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ELVES《エルヴス》―命の器の継承者―  作者: 克
Passage/レグリアへの道編

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第29話『五人目』

「もう一回だ!」


「う、うん!」


 メリシア邸の裏庭にある旧訓練場に、ガミの威勢のいい声が響き渡った。


 かつては日々の鍛錬に使われていた広場も、今では所々に雑草が生い茂っている。


 その中央で、ティプスタンは胸元の留め金具へ手を添えた。


 赤い花弁を模した五枚の装飾。


 うち二枚はすでに色を失い、透明になっている。


 五枚の花弁に囲まれた中央の丸い宝石は、先ほどまで無色だったが、三分間の再発動待機を終え、元の赤色へ戻っていた。


 再び使用できる状態になった合図だ。


「インスクリプト・ヴァーミリオン!」


 大きく息を吸い、唱える。


 残る三枚の赤い花弁のうち、一枚が輝いた。


 直後、その花弁から赤い色が抜け落ち、透明へと変わる。


 ドクンッ。


 紅の疑似魔力が、ティプスタンの全身を駆け巡った。


 正面では、腕を組んだガミが仁王立ちしている。


「よし。来い!」


「来いって言われても……」


「いいから集中しろ!」


「わ、分かったよ」


 ティプスタンは目を閉じた。


 先日の荷車事故を思い出す。


 医療物資を満載した大型荷車が坂を滑り出し、ガミを石柱へ押し潰そうとしていた。


 ――ガミを助けたい。


 そう強く願った瞬間、二人の間に細い紅光が生まれ、ティプスタンの疑似魔力がガミへ流れ込んだ。


 あの時の感覚を、もう一度。


 意識を研ぎ澄ませる。


 一分。


 二分。


 しかし、二人の間には何も起こらない。


 やがて視界の下端で、赤い光が明滅を始めた。


 一度。


 短い間を置いて、もう一度。


 中央の丸い宝石が、残り時間が一分を切ったことを知らせている。


「もう時間が……」


「まだ終わってねぇ! 集中しろ!」


「う、うん!」


 ティプスタンは改めてガミへ意識を向けた。


 それでも、二人を結ぶ紅光は現れない。


 中央の宝石は次第に明滅の間隔を縮めていく。


 そして――。


 ふっ。


 宝石から赤い色が抜け落ち、透き通った無色へと変わった。


 同時に、全身を巡っていた疑似魔力が消える。


「だぁーっ! またダメか!」


 ガミが悔しそうに地面を踏み鳴らした。


「なんでだよ! この間は繋がったじゃねーか!」


「僕にも分からないよ……」


 ククルシア共和国代表選抜戦まで、あと六日。


 そこで優勝し、ククルシア代表に選ばれれば、第一星腕国家レグリア王国で開催される国王主催のコロシアムへ出場できる。


 旅費や宿泊費、大会期間中の支援費用もククルシア共和国が負担してくれるとあって、ガミはすっかりその気になっていた。


 だが、ティプスタンたちには大きな問題がある。


 ガミ。


 ミミリル。


 レヴィ。


 三人とも五精霊の呪怨を抱えており、自分の魔力を安易に使えば、症状が悪化する危険があった。


 そこでガミが目をつけたのが、ティプスタンのレゾナンスだった。


 先日の事故では、ティプスタンから流れ込んだ疑似魔力を使うことで、ガミは途切れていた魔力の流れを一時的に取り戻した。


 あれを意図的に使えるようになれば。


 自分の魔力を使わず、呪怨を悪化させることなく戦えるかもしれない。


 そう考えたガミは、朝からティプスタンを旧訓練場へ引っ張り出してきたのだ。


 最初のガミとの接続は失敗。


 次にレヴィを相手に試したところ、こちらは成功した。


 レヴィの胸元から伸びた細い紅光がティプスタンへ繋がり、その状態で付与魔法を使うと、ティプスタンの疑似魔力を消費する形で問題なく発動した。


 その後も何度か魔法を使ってみたが、少なくとも今までのところ、レヴィの呪怨が悪化する兆候は確認されていない。


 玄冥郷でクマシゲと戦った時、レヴィはティプスタンを助けようとするあまり、自分自身の魔力を何度も使っていた。


 結果として、火精霊イグニスの呪怨が悪化した。


 だが、疑似魔力を経由した魔法であれば、今のところ呪怨へ影響を与えていない。


 そして、先ほどの失敗が三度目の試行だった。


「だからさぁ」


 少し離れたところで様子を眺めていたレヴィが、面白そうに口元を吊り上げた。


「俺っちが思うに、アニキのレゾナンスってのは、互いの信頼関係が土台になってんじゃねーかな」


「はぁ?」


 ガミが不機嫌そうに振り返る。


「俺っちとは繋がった。お前とは繋がらない」


「喧嘩売ってんのか?」


「事実を言っただけだろ」


 ガミのこめかみに青筋が浮かぶ。


 それを見て、レヴィはますます楽しそうな顔になった。


「でも、ただ信用してりゃいいってだけでもねーと思うんだよな。相手の力になりたいって、本気で思った時とか……そういう気持ちが重なった時に発動するんじゃねーか?」


「俺様だってティプスタンの力になってやってんだろーが!」


「どこが?」


「こうやって特訓につき合ってやってる!」


「どう見てもアニキがつき合わされてんだろ」


「んだと!?」


 二人が睨み合い始めたため、ティプスタンは慌てて間へ割って入った。


「まあまあ! 喧嘩しても上手くいかないよ!」


「ウチもやってみたいゾっ!」


 そこへ、ミミリルが元気よく手を挙げた。


 緑色の瞳は好奇心で輝き、頭に着けたウサギ耳型魔導具もぴんと立っている。


「ミミリルも?」


「うん! ウチもティプスタンと繋がってみたいゾ!」


「そんな簡単なもんじゃねーんだって」


 レヴィはやれやれと肩をすくめると、得意げに自分の胸を親指で指した。


「俺っちとアニキだから使える力なんだよ」


「お前、今さっき信頼関係がどうとか言ってただろーが」


「だから、俺っちとアニキには信頼関係があるってことだ」


「なんかムカつくな、お前」


 ガミが再び食ってかかろうとしたので、レヴィはさっと距離を取った。


「まあ、試すだけならやってみろよ。コツはアニキの力になりたいって、強く思うことだな」


「なるほど!」


 ミミリルは素直に何度も頷いた。


「分かったゾ!」


 四人が話している間も、ティプスタンの胸元にある中央の宝石は透明なままだった。


 疑似魔力が消えてから三分。


 ほどなく宝石の内側から赤い色が静かに広がり、明滅することなく元の色を取り戻した。


「あ、また使えるようになった」


 ティプスタンは宝石を確かめ、その周囲へ目を移す。


 赤色を残す花弁は、あと二枚。


「じゃあ、いくよ」


「いつでも来いだゾ!」


「インスクリプト・ヴァーミリオン!」


 二枚の赤い花弁のうち、一枚が輝き、透明へと変わった。


 中央の宝石は赤色のまま。


 紅の疑似魔力が、再びティプスタンの全身を駆け巡る。


 直後、ミミリルの胸元が脈打ち、そこから細い紅光が伸びた。


「え?」


 光は迷うことなくティプスタンへ向かい、胸元で繋がった。


「おおっ!」


 ミミリルが目を輝かせる。


「繋がったゾ!」


「…………」


 レヴィは目を丸くしたまま固まり、ガミもぽかんと口を開けていた。


 数秒の沈黙を破ったのは、ガミの絶叫だった。


「なんでだよっ!」


 声が訓練場いっぱいに響く。


「なんでミミリルは一発なんだよ!」


「信頼関係だゾ!」


 ミミリルは得意げに胸を張る。


「なんでそんな、はえーんだよ!」


(なんでそんな、はえーんだよ!)


 耳に届いたガミの声へ、頭の内側からレヴィの声が重なった。


「……え?」


 ティプスタンは目を瞬かせ、レヴィを見る。


 今のレヴィの声は、耳から聞こえたものではない。


 頭の中へ直接響いてきた。


「アニキ?」


 レヴィも異変に気づいたらしく、不思議そうな顔をしている。


 気づけば、レヴィの胸元からも紅光が伸びていた。


 ティプスタンへ意識を向けたことで、先ほど一度結ばれた繋がりが再び形を得たのだ。


 ティプスタンを中心に、レヴィとミミリルが同時に結ばれている。


(おおっ! なんか頭の中で会話できるゾ!)


 今度は、はっきりとミミリルの声が聞こえた。


(ミミリルの声が聞こえる……)


 ティプスタンが意識を向けて言葉を送る。


(ティプスタンの声も聞こえるゾ!)


 すぐに返事が返ってきた。


(やっぱ、レゾナンスで繋がってる間は、声にしなくても言葉を伝えられるみてーだな)


 レヴィの声も頭の中へ響く。


(レヴィも聞こえてるの?)


(ああ。玄冥郷でも似たような感覚はあったけど、今みたいに落ち着いて確かめる余裕はなかったからな)


(すごいゾ! これなら声を出さなくても話せるんだな!)


 ミミリルはよほど面白いらしく、満面の笑みを浮かべている。


 ティプスタンは、自分から伸びる二本の紅光を見下ろした。


(でも、二人同時に繋がれるなんて知らなかったよ)


(まだ分かんねーことが多いな、この能力)


(じゃあ、もっといっぱい繋がれるのか?)


(どうだろう)


(みんなで繋がったら楽しそうだゾ!)


(頭ん中がうるさくて、戦いどころじゃなくなりそうだな)


(ガミが繋がったら、さわがしくなりそうだゾ)


(ハッ。言えてる)


 三人が思わず笑いそうになったところへ、ガミの声が飛んできた。


「おーい」


 揃ってそちらを見る。


 ガミは腕を組み、ひどく不満そうな顔でこちらを睨んでいた。


「さっきから何なんだよ、お前ら。急に黙って三人で見つめ合いやがって」


「あ、ごめん」


「頭の中で話してたんだゾ!」


「はぁ!?」


 ミミリルの説明を聞いたガミの目が、さらに大きくなる。


「レゾナンスで繋がってる間、声に出さなくても言葉を伝えられるみたいなんだ」


「俺様の時はそんなのなかったぞ!」


「俺っちの時もそうだけど、そんなこと確かめてる余裕がなかったんだろ」


 そう言われ、ガミは一瞬考え込んだ。


 だが、すぐにティプスタンへ詰め寄る。


「じゃあ俺様もやる!」


「いや、ちょっと待ってよ」


「三人同時にできるか試せばいいだろーが!」


 その矢先、ティプスタンの視界の下端で、中央の宝石が明滅を始めた。


(あと一分を切った)


(もうそんなに経ったのか?)


(早いんだゾ!)


 ティプスタンは胸元へ目を落とした。


 宝石の明滅は、少しずつ間隔を縮めている。


「今からガミと繋がっても、ほとんど試せないよ!」


「少しでもいいからやれ!」


「無茶言うなって!」


 レヴィがガミを押し留める。


 その間にも、中央の宝石は明滅を速めていった。


(もう切れるよ!)


(分かった)


(分かったゾ!)


 やがて――。


 ふっ。


 中央の宝石から赤い色が抜け落ち、透明へ変わった。


 ティプスタンの全身を巡っていた疑似魔力が消える。


 それに合わせて、レヴィとミミリルへ伸びていた二本の紅光も、跡形なくほどけていった。


「三分か」


 レヴィが呟いた。


「そこは変わらねーみたいだな」


「うん……」


 頷いた途端。


「はぁ……」


 ティプスタンの口から、思わず息が漏れた。


 呼吸が少し速い。


 肩もわずかに上下している。


 走ったわけでも、武器を振ったわけでもない。


 ただその場に立ち、二人と繋がっていただけだ。


「アニキ?」


 レヴィの表情から、先ほどまでの笑みが消えた。


「なんか、疲れてねーか?」


「え?」


 言われてみれば、身体に軽く走った後のような怠さが残っている。


「もっかいだ、ティプスタン!」


「待てって!」


 すぐにレヴィがガミを制した。


「あ?」


「もしかして、同時に繋ぐ人数が増えるほど、アニキに負担がかかんじゃねーか?」


「そうなのかな……」


「大丈夫か? ティプスタン?」


 ミミリルも心配そうに顔を覗き込む。


 先ほどまで元気に立っていたウサギ耳も、少し垂れていた。


「大丈夫だよ。軽く運動したくらいの疲労感だから」


 レヴィは顎へ手を当て、考え込んだ。


「二人同時でそれなら、仮にガミまで繋がって三人へ疑似魔力を回した時、もっと負担が増えるかもしれねー。それに、ヴァーミリオンが使えるのは一回三分だ」


「うん」


「俺っちとミミリルが使えるとしても三分間だけ。しかも、接続人数を増やせばアニキの負担も増える。思ったより厳しいぞ、これ」


「はっ」


 ガミが鼻を鳴らした。


「三分ありゃ、俺様一人でなんとかしてやるよ」


「あのなぁ……俺らが出るのはグループ戦だぞ?」


「だから何だよ」


「相手も五人いるんだぞ」


「三分で全員倒せばいいだろーが」


「できるわけねーだろ! バカなのか?」


「んだと!」


 また始まった。


 顔を突き合わせて言い争う二人を見て、ミミリルがケラケラと笑う。


 ティプスタンも、つられるように小さく笑った。


 少し前まで。


 こんなに騒がしくはなかった。


 ルベッカの呪怨が悪化してから、みんなの口数は目に見えて減った。


 いつも明るかったミミリルは、ルベッカの看病疲れでぼんやりすることが増えていた。


 ガミは魔力を自由に使えないことが大きなストレスになり、何をするにも苛立っていた。


 レヴィも表向きはいつもの調子だったが、一人で考え込んでいる姿をよく見かけるようになった。


 ティプスタン自身も怖かった。


 ルベッカのように、三人まで呪怨の悪化で倒れてしまうことが。


 水の呪怨を抱えるルベッカ。


 火の呪怨を抱えるレヴィ。


 二人には還元符を使うことができる。


 だが、水と火ではない呪怨を抱えるミミリルとガミには、まだ有効な対処法が見つかっていない。


 だから本当なら、戦わせたくない。


 大会に出ることだって、心の底から賛成しているわけではなかった。


 それでも。


 レグリア王国のコロシアムへ行く。


 その目標ができてから、みんなの顔には少しずつ以前の明るさが戻ってきている。


「お前が無茶苦茶言うから話が進まねーんだよ!」


「ビビってんじゃねーぞ、レヴィ!」


「誰がビビってんだ!」


 騒がしい二人を眺めながら、ティプスタンは思う。


 だったら、自分にできることをやろう。


 誰にも無茶をさせないまま。


 みんなでそこへ行ける道を探せばいい。


 

★


 

「最後だ!」


 しばらく休んだ後、ガミが再びティプスタンの前へ立った。


「今度こそ繋げるぞ!」


 ティプスタンの胸元では、中央の宝石がすでに赤色を取り戻している。


 再発動までの三分間は終わっていた。


 だが、赤色を残している花弁は、あと一枚しかない。


「これが今日最後だからね」


「分かってる! 今度こそ成功させりゃいいんだろ!」


「そう簡単にできれば苦労しないんだけど……」


 ティプスタンは最後の赤い花弁へ指を添えた。


「インスクリプト・ヴァーミリオン!」


 最後の花弁が強く輝く。


 赤い色が抜け落ち、五枚すべての花弁が透明へ変わった。


 紅の疑似魔力が、再び全身を駆け巡る。


 ガミは今度こそとばかりに目を閉じた。


 ティプスタンも、先日の事故を思い返す。


 一分。


 二分。


 二人の間に、紅光は現れない。


 ほどなく中央の宝石が明滅を始めた。


 残り一分。


「まだだ!」


 ガミが目を閉じたまま叫ぶ。


「俺様は絶対に繋がる!」


 ティプスタンも意識を集中させた。


 しかし。


 明滅の間隔が縮まっても。


 時間切れの瞬間まで。


 二人を結ぶ紅光が生まれることはなかった。


 中央の宝石から赤い色が消える。


 全身を巡っていた疑似魔力も途切れた。


「…………」


 ガミは拳を震わせた。


 やがて、その場に両膝をつく。


「クソォォォォッ! なんで俺様だけダメなんだよぉぉぉ!」


「俺っちよりアニキとの付き合い長いのにな」


「うるせぇ!」


「やっぱ信頼が――」


「ぶっ飛ばすぞ!」


「だから、そういうとこじゃね?」


「んだと!」


 ティプスタンは苦笑しつつ、色を失った五枚の花弁を見下ろした。


 すべて透明になっている。


 それぞれが赤色を取り戻すのは、使用してからおよそ四時間後。


 今日はもう、続けて試すことはできない。


「まあ、まだ選抜戦まで時間はある」


 レヴィは両手を頭の後ろで組んだ。


「レゾナンスを試すだけなら、別にここじゃなくてもできるしな」


「力が戻ったら、すぐやるぞ! ティプスタン!」


「アニキを壊す気かよ」


 レヴィは訓練場の端に置かれていた水筒を拾い、こちらへ投げた。


「わっ」


 ティプスタンは慌てて両手を伸ばし、なんとか受け止める。


 それを見届けたレヴィは、わずかに表情を引き締めた。


「それより、俺っちたちが先に考えなきゃならねーのは五人目だろ」


「うん」


 グループ戦は五人一組。


 さらに五人のうち三人以上が、★モノステラ以上でなければ、そもそも出場資格を得られない。


 ティプスタンとミミリルは一つ星。


 レヴィとガミは星無し。


 つまり。


 五人目は必ず、一つ星以上の冒険者である必要がある。


「誰が入るかで戦い方だって変わってくる。どうなんだ、そのへん」


 ティプスタンは水筒の水を一口飲んでから答えた。


「今、アンナさんを誘ってるところだよ」


「アンナって、ギルドにいたツインテールのやつか?」


「うん」


「そいつは強いのか?」


「うーん……」


 アンナが本気で戦っている姿は、まだ見たことがない。


 だから単純に強いかと聞かれても、答えるのは難しい。


「強いっていうより、僕たちに足りないところを補ってくれそうな人かな。周りもよく見てるし、頼りになるよ」


「俺様が誘ってやったのによー。なかなか、うんと言いやがらねー」


「それがまずいんじゃないか?」


 ミミリルがすかさず言った。


「何が?」


「頼み方だゾ」


「俺様が直々に誘ったんだぞ!」


「だからそれだゾ!」


 ティプスタンは苦笑した。


「僕たちの都合で無理強いはできないよ。アンナさんには学業だってあるんだから」


「一つ星の冒険者って、そんなに見つからないものなのか?」


 ミミリルの疑問に、レヴィは首を横に振った。


「いや、普通にいるぜ。誰かさんみたいに依頼を選り好みせず、地道にこなしてりゃな」


 そう言いながら、わざとらしくガミを見る。


「なんで俺様を見るんだよ」


「さあな」


「テメェ……」


「ただ、学生で一つ星ってなると、そこまで多くねーみたいだ」


「なんでだ?」


「学業があるからだよ。休みの日に都合のいい依頼があるとは限らねーし、そもそも本職の冒険者ほど数をこなせねーからな」


「なるほどなぁ」


 ミミリルが納得したように頷いた。


 そこでレヴィは、何かを思い出したように腕を組む。


「そういや、こないだギルドで代表選抜戦の参加申請書を仕分けしただろ?」


「昼飯につられてたやつだゾ」


「そこは触れなくていい」


 レヴィは咳払いした。


「その時に気づいたんだけどさ。俺っちが仕分けた申請書、全部個人戦だったんだよ」


「全部?」


「ああ。ギルドのヤツらに聞いたら、グループ戦へ出るのはリュミナリア学園の生徒くらいで、本職の冒険者はかなり少ないらしい」


「なんだよ。じゃあ楽勝じゃねーか」


「楽勝かどうかの前に、俺っちたちはまだ参加資格すら満たしてねーだろ」


「アンナを入れりゃいい」


「だから本人がまだ承諾してねーんだよ!」


 二人のやり取りを聞いていたミミリルが、ふと首を傾げた。


「でも、なんで本職の冒険者はグループ戦に出ないんだ?」


「旨味がないからだろ」


「旨味?」


「まず賞金だな」


 レヴィは指を一本立てた。


「個人戦なら全部自分のもんだけど、グループ戦だと五人で分けることになる。その分け方が問題なんだよ」


「五人で戦うんだから、五等分でいいんじゃないのか?」


「普通はそう思うだろ?」


 レヴィは苦笑した。


「でも実際は、俺が一番敵を倒しただの、あいつは後ろにいただけだの、装備代を多く出しただの、補助が一番大変だっただの……そういう話で揉める」


「くだらねーな。強いやつが多くもらえばいいだろ」


 ガミが平然と言う。


 レヴィは額へ手を当てた。


「お前みたいなやつがいるから揉めるって言ってんだよ!」


「んだと!」


「ま、まあまあ!」


 再び睨み合う二人の間へ、ティプスタンが割って入った。


 レヴィはガミを指さす。


「ほらな? まだ一銭も貰ってねーのに、もう揉めてんだろ」


「…………」


 ガミが不満そうに口を閉ざした。


「説得力があるゾ」


「うるせー!」


 レヴィはため息をついた。


「それに、問題は金だけじゃねー。誰を先頭にするか。誰が作戦を練るか。誰の指示に従うか。仲間が危なくなった時、作戦を崩してでも助けるのか。それとも勝つために作戦を優先するのか」


 普段から一緒に仕事をしている仲間同士ですら、意見が割れることはある。


 まして、大会のためだけに集められた即席のチームなら、なおさらだった。


「実力があっても、互いに信用できなきゃ連携なんて取れねーよ。それなら本職の冒険者は、最初から一人で個人戦へ出た方が気楽なんだ」


「仲間へ背中を預けられなければ、グループ戦では戦えぬということか」


 ミミリルが腕を組み、妙に凛々しい顔で言った。


 レヴィが眉を寄せる。


「なんで急に将軍みたいなんだよ」


「雰囲気だゾ」


「まあ、言ってることは合ってるけどな」


 ガミが何かを思い出したように口を開く。


「アンナってやつも言ってたよな。大会で活躍すりゃ、貴族とかに目ぇかけてもらえたりするって」


「ああ。名を売りたい冒険者なら、個人戦の方が都合いいんだ。優勝できなくても目立てれば仕事に繋がるし、支援者がつく可能性だってある」


「じゃあ、なんでグループ戦には学生が多いんだろ?」


 ティプスタンが尋ねると、レヴィはすぐに答えた。


「学生には学生の旨味があるからだろ。大会である程度の結果を残せば学園で評価されるし、単位として認められることもある。卒業後に騎士団や商会へ斡旋してもらう時にも有利になるらしいぜ」


「そうなんだ……」


 同じ冒険者でも、大会へ出る目的は人によって違う。


 賞金を求める者。


 名誉を求める者。


 将来の仕事へ繋げたい者。


 そして。


 隣を見ると、ガミはなぜか誇らしげに胸を張っていた。


「俺様は純粋に強いやつと戦いたいだけだからな」


 レヴィは再びため息をつく。


「とにかく、本職の冒険者を今から探すのは期待しない方がいい。仮に見つかっても、信用できるか分からねーやつを無理に入れるくらいなら、いない方がマシだ」


「かと言って、学生なら信用できるわけでもねーだろ」


 ガミの言葉に、レヴィが口を閉ざした。


 やがて、三人の視線がティプスタンへ向けられる。


 言いたいことは分かった。


「……もう一度、アンナさんに頼んでみるよ」


「おう」


「でも、ちゃんと話す」


「何を?」


「僕たちのこと」


 五精霊の呪怨。


 三人が自分の魔力を自由に使えないこと。


 そして。


 まだ、不安定な力を使いこなせていないこと。


「全部説明する。それを知った上で、それでも一緒に参加したいと思ってくれたなら……改めてお願いするよ」


「じゃあ今から行くぞ!」


 ガミが勢いよく立ち上がった。


「いや。今日は行かないよ」


「なんでだよ?」


「アンナさん、今日は都合がつかないって言ってたから」


「なんだよ、せっかく俺様が――」


「いや……僕一人で行ってくるよ」


「なんでだよ」


「話がややこしくなるからだゾ」


「いい加減学べよ……」


 レヴィは呆れたように呟いた。


 ふいに、ティプスタンの胸元へかすかな熱が戻った。


 透明だった中央の宝石へ、内側から赤い色が静かに広がっていく。


 再発動までの間隔が終わったのだ。


 だが、その周囲にある五枚の花弁は、すべて透明なまま。


 宝石が赤へ戻っても、使用できる花弁がなければ《インスクリプト・ヴァーミリオン》は発動できない。


 今日の特訓は、ここまでだった。


 

★


 

 翌日――。


 リュミナリア学園、中央広場。


 広場の中心には、巨大な星紡ぎの樹が、学園を見守るように根を張っていた。


 枝葉の隙間から差し込む昼の光が、石畳へ木漏れ日を落としている。


 いつもと変わらない光景。


 けれど、今日はどこか落ち着かない空気が漂っていた。


 昨日、ククルシア東部の時計塔広場で大きな事故が起きたからだ。


 ティプスタンがそれを知ったのは、今朝のことだった。


 メリシア邸でカプリオスから、星輪灯の事故にアンナとイッサが巻き込まれたと聞かされたのだ。


 思わず息を呑んだが、幸い二人とも大事には至らなかったという。


 さらにアンナとイッサの働きもあって、逃げ遅れた人々の避難も間に合ったらしい。


 その話を聞いて、ティプスタンはようやく胸を撫で下ろした。


「アンナさん、大丈夫かな……」


 本当なら、今日は選抜戦について改めて話をするつもりだった。


 けれど今は、それよりもアンナの様子が気になっている。


 せめて無事な顔だけでも確認したかった。


 今日は一人で来た。


 ガミを連れてこなかったことだけは、間違いなく正解だったと思う。


『昼時は、いつも中央広場のあたりにいます』


 以前、アンナがそう言っていた。


 だが、星紡ぎの樹の周囲を一周しても姿は見当たらない。


 ティプスタンは広場の端へ向かった。


 賑やかな声が、少しずつ遠ざかっていく。


 校舎の影を抜けた先。


 一本の木が、人通りから少し離れた場所に立っていた。


 その木陰に置かれたベンチ。


 そこに、栗色の髪を左右に結んだ少女が一人、座っている。


「アンナさん!」


 後ろから声をかけた。


 アンナはビクッと大きく肩を揺らした。


「ティプスタン君……?」


 振り返った顔を見て、ティプスタンの足が止まる。


 濃褐色の瞳には、涙が溢れていた。


 見られたことに気づいたアンナは、慌てて制服のポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う。


「ご、ごめんね。変なところ見られちゃったな……」


「えっ? いや……」


 どうしていいか分からず、ティプスタンは戸惑った。


 アンナの膝の上には、一通の封筒。


 その中から取り出したらしい便箋が、両手に握られている。


 涙の理由と無関係ではないことくらいは分かる。


 昨日の事故のことなのか。


 それとも、別のことなのか。


 ティプスタンには分からない。


 ただ。


 今この場で、選抜戦への参加を頼むべきではないことだけは確かだった。


「こ、こっちこそごめん。急に話しかけて」


「ううん……」


「ごめん……。また出直すよ」


 事情を聞くつもりはなかった。


 背を向けようとしたところで、アンナの声が飛んだ。


「あのっ!」


 振り返る。


 涙の残る瞳が、こちらを見ていた。


「あの……少し、お話を聞いてもらえますか?」


 一瞬驚いたものの、すぐに頷く。


「うん。もちろん」


 アンナの隣へ腰を下ろす。


 近すぎないよう、少しだけ間を空けた。


 頭上では、葉がさらさらと擦れ合っている。


 アンナは手の中の便箋を見つめたまま、何度か口を開きかけては閉じた。


 やがて意を決したように、ゆっくりと話し始める。


「急にこんな重い話をされても困ると思うんですが……」


 ティプスタンは先を促さず、その言葉を待った。


「私には、五精霊の呪怨を抱えた弟がいるんです」


「…………!」


 表情が強張る。


 五精霊の呪怨。


 その言葉を聞けば、軽く受け流すことなどできない。


 ルベッカ。


 ガミ。


 ミミリル。


 レヴィ。


 イッサ。


 そして、玄冥郷で出会った人々。


 呪怨に苦しむ姿を、ティプスタンは何度も目にしてきた。


 アンナが不安そうにこちらを窺う。


「聞いて……もらえますか?」


「もちろんだよ」


 即答した。


「僕でよければ、話して」


 その返事を確かめるように、アンナはティプスタンの顔を見た。


 張り詰めていた表情が、わずかに緩む。


「……ありがとうございます」


 手元の便箋をそっと撫でた。


「少し前に、家族から手紙が届いたんです。それで、幼い弟が五精霊の呪怨に侵されていることを知りました」


「うん」


「地精霊テラの呪怨――《圧根の縛》です」


「地精霊テラ……」


 玄冥郷でローワンが受けていたものと同じ呪怨だった。


 身体が石のように重くなり。


 症状が進めば、一人では立つことさえ難しくなる。


「それから何度か、家族から手紙をもらいました」


 アンナは静かに続ける。


「最初の頃は、弟からの手紙も一緒に入っていたんです」


 思い出したのか、少しだけ口元が和らぐ。


「字はすごく下手なんですけどね。文字より絵の方が得意な子で」


 その微笑みに、懐かしさが滲んだ。


「今日は何を食べたとか。友達と何をして遊んだとか。珍しい虫を見つけたとか……本当に、どうでもいいようなことばかり」


「うん」


「でも……最近は、弟からの手紙が来なくなりました」


 ティプスタンは口を挟まず、続きを待った。


「両親は、疲れやすくなっているだけだって言っています」


 便箋の折り目を指先でなぞる。


「心配するな。治療法は探している。お前は学業に集中しろ……今日届いた手紙にも、そればかり書いてありました」


「治療法……」


 胸の奥が重くなる。


 五精霊の呪怨を治す方法が、そう簡単に見つかるものではないと知っている。


「信じたいんです」


 アンナが小さく言った。


「お父さんも、お母さんも、大丈夫だって言ってくれてるから。でも……本当に大丈夫なんだろうかって、どうしても考えちゃうんです」


 弟は今、どんな状態なのか。


 何度尋ねても、家族から返ってくる答えは同じだった。


 心配するな。


 こちらのことは気にするな。


 症状を尋ねても、詳しいことは教えてくれない。


「昨日、イッサ君が倒れるところを見てから、余計に怖くなりました」


 アンナの声が震えた。


「ついさっきまで立っていた人が、息をすることさえできなくなって……」


 便箋を握る指に力が入る。


「呪怨って、本当に急に悪くなるんだって……目の前で見て」


「…………」


「弟も、私が知らないだけで、あんなふうに苦しんでるんじゃないかって」


 アンナは唇を噛んだ。


「家族が、私を心配させないために隠してるだけなんじゃないかって……」


 すぐには言葉を返せなかった。


 大丈夫。


 そんな言葉なら簡単に言える。


 けれど。


 呪怨の怖さを知っている自分が、何の根拠もなく口にしていい言葉ではないと思った。


 少し間を置いてから、静かに尋ねる。


「弟さんに、会いたいんだね」


「はい」


 答えに迷いはなかった。


「今すぐ帰って、顔を見たいです」


「帰ることはできないの?」


 アンナは小さく首を横に振った。


「レグリアまでの旅費は、学生の私が簡単に出せる金額じゃありません。それに、長く学園を離れたら授業にも遅れます」


 家に余裕があるわけではない。


 それでも両親は、娘の将来のために、遠く離れたククルシアのリュミナリア学園へ通わせてくれている。


「私が今、全部投げ出して帰ったら、弟には会えるかもしれない」


 アンナは校舎へ目を向けた。


「でも、そのせいで卒業できなくなったら……将来、家族を支えるための道まで失うかもしれない」


「…………」


「ここに残るのが正しいって、頭では分かってるんです。でも……」


 そこで言葉が途切れた。


 その間に、弟の症状が悪化したら。


 もし。


 間に合わなかったら。


 風が木陰を通り抜けた。


 さらさらと葉が鳴り、二人の間の沈黙を埋めていく。


 しばらくして、ティプスタンが口を開いた。


「僕の知っている人にも、弟さんと同じ呪怨を抱えた人がいるよ」


 アンナの瞳がこちらへ向く。


「地精霊テラの呪怨。身体が石みたいに重くなって、一人では立てなくなっていった」


「…………」


「僕は、なんとか力になりたかった。でも……できなかった」


 玄冥郷で別れた人々の姿が浮かぶ。


「その人は、別れ際に僕へ言ったんだ」


 あの時の言葉を思い出す。


「『我々は我々の使命をまっとうします。あなたはあなたの使命をまっとうして下さい』って」


「使命……」


 アンナが呟く。


 便箋を握っていた指の力が、ほんの少し緩んだ。


「僕には、アンナさんがここに残るのが正しいとも、今すぐ帰るのが正しいとも言えない」


 飾らず、思ったままを口にする。


「僕だったら、大事な人が苦しんでたら、きっと何も手につかなくなると思う」


「…………」


「だから……なんて言うか……」


 うまく言葉が見つからない。


「一人で抱えてるより、こうやって誰かに話すだけでも、少し違うんじゃないかなって」


 困ったように笑った。


「上手く言えなくてごめん」


 アンナの瞳が揺れた。


 ややあって、ぽつりと口を開く。


「私、弟が呪怨を抱えていること自体は隠してないんです」


「うん」


「呪怨を抱えた人に近づくと不幸になるとか、伝染するとか。そんな噂をしてる人にも、間違ってるって言いました」


 弟の存在そのものを否定されているようで、許せなかった。


「でも……誰にも言えなかったことが、一つあるんです」


 ティプスタンは静かに耳を傾ける。


「私、呪怨そのものが怖いんじゃないんです」


 アンナの声が震え始めた。


「弟が苦しんでるのに……自分の将来のことを気にしてる自分が、怖いんです」


 一粒の涙が、頬を伝った。


 それは、アンナが誰にも言えなかった本音だった。


「弟に会いたい」


「うん」


「今すぐ帰りたい」


 声が震える。


「でも、学園も辞めたくない。卒業したい。自分の将来だって、失いたくない」


 唇を強く噛む。


「そんなことを考えてる自分が……薄情なんじゃないかって」


「そんなこと――」


 言いかけて、口を閉じた。


 簡単に否定するだけでは、届かない気がした。


 アンナは胸の内を吐き出すように続ける。


「私が挫けたら、遠くにいる家族を支えられなくなる。だから今は学園に残るべきなんだって、ずっと自分に言い聞かせてました」


 明るく振る舞った。


 友達の相談にも乗った。


 おかしいと思うことには、はっきり反論した。


 学業も。


 冒険者としての依頼も。


 できる限り、いつも通りにこなしてきた。


「そうしてれば、考えなくて済むと思ってたんです。でも……やっぱり無理でした」


 アンナはハンカチで涙を拭った。


「昨日のことがあって……それで今日、手紙を読んだら、急に全部怖くなって……」


 ティプスタンは何も急かさず、ただ隣にいた。


 少ししてから、静かに尋ねる。


「どうして僕には話してくれたの?」


 アンナは一度、考えるように瞬きをした。


「ティプスタン君なら、真剣に聞いてくれると思ったから」


「あ、ありがとう。でも……なんで」


 こちらを見たアンナが、少し困ったように笑う。


「さっき、何も聞かなかったから」


「え?」


「私が泣いてるのを見ても、どうしたのって聞かなかったでしょう?」


「あ……」


「何かあったって分かってたはずなのに、無理に聞こうとしないで……気遣ってくれた」


 アンナは手の中の便箋を見つめる。


「だから、この人なら……私が言いたくないことを無理に聞いたりしないんだろうなって」


「…………」


「話したくなった時には、ちゃんと聞いてくれるんだろうなって思ったんです」


 ティプスタンは照れくさくなり、後頭部を掻いた。


「いや……そんな大したこと考えてたわけじゃ……」


「ふふっ」


 小さな笑い声が漏れる。


「そういうところです」


「え?」


「なんでもないです」


 アンナは目元を拭い、ゆっくり息を吐いた。


「でも、話してよかった」


 少しだけ。


 いつものアンナらしい表情が戻っていた。


「何も解決してないけど……少し楽になりました」


「うん」


 一息ついたところで、アンナがふと首を傾げる。


「そういえば……ティプスタン君、今日は私に何か用があったんじゃないですか?」


「あっ」


 そこでようやく思い出した。


 五人目の勧誘。


「う、うん。でも、こんな時に――」


「もう大丈夫だから、話してください」


 アンナは、はっきりと言った。


「……分かった」


 少し迷った末、身体をアンナへ向ける。


「アンナさん」


「はい」


「僕たちと一緒に、ククルシア代表選抜戦のグループ戦に出てほしい」


 アンナは口を挟まず、静かに聞いている。


「代表になれば、レグリアへ行ける」


 ティプスタンは膝の上に置かれた手紙へ、一度だけ目をやった。


「アンナさんも……弟さんのところへ帰れるかもしれない」


 便箋の上で、アンナの指がわずかに動いた。


「代表になれば故郷へ帰れるかもしれない。それは、私も考えました」


「そうなの?」


「はい」


 アンナは頷く。


「旅費や滞在費をククルシアが負担してくれるから」


 少し躊躇ったあと、言葉を継ぐ。


「だからこの前も、すぐには断れなくて……少し考えさせてほしいって言ったんです」


「そうだったんだ……」


「でも、迷ってました」


 手紙を持つ指先が、わずかに縮こまる。


「こんな理由で大会に参加していいのかなって」


「え?」


「自分が故郷へ帰りたいから、ティプスタン君たちを利用することになるんじゃないかって」


「それを言ったら、僕たちも同じだよ」


 ティプスタンは即座に答えた。


「アンナさんがいなかったら、僕たちはグループ戦への参加条件すら満たせない」


「…………」


「僕たちだって、アンナさんの力を借りたいんだ」


 そこで、少しだけ表情を引き締める。


「でも、誰でもいいわけじゃない」


 アンナが顔を上げた。


「この前の荷車事故」


 傾いた荷車。


 風を当てる場所。


 誰がどこを支えているのか。


 自分がその場を離れたらどうなるのか。


「僕とガミは、目の前のことで精一杯だった。でもアンナさんは、全体を見て、自分に何ができるか考えて動いてた」


「あれは、たまたまです」


「僕はそうは思わない」


 首を横に振る。


「アンナさんがいなかったら、あの荷車は止められなかった」


「…………」


「それに、昨日の事故でも」


 アンナの瞳がわずかに揺れた。


「アンナさんが、必死に人を守ってたって聞いたよ」


「……私だけじゃありません」


「うん。それでもだよ」


 ティプスタンは続ける。


「間違ってると思ったことには、ちゃんと言える。誰かが危ない時には、迷わず動ける」


 少し照れくさくなった。


 それでも、目は逸らさない。


「僕たちには、周りを見て、誰かのために動けるアンナさんが必要なんだ」


「ティプスタン君……」


「だから」


 真っすぐアンナを見る。


「一緒に来てほしい」


「…………」


 アンナは返事をせず、ティプスタンを見つめていた。


 その沈黙に先に耐えられなくなったのは、ティプスタンの方だった。


 頬をかく。


「あ、いや……なんか偉そうだったね。ごめん」


「ううん」


 アンナは首を横に振った。


「嬉しいです」


「え?」


「なんでもないです」


「今、嬉しいって――」


「それより!」


 アンナが少し慌てて話題を変えた。


 ティプスタンは首を傾げる。


 だが、まだ伝えなければならない大事なことが残っていた。


「アンナさんには、ちゃんと話しておきたいことがあるんだ」


「はい」


 一度息を吸う。


「ガミとミミリルとレヴィは……五精霊の呪怨を抱えてる」


「…………」


 アンナの顔から笑みが消えた。


「三人とも?」


「うん」


「三人も……?」


 驚くのも当然だった。


 五人組で戦う大会に出ようとしているのに、そのうち三人が魔力を自由に使えない。


「本当は、僕も止めた方がいいと思ってる」


 ティプスタンはわずかに俯いた。


「ルベッカ……他の仲間が呪怨で倒れた時みたいに、みんなが苦しむのは見たくない」


「…………」


「それでも」


 ガミの怒鳴り声。


 レヴィの軽口。


 ミミリルの笑顔。


 訓練場での光景が頭に浮かんだ。


「コロシアムに行くって決めてから、みんな前みたいに笑うようになったんだ」


 顔を上げる。


「だから、僕も一緒に出ようと思った」


「うん」


「でも、勝つためなら何でもするつもりはないよ」


 アンナが静かに耳を傾けている。


「誰かの呪怨を悪化させなきゃ勝てないなら、僕は負ける方を選ぶ」


 その言葉を確かめるように、アンナが尋ねた。


「誰かが勝手に魔力を使おうとしたら?」


「止める」


「止まらなかったら?」


「命がけで止める」


 アンナの眉が、ぴくっと動いた。


「それ、ティプスタン君も無茶するってことじゃないですか?」


「あ……」


 動きが止まる。


 アンナは腕を組んだ。


「それはダメです」


「え?」


「他の人には無茶するなって言って、自分だけ無茶するのはズルいですよ」


「う……」


「だから」


 ふっと笑う。


「私も止めますからね」


「うん……」


 ティプスタンは反射的に頷いた。


 それから遅れて、言葉の意味に気づく。


「…………えっ?」


 目を見開く。


「それって……」


 アンナは答えず、手元の便箋へ指を添えた。


 遠い故郷。


 レグリア王国。


 そこに弟がいる。


 選抜戦へ出たからといって、勝てる保証はない。


 代表になれる保証もない。


 それでも。


 今までどこにもなかった道が、目の前に一本だけ伸びている。


 学園を投げ出すのでもない。


 家族を諦めるのでもない。


 そして。


 自分一人の都合だけで歩く道でもない。


 自分を必要としてくれる人たちと、同じ目的地を目指す道。


 アンナは便箋を丁寧に折り畳んだ。


 折り目を指先で整える。


 封筒へ戻し、制服のポケットへしまった。


 それから、ゆっくりと顔を上げる。


 先ほどまで涙で揺れていた濃褐色の瞳には、もう迷いはなかった。


「ティプスタン君」


「うん?」


「私を、五人目にしてください」


 一瞬、その言葉の意味を理解できず、ティプスタンは固まった。


 次いで、ぱっと表情が明るくなる。


「本当に!?」


「はい」


「本当にいいの!?」


「二回聞かなくてもいいですよ」


「だって!」


 思わずベンチから立ち上がる。


 アンナが苦笑した。


「それじゃあ、まずは選抜戦に勝ちましょう」


「うん!」


「それから」


 アンナは胸元へ手を添えた。


「みんなでレグリアへ行きましょう」


 ティプスタンは大きく頷いた。


「うん!」


 そんなティプスタンを見て、アンナはふっと、いたずらっぽく笑った。


「これからよろしくね。赤星さん」


「…………」


 ティプスタンは目を瞬かせた。


「赤星?」


 アンナは答えない。


 くるりと背を向けると、先に歩き出した。


「ちょ、ちょっと待って! どういう意味!?」


「さあ?」


「アンナさん!」


 追いかけてくるティプスタンの声を聞きながら、アンナは小さく笑った。


 頭上では、星紡ぎの樹の枝が風に揺れている。


 木漏れ日が、二人の足元をゆっくりと流れていった。


 問題は山積みだった。


 レゾナンスも。


 三人の呪怨も。


 選抜戦に勝てるかどうかも。


 それでも。


 四人だった道に、新しい足音が一つ加わった。


 

★30話に続く★

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