第30話『手繰り』
ククルシア共和国代表選抜戦まで、あと五日。
アンナが五人目に加わった、その日の夕暮れ――
「ミミリル」
「ん? なんだ?」
夕食前。
廊下を歩いていたミミリルが振り返った。
壁際には、ガミが腕を組んで立っている。
いつになく険しい顔だった。
「ちょっと来い」
「?」
ミミリルが不思議そうに近づく。
「どうしたんだ?」
ガミは辺りを見回した。
誰もいないことを確かめると、声を潜める。
「……お前、どうやった?」
「何が?」
「ティプスタンと繋がったやつだよ」
「ああ! レゾナンスか!」
「声がデケェ!」
ガミは慌ててミミリルの口を塞いだ。
「むぐっ!」
「いいか。俺様がお前にこのことを聞いたってのは、誰にも言うな」
「なんでだ?」
「なんでもだ! 特にレヴィには言うんじゃねぇ」
ガミは何度もレゾナンスを試した。
それでも、ティプスタンとは繋がれなかった。
一方、レヴィは成功した。
ミミリルに至っては、一度目で繋がっている。
納得できない。
まったくもって、納得できない。
「なんかコツがあんだろ? 教えろよ」
「コツかぁ……」
ミミリルは腕を組んだ。
頭につけたウサギ耳型魔導具も、考え込むように垂れる。
「レヴィは、ティプスタンの力になりたいって気持ちが大事だって言ってたゾ」
「それは聞いた」
「だったら――」
ミミリルが、ぽんと手を打った。
「好きって気持ちが大事なんじゃないか?」
「…………」
ガミが固まった。
「好き?」
「うん!」
「ティプスタンを?」
「うん!」
「…………」
ガミは難しい顔になった。
「分かんねー」
「えー?」
「好きって、何をすりゃいいんだよ」
ミミリルは、さらに考え込んだ。
「大事にするとか?」
「大事に……」
「困ってたら助けたり!」
「助ける……」
「優しくしたり!」
「優しく……」
「美味しいものをあげたり!」
「美味しいもの……」
その時。
廊下の先にある厨房から、香ばしい匂いが漂ってきた。
油の弾ける音も聞こえる。
ガミの耳が、ぴくりと動いた。
「唐揚げ!」
「そうだゾ!」
ガミの顔が、ぱっと明るくなった。
「なるほどな!」
「分かったか?」
「ああ!」
何かを理解した顔だった。
ミミリルも満足そうに頷く。
二人とも。
おそらく、何も分かっていなかった。
★
その夜。
メリシア邸の大食堂には、屋敷の者たちが一堂に集まっていた。
高い天井から、柔らかな灯りが降り注いでいる。
広い室内の中央には大きな長卓が置かれ、焼きたてのパンや、豆と根菜をじっくり煮込んだスープ、温野菜、香ばしく揚げた鶏肉などが並んでいた。
特別な日のご馳走というわけではない。
けれど、どの料理も丁寧に作られ、立ち昇る湯気と温かな香りが食欲を誘う。
席についているのは、この屋敷の主であるメリシアと、その夫カプリオス。
ティプスタン、ルベッカ、ガミ、ミミリル、レヴィ。
そして、玄冥郷から戻って以来、客人として滞在しているクエンティンとモモネ。
白銀の大狼マリだけは、食卓のそばに敷かれた大きな敷物の上へ伏せていた。
クエンティンが幼い頃からミミリルを育ててきた、親であり兄のような存在だと知った時、ティプスタンは驚いた。
マリとも旧知の仲らしく、再会した際には大きな身体で飛びつかれ、そのまま床へ押し倒されていた。
賑やかな話し声と、皿や銀器が触れ合う控えめな音が、大食堂の穏やかな空気に溶け込んでいる。
そんな夕食の席で。
ティプスタンは、妙な視線を感じていた。
「…………」
向かい側を見る。
そこにはガミがいた。
先ほどから自分の皿にある唐揚げにも手を伸ばさず、頬杖をついてこちらを見ている。
「……ガミ」
「あ?」
「さっきから、なんで僕を見てるの?」
「見てねーよ」
「見てるよ」
「見てねー!」
ガミは慌てたように顔を逸らした。
その隣で、レヴィが鼻を鳴らす。
「ずっと見てたぜ」
「見てねーっつってんだろ!」
「アニキの顔に肉でもついてんのか?」
「喧嘩売ってんのか、お前」
「なんだ? どうしたんだ?」
ミミリルも首を傾げる。
ウサギ耳型魔導具まで、同じ方向へ倒れた。
食卓の端では、クエンティンが面白そうに目を細めている。
モモネは状況が分からないまま、大きな口でパンを頬張っていた。
「ティプスタン」
「え?」
ガミが、自分の取り皿を持ち上げた。
皿には、大ぶりの唐揚げが三つ残っている。
「お前、唐揚げ好きだろ?」
「う、うん。好きだけど……」
「これ、食えよ」
「…………え?」
ガミは自分の取り分だった唐揚げを、ティプスタンの皿へ移した。
一つ。
二つ。
そして、最後の一つまで。
「全部?」
「ああ。遠慮すんな」
「…………」
レヴィの手が止まった。
ミミリルのウサギ耳も止まった。
メリシアは目を丸くし、隣に座るカプリオスも何事かと食事の手を止めている。
ルベッカが銀縁眼鏡を押し上げた。
「……ガミ」
「なんだよ」
「体調が悪いのですか?」
「なんでだよ!」
「あなたが好物を自発的に譲るのは、明らかに異常です」
「俺様だって唐揚げくらい譲るわ!」
「先ほど最後の大皿が運ばれた際、ミミリルを押し退けて自分の分を確保していましたが」
「あれは早い者勝ちだろ!」
「現在、その戦利品をすべて手放しています」
「…………」
ガミが黙り込む。
レヴィが吹き出した。
「ブハッ!」
「笑うな!」
「だ、だってよぉ……!」
「ぶっ飛ばすぞ!」
いつものように言い争いを始める二人。
料理を運んでいた侍従たちも、ひそかに笑みを浮かべている。
メリシアは口元へ手を添え、カプリオスは困ったような、それでいて穏やかな笑みを浮かべていた。
ティプスタンは少しだけ安心した。
さっきまでのガミは、本当に妙だった。
しかし。
ガミの奇妙な行動は、それで終わらなかった。
★
「ティプスタン!」
「うわっ!?」
夕食後。
自室へ向かおうとしていたティプスタンの前へ、ガミが飛び出してきた。
「な、なに?」
「肩、もんでやろうか?」
「…………え?」
「疲れてんだろ?」
「いや、別に――」
「遠慮すんな!」
がしっ。
「いだだだだだっ!」
凄まじい握力が肩へ食い込む。
「痛い! 痛いよ、ガミ!」
「効くだろ!」
「こ、壊れるっ!」
その後もガミは、水を運んでは押しつけ、荷物を持とうとしては奪い取った。
そして――
「ティプスタン!」
「今度はなに!?」
「背中、流してやろうか?」
「背中?」
「風呂だよ」
「な、何言ってるんだよ。一人で入るよ!」
「遠慮すんな!」
「してない!」
廊下へ二人の声が響く。
自室へ戻る途中だったルベッカが、足を止めた。
銀縁眼鏡の奥から、二人をじっと見つめる。
「…………」
「ル、ルベッカ」
「何をしているのですか?」
「いや、これは……」
「ティプスタンの世話だ!」
ガミが堂々と答えた。
「なぜです?」
「必要だからだ!」
「ですから、なぜ必要なのです?」
「…………」
ガミの目が泳ぐ。
ティプスタンも言葉に詰まった。
ルベッカには、まだ選抜戦へ出場することを秘密にしている。
病み上がりの彼女へ、余計な心配をかけたくない。
それが表向きの理由だった。
もっとも、話せば止められる可能性が高い、という事情も大きい。
「その……」
ティプスタンが言葉を探していると、ガミがその肩へ腕を回した。
「漢同士の絆を深めるためだ!」
「…………」
「…………」
ルベッカは銀縁眼鏡を押し上げた。
「ガミ。あなたは女性ですが」
「そういう意味じゃねーよ!」
「では、どういう意味です?」
「心意気の話だ! 心意気!」
ティプスタンは、二人の間で困ったように視線を泳がせた。
「その……仲間として、もっと仲良くなろうとしてるだけだよ」
「なるほど」
ルベッカは、ガミの腕に捕まっているティプスタンを見た。
「少なくとも、ティプスタンが望んでいるようには見えませんが」
「うっ……」
「遠慮してるだけだ!」
「してないよ!」
「…………」
ルベッカの眉が、わずかに寄った。
「そうですか」
「お、おう」
ルベッカはもう一度眼鏡を押し上げ、そのまま歩き去った。
足音が遠ざかっていく。
ティプスタンは声を潜めた。
「絶対に怪しまれたよ……」
「大丈夫だろ」
「どこが?」
廊下の角を曲がったルベッカは、裏庭側の窓の前で足を止めていた。
暗い庭の向こう。
雑草の生えた旧訓練場が、月明かりに照らされている。
「…………」
ルベッカは、しばらくそこを見つめた。
★
同じ頃。
メリシア邸の縁側。
クエンティンは夜空を眺めながら、煙管をくゆらせていた。
白い煙が細く昇り、月明かりへ溶けていく。
「クエンティン!」
「おや」
ミミリルが走ってきた。
「相談があるゾ!」
「恋の悩みかな?」
「違うゾ」
「それは残念」
ミミリルはクエンティンの隣へ腰を下ろした。
「ウチら、ククルシアの代表選抜戦に出るんだゾ」
「代表選抜戦?」
クエンティンの青い瞳が、わずかに細くなる。
「ああ。レグリア王国のコロシアムへ出場する代表を決める、あの大会かね」
「そうだゾ。そのグループ戦に出るんだ。やっと五人集まったんだゾ!」
「ほう」
クエンティンは興味深そうに煙管を傾けた。
「顔ぶれを聞いても?」
「ティプスタンと、ウチと、ガミと、レヴィ。それから学園生徒のアンナって子だゾ!」
「そうかい。そうかい」
クエンティンは、ゆっくりと煙を吐いた。
「それは実に青春的だね。仲間が集い、同じ目標へ向けて――」
「それでな!」
「最後まで言わせてくれないかね?」
「特訓につき合ってほしいんだゾ!」
クエンティンは煙管を口元から離した。
「吾輩が?」
「うん!」
「構わないが――」
クエンティンはミミリルを見る。
「君だけではない。ガミ君もレヴィ君も、五精霊の呪怨を抱えているのだろう?」
「うん」
「今は、自分の魔力を極力使わないようにしているはずだ」
煙管から細い煙が流れる。
「そんな状態で、大会へ出るのかね?」
「あっ、それなら大丈夫だゾ!」
「ほう?」
「ティプスタンのレゾナンスがあるんだ!」
ミミリルは得意げに胸を張った。
「ティプスタンと繋がれば、ウチらも疑似魔力を使えるんだゾ。自分の魔力を使わなくても戦えるんだ!」
「……なるほど」
クエンティンの表情から、いつもの冗談めいた色が少し薄れた。
「疑似魔力を、接続先へ供給するわけか」
「それだけじゃないゾ。繋がってると、頭の中で話せるんだ。ティプスタンも、繋がった相手の力を使えるみたいだゾ」
「……それは興味深い」
「ただな」
ミミリルのウサギ耳が垂れる。
「まだ、ウチとレヴィしかちゃんと繋がれてないんだ」
「ガミ君は?」
「何回やってもダメだゾ」
「一度もかね?」
「荷車を止めた時だけは繋がったみたいだゾ。でも、狙ってやろうとすると全然ダメなんだ」
「……なるほど」
クエンティンは煙管の先を見つめた。
「再現できない力を、作戦の前提にはできない。まずは、そこを確かめる必要がありそうだね」
「明日はアンナが来るから、五人で能力とか作戦とか話す予定なんだ。アンナともレゾナンスを試すゾ」
「ならば、ちょうどいい」
クエンティンは煙管を指先で回した。
「吾輩との特訓は、その翌日にしよう」
「明後日?」
「君たちにも、まず互いの手札を知る時間が必要だ。それに――」
にやり。
クエンティンが笑う。
「吾輩にも、舞台を整える時間くらいは欲しいのでね」
「分かったゾ!」
「ただし」
煙管の先を、ミミリルへ向ける。
「疑似魔力が使えるからといって、呪怨そのものが消えたわけではない。君たちが自分の魔力まで無理に引き出そうとするなら、その時点で止めるよ」
「分かったゾ!」
「それから、ルベッカちゃんは選抜戦へ出ないのだね」
「ルベッカは出ないゾ」
「では、この話は彼女には?」
ミミリルのウサギ耳が、ぴたりと止まった。
「…………」
「なるほど」
それだけで、すべてを察したようだった。
「秘密かね」
「今はだゾ!」
「秘密とは煙のようなものだよ。隠そうと握り締めれば――」
「明後日、よろしくな!」
「最後まで言わせてくれんかね?」
クエンティンは苦笑した。
ふぅ――。
白い煙が、夜空へ溶けていった。
★
翌日――
ククルシア共和国代表選抜戦まで、あと四日。
朝食を終えると、ルベッカは一人で外出の支度を始めた。
肩掛け鞄の中には、筆記用具と分厚い手帳。
返却する予定の書物が数冊入っている。
「今日も中央図書館?」
ティプスタンが尋ねた。
「はい」
ルベッカは鞄の留め具を確認した。
「五界使徒に関する文献を、改めて調べます。帰宅は夜になる予定です」
「そ、そうなんだ」
「何か?」
「な、なんでもないよ!」
「そうですか」
ルベッカはティプスタンを見た。
次にガミ。
ミミリル。
レヴィ。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい!」
扉が閉じる。
足音が完全に遠ざかったところで、ティプスタンは、ほっと息を吐いた。
「絶対、怪しまれてるよ……」
「何も聞かれなかったんだから、大丈夫だろ」
ガミは気にした様子もなく、勢いよく立ち上がった。
「よし! さっそく特訓だ!」
「今日はアンナとの顔合わせだろ」
レヴィが呆れた声を漏らした。
「自己紹介なんてすぐ終わんだろーが! その後に特訓だ!」
「アンナともレゾナンスを試すんだゾ!」
「だったら、俺様ももう一回やるぞ!」
「昨日あれだけ失敗しただろ」
「今日は繋がる!」
ガミは待ちきれないとばかりに拳を打ち合わせている。
アンナが加わり、人数だけなら五人は揃った。
けれど、互いに何ができるのか。
どうやって五人で戦うのか。
まだ何一つ、決まっていない。
ガミとは、まだ狙ってレゾナンスを成功させられない。
選抜戦まで、あと四日。
残された時間は少ない。
それでも、まずは五人で向き合わなければ始まらない。
ティプスタンは赤いマントを整え、裏庭へ向かう三人の後を追った。
五人はひとつのチームになれるのか。
それを確かめる最初の日が、始まろうとしていた。
★31話に続く★




