。
ティプスタンは、走り去るミミリルへ意識を向ける。
すでに一メートル以上離れている。
それでも、二人を結ぶレゾナンスは残っていた。
「《アクセラ》!」
遠くを走るミミリルの身体へ、翠色の光が流れ込む。
一歩ごとの間隔が大きく広がった。
「《シェルド》! 《バルクス》!」
二度、三度と翠光がミミリルの身体を駆け抜ける。
槍を握る腕と、地面を蹴る脚へ込められる力が増した。
身体の強靭さも引き上げられた。
ミミリルは、さらに速度を上げていく。
(届いたゾ!)
(中央の守りは任せたよ、ミミリル)
(任されたゾ!)
レヴィも二人を追いながら、自分へ《アクセラ》を施す。
アンナは中央陣と自陣の星核、その両方を見渡せる中間地点へ。
ティプスタンは星核前へ下がった。
自分自身には、まだ付与魔法を使わない。
状況を見て、通常版と《グラン》系を使い分けるためだった。
(予定どおり、俺っちはガミが中央を取ったら星核へ向かう)
(うん。僕は星核の守りを優先するよ)
中央陣へ向かっているのは、ガミたちだけではない。
クエンティン側からも、一号と二号が走っていた。
だが、ガミの方が圧倒的に速い。
「中央はもらったぁぁぁぁ!」
ガミが円内へ飛び込んだ。
円内にいるのは、ガミ一人だけ。
中央陣の占有が成立し、クエンティン側の星核を包んでいた青白い煙が消える。
遅れて、一号と二号が中央陣へ到達した。
(取ったゾ!)
(うん!)
追いついたミミリルは円外で槍を構えた。
二号が長槍を突き出し、ガミを狙う。
「させないゾ!」
ミミリルが横から槍を打ち払い、穂先を逸らす。
二号を抜けて、一号がガミへ迫った。
片手剣を、ガミが手甲で受け止める。
ほぼ同時に、ミミリルの槍が一号の盾を突いた。
一号の足が、僅かに外側へずれる。
「よし!」
中央の占有を確認したレヴィは、外周から敵陣へ向かって走り出した。
(俺っちは星核へ行く!)
(分かったゾ!)
一号と二号は、すぐに中央陣の奪還へ動いた。
どちらか一体でも円内へ踏み込めば、ガミによる占有は崩れ、クエンティン側の星核を守る青白い煙が戻る。
二号が長槍を突き出しながら、白線を踏み越えようとする。
「入れさせっかよっ!」
ガミが穂先を手甲で弾いた。
その隙に、一号が盾を構え、反対側から円内へ踏み込もうとする。
「そっちも駄目だゾ!」
ミミリルが盾の縁を槍で突き、一号の身体を外側へ逸らした。
「助かったぜ!」
「中央から出るんじゃないゾ!」
「分かってるって!」
押し戻された一号に代わり、二号の長槍が再び伸びる。
穂先でガミを牽制しながら、白線へ足を運んだ。
白線を挟み、一号と二号、ガミとミミリルが入り乱れている。
広く相手を押し飛ばす風では、味方まで巻き込みかねない。
今必要なのは、二号の武器だけを遠距離から狙い、動きを制御する精密な援護だった。
アンナは短く息を整えた。
「風魔法――《ウィンド・ウィップ》!」
短杖の先に生まれた小さな渦が、一本の鞭となって伸び、長槍へ巻きつく。
アンナが短杖を振ると、槍を引かれた二号の体勢が崩れ、踏み込む寸前だった足が止まった。
「今よ!」
「おらぁっ!」
ガミの蹴りが一号の盾を叩き、一歩後退させる。
一号が正面から押し込めば、ガミが押し返す。
二号が空いた場所から侵入を狙えば、ミミリルが外側から食い止める。
そこへアンナの風が加わり、二体は白線を越えられない。
中央陣の占有は、維持されていた。
その時。
ドドドドドッ――!
地面を揺らすような足音が近づいてきた。
モモネが中央陣へ向かって駆けている。
「来るゾ!」
「分かってる!」
大柄な選手が勢いのまま円内へ突っ込み、占有者を弾き出す。
それは、ティプスタンたちも前もって想定していた。
ガミが腰を落とし、正面からの突進に備える。
ミミリルも槍をモモネへ向け、アンナはすぐに風の鞭を伸ばせるよう短杖を構え直した。
ところが、モモネは白線へ飛び込まなかった。
中央陣から数歩離れた場所で、ぴたりと足を止める。
「……来ねぇのか?」
「油断しないで!」
アンナは一号と二号への援護を続けながら、視界の端にモモネを捉えていた。
今は動いていない。
それでも、いつ突進してくるか分からない。
一号と二号は、何度も中央陣への侵入を試みてくる。
そのたびにガミとミミリルが押し返し、アンナの風が僅かな隙を塞いだ。
(なぜ、モモネさんは待機しているの……?)
アンナがモモネへの警戒を強めていた頃、レヴィは岩と竹の間を抜け、相手の星核へ迫っていた。
青白い煙は消えている。
今なら、星核への攻撃は有効だった。
しかし――
「こいつ……!」
星核の前には、大型の三号が立っていた。
片手に棍棒を持ち、その巨体で奥への道を塞いでいる。
左右には岩と竹が迫り、星核を狙える隙間はほとんどない。
三号は棍棒を持たない方の手で胸元のコアを覆い、身体を丸めるようにして星核を守っていた。
コアは、破壊さえしなければ攻撃しても構わない。
ゴム弾でも同じ場所へ何度か当てれば、一時的に動きを止められるはずだった。
だが、今は肝心のコアが狙えない。
レヴィは投擲紐へゴム弾を乗せ、三号の足首へ狙いを定めた。
体勢を立て直そうとして胸元を覆う手が動けば、露出したコアへ続けて撃ち込む。
「まずは、足元を崩す!」
レヴィは自分へ《グラン・バルクス》を施し、投擲紐を振り抜いた。
バシッ!
ゴム弾が三号の足首へ命中する。
氷の表面が僅かに欠けた。
だが、三号は重心を動かすことすらなかった。
胸元を覆う手も、星核を守る姿勢も崩れない。
「なら、もう一発だ!」
二発目のゴム弾を装填し、同じ足首へ放つ。
バシッ!
先ほど欠けた箇所へ再びゴム弾が食い込み、細い亀裂が走った。
三号の巨体が、僅かに傾く。
それでも倒れず、コアを覆う手も動かなかった。
「氷が分厚すぎる……。時間がかかるな」
撃ち続けている間に、中央陣の占有が崩れる可能性もある。
レヴィは三号の肩越しへ目を向けた。
背後に、模擬星核が僅かに見える。
しかし、今いる位置からでは三号の身体が射線へ重なっていた。
「体勢を崩すまで撃ってる暇はねぇ。直接、隙を作る!」
三号に棍棒を振らせれば、少なくとも身体の向きと重心は動く。
攻撃をかわして側面へ回れば、コアか星核への射線が開くかもしれない。
レヴィは新たなゴム弾を投擲紐へ乗せたまま、三号との距離を詰めていった。
その頃、中央陣では――
疑似魔力を使って索敵を続けていたミミリルのウサギ耳型魔導具が、ぴくりと揺れた。
右側の岩陰を、小柄な気配が回り込んでいる。
「ガミ! 四号が右から来るゾ!」
「おう!」
岩陰から現れた四号は、中央陣の外周に沿ってガミの右側へ近づいてきた。
手には何も持っていない。
腰には二つの袋。
何かを仕掛けてくることは分かる。
だが、その中身までは読めない。
自陣の星核前では、ティプスタンの視界の下端で、赤い光が明滅していた。
一度。
短い間を置いて、もう一度。
「……!」
五枚の花弁に囲まれた中央の丸い宝石が、鼓動のように明滅している。
《インスクリプト・ヴァーミリオン》の残り時間が、一分を切ったのだ。
ティプスタンは、繋がっている二人へ意識を向けた。
(レヴィ、ミミリル! あと一分で切れる!)
(もうかよ!)
(分かったゾ!)
この先、どれほど戦いが続くかは分からない。
短時間の《グラン》系ではなく、持続時間の長い通常版を選ぶ。
「《アクセラ》! 《シェルド》! 《バルクス》!」
翠光が、ティプスタンの身体へ流れ込む。
盾を支える腕と、地面を踏みしめる脚へ、普段以上の力を込められるようになった。
身体の強靭さも引き上げられている。
間もなく疑似魔力とレゾナンスは失われる。
だが、すでに発動させた付与魔法までは消えない。
再発動までの空白を耐えるための備えだった。
ミミリルは四号へ槍先を向ける。
円内にいるのは、今もガミ一人だけ。
一号と二号は白線の手前で侵入の機会を窺い、ミミリルとモモネ、四号はいずれも円の外側にいる。
四号は中央陣の右側を回り込みながら、腰の袋へ手を伸ばしていた。
「何かする前に、ウチが止めるゾ!」
ミミリルが外周を走り、四号へ向かう。
その分、円内に立つガミとの距離が開いた。
それまで動かなかったモモネが、ミミリルの進路へ立ちはだかる。
「ここは通さねぇべ」
「通してもらうゾ!」
ミミリルがモモネの胸当てに槍を突き出した。
モモネは穂先の内側へ踏み込み、手甲で柄を弾き上げる。
ガンッ!
「わっ!?」
槍先が大きく跳ね上がり、ミミリルの上体がのけ反った。
その隙を逃さず、一号と二号が同時にガミへ迫る。
一号が盾を正面から押し込み、二号がその脇から長槍を伸ばした。
「ぐっ……!」
ガミは一号の盾を押し返そうとする。
だが、右へ動けば二号の穂先に脇腹を捉えられ、左へ逃れれば一号に白線の外へ押し出される。
踵が、中央陣の縁まで滑った。
後方にいるアンナは、モモネへ短杖を向けかけた。
しかし、今ここでガミが押し出されるか、二号に侵入されれば、中央の占有は失われる。
アンナは即座に短杖の向きを変えた。
二号の長槍へ巻きつけていた風の鞭を、外側へ強く引く。
二号の穂先がガミの脇腹から逸れた。
体勢を崩した二号は、白線を越えようとしていた足を引き戻す。
「ガミさん、踏ん張って!」
「言われなくても!」
ガミが一号の盾を押し返し、どうにか円内へ留まった。
だが、ガミとアンナの意識が一号と二号へ集中した、その僅かな隙を突き――
四号が腰の袋から、束ねられた縄を引き出した。
バッ!
両腕を広げる。
縄の束が一気に展開し、縁へ重りをつけた大きな投網へ変わった。
「あれ、網だゾ!」
「なっ――」
四号が投網を振りかぶる。
ほぼ同時に、ティプスタンの胸元で中央の丸い宝石が激しく明滅した。
(もうすぐ切れる!)
二人へ警告を送った直後。
宝石から赤い色が抜け落ち、透き通った無色へ変わった。
全身を巡っていた紅の疑似魔力が消える。
レヴィとの繋がり。
ミミリルとの繋がり。
二本のレゾナンスが、疑似魔力とともに途切れた。
ミミリルの疑似魔力による索敵も、そこで失われる。
四号が投網を放った。
「ガミ!」
ミミリルの声が飛ぶ。
ガミは横へ逃れようとした。
右には二号の長槍。
左には一号の盾。
後ろへ下がれば、自ら白線を越えてしまう。
迷った一瞬。
投網が、ガミの頭上から覆いかぶさった。
「チッ、こんなもん!」
ガミは《バルクス》で強化された腕に力を込め、網を引く。
だが、縄は手甲へ絡み、重りが両脚へ巻きついていた。
足元を取られ、踏ん張りが利かない。
それでも、ガミの両足はまだ白線の内側にある。
中央陣の占有は、途切れていない。
一号が再び盾を押し込み、二号も円内へ踏み込もうとする。
「入れさせねぇぞ!」
ガミは網に絡まった両腕を振り回し、一号の盾を殴りつけた。
さらに両脚を強引に振るう。
網の重りが地面を跳ね、二号へ飛んだ。
二号は長槍の柄で重りを受け、踏み込みを止める。
自由には動けない。
それでもガミは円内に立ち、自分の身体を最後の壁にして二体の侵入を防いでいた。
投網の縁からは、一本の長い引き縄が白線の外へ伸びている。
四号はその縄を地面へ落とすと、モモネの進路を空けるように横へ退いた。
モモネがミミリルの槍を強く押し返す。
「わっ!」
ミミリルの足が後ろへ下がった。
モモネが引き縄へ向き直った。
「《鬼岳踏歩・山跨》」
ドンッ――!
モモネが地面を踏み抜く。
数メートルの距離を一歩で詰め、その巨体が引き縄のそばへ躍り出た。
「しまったゾ!」
ミミリルが追おうとした。
だが、一号が白線の外側を回り込み、その進路へ盾を差し込む。
「邪魔だゾ!」
ミミリルが槍を盾へ叩きつける。
一号は両脚を広げ、その場から動かない。
アンナもモモネへ短杖を向けた。
その瞬間、二号がガミの横から円内へ足を踏み出す。
「させない!」
アンナは即座に短杖を戻し、長槍へ巻きついた風の鞭を強く引いた。
二号の足が、再び白線の手前で止まる。
その間に、モモネは地面へ伸びた引き縄を掴んでいた。
「よいしょっ!」
腰を深く落とし、引き縄を斜め上へ一気に引き上げる。
「何しやが――うおぉぉぉぉっ!?」
足元をすくわれるように、ガミの身体が投網ごと宙へ浮いた。
両足が地面から離れ、そのまま網ごと白線の外へ引き抜かれる。
円内からティプスタン側の選手がいなくなり、占有が解除された。
同時に、敵陣の模擬星核を青白い煙が再び覆う。
モモネは勢いを殺さず身体を回転させ、引き縄を大きく振り抜いた。
ガミを包んだ投網が、円の外側で宙を舞う。
モモネが引き縄を放した。
ガシャァン――!
ガミは受け身を取る間もなく、背中から氷の大岩へ激突した。
胸当ての背面へ強い衝撃が加わり、魔石が明滅する。
バチンッ! バリバリバリッ!
「がっ――!」
電流が全身を走り、ガミは大岩のそばへ崩れ落ちた。
敵陣へ接近していたレヴィは、目の前の星核を青白い煙が覆ったのを見て、足を止めた。
「戻りやがった……!」
中央陣で何が起きたのかまでは分からない。
だが、ガミによる占有が途切れたことだけは、目の前の煙が示していた。
このまま敵陣へ残っていても、星核には攻撃できない。
三号はいまだ、巨大な棍棒を構えたまま、微動だにせず星核を守っている。
「くそっ……」
レヴィは一瞬だけ迷い、三号へ背を向けた。
「まずは中央だ!」
来た道を引き返し、岩と竹の間を駆け出す。
しかし、レヴィが中央陣へ戻るより早く――
誰もいなくなった白い円へ、二号の長い脚が伸びていた。
白線まで、あと一歩。
★33話に続く★




