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ELVES《エルヴス》―命の器の継承者―  作者: 克
Exile/玄冥郷編

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第28話『黒の軌跡 Ⅰ』分割改稿版

 コツン――。


 木箱の縁をかすめた小さな何かが床で跳ね、そのまま陽の差す窓辺まで転がっていった。


「……ん?」


 フィオは音のした方へ目を向けた。


 冒険者養成所、リュミナリア学園。


 時刻は昼頃。


 野外訓練場からは、生徒たちの笑い声や、訓練用の武器が打ち合わされる音がかすかに届いている。


 だが、ルベッカの研究室へ続く研究棟の奥は、その賑わいから切り離されたように静かだった。


 フィオは研究室へ荷物を運ぶ途中、腕の痺れに耐えきれず、抱えていた木箱を床へ下ろしたところだった。


 学園の制服に包まれた身体は細身だが、しなやかに引き締まっている。


 青みがかった濃紺の短い髪は、毛先が少し跳ねていた。


 その髪の右側には、黒銀のカラス羽を模した髪飾りが留められている。


 箱の中には、ぼろぼろのポーチ、古びた巻物、文字の欠けた石版、用途の分からない金属器、何かの儀式に使われたらしい遺物などが乱雑に詰め込まれていた。


 どれもフィオの目には、研究素材というよりガラクタにしか見えない。


「本当にゴミじゃないよね、これ……」


 研究室までは、まだ二つの階段を上らなければならない。


 フィオはため息をつき、額へ落ちかけた前髪を指で払った。


「ま、しょうがないわね」


 そう呟いてから、窓辺へ歩み寄る。


 陽だまりの中に転がっていたのは、親指ほどの丸い石だった。


 拾い上げ、陽にかざす。


「……綺麗」


 一見すると、黒に近い暗色をしている。


 だが、光を受ける角度を変えるたび、その表面に赤、青、黄、緑、紫の輝きが浮かび、濡れた羽根のような虹色の艶を帯びた。


「これって……エーテリウム?」


 通常の魔石をはるかに上回る魔力を秘めているという希少石。


 フィオは実物を見たことがない。


 授業と教本の挿絵で知っているだけだった。


「まさかね」


 エーテリウムが、こんな埃まみれの木箱に放り込まれているはずがない。


 ただの装飾石だろう。


「あれ? フィオじゃん」


 不意に背後から声がした。


「わっ!?」


 フィオは反射的に石を握り締め、振り返った。


 そこに立っていたのは、栗色の髪を左右で結んだ学友のアンナだった。


 腰には、愛用の小ぶりな短杖を差している。


「何してんの?」


「びっくりさせないでよ」


「ごめん、ごめん」


 アンナは悪びれずに笑い、床に置かれた木箱を覗き込んだ。


「何これ。ゴミ?」


「ルベッカさんの研究素材」


「じゃあ、すごいゴミだ」


「怒られても知らないわよ」


 二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。


 フィオはひとまず、玉石を制服のスカートのポケットへしまった。


 

★


 

「イッサ君とは、最近どうよ?」


 階段へ並んで腰掛けるなり、アンナが切り出した。


「相変わらず。訓練ばっかりしてる」


 フィオは疲れた腕を揉みながら、頬を膨らませる。


「誘っても、身体が鈍ってるとか、休んだ分を取り戻すとか。そんなんばっかり」


「イッサ君……まだ左腕、治ってないよね?」


「うん。普通なら、もう少し大人しくするよね」


「まあ、イッサ君だからなあ」


「ほんっと、訓練馬鹿なんだから」


 口では呆れていても、その声音はどこか柔らかい。


 普段は自信に満ちたフィオの緑の瞳も、イッサの話になると自然に和らいだ。


 アンナは口元を緩める。


「でも、星火祭(せいかさい)は一緒に回れたんでしょ?」


「そ、それは……まあね」


 フィオは視線を落とした。


 耳元の緑色のピアスが、わずかに赤くなった頬のそばで揺れる。


「ほら。着飾っておいて正解だったでしょ?」


「……うん」


 フィオは小さく頷いた。


 星火祭の前日。


 どうせ今年も無駄になると諦めかけていたフィオの背中を押したのは、アンナだった。


 ――チャンスは、いつ来るか分からない。


 ――諦めたら、可能性はゼロになるんだよ。


 その言葉に押され、フィオはイッサの故郷の衣装だという深い青色の着物を選んだ。


 けれど、傷と呪怨を抱えるイッサを祭りへ誘うことはできなかった。


 しかし、奇跡が起きた。


 その夜はイッサの方から現れたのだ。


「それで?」


 アンナが身を寄せる。


「着飾ったフィオを見て、イッサ君、何て言ってた?」


「何にも」


「え?」


「最後まで、なーんにも言わなかった。服も、髪型も。全部」


 フィオは大げさに肩を落とした。


「まあ……イッサ君らしいけどね」


「でしょ?」


「でも、見てないわけないよ」


「どうかな……」


 フィオは黒羽の髪飾りへそっと触れた。


 イッサが無愛想で、感情を表に出すのが苦手なことくらい、分かっている。


 それでも、一言くらい何か言ってくれてもよかったのにと思う。


 二人が談笑していると、階段の下から数人の女子生徒が上ってきた。


 フィオたちに気づき、声を潜める。


 そのうちの一人が、いかにも哀れんだ表情で近づいてきた。


「あのさ、フィオ。余計なお世話かもしれないけど……」


「なに?」


「呪怨持ちに近づくと、不幸になるって噂だよ。悪いこと言わないから、早く縁を切った方がいいんじゃない?」


 口調だけなら、親切に聞こえる。


 だが、その瞳には好奇と嘲笑が混ざっていた。


 フィオの瞳が、すっと細められる。


 しかし、彼女が口を開くより早く、アンナが立ち上がった。


「私の弟も五精霊の呪怨を抱えてるけど、弟と縁を切れっていうの?」


「あ、あくまで噂だよ。呪怨を抱える人といると、不幸になった人がいるらしいって。しかも、呪怨って伝染するらしいじゃん」


「『らしい』で話を広めてるの?」


「なによ! 私は心配してあげてんのよ!」


「本当に心配してる人は、そんな楽しそうに話さないよ」


 アンナはまっすぐ相手を見つめた。


「五精霊の呪怨は、触れてもうつらない。同じ空気を吸っても、同じ食事をしてもうつらない。確かに、呪怨を抱えたことは不幸なことかもしれない。でも、呪怨を理由に人を遠ざける必要なんてない」


「そんな曖昧な話で、フィオに縁を切れって言うわけ?」


「ふ、ふんっ! もういいわよ!」


 女子生徒は口元を歪め、連れと共に階段を上っていった。


 アンナは、ふう、と息を吐く。


「まったく」


「ありがと、アンナ」


「礼を言われることじゃないよ。おかしいことを、おかしいって言っただけ」


 その言葉を迷いなく口にできる。


 それが、フィオがアンナに憧れた理由だった。


「ところでさ」


 フィオは、いつもの少し挑発的な笑みを取り戻した。


「アンナの方は、どうなのよ」


「どうって?」


「アンナの想い人」


「なっ……!」


 今度はアンナが固まる番だった。


 普段は他人の恋路に積極的で、学園内では冗談半分に「恋の伝道師」とまで呼ばれている。


 だが、自分の恋となると話は別だった。


「どんな人なのかくらい、教えてくれてもいいんじゃない?」


「駄目!」


「なんでよ?」


「自分でもよく分からないんだよ……。ちょっと気になってるだけなのかもしれないし……」


「他人にはあれだけ押せ押せ言うくせに」


「そ、それはそうだけど……」


 いつも助けてくれるアンナの力に、今度は自分がなりたい。


 そう考えたフィオは、ふと思いついた。


「最近、ククルシア東部に、よく当たる占い師がいるって評判なの知ってる?」


「ああ。聞いたことはあるけど」


「一緒に行ってみない? 何か進展するかもよ」


「べ、別に進展させたいとか、そういうつもりじゃ――」


「じゃあ決まり。明日の休日、正午。時計塔広場に集合ね」


「まだ決めてないよ!」


「いつもアンナが私にやってることでしょ?」


 フィオは得意げに笑った。


 アンナは言い返そうとしたが、やがて諦めたように肩を落とした。


「……わかったわよ。なんか最近、強引な人が多いな」


「そうこなくっちゃ」


 フィオは満足げに頷いた。


 

★


 

 翌日の休日。


 星火祭から十数日が過ぎていた。


 ククルシア東部の通りには、旅人や観光客が行き交っている。


 露店には、星紡(ほしつむ)ぎの樹材から作られた置物、小箱、食器、玩具が並び、その合間では冒険者向けの魔導具も売られていた。


「へえ。こうして見ると、いろんな物があるね」


 フィオが店先を眺める。


 アンナは小さな鳥の置物を手に取ったが、値札を見るなり元へ戻した。


「買わないの?」


「観光客向けの値段だった」


 二人は苦笑しながら、露店の間を進んでいく。


 やがて、レンガ造りの時計塔が見えてきた。


 広場の中央には、巨大な金属の環が掲げられている。


 幾つもの星形装飾。


 光石を収める金属枠。


 陽光を受けて色を変える色ガラス。


 星火祭の主灯――星輪灯(せいりんとう)。


 祭りの夜には内部の光石が輝き、広場を金色に照らしていた。


 今は灯りを失い、三本の太い吊索によって宙に支えられている。


 一本は時計塔。


 残る二本は、左右の商館屋上に設けられた支柱へつながっていた。


 作業員たちは、星輪灯を地上へ下ろすための準備を進めている。


「あれ、まだ残ってたんだ」


「主灯だけは、祭りが終わってもしばらく飾るのよ」


「そうなの?」


「歴史の授業で習ったじゃん」


「歴史は苦手なの」


「お菓子屋の開店日は覚えてるのに」


「好きなものは別腹なのよ」


 二人は談笑しながら広場を横切り、占い師が店を開いている路地裏へ向かった。


 

★


 

 大きな木の陰に、煤けた色の小さなテントが張られていた。


 その前には、若い女性を中心とした長い列ができている。


「ありゃあ。乙女が考えることは同じですな」


「やっぱ、やめとく?」


「駄目」


 二人は列の最後尾へ並んだ。


 テントの入口では、小柄な亜人の女の子が接客し、順番が来た客を奥へ促している。


 明るい緑色の髪の間から小さな角がのぞき、頬の端では、鱗のようなものが光を受けてかすかに輝いていた。


 竜人種の亜人だろうか。


 フィオにもアンナにも見覚えのない、珍しい亜人種のようだった。


 受付の少女の応対は手慣れたもので、長い列をよどみなくさばいていく。


 しばらくして、フィオとアンナの前に並んでいた客がテントへ通された。


 少女は、次に待つ二人へにこやかな笑みを向ける。


「シングルプランとグループプランがございます。お好きなプランをお選びください」


 提示された金額を見て、二人は同時に固まった。


「……高くない?」


 アンナが小声で言う。


「高いね」


 フィオも小声で答えた。


 受付の少女は、営業スマイルを崩さない。


「シングルプランがもっとも割高ですが、プライベートを優先したいお客様には最適です。三名様までのグループプランでしたら、シングルの半額でフラットに占います。ただし、占う時間は占い師様の裁量とさせていただきます。また、占い師様が嫌がる行為や、占い内容の強要はご遠慮ください」


 フィオとアンナは顔を見合わせた。


「ど、どのプランにしよっか? アンナ」


「そ、そうだね。私たちはあくまで遊び感覚だし、フラットなプランでいいんじゃないかな?」


「アンナがそれでいいなら、じゃあそれにしよっか」


 二人の視線が、気まずそうに泳いだ。


 本当は、まったく遊び感覚ではない。


 けれど、学生の二人にとって支払えるのは、グループプランが限界だった。


「かしこまりました!」


 受付の少女は腰に下げていた鞄から、小さく丸められたロール紙と羽根ペンを二組取り出した。


「占う前に、占ってほしいことを書いておいてください。お相手がいる場合は、その方についても、書ける範囲でお願いします」


 二人はロール紙と羽根ペンを受け取り、テント脇の机へ並んで腰掛けた。


 書きたいことは決まっている。


 けれど、いざ文字にするとなると妙に恥ずかしい。


 互いの手元を隠すように記入を終えた頃、テントから先客が出てきた。


 受付の少女は、その客を笑顔で見送ると、フィオとアンナへ向き直った。


「お待たせしました! 二名様、どうぞ!」


 二人はロール紙を手に、煤けた布をくぐった。


 薄暗いテントの奥に、一人の占い師が座っていた。


 頭から足元まで、幾重にも重ねた黒い布に覆われている。


 深く被ったフード。


 顔の下半分を隠す面布。


 外から見えるのは、暗がりの中に浮かぶ目元だけだった。


 黒布に包まれた身体は、大柄でふくよかに見える。


「あ、あの……どうぞ、お座りください……」


 か細く、おどおどとした声だった。


 その声音から、おそらく女性なのだろうと感じる程度で、フィオにもアンナにも、それ以上のことは分からない。


 外で客をさばいていた受付の少女とは、まるで正反対の雰囲気だった。


 占い師の前には、小さな丸机が置かれている。


 水晶玉や仰々しい装飾品は見当たらない。


 机の上にあるのは、数枚の紙と羽根ペン。


 そして、手のひらほどの陶器の皿だけだった。


 促されるまま、フィオとアンナは占い師の向かいに並んで腰を下ろした。


「そ、それでは……こちらの方から……」


 占い師は、まずアンナから小さなロール紙を受け取った。


 紙を陶器の皿へ載せ、両手をその上へかざす。


「――記されし言霊よ、煙となりて、その縁を示せ」


 短い詠唱が終わると同時に、ロール紙の端へ小さな火がついた。


 赤い炎が紙を舐め、白い煙が細く立ち上っていく。


 占い師は机の上の羽根ペンを手に取った。


 軸の根元には、小さな紫色の魔石が取り付けられている。


 魔導刻筆《インスクリプト・クイル》という魔導具だった。


「――漂う言霊よ、運命の糸を結びたまえ」


 魔石から紫色の光が走った。


 占い師は、ロール紙から立ち上る煙をペン先へ絡め取るように、空中でくるくると羽根ペンを回す。


 煙が途絶えるまで、その動作を繰り返した。


 最後の紙片が灰へ変わる。


 占い師はペン先を自分の前にある紙へ下ろし、さらさらと文字を書き始めた。


 書き終えると、そこへ記された言葉を確かめ、アンナへ目を向けた。


「え、ええと……出たものを、そのままお伝えしますね……」


 ――あなたの運命には、一つの赤星が深く刻まれています。


 ――けれど、その赤星は、あなたと結ばれるために輝くのではありません。


 ――その光はいつか、地の鎖に囚われたあなたの血を照らすでしょう。


 アンナの表情から、わずかに笑みが消えた。


 何かを尋ねようと唇を開く。


 しかし、占い師は紙に記された言葉を続けて読み上げた。


 ――届かぬ輝きに背を向けるのか。それとも、その歩みを支える光となるのか。


 ――望んだ輝きが返らずとも、赤星と共に灯した光は、やがて巡り、あなたと大切な者たちの行く先を照らすでしょう。


「赤星……」


 アンナが呟く。


 占い師は答えず、今度はフィオへ顔を向けた。


「つ、次は……あなたの番です……」


 続いて、フィオのロール紙にも同じように火がついた。


 白い煙を絡め取った魔導刻筆が、新しい紙へ文字を走らせていく。


 最後の一文字を書き終えた時。


「……え?」


 フードの奥で、占い師の目が大きく見開かれた。


 紙を持ち上げる。


 裏返す。


 もう一度、書かれた文字を確かめる。


「あ、あの……これは……でも……どうすれば……」


 明らかに動揺していた。


 占い師はあたふたと机の端へ手を伸ばし、置かれていた小さな呼び鈴を鳴らした。


 チリン、チリン――。


「どうしたっ!」


 声と同時にテントの布が開き、外にいた受付の少女がすぐさま入ってきた。


 占い師は、駆けつけた少女の袖へすがるように手を伸ばす。


 そして、その耳元へ顔を寄せ、何かを小声で囁いた。


 話を聞いた少女は、一瞬だけ笑みを浮かべた。


 すぐに表情を戻し、今度は占い師の耳元へ何やら囁き返す。


「……だ、大丈夫かな……?」


「大丈夫、大丈夫」


 少女は小さく頷き、フィオとアンナへ向き直った。


「失礼しました! では、ごゆっくり」


 はきはきと告げ、何事もなかったようにテントから出ていった。


「何だったんだろう……?」


「さあ……」


 フィオとアンナは互いに顔を見合わせ、そろって首をかしげた。


「そ、それでは……占いをお伝えしますね……」


 占い師は、フィオの占いによって紙へ現れた言葉を読み上げた。


 ――やがてあなたは、大切な者を前に選ぶことになるでしょう。


 ――夜明けを待つ虹は、あなたの願いに応える。


 ――けれど、虹の向こうに生まれるものが、光だけとは限りません。


 ――変えられた流れは波紋となり、その願いは形を変え、別の岸で災いの芽となるでしょう。


 フィオは戸惑いながら尋ねた。


「あのぉ、それって……うまくいくってことですか?」


「あ、あの……」


 占い師は困ったように視線を伏せた。


「占いをどう解釈するか、どう選択するかは……あなた方次第です……」


 帰り際。


 テントの外で待っていた受付の少女が、二人へ笑顔で告げた。


「どういった運命をたどったとしても、当方は一切責任を負えませんので、ご了承ください」


 

★『黒の軌跡 Ⅱ』に続く★

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