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第15話『星紡ぎの花宴』

 メリシア邸の一室は、もはや「少し資料が多い」で済む状態ではなかった。

 

 壁際に積み上げられた木箱。


 そこからあふれ出した巻物の束。


 机の上だけでは収まりきらず、床にまで広がった写本、拓本、古い研究誌、冒険者ギルドから許可を得て借りてきた資料群。


 さらに、精霊言語で書かれた断簡までもが、雑然としながらも、ルベッカの頭の中では一応の秩序を保って並べられていた。

 

 その中央に置かれた机に向かい、ルベッカは椅子に腰掛けたまま、静かに目を伏せる。

 

 もともとこの部屋は、研究室として用意された場所ではない。

 

 メリシア邸――かつて第3星腕リュミナリア学園の旧校舎だったその屋敷は、とにかく広かった。

 

 その広さゆえに、ルベッカは最初、ククルシア中心部で調達した資料を“少しの間だけ”屋敷に置かせてもらうつもりだった。

 

 だが、研究者の言う「少し」は、たいてい信用ならない。

 

 気づけば一室が埋まり、それを見かねたメリシアが、「別に空いている部屋がありますわ。研究室代わりにお使いなさいな」と提案し、この部屋がそのままルベッカ専用の研究室兼物置になったのである。

 

 リュミナリア学園にも、形式上はルベッカ用の研究室はある。


 だが、そちらは学園内にある以上、資料の出し入れも調査の動線も少々面倒だった。

 

 その点、メリシア邸はククルシア中心部にも比較的近い。


 街で手に入れた資料をそのまま持ち込み、必要に応じて分類し、読み込み、放置できる。


 研究環境としては、むしろ都合が良かった。

 

 ただし――都合が良すぎた結果が、今の惨状である。

 

「ぷっ……くくくく……っ」

 

 部屋の隅で、笑いを堪えきれない声がした。

 

 ルベッカはちらりと、その声のする方を見る。

 

 床に広げられた大量の巻物と紙束のあいだに、小柄な影が埋もれるように座っていた。

 

 レヴィである。

 

 赤いバンダナを深々と被った、小柄な少年。


 暗い茶色の外套は使い込まれて擦れ、ところどころほつれている。


 その明るい茶色の目は今、床に散らばる資料に向けられたまま、何かを面白がっていた。

 

「……何を笑っているのです?」

 

 ルベッカが問うと、レヴィは巻物から顔も上げずに肩を震わせた。

 

「だってよ、ルベッカねーちゃん。これ見ろって。やたら仰々しく始まってるから何かと思ったら、途中から全部惚気話だぜ?」

 

「惚気話?」

 

「“おお風の乙女よ、そなたの睫毛しょうもうは朝露を抱いた若葉のようで”だって。しかも後半、完全に振られてるのに気づいてねーし。コイツ」

 

「……そうですか」

 

「いや、笑わないのかよ」

 

「精霊言語に限らず、古い文献には、そういうものも少なくありません。感謝、祈祷、奉納詩、求愛文。珍しくありません」

 

 淡々と答えながら、ルベッカは内心でひとつ認めていた。

 

 レヴィを助手として迎えたのは、正解だった。

 

 精霊言語をある程度、理解できると口にした時は、半信半疑だった。


 だが、実際に読み解かせてみれば、その解釈精度は高い。


 単なる知ったかぶりでも、子供らしい虚勢でもなかった。

 

 だからこそルベッカは、彼が望む条件をのんだのだ。

 

 正式に助手として雇う。


 対価も出す。

 

 そう告げた時、レヴィは少し迷ったあと「金はいらねえ」と言った。

 

 その代わりに求めたのは――

 

 寝られる場所と、食事の提供であった。


 結果として、レヴィもまたティプスタンたちと同じく、メリシア邸で世話になることになった。

 

 メリシア夫妻は――


「あらあら、そうですの? それはますます賑やかになりますわね」


 と、まるで子供がひとり増えたかのように喜んで受け入れた。

 

 五精霊の呪いを呪解するため、という理屈もあったのだろう。


 だが、それ以上に、あの夫妻は誰かを家へ迎え入れることに慣れすぎている気がすると、ルベッカはたまに思う。

 

「……それで?」

 

 ルベッカは視線も上げずに言った。

 

「面白い資料が見つかるのは結構ですが、五精霊の呪いについての記述はありましたか?」

 

「ないなー」

 

 あっさりとした返答だった。

 

 レヴィはひらひらと巻物を振る。

 

「精霊への感謝とか、収穫祈願とか、恋文とか、詩とか、そういうのは山ほどある。でも“呪いを解く方法”みたいなのは、ぜんっぜん出てこねえ」

 

「……そうですか」

 

 ルベッカは小さく息を吐いた。

 

 机の前には、解析済みの資料が山のように積まれている。


 古い奉納歌。民間伝承。精霊祭祀の記録。


 冒険者ギルドを通じて借り受けた、危険遺跡の簡易調査報告書まである。

 

 だが――決定打がない。

 

 五精霊の呪いを呪解する方法。


 その核心へ至る手がかりが、一向に見つからなかった。

 

 ルベッカは、椅子に背もたれを預けたまま考える。

 

『そもそも、精霊言語とは何か』

 

 エルフやドワーフが、精霊に捧げる感謝の気持ちを形にしたもの。


 それが、始まりだとされている。

 

 そこから、暗号や隠し文字として。

 

 あるいは、より美しい祈詩として。


 時に記録媒体として。


 そうして派生し、発展したものを、便宜上「精霊言語」と呼んでいるにすぎない。

 

 つまり――精霊言語を知れば、精霊について理解できるわけでも、精霊の呪いの解き方が見つかる、という単純な話ではなかった。

 

 冷静に考えれば当然だった。

 

 そんな単純な話なら、とっくの昔に言語学者が答えに辿り着いていただろう。

 

 精霊については、謎が多すぎる。

 

 精霊信仰に生きるエルフやドワーフにとって、精霊は神のような存在だ。


 それは、人知の及ばない、天災のごとき力であり、人はただ畏怖と敬意をもってそれを仰ぐことしかできない。


 そんな象徴の呪いを解こうとするのは、荒れ狂う嵐を、手のひらで抑え込もうとするようなものだ。

 

 無謀。


 不可能。

 

 危険ダンジョンを避け、五界使徒信仰の国々の遺跡を主軸に調査してきた自分にとって、それは完全に専門外だった。

 

 ダンジョン深部にある、精霊ゆかりの遺跡に行けば、手がかりはある――

 

 以前なら、そう考えていた。

 

 だが、今はその考えすら怪しく思える。

 

 何かが違う。


 どこか、アプローチそのものを誤っているような気がしてきた。


 ルベッカは無意識に親指の爪を噛んだ。

 

 人が作った精霊の言葉を追うのではない。


 信仰をなぞるのでもない。

 

 ならば、何を見るべきなのか。

 

 呪いそのものか。


 呪われた者の共通項か。


 あるいは――

 

「なぁ」

 

「…………」

 

「なぁってば」

 

「…………」

 

「ルベッカねーちゃん!」

 

 はっとして、ルベッカは顔を上げた。

 

 レヴィが呆れたように、こちらを見ている。

 

「なんです?」

 

「そろそろ、花見に行く時間だぜ」

 

「……もうそんな時間ですか」

 

 ルベッカは椅子から立ち上がり、散らばった資料へひととおり視線を走らせた。

 

 読みかけの巻物。書きかけのメモ。精霊言語の対照表。未整理の断片群。

 

 どれも未完のままだ。


 だが、今日はここまでにするしかない。

 

 レヴィが器用に床の資料をまたいで立ち上がる。

 

「花見なんて行事、興味ねーけど……飯が出るなら行ってやるぜ」

 

「ガミみたいですね」

 

 そう言って、ルベッカは眼鏡の位置を直した。

 

 花見。


 星紡ぎの樹の下での昼食会。

 

 正直、ルベッカは乗り気ではない。


 だが、メリシアに誘われた以上、顔は出すべきだろう。

 

 それに――


 ほんの少し、頭を切り替えるべきだと思った。


  


 

 メリシア邸の裏庭から少し離れた場所に、その遺跡はあった。

 

 旧校舎だった頃には、学生たちが願い事をしたり、花見をしたりしていたという小さな遺跡。


 新校舎が建ってからは学生が訪れることもなくなり、今では静かに時を重ねるだけの場所になっている。

 

 石畳の円環は、長い年月が経っても、変わらず静かにそこにあった。


 崩れかけた石柱の向こう、かつて栄えたであろう建物の名残が佇んでいる。

 

 その中心に根を張る大樹――『星紡ほしつむぎの』は、まるでこの場所そのものを守る番人のようだった。

 

 幹は太く、いくつもの年月を重ねたようにねじれながら天へ伸びている。


 表皮は深く刻まれ、苔をまとい、大地そのものが立ち上がったかのような重みがあった。


 根は大きく張り出し、地面を掴むように広がっている。


 そのうちのひとつは、樹の根元に半ば埋もれた大きな石板を抱き込むように絡みついていた。

 

 石板の中央には、緋幻紋。


 その周囲を囲むように、五界使徒の紋様が刻まれている。

 

 ただ風化した装飾にしか見えない。


 だが、この場所に積もった人々の想いは、まだ色褪せてはいなかった。

 

 そして今、その大樹は花の時期を迎えていた。

 

 枝先に咲く小さな花は、桜に似ている。


 花びらは五枚。


 淡い白に、ほんの少し黄色を溶かしたような色合いで、ぼんやり光っているようにも見えた。

 

 風がなくとも、花はぽつ、ぽつと落ちる。


 舞うというより、ほどけるように。


 地面には薄く花びらが積もり、散り始めのようにも見える。


 しかし、散ると同時に次の花びらが生まれているかのように、絶え間なく花を咲かせていた。


 地面のそれは、陽光を受けて金色の絨毯のようにも見える。

 

「綺麗だ……」

 

 ティプスタンは思わず呟いていた。

 

 星火祭が終わって三日。


 星紡ぎの樹の花見シーズンが来ていた。

 

 もともと星火祭は、この樹の開花時期に合わせて組まれた祭りだったらしい。


 だが、長い年月の中で気候が変わり、今では祭りの三日後に開花するのが通例になったという。

 

 ティプスタンにとっては、どれも新鮮に映る。

 

 大樹の荘厳さも。


 花のやわらかな色も。


 光を浴びて静かに落ちていく花びらも。

 

 ただ立って見上げているだけなのに、胸の奥が少しあたたかくなる。

 

 一方で、ガミは円形の石畳の端に寝転がり、頬杖をついていた。

 

「花なんか見て、なにが楽しいんだよ」

 

 不満そうに言いながらも、昼食の入った籠の方はしっかり見ている。

 

 ミミリルはというと、頭のウサギ耳型魔導具をぴこぴこと揺らしながら、落ちてくる花へ両手を広げていた。

 

「ほわぁ……! 見ろ見ろティプスタン! 星みたいな花なんだゾ!」


「ほんとだ……」


「すごいだろっ!」

 

 その様子を、少し離れた場所から、メリシアとカプリオスが、穏やかな表情で見つめている。


 ポット・ポークンとマー教授の姿もあった。

 

 元リュミナリア学園の卒業生で、旧知の仲でもあるポット・ポークンとマー教授。


 二人はどこか昔を懐かしむように話していた。


 その横で、リリネアが興味深そうに耳を傾けている。

 

 皆、それぞれに雑談を楽しんでいた。

 

 そこへ、少し遅れてルベッカとレヴィが姿を見せた。

 

 それを見るなり、ガミが顔をしかめる。

 

「おっせーよ」

 

「すみません」

 

「やっと飯が食えるぜ」

 

「それでは、始めましょうか」

 

 メリシアがそう言って微笑み、星紡ぎの樹の下で昼食会が開かれた。


  


 

 昼食会は、とても賑やかだった。

 

 メリシア邸の侍従たちが用意した料理はどれも品よく、それでいて花見の席らしい華やかさがある。


 ガミは早々に肉料理へ食いつき、ミミリルは焼き菓子に目を輝かせ、ティプスタンは料理を取り分けるだけで少し緊張していた。

 

 そんな中、メリシアが懐かしそうに樹を見上げた。

 

「ねえ、ルベッカ。学生時代、この樹の下で願い事をしたことを覚えていまして?」


「そんなことしましたっけ?」

 

 ルベッカは首を傾げた。

 

 メリシアは案の定というように、ふうとため息をつく。

 

「相変わらずですのねぇ」


「記憶にありませんね」

 

「本当にあなたは、そういうところだけ一切変わりませんわね」

 

 その会話へ、ミミリルがすぐに食いついた。

 

「願い事!? なんだそれ!?」

 

「あらあら。ミミリルさん、興味がおあり?」


「あるゾ! すっごくあるゾ!」

 

 ウサギ耳がぴんと立つ。

 

 メリシアはくすりと笑って、星紡ぎの樹を見上げた。

 

「この樹には、昔から小さな言い伝えがありますの。この樹の下で願い事をすると、叶う――かもしれないって」


「おおー!」

 

「まあ、本当に叶うかどうかは分かりませんわ。でも、学園がまだここだった頃は、この下で願掛けをする子がたくさんおりましたのよ」

 

 そこでメリシアは、少しだけ悪戯っぽく目を細めた。

 

「特に、告白」

 

「こくはく?」

 

「ええ。この樹の下で気持ちを伝えると、うまくいくと言われておりましたの」

 

 ミミリルが、いまいち要領を得ないという顔で、首を傾げる。


 その横で、リリネアがいつの間にか身を乗り出していた。

 

「あちき、そういうお話……だ、大好物だわさっ」

 

「でしょう?」

 

 メリシアは上機嫌で続ける。

 

「まあ、それはもう多かったですわ。男の子も女の子も、みんなこの樹の下で一大決心をして――」

 

「…………」

 

「ちなみに、カプリオスからの告白もここでしたのよ」

 

 ブフォッ!


 と、盛大にむせたのはカプリオスだった。

 

「め、メリシア……!」


「あらあら、違いましたかしら?」

 

「そ、そんなことも……ありましたかな……」

 

 頬を染めて視線を逸らすカプリオスに、一同が苦笑する。

 

 リリネアは完全に、乙女の顔でメリシアの話に聞き入っていた。


 ミミリルは恋愛よりも、“願い事が叶う”という部分に食いついていた。

 

「ウチもやるゾ!」

 

「あちきも……!」

 

 二人が顔を見合わせて頷いた、その時。


 メリシアが人差し指を立てた。

 

「お願いをするなら、月のイベントの時を狙うのがベストですわよ」


「月のイベント?」

 

「ええ。満月など、月が特別な状態をなした時。この樹の下で願い事を唱えれば、必ず叶う――そう言われておりますの」

 

 その言葉に、ミミリルとリリネアの目がさらに輝く。

 

「しかも」


 メリシアは、少し声を弾ませた。

 

「あと八日後には、百年に一度の皆既日食が起こるそうですの」


「百年に一度!?」

 

「それはもう、史上最大のチャンスですわ」

 

「おおおお!」「すごいぞな!」

 

 ミミリルとリリネアのテンションが一気に跳ね上がった。

 

 ティプスタンはそんな二人を見て笑い、ルベッカは半ば呆れたように眼鏡を押し上げる。

 

 けれど、その輪の中にある空気はやわらかく、穏やかで、ティプスタンは胸の奥で思った。

 

 こんな時間が、ずっと続けばいいのに、と。


 


 

 食後しばらくして、レヴィは遺跡の石板の前に立っていた。

 

 樹の根元に半ば飲み込まれた大きな石板。


 中央に緋幻紋。


 その周囲に、五界使徒の紋。


 ティプスタンが、静寂の回廊林で見かけた遺跡と同じものだった。

 

 昼の光の下、それはただの古い遺構に見える。


 だが、レヴィはそれを興味深そうに見つめていた。

 

「なあ、ルベッカねーちゃん」


「なんです?」

 

「これ、何の模様なんだ?」

 

 問われて、ルベッカは少しだけ意外に思った。

 

 精霊言語にも精通し、年齢のわりに妙に物知りな少年。


 そのレヴィが、五界使徒を知らないらしい。

 

 時々こうして、不自然なほど知っていることと、妙に抜け落ちていることが混在する。


 その不均衡さが、ルベッカには少し引っかかった。

 

「五界使徒です」

 

「ごかいしと?」

 

「主にヒューマン、獣人、亜人、ネクロクレイマンの間で信仰されている、この世の理を体系化した概念です」

 

 ルベッカは石板へ視線を向ける。


 

 龍の紋様。蒼天龍そうてんりゅう――認識を司る存在。


 蝶の紋様。白夜蝶びゃくやちょう――可能性と選択を生む存在。


 蛇の紋様。玄冥陰蛇げんめいいんじゃ――時間と因果を巡らせる存在。


 鳥の紋様。陽輪凰ようりんおう――解放と進化を促す存在。


 獣の紋様。翠界麒麟すいかいきりん――調和と均衡を保つ存在。


 

「この世を構成する働きを、五つの概念として捉えた思想体系ですね」

 

「ふーん」

 

 レヴィは紋様を見ながら言った。

 

「なんか精霊みたいだな」

 

「ええ」

 

 ルベッカは頷く。

 

「五界使徒は、もともとは精霊の概念をベースに作られた信仰ですから」

 

「精霊信仰と何が違うの?」

 

「精霊の畏怖の力を、より体系的に観測・分析し、真理へ近づこうとした概念です」

 

「へぇ」


「つまり――人が神に近づく方法を追求した信仰、とでも言えば良いでしょうか」

 

「すっげーおごりだな」

 

「私もそう思います」

 

 淡々とそう言いながらも、ルベッカは内心で別のことを考えていた。

 

 ルベッカが、五界使徒に惹かれた理由は、昔からはっきりしている。


 精霊という、人知の及ばない、天災のごとき力をただ恐れ崇めるよりも、この世界を論理的に解析し、分析し、理解しようとする思想の方が、自分にはしっくりきたからだ。

 

 だから、五界使徒の歴史や考古学を追ってきた。


 人の知性がどうやって理へ迫ろうとしたか、その痕跡を見る方が、ずっと面白かった。

 

 精霊信仰は、ただ畏れ、仰ぐもの。

 

 五界使徒信仰は、理解し、扱おうとしたもの。

 

 そこまで思考した時、ルベッカの中で何かが引っかかった。

 

 精霊。五界使徒。呪い。機能。理。観測。循環。調和。

 

 もし、五精霊の呪いが“神罰”ではなく、世界の働きそのものの偏りとして現れているのだとしたら。

 

 もし、解くべきなのが“感情ある精霊の怒り”ではなく、機能の暴走や固定化なのだとしたら。

 

 精霊言語を読むだけでは届かない。

 

 祈りを知るだけでも足りない。

 

 必要なのは――

 

「どうしたの? ルベッカねーちゃん」

 

 レヴィの声がした。

 

 だが、ルベッカにはすぐには届かなかった。

 

 石板に刻まれた五つの紋様が、急に違う意味を持ち始めた気がしたのだ。

 

 精霊と五界使徒は、対立する概念ではない。


 片方が信仰対象で、片方が思想体系という違いはあっても、両者は同じ“世界の機能”を別の視点で見ているだけに過ぎない。

 

 だとしたら。


 だとしたら、呪いを解く手がかりは――

 

「…………」


「ルベッカねーちゃん?」

 

「……少し、考えています」


「またかよ」

 

 レヴィが呆れたように肩をすくめる。

 

 ルベッカは、「確かめたいことができた」とメリシア邸へと戻っていった。




 

 しばらくして、遅れてひとりの老人がやって来た。

 

 白髪。


 整えられた髭。


 濃紺から黒を基調とした和装。


 穏やかな顔立ちをした、しかし芯のある立ち姿の老人――スメラギ・ソウイチロウである。

 

 手にはいくつかの荷物を持っていた。

 

「今年はずいぶん賑やかですのぉ」

 

 その声に、メリシア夫妻が出迎える。

 

「ようこそ、ソウイチロウさん」

 

「毎年ありがとうございます」

 

 毎年、ソウイチロウとメリシア夫妻はここで花見をするのが恒例だったらしい。


 もともと、ククルシア共和国には、“樹の下で花見をしながら飲み食いする”という文化はなかった。

 

 だが、ソウイチロウとイッサの故郷には、星紡ぎの樹に似た“さくら”という樹があり、その下で食事をしながら、花見をする文化があると聞いたメリシアが、「それは素敵ですわね」と言い出し、以来それが毎年の恒例行事になったのだという。


 今ではククルシアの国民にも、“樹の下で花見をしながら飲み食いする”という文化が広まりつつあった。

 

「そういえば、イッサ君はどうされていますの?」

 

 メリシアの問いに、ソウイチロウはニヤリと笑った。

 

「フィオちゃんとデートしとりますわい」

 

「まあ!」

 

 メリシアは両手を口元に当てて目を丸くする。

 

「若いって良いわねぇ」

 

「ほんにのう」

 

 どこか面白がるような声音だった。

 

 昼食会に加わったソウイチロウは、皆と挨拶を交わし、やがてティプスタンの前に腰を下ろした。

 

 ティプスタンは少し緊張しながら、酒器に酒を注ぐ。

 

「ど、どうぞ……」

 

「お酌とは、よう気が利くのう」

 

「いえ、その……こういうの、合ってるか分からないですけど」

 

「十分じゃよ」

 

 ソウイチロウは目を細めて、杯を口に運んだ。

 

 しばらくして、彼は手荷物のひとつ――刀袋を、丁寧に広げた。

 

 中から現れたのは、一振りの剣だった。


 おもむろに、鞘から剣を抜くソウイチロウ。

 

 短剣というには長く、剣というには細い。


 全長およそ五十センチほど。


 柄は短く、刃は細長く直線的で、中央に芯の通った両刃。

 

「これは、直継なおつぐと言う名の剣じゃ」

 

 ソウイチロウは静かに言った。

 

「わしが冒険者時代に使っておった得物じゃ。突きに特化した剣での」 

 

 ティプスタンは思わず見入った。

 

 細長い刀身に走る刃文は、どこまでも直線的だった。


 その美しさは、斬るためではなく、ただ一点を貫くために鍛えられた刃の思想をそのまま映していた。

 

「かなりの業物じゃよ。東方の島国の匠が鍛えた緻密鍛鋼。軽く、硬く、突きのぶれが出にくい」

 

「……すごい」

 

「斬らん。振らん。突くだけ。その代わり、間合いも角度もタイミングも、すべてが問われる武器じゃ」

 

 ソウイチロウは剣を持つ手元を静かに見せた。

 

「急所を抜くための剣。正しい一歩と、正しい一点だけで、戦いを制する武器じゃよ」


 そう言って、直継を鞘に収める。

 

 そして、直継をティプスタンに差し出した。

 

「これを、お主に使ってもらいたい」

 

「え……」

 

 ティプスタンは目を見開く。

 

「ど、どうして僕なんかに、そんな大切な剣を……?」

 

 ソウイチロウは一息ついた。

 

 その横顔から、一瞬だけ穏やかな笑みが消える。

 

「……まずは、詫びじゃな」

 

「詫び?」


「孫のイッサが無茶をして、皆を危険にさらしたことは、メリシア殿から聞いとる」

 

 ティプスタンは俯く。

 

「それに、お主はイッサを助けるために、深淵の魔王、ガンハートの前に立ったそうじゃな」

 

「…………」

 

「お主がおらなんだら、イッサもフィオちゃんも死んでおったかもしれん」

 

 ソウイチロウの声は穏やかだった。

 

 だが、重みがあった。

 

「礼でもあり、詫びでもある」

 

 そして、視線を少し遠くへやる。

 

「それに……深淵の魔王が自ら名乗ったということは、お主に興味を示したということじゃ」

 

「…………」

 

「必ずまた、どこかで対峙することになるじゃろう」

 

 ティプスタンの背筋に冷たいものが走る。

 

 あの時のことを思い出す。


 圧倒的だった男。


 深淵の魔王、ガンハート。

 

 ソウイチロウはそんなティプスタンの様子を見て、目を細めた。

 

「お主もやっかいなヤツに目をつけられたのぉ」

 

 その声音には、どこか懐かしむような響きがあった。

 

 ティプスタンは、差し出された直継を両手で受け取った。

 

 思ったより軽い。


 だが、手首の角度を少し変えただけで、重心が一気に変わる感じがする。

 

「……大事にします」

 

「うむ」

 

 ソウイチロウは静かに頷いた。

 

「無駄に振らんでよい。隙が生まれる。ここぞという時に突け。まっすぐなものだけが届く」


「はい!」

 

 それは、教えであり、託す言葉でもあった。


 


 

 日が傾きはじめる頃になっても、花見の席は、まだまだ終わる気配を見せていなかった。

 

 夕刻の光が、星紡ぎの樹の枝葉をやわらかく染めている。


 落ちた花びらは、昼よりもいっそう淡く金色に見えた。

 

 そして、その空気をさらに賑やかにしたのは――

 

 ジャカァンッ!!

 

 ひときわ大きく響いたギターの音だった。

 

 マー教授が、いつの間にか“あちら側”に入っていたのである。

 

 長い金髪はリーゼントへ変貌し、もみあげは見事なレの字。


 眼鏡は外れ、斧型ギターを抱えたその姿は、もはや誰がどう見ても“マイコー”だった。

 

「マッ! マッ! マッ! マッ! マッ?」

 

 耳元に手を当て、客席――もとい花見の一同へ煽るように声を投げる。

 

 真っ先に応じたのはリリネアだった。

 

「マイコー!」

 

 両手に細い光る棒を持って、全力で振っている。

 

 昼食会の時、彼女は誇らしげに言っていた。

 

「あちきは、マイコーファンクラブの会員第一号なんだわさっ!」

 

 そう言って見せてくれた会員証には、マイコーの顔がアップで写っていた。


 ニヤリと笑う歯が、キラリと光っていた。


 さらに、マイコーの直筆サイン付きである。

 

 今、その会員第一号としての本領発揮である。

 

 ミミリルも興味津々で、ぴこぴこと揺れるウサギ耳のまま、マイコーを見つめている。

 

「なんだなんだ!? なんか、すごいゾ!」

 

「いや、ほんとなにこれ……」

 

 ティプスタンは言った。

 

 その横で、レヴィは露骨に怪訝そうな顔をしている。

 

「なんだコイツ?」

 

「マー教授……の、アーティストモード。マイコー」

 

「意味わかんねぇ」

 

「うん、僕も分かってない」

 

 ガミは、お菓子を食いながら「変なヤツだな」と呆れ、ポット・ポークンは腕を組んで、「今日はキレッキレなんだな」と頷いていた。

 

 そしてマイコーは再び弦を掻き鳴らす。

 

 ジャァァァンッ!

 

「マッ! マッ! マッ! マッ! マッ!?」

 

「「「マイコー!!」」」

 

 今度は皆から声援が飛ぶ。

 

 ティプスタンも、気づけば笑っていた。

 

 心から。

 

 こんなに楽しいことがあるなんて。

 

 危険なことはたくさんあった。


 これからもあるかもしれない。


 分からないこともまだ多い。

 

 それでも、今この瞬間、花の下で皆と笑っていられる。

 

 ――ああ、幸せだな。

 

 そんな気持ちが、胸の中に静かに根を張っていくのを感じた。


 



  その頃、メリシア邸へ戻ったルベッカは、研究室の扉を閉めるなり机へ向かっていた。


 花見の席で考えていたことが、頭の中でまだ途切れていない。


 精霊と五界使徒。


 信仰と思想。


 人知の及ばない、天災のごとき力と、それを機能として捉え直そうとした人の知性。


 ルベッカは机上の資料を次々とめくった。


 精霊信仰の祭祀記録。五界使徒思想の古い体系書。遺跡の拓本。循環と調和に関する断片的な論考。


「違う……そこではない……」


 呟きながら紙をめくる指先が速くなる。


 精霊の呪いを、精霊そのものへの祈りで鎮めようとする発想――


 それでは足りない。


 精霊の仕組みを、人の側から理解し、干渉し、均す視点。


 それが必要なのではないか。


 ルベッカは、ふと、昼食会で見た石板を思い返した。


 五界使徒のうち、循環を司る玄冥陰蛇げんめいいんじゃ


 調和を司る翠界麒麟すいかいきりん


 偏りを巡らせるもの。


 乱れを均すもの。


 そこで、ルベッカの頭に、ひとつの仮説が浮かんだ。


「……試してみる価値はある」


 思わず声が漏れる。


 精霊の呪いが、もし世界の機能の偏りとして発現しているのなら。


 精霊そのものへ祈るのではなく、その偏りを別の機能体系で打ち消す。


 つまり――


「精霊の仕組みを……五界使徒の仕組みで相殺する……」


 その言葉が口をついて出た瞬間――


  ズキリッ、と胸の奥を鋭い痛みが貫いた。


「っ……!?」


 ルベッカの指先から、紙束が滑り落ちる。


 呼吸が浅くなる。

 

 心臓が――乱れる。

 

 体の内側で、何かが軋む。


 嫌な予感がした。


 精霊の呪いが――悪化し始めた。

 

 立ち上がろうとした瞬間、視界がぐらりと揺れた。


 机に手をつくが、支えきれない。

 

 胸の奥から広がる圧迫感。


 熱とも冷たさともつかない異物感。


 全身から一気に力が抜けていく。

 

「……っ」


 言葉にならない息が漏れた。

 

 次の瞬間、ルベッカの身体はそのまま崩れ落ちた。

 

 床に散らばる資料の上へ、青い髪が力なく滑り落ちる。

 

 銀縁眼鏡が弾かれるように外れ、乾いた小さな音を立てて、紙束のあいだへ転がった。


 ――音が、途切れる。

 

 届きかけた思考だけが、その場に取り残される。

 

 床に散らばった紙片も、開いたままの資料も、倒れ伏したルベッカに何ひとつ応えはしない。

 

 ただ静寂だけが、彼女の崩れ落ちた身体を覆い隠すように、重く沈んでいた。


  

  

☆16話に続く☆

★作中登場の用語について★


星紡ほしつむぎの樹】

ククルシア共和国では、よく見かける樹。

日本の桜のような立場の樹。

リュミナリア学園の中央広場にある大樹もこの樹である。


■見た目

縄文杉に似ている。

花は桜の花びらに似ているが、色は違う。


■開花時期

ククルシア共和国で1年に一度開かれる祭り、星火祭の日から3日後に3日間だけ咲く。

咲いている期間が短く、見逃す人も多い。

もともと、星火祭は、この開花時期にあわせて行われた祭りだったのだが、長年の気候変動もあり、今は3日後にズレている。


■花の特徴

桜に似ている。

花びらが5枚あり、全体的に見ると、星の形をしている。

淡い白に、ほんの少し黄色を溶かしたような色合いで、ぼんやり光っているように見える。

実際は光らない。

ただし、夜は月明かりを受けると、星が輝いているように見える。


■印象

立派な樹。

根本がしっかりしている。

お寺にあるような、荘厳な樹という印象。


■散り方

風がなくても、ぽつ、ぽつと落ちる。

地面に落ちた葉は、金色の絨毯のように見える。


■言い伝え

この樹の下で願い事や、告白をすると成就すると言われている。

満月などの、月のイベントの時を狙って、願い事をすると、より願い事が成就しやすい。と言われている。月のイベントがレアであればあるほど良いらしい。

メリシア愛読書『乙女の占い図鑑』より引用。


■ちょっとした不思議

花が咲いている間は、なぜか天気が崩れにくい。



直継なおつぐ

スメラギ・ソウイチロウが冒険者時代に使用していた愛剣の名前。


■サイズ・形状

全長:約50cm

柄:約10cm

刃渡り:約40cm

長めの短剣(ショートソード寄り)

スティレット強化型

針のような突き特化武器


■特徴

通常の短剣より細く長い。

中央に芯の通った直線的な両刃。

切断より貫通性能に長けている。

一般的な短剣よりリーチが長い。

隙間に入りやすい。

上手く急所を狙えば一撃必勝。

「正しい一歩と、正しい一点だけで勝つ武器」


■素材

緻密鍛鋼ちみつたんこう

極限まで不純物を取り除いた高純度鍛造鋼。刃文が美しく芸術的。

東方の島国の匠による技術で、鍛冶技術に優れたドワーフでも再現困難。

分かる者には分かる“異常な精度”。

ドワーフすら驚くレベルの加工技術。


■性能

軽い。硬い。反発が少ない(突きのブレが出ない)。

「持ち主の技術=そのまま威力になる武器」


■基本コンセプト

一撃で終わらせる武器。

無駄に斬らない、振らない、突くだけ。

間合い・角度・タイミングがすべて。


■強み

通常短剣よりリーチが長い。

細い=防具の隙間に入る。

軽い=連続突きが可能。


■弱点

横薙ぎに弱い。

複数相手に不利。

技術がないと扱えない。

使い手を選ぶ武器。



【マイコーファンクラブ】

リリネアの推し「マイコー」(アーティストモードのマー教授)のファンクラブ。

リリネアはファンクラブ会員第一号であり、ファンクラブの創設者。

コアなファンが多い。


■ファンクラブ会員証

マイコーのブロマイド兼会員証カード。

入会者は

「君を見つめるマイコー」

「空を見つめるマイコー」

「背中で見つめるマイコー」

の、どれか三種類から好きなマイコーを選べる。

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