Side Story: Issa & Fio ―『星火祭の願い』
ククルシアの夜は、今年も星の灯で満ちていた。
通りの上には星を象った吊り灯火が幾重にも連なり、赤や金の房飾りが夕風に揺れている。
中央広場の噴水のまわりには大勢の人々が集まり、笑い声と楽の音、甘い匂いが混じり合い、街は浮き立っていた。
――けれど。
その喧騒から、ほんの少しだけ外れた場所。
石段を登り切った先、人目から外れた片隅に、その樹は立っている。
『影守りの樹』
幹は細く、枝ぶりも歪で、葉はくすんだ緑。
特別な光も、香りもない。
祭りの日でさえ、誰も立ち止まらない――“選ばれない樹”。
フィオは、その樹のそばの石に腰を下ろしていた。
日が沈みかけた空は、群青と橙の境目で揺れている。
青い着物の袖が、わずかな風に揺れた。
普段は機動力を優先した軽装に身を包む彼女が、今夜まとっているのは、祭り用に仕立てられた和装だった。
深い青を基調にした生地には、夜の水面みたいな静かな艶がある。
帯は濃色で引き締められ、しなやかな身体つきを、いつもより少しだけ大人びて見せていた。
髪はいつもより丁寧に整えられていたが、短めの毛先は相変わらず少し無造作に跳ねている。
右側には、見慣れたカラスの髪飾り。
黒銀の細工で形作られたそれは、幾重にも重なる羽根の意匠を宿し、灯火を受けるたび青や紫をひそやかに返していた。
耳元には、緑の装飾のついた小さなピアス。
顔と腕には、まだ新しい傷布と包帯。
ガンハートとの戦いの痕は、まだ完全には消えていなかった。
けれどフィオは、それを気にする様子もなく、ただ静かに樹を見上げていた。
祭りだから、少しくらいはおしゃれをしてもいいだろうと思った。
ただ、それだけだ。
誰かに見せるためではない。
ましてや、あいつが来るなんて思っていない。
それなのに。
(……これを見て、なんて言うかな)
ふと浮かんだ考えに、フィオは小さく眉を寄せた。
(ま。別に、どうでもいいけど)
そう思いながらも、指先が無意識に帯の端を整える。
(……綺麗だ、とか)
そこまで考えて、ぶんぶんと頭を振った。
あり得ない。
あいつがそんなことを言うはずがない。
むしろ、気づきもしないに決まってる。
フィオは視線を逸らし、帯の端を指でいじった。
それから、もう一度、樹を見上げる。
――思い出す。
八年前。
同じ星火祭の、同じ場所。
六歳の頃の、自分と――イッサのことを。
✧彡
「イッサ君、サイテー」
少女の鋭い声が、空気を切り裂いた。
祭りの喧騒の中、少し外れた場所。
五人の女子グループの中心に立つリーダー格の少女が、腕を組んでイッサを睨みつけている。
「カラスの羽なんて不吉なもの、女の子にプレゼントするとか、もう嫌がらせじゃん」
「いや……そんなつもりじゃ……」
イッサは視線を泳がせながら、小さく言った。
半年前にこの国へやってきたばかりの彼にとって、それは心からの贈り物だった。
彼の生まれた東方の島国では、カラスは神の使い――神鳥として崇められていたからだ。
だが、ここでは違う。
国が違えば、価値観も違う。
「なんか汚いよね」「気持ち悪いよね」
と、取り巻きの女の子がヒソヒソと囁く。
「ねっ? フィオちゃんもそう思うよね?」
問いかけられて、フィオはびくりと肩を揺らした。
視線が、イッサと少女の間を行き来する。
イッサは、どこか寂しそうな顔をしていた。
本当は言いたかった。
――嬉しかったよ。
――ありがとうって。
けれど。
「フィオちゃん?」
周囲の視線が、突き刺さる。
喉が、ひゅっと鳴る。
「……う、うん。そうだね」
その瞬間。
うなずいた瞬間、自分の言葉が大切な人を裏切った気がして――
涙があふれた。
頬を伝う雫に、女の子たちは目を丸くする。
「なんだ? どうした?」
そこへ、同年代の男の子たちがやってきた。
「コウ君! あのね、イッサ君が嫌がらせでフィオちゃんを泣かせたの」
少女の一言で、空気が変わる。
「おいっ! イッサ! なにしてんだよっ!」
コウと呼ばれる少年が、イッサの胸ぐらを掴んだ。
イッサは言葉に詰まっていた。
「チッ」
舌打ちと共に、突き飛ばされるイッサ。
尻餅をついた衝撃と同時に――
黒羽の髪飾りが、地面に落ちた。
「こんなヤツほっといて、あっちで遊ぼうぜ」
「おれ、女の子泣かせるヤツって許せないんだよな」
コウの言葉に、少女たちは目を輝かせる。
「コウ君、カッコイイ!」
「フィオちゃん行こっ」
腕を引かれる。
言われるがまま、従うようにその場を離れた。
フィオは振り返った。
イッサはただ黙って、地面に落ちた髪飾りを見つめていた。
しばらくして、フィオが戻ったときには、もう誰もいなかった。
祭りの音だけが、遠くに響いている。
地面に、ぽつんと残された黒羽。
フィオは周囲を見回し、誰もいないことを確認してから――
そっと、それを拾い上げた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
何も言えなかった自分が、どうしようもなく嫌で。
そのままポケットにしまい込んで、逃げるように家へ帰った。
✧彡
――そして、現在。
フィオは静かに息を吐いた。
「……嫌なこと思い出しちゃったなぁ」
小さく、誰にも届かない声。
けれど、それでも。
あのとき言えなかった言葉は、今も胸の奥に残っている。
ふと、樹を見上げる。
幼い頃、イッサと二人で、この樹を“星紡ぎの樹”と勘違いして願い事をした。
イッサは、この石の上に立って言ったのだ。
『大切な人を守れる最強の男になる!』
得意げに、鼻を鳴らしていた。
「フィオちゃんは?」
そう聞かれて。
「わ、私は……」
あのときも、言えなかった。
視線を逸らして、うつむくだけだった。
思い出して、ふっと笑う。
「……あの頃よりは、マシになったと思うんだけどな」
それでも。
うまく言葉にできない。
胸の奥で渦巻く想いを、押し込めるように。
「……好きな人の、側にいたい」
ぽつりと、こぼした。
その言葉は、夜に溶けるように消えて――
「フィオ?」
「うひゃっ!?」
背後から声がして、思わず飛び上がる。
「え!?」
勢いよく振り返る。
そこにいた顔を認めた瞬間、息が止まりかけた。
「……イッサ!?」
なんでここにいるの、と続くはずだった言葉が、喉につかえる。
振り返った先にいたのは――
傷だらけの少年だった。
普段の戦装束ではなく、今夜は紺色の和服姿。
甚平のように簡素で動きやすそうなそれは、余計な飾りがなく、彼らしい無駄のなさだけがあった。
黒髪はいつも通りやや無造作で、長めの前髪の奥から、暗い灰色の瞳がこちらを見ている。
細身で引き締まった身体つき。
背筋はまっすぐに伸び、左腕を吊っていてなお、立ち姿に隙がない。
顔にも、肩にも、傷布がいくつも巻かれていた。
フィオよりも、よほどボロボロだ。
なのに、その無愛想な顔でそこに立たれるだけで、妙に目を奪われる。
(……なによ、それ)
一瞬だけ、心臓が跳ねた。
(普通に……似合ってるじゃない)
自分で思って、自分で動揺する。
だめだ、落ち着け。
そう思うほど、さっきまで頭の中で打ち消していた妄想がよみがえる。
こんな格好、見られる予定じゃなかったのに。
よりによって、なんで今来るのよ。
「…………」
無言で頬をかくイッサ。
気まずそうに視線を逸らす仕草が、昔と変わらない。
それを見て、フィオはようやく呼吸を思い出した。
「ま、まあ……座りなよ」
隣をぽんぽんと叩く。
イッサは少しだけ迷ってから、静かに腰を下ろした。
沈黙。
祭りの音だけが、遠くで鳴っている。
並んで座ると、妙に近い。
意識するなと言う方が無理だった。
髪飾りの鎖が、動くたびにかすかに鳴る。
その音まで聞かれている気がして、落ち着かない。
「……すまなかったな」
「え?」
「俺のせいで……」
その言葉に、フィオの心臓が強く打つ。
イッサの視線は、フィオの傷に向けられていた。
「べ、別にこんなのたいしたことないよ! イッサの方がボロボロじゃん!」
言ってから、しまったと思う。
せっかく落ち着きかけていたのに、声が少し上ずった。
けれど――
「そうか」
イッサは、少しだけ笑った。
それが、救いだった。
フィオはそっと視線を逸らす。
顔を見られたくなかった。
(……何よ、その顔)
そんなふうに少しだけ笑うなら、もっと早く見せなさいよ。
胸の奥がむずがゆくて、どうにもならない。
「珍しいじゃん。星火祭に来るなんて。いつも訓練所にこもってるのに」
「ああ……そのつもりだったんだが、祖父様に止められた」
「そんな身体で?」
「ああ」
呆れて、でも少しだけ笑う。
イッサらしい。
その横で、フィオは自分の袖口を指先でつまんだ。
整える必要なんてないのに、ついそうしてしまう。
さっきまでひとりで笑い飛ばしていたことが、今になって妙に現実味を帯びてきて、困る。
見せるつもりなんてなかった。
褒められるなんて、思ってもいない。
けれど、今ここに本人がいるなら、ほんの少しくらいは――
そんな自分が、嫌になる。
「ねえ、覚えてる?」
「何をだ」
「この樹。昔、星紡ぎの樹と間違えて、願い事したの」
「覚えてない」
即答。
でも、眉をかく仕草。
フィオには、嘘だと分かる。
フィオはニヤリと笑う。
「へぇ〜?」
「……でも」
イッサは樹を見上げた。
「好きなんだよな」
どきり、と胸が跳ねる。
「この樹」
「あ、ああ! 樹ね! そうよね!」
慌てて笑うフィオ。
自分でもびっくりするくらい取り乱していて、余計に恥ずかしい。
ごまかすように、耳元の髪を指で払う。
その拍子に、カラスの髪飾りが灯りを受けて揺れた。
イッサの視線が、ほんのわずかにそこへ向いた――ような気がして、フィオの胸がまた騒ぐ。
だが、彼は何も言わない。
やっぱり言わない。
分かってた。
分かってたけど、ちょっとだけ期待した自分が悔しい。
「影守りの樹。この樹の由来、覚えてるか?」
「覚えてない」
今度はフィオが嘘をつく。
視線が、右下に落ちる。
イッサもまた、フィオのその仕草が意味することを知っていた。
しかし、何も言わなかった。
――この樹のもとで、大切な人を想えば、その想いは必ず届く。
口には出さない。
けれど、同じ言葉を、二人は心の中でなぞっていた。
ただし。
イッサの「大切な人」が、もうこの世にいないことを、フィオは知っている。
だから。
その想いの行き先に、自分がなれないことも。
「……ねえ、イッサ」
それでも。
フィオは笑った。
胸の痛みごと、いつもの調子で塗りつぶすみたいに。
「どうせ暇なんでしょ? なら、この可愛いフィオちゃんが祭りに付き合ってあげる」
「え?」
「なによ、不満あんの?」
「いや……不満はないが……」
「なら、独断行動した責任をとって、私をエスコートしなさいな」
「それ、メリシア理事長の真似だろ」
「分かった?」
くすりと笑う。
イッサも、少しだけ口元を緩めた。
フィオはそっと、イッサの無事な右腕に抱きつく。
ほんの少しだけ、勇気を込めて。
その拍子に、髪飾りの細い鎖が揺れ、小さな羽根と黒い雫石が微かな音を立てた。
言えない言葉の代わりに。
気づいてほしい気持ちの代わりに。
ほんの少しだけでも、今はこうして隣にいたかった。
「行こっ」
「ああ」
二人は立ち上がる。
星の灯に満ちた夜へと、歩き出す。
喧騒の中へ消えていく、その背中。
――影守りの樹は、ただ静かにそこに在った。
誰にも選ばれず、誰にも顧みられないまま。
それでも、歪な枝は夜空へ伸びるように広がっていた。
葉は、かすかな風に震えている。
寄り添うことも、引き留めることもせず。
あの日も。
そして、今も。
二人の背中を、そっと見送るように。
✧彡 終わり ✧彡
★作中登場アイテムについて★
【フィオの髪飾り】
幼い頃にイッサからプレゼントされたカラスの羽根を模した髪飾り。
■髪飾りの外見
全体は細身で流線的な形状をした髪飾り。
ベースは黒銀の金属で、落ち着いた光沢を持つ。
■モチーフ
主体はカラスの羽根を模した装飾。
複数の羽根が重なり合うように配置されている。
一枚一枚に細かい刻みや羽軸の表現があり、精巧な作り。
色は黒を基調に、光の角度で青や紫がわずかに反射する(カラス特有の光沢)。
■装飾部分
中央に黒い宝石(オニキス系)が埋め込まれている。
さらに小さな宝石がいくつか散りばめられ、控えめな輝きを添えている。
宝石の色は黒〜深い青系で統一されている。
髪飾りの端から細いチェーンが垂れ下がっている。
チェーンの先には、黒い羽根のチャーム。
しずく型の黒〜青い宝石。
動くたびに軽く揺れる装飾になっている。
■全体の印象
派手すぎず、静かで妖しい美しさを持つデザイン。
自然(羽根)と金属装飾が融合したエルフやレンジャー向けの装備。
夜や影、静寂を連想させるミステリアスな雰囲気。
■カラスの羽根の髪飾りの由来
大陸では「カラスは不吉の象徴」とされているが、イッサの生まれた東方の島国では、カラスは神の使いとされ、『神鳥』と崇められている。
★フィオが知らないもう一つの由来。
イッサの国では、想い人にカラスの髪飾りを贈る風習がある。
頭の左側に付ければ「あなたに感謝しています」。
頭の右側に付ければ「あなたを愛しています」。
という、相手からの意思表示になるのだが、フィオは知らずに右側に付けている。




