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ELVES《エルヴス》―命の器の継承者―  作者: 克
Style/紅の外套編

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第12話『深淵の者』

「まずいって! イッサ!」

 

 フィオは木々のあいだを駆け抜けながら、前を走る幼馴染の名を叫んだ。

 

 だが、イッサは振り返らない。

 

 彼の腰に下がった魔響鈴(まきょうりん)が、不穏な音を断続的に鳴らしている。

 

 その音が示す方向へ、イッサは脇目も振らず突き進んでいた。

 

 完全な独断行動だった。

 

 普段のイッサなら、こんな真似はしない。

 

 状況を見て、仲間との距離を測り、最適な行動を選ぶ。


 そういう男だ。

 

 だからこそ、フィオには分かっていた。

 

 今のイッサは、冷静じゃない。

 

(やっぱり、さっきからおかしい……!)

 

 サイレントベアとグリーンウルフの死体を見つけた時点で、フィオは異常を察知した。

 

 すぐに共鳴笛(きょうめいてき)を鳴らして後方へ知らせた。


 そこまでは良かった。

 

 だが、その先で見つけたのは――ストーンベアの大型種の死体だった。

 

 静寂の回廊林にいるはずのないモンスター。

 

 しかも、その頭部は見るも無惨に潰されていた。

 

 あれを見た瞬間から、イッサの空気が変わった。

 

 張り詰めた、というよりも、何かに突き動かされているような危うさ。

 

 魔響鈴(まきょうりん)が鳴った今、その危うさはさらに濃くなっている。

 

「待ってってば! イッサ!」

 

 フィオは枝を跳ね上げ、湿った地面を蹴る。

 

 軽装の身体は森を駆けるのに向いている。けれど、それでも今のイッサは速かった。

 

 まるで、焦りそのものが足を動かしているように。

 

 フィオは小さく舌打ちした。

 

(後ろのみんな、気づいてるよね……?)

 

 さきほど自分は確かに共鳴笛(きょうめいてき)を鳴らした。

 

 だが、その後、ティプスタンたち四人の側から返答はなかった。

 

 マー教授たち後方組からの反応も、まだ確認できていなかった。

 

 嫌な予感が胸をざわつかせる。

 

 前方には高魔力反応。

 

 森の中には不自然な死体。

 

 そのうえ、イッサの様子までおかしい。

 

 全部が、最悪の方向へ噛み合っている気がした。

 

「イッサ!」

 

 もう一度叫ぶ。

 

 イッサの背中越しに、木々の密度が急に薄くなった。

 

 静寂の回廊林の終わり。

 

 湿った土と根の広がる森の地面が途切れ、その先に岩肌の露出したひらけた空間が広がっていた。

 

 谷の大穴へ続くダンジョン入口付近の外縁部――。

 

 そこに、一人の男が立っていた。

 

 銀髪。

 

 長い髪は腰近くまで伸び、ゆるく揺れている。

 

 尖った耳。

 

 赤い瞳。


 赤銅色(しゃくどういろ)の肌。

 

 落ち着き払った、妙に静かな立ち姿。

 

 その足元には、三人の冒険者らしき人影がうずくまっていた。

 

 誰ひとり立ち上がる気配がない。

 

 武器や防具が周囲に散乱し、戦闘の痕跡だけが生々しく残っていた。

 

 男の腰には、赤黒い剣と共に、ランタンのようなものがぶら下がっている。

 

 灯りは点いているが、普通の照明器具とは思えない不気味さが漂っていた。

 

 フィオが足を止めるより早く、イッサが前へ出る。

 

「何をしている!?」

 

 鋭い声が、開けた岩場に響く。

 

 男はゆっくりと振り返った。

 

 その視線には、警戒も驚きもない。

 

 ただ、興味の薄い落ち着きだけがあった。

 

「ん?」

 

 男は、まるで散歩の途中で呼び止められたかのような声音で答えた。

 

「襲ってきたから、相手をしてやったまでだが?」

 

 男の雰囲気に、なぜかフィオの背筋が冷えた。

 

 イッサの声が、さらに低くなる。

 

「殺したのか?」

 

「ん? まだだな」

 

 イッサは男を真っ直ぐ見据えたまま問う。

 

「お前は……アルギオンだな?」

 

 男はあっさり応えた。

 

「そう呼ばれているな」

 

 その一言で、イッサの瞳孔が広がる。

 

 フィオは無意識に弓を握り直す。

 

 アルギオン。

 

 現存種の中でも最強格とされる種族。

 

 そして、イッサにとっては――。

 

 フィオはちらりとイッサの横顔を見る。

 

 表情はいつもと変わらない。

 

 けれど、その瞳の奥にあるものを、フィオは知っていた。

 

 昔から一度も消えていない、黒い火種のような感情。

 

「お前に聞きたいことがある」

 

「なんだ?」

 

 男は相変わらず落ち着いていた。

 

 イッサの喉が、小さく鳴ったようにフィオには見えた。

 

「額に傷のあるアルギオンを知らないか?」

 

 その瞬間、男の目がわずかに細くなる。

 

「額に傷?」

 

 少しだけ考える素振りを見せてから、男はふっと口元を歪めた。

 

「ああ……ゼブラのことかな」

 

 その名が出た途端、イッサの空気が変わった。

 

 ぴしり、と見えない何かが張り詰める。

 

「そいつは今どこにいる!」

 

 声に熱が混じる。

 

 普段のイッサにはない、剥き出しの感情。

 

 フィオは息を呑んだ。

 

 男はそんなイッサの変化を面白がるように、わずかに笑った。

 

「知りたいか?」

 

「……答えろ」

 

 怒気が強くなる。

 

 フィオは反射的に一歩前へ出た。

 

「イッサ、落ち着いて!」

 

 だが、イッサは聞いていなかった。

 

 いや、聞こえていても届いていない。

 

 視界のすべてが、目の前の男だけに絞られている。

 

 男はそんな様子を眺めながら、いたずらっぽく肩をすくめた。

 

「そうだなぁ……」

 

 そして、赤い瞳を細める。

 

「私に勝てたら、教えてやらんこともないぞ」

 

 挑発。

 

 それも、あからさまな。

 

 フィオの顔が引きつる。

 

「相手にしないでっ! イッサ!」

 

 だが、イッサはフィオの制止を振り切るように一歩前へ出た。

 

「上等だっ!」

 

 吐き捨てるように言い、短刀と小盾を構える。

 

 その背中を見た瞬間、フィオの胸に嫌なものが走った。

 

 まずい。

 

 本当にまずい。

 

 今のイッサは、戦おうとしているんじゃない。

 

 “掴みに行こうとしている”。

 

 仇(かたき)に繋がる情報を。

 

 そのためなら無茶をする、そんな目をしていた。

 

「イッサ!」

 

 止める声もむなしく、イッサは叫ぶ。

 

「開門せよ! 鬼影門(きえいもん)!」

 

 詠唱と同時に、全身の魔導具が起動した。

 

 短刀。小盾。両足のブーツ。

 

 それらに埋め込まれた魔石が一斉に紫色の光を放ち、イッサの装備全体へ魔力の輝きが走る。

 

 岩場の空気がぴんと張りつめた。

 

 銀髪のアルギオンは、わずかに口元を吊り上げる。

 

 その笑みは愉快そうでいて、どこまでも冷たい。

 

 フィオは弓を握る手に力を込めた。

 

 止めなきゃいけない。

 

 けれど、下手に割り込めば、かえってイッサの邪魔になる。


 助けたい。

 

 けれど、一歩踏み違えれば全部が壊れる。

 

 そんな危うい均衡が、目の前にあった。

 

 そして、その均衡は今にも崩れようとしている。


 

☆


 

 イッサとフィオが、サイレントベアとグリーンウルフの死体を発見した頃――

 

 後方にいたティプスタンたち四人のもとに、フィオの共鳴笛の音が届いていた。

 

「今の……」

 

 ティプスタンが顔を上げる。

 

 ルベッカは即座に反応した。

 

「異常事態です」

 

 銀縁眼鏡の奥の青い瞳が、すでに周囲の状況を冷静に見極めている。

 

 ルベッカが後方のマー教授のもとへ共鳴笛で知らせようとした、その時――

 

 ピィィィッ――!

 

 その後方から、マー教授とリリネアの側からも共鳴笛が響いてきた。

 

 森の静けさが、一気に不穏へと塗り替わる。

 

「ほえっ、前も後ろも!?」

 

 ミミリルのウサギ耳型魔導具が、ばたばたと慌ただしく揺れた。

 

 ガミも前後を見回す。

 

「なにがどうしたんだよ?」

 

 その時だった。

 

 ズシン、と重い地響きが地面を震わせた。

 

 木々の間から現れたのは、灰褐色の巨体。

 

 全身が岩のような硬質感を帯びた熊型モンスターだった。

 

「な、なにあれ……!?」

 

 ティプスタンが目を見開く。

 

 ルベッカが答える。

 

「ストーンベア……。いるはずがありません」

 

「いるはずがない?」

 

「本来なら、この森のさらに奥――谷の大穴にあるダンジョンに生息するモンスターです」

 

 説明しながらも、ルベッカはすでに手鏡型魔導具へ指を添えていた。

 

 その時、ストーンベアが低く唸り、地を蹴った。

 

 岩塊のような巨体が、信じられない速度で突進してくる。

 

「来るっ!」

 

 ルベッカの制止より早く、ガミが前へ飛び出した。

 

「ぶっ飛ばす!」

 

 両足の脚甲に紫色の光が走る。

 

 獣人らしい爆発的な脚力で一気に間合いへ踏み込んだガミは、ストーンベアの眉間へ拳をふるう。

 

 獅子神流(ししがみりゅう)――《荒獅突(こうしとつ)》

 

 ドガッ、と鈍い音が鳴る。

 

 だが、ストーンベアはわずかに頭を揺らしただけだった。

 

「っだぁ!? 硬ってぇ!!」

 

 ガミは後方へ飛び退き、拳をぶんぶん振る。

 

 ルベッカが鋭く言った。

 

「ストーンベアは頭部が最も硬いモンスターです! 正面からの打撃は非効率です!」

 

「先に言えよ!」

 

「言う前に殴ったのは、あなたです」

 

 だが、やり取りを続ける余裕はない。

 

 木々の陰から、さらに一体。

 

 背後の岩場の向こうから、二体。

 

 気づけば、四人は四体のストーンベアに挟まれていた。

 

 前方に二体。

 

 後方に二体。

 

 逃げ道はない。

 

 ティプスタンの背筋を冷たいものが走る。

 

 ミミリルの耳も、不安げにぴたりと固まっていた。

 

「……落ち着いてください」

 

 ルベッカだけが冷静さを保っていた。

 

 その声はいつも通り平坦で、だからこそ強い。

 

「私が合図したら、目を閉じてください」

 

「は?」

 

「二度目の合図で、あの小高い岩山へ走ります」

 

 ルベッカが指差した先には、少し盛り上がった岩山があった。

 

 ストーンベア四体が、一斉に身を沈める。

 

 突進の予備動作だ。

 

「今です! 目を閉じて!」

 

 皆一斉に目を閉じた。

 

「リフレクト・アクティベート!」

 

 ルベッカの声と同時に、空に掲げられた手鏡型魔導具から、全方位へ眩い閃光が放たれる。

 

 閉じた瞼越しでもわかるほどの白い光。

 

「グアァッ……! グルゥ……ッ……!」

 

 ストーンベアたちの唸り声が乱れた。

 

「走ってください!」

 

 四人は一斉に駆け出した。

 

 ガミが先頭で岩山の陰へ飛び込み、続いてミミリル、ルベッカ、ティプスタンも滑り込む。

 

 ストーンベアたちは眩惑され、混乱している。

 

 だが、それも一時しのぎに過ぎない。

 

 岩山の陰で息を潜めながら、ティプスタンは短剣を握りしめた。

 

「どうするの……?」

 

 声が乾いている。

 

 ガミが唸る。

 

「全部まとめてぶっ飛ばすしかねーだろ」

 

「お静かに。今は声をひそめて、やり過ごすしかありません」

 

 ルベッカは淡々と返した。

 

 しかし、混乱が落ち着きはじめたストーンベアたちは、匂いを頼りに徐々にティプスタンたちのいる岩山へ迫る。

 

 ガミがしびれを切らして飛び出そうとした。

 

 その時だった。

 

 ぶわっ――と、空気に音の波紋が広がった。

 

 耳で聞くというより、空間そのものが震えるような感覚。

 

 続いて、森の奥から聞き覚えのあるギター音が鳴り響いた。

 

 チャカッ――ン!

 

 ジャァァン!!

 

 その音を浴びた瞬間、四体のストーンベアの動きがぴたりと鈍る。

 

 身体を震わせながら、まるで見えない枷(かせ)でもはめられたかのように足を止めた。

 

 そして――

 

「マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マイコー!」

 

 妙にノリのいい掛け声とともに、一人の男が森を割って現れた。

 

 リーゼント頭。

 

 レの字のもみあげ。

 

 丸眼鏡は外しているものの、その服装、その体格には見覚えがあった。

 

「雷鳴のアクスブレイカー! マー・マイコー――見参!」

 

「ええええっ!?」

 

 ティプスタンが思わず叫ぶ。

 

「マ、マー教授!?」

 

「正確には、アーティストモードのマー教授です」

 

 ルベッカが無表情のまま説明する。

 

「ギターを鳴らすと性格が変わります」

 

「なんで!?」

 

「詳しくは知りません」

 

 まるで説明になっていない。

 

 だが、そんな困惑を置き去りにするように、マー教授――いや、マイコーは斧型ギターを高く掲げた。

 

 弦を掻き鳴らすたび、音の波紋が広がり、ストーンベアの動きを拘束していく。

 

「さぁて、静寂をブチ壊す時間だぜベイベー!」

 

 マイコーの後方から、水の塊が飛んだ。

 

 水魔法――《ウォーター・バインド》

 

 リリネアだ。

 

 小さな体を樹の陰から覗かせ、短杖を構えている。

 

 やわらかな声とともに、丸い水塊が一体のストーンベアの頭部へ吸い付いた。

 

 水はそこで弾けず、ぬるりと粘着質な球となって顔面を覆い尽くす。

 

 ストーンベアが苦しげにもがく。

 

 だが、音波の拘束のせいで十分に暴れられない。

 

 数秒後、その巨体は白目をむいて、膝から崩れ落ちた。

 

「すご……」

 

 ティプスタンが呟く間にも、二体目、三体目へと水塊が飛ぶ。

 

 しかし、四体目だけはマー教授から最も離れていたせいか、拘束が浅かった。

 

 身体を強引に捻り、水塊をかわす。

 

 そのまま、ティプスタンたちの隠れる岩山へ突進してくる。

 

「来たゾ!!」

 

 ミミリルが叫ぶ。

 

 次の瞬間、上空に雷のような光が走った。

 

 マイコーが跳んでいた。

 

 振りかぶった斧型ギターが、ストーンベアの首元へ叩き落とされる。

 

 ズガァァン!!

 

 雷鳴のような轟音とともに、巨体が地面へ叩き潰された。

 

「……すごい」

 

 ティプスタンは思わず見入る。

 

 自然とその視線は、マー教授の武器へと引き寄せられていた。

 

 紫色の光を宿していない。

 

 魔石がない。


 それなのに、明らかに魔導具として機能していた。

 

「魔石が……ない?」

 

 ティプスタンの呟きに、ルベッカが答えた。

 

「術式魔導具の武器です」

 

「術式……」

 

 魔石を使わずに、空間から魔力を集めて起動する術式。


 使用者の魔力を必要としない魔導具。


 ティプスタンの深紅のマントと同じ術式魔導具。

 

「武器も……あるんだ……」

 

「あります。一般的ではありませんが」

 

 ルベッカの声は冷静だった。

 

 しかし、その直後――

 

 ズズンッ、と奇妙な揺れが足元を襲った。

 

「っ!?」

 

 ティプスタンは思わず岩肌に手をつく。

 

 だが、おかしい。

 

 周囲の地面ではなく、自分たちのいる岩山だけが揺れている。

 

「な、なんだこれ!?」

 

 ガミが叫ぶ。

 

 岩山が持ち上がる。

 

 違う。

 

 岩山ではなかった。

 

 それは巨大な、巨大すぎる猪型モンスターの背だった。

 

「ガンガチョ……!」

 

 ルベッカの声に、ティプスタンは目を見開く。

 

 十メートルはあろうかという巨体。

 

 岩のような背中を持つ猪型モンスター――ガンガチョ。

 

 四人は今までその背に避難していたのだ。

 

 ガンガチョが甲高い咆哮をあげる。

 

 次の瞬間、彼らを背に乗せたまま、凄まじい勢いで走り出した。

 

「うわああああっ!?」

 

 ティプスタンが悲鳴を上げる。

 

「振り落とされんなよ!」

 

 ガミが吠え、ミミリルの耳が大混乱でばたばたと暴れた。

 

「ほわぁぁぁっ!? ヤバいヤツだゾこれぇ!!」

 

 ルベッカはとっさにティプスタンの襟を掴み、体勢を低くする。

 

 巨体は森の木々を薙ぎ倒しながら、一直線に突き進んでいった。


 

☆


 

 その頃――

 

 静寂の回廊林を抜けた先、ダンジョン入口付近の開けた岩場では、別の戦いが始まっていた。

 

 いや、戦いと呼ぶにはあまりに一方的だった。

 

「その程度か?」

 

 低く、冷ややかな声。

 

 イッサは胸ぐらを掴まれ、宙へ持ち上げられていた。

 

 左手一本。

 

 それだけで、まるで赤子のように。

 

 銀の長髪を腰まで垂らしたアルギオンの男。

 

 その髪が風に揺れ、赤い瞳がイッサを見つめる。

 

 黒い軽装鎧の隙間から覗く肌には、炎を思わせる黒い入れ墨紋様が広がっていた。

 

 腰にはランタンのような魔導具。

 

 そして右手には、赤黒い片手剣。

 

 その全てが、異質な雰囲気を醸し出している。

 

 イッサの全身の魔導具はまだ光を宿していた。

 

 しかし、持てるすべてを注ぎ込んでなお、届かない。

 

 フィオが歯を食いしばり、弓へ魔力を込める。

 

「――アエル・ピアスティア!」

 

 放たれた矢は一直線に男の横顔を狙った。

 

 だが男は、イッサを放り捨てるように手を離し、空いた左手で軽々と矢を掴んだ。

 

「……興が削がれる」

 

 不快そうな声だった。

 

 正々堂々の一対一を邪魔された。

 

 そう感じたのだろう。

 

 次の瞬間。

 

 左手に掴んだ矢を握り潰し、その手に高密度の魔力を収束させた。

 

 キィィィィン……


 槍のように尖った圧。


「邪魔をするな」


 男の左手がフィオに向けて突き出される。


「フィオ!」


 イッサが叫ぶ。


 ほとんど反射だった。


 イッサは盾を構え、フィオの前へ飛び込む。


 直後、男の放った拳圧とイッサの盾が激突した。

 

 バギィィッ!

 

 盾が軋む。

 

 腕が悲鳴を上げる。

 

 みしみしと、骨の折れる音が響いた。


「がっ……!」

 

 イッサとフィオは拳圧に吹き飛ばされ、そのまま背後の岩壁へ激突した。

 

 衝撃でフィオの意識が飛ぶ。

 

 イッサの視界もぐらりと揺れた。

 

 血の味が口に広がる。

 

 それでも、その目だけは、なおも男を捉えようとしていた。

 

 その時――

 

 巨大な何かが、岩場へ躍り出た。

 

 ティプスタン、ミミリル、ガミ、ルベッカを背に乗せたガンガチョだった。

 

 地面をえぐり、巨体が一直線に銀髪の男へ向かう。

 

「今度はなんだ?」

 

 男は、心底呆れたように言った。

 

 その声音には、恐れも焦りもない。

 

 ただ、面倒そうな響きだけがあった。

 

 ガンガチョが咆哮しながら突進する。

 

 直後、男の剣へ高密度の魔力が宿った。

 

 赤黒い刀身が不気味に唸る。

 

 そして、一振り。

 

 ピュイィン――

 

 奇妙な高音。

 

 次の瞬間、ガンガチョの巨体が正面から斜めに真っ二つになった。

 

「……え?」

 

 ティプスタンは何が起こったのか分からない。

 

 しかし、ガンガチョの振動がピタリと一瞬止まったように感じた。

 

 切断された上半身が削げ落ち、下半身は勢いのまま方向を変えて岩壁へ激突する。

 

 四人は崩れ落ちる肉塊の中から、必死に抜け出した。

 

 地面を転がり、砂と土にまみれる。

 

「げほっ……!」

 

 ティプスタンが咳き込む。

 

 ガミはミミリルを抱えて、うまく着地した。

 

 ルベッカもすぐに体勢を立て直す。

 

 だが、前方のアルギオンの男を捉えると、全員の表情は引きつった。

 

 男はこちらを見ていなかった。

 

「もう終わりか?」

 

 その視線は、ふらつきながら立ち上がるイッサへ向けられていた。

 

 折れた右腕はだらりと垂れ、全身は血と土にまみれている。

 

 それでも、イッサの目には憎悪が燃えていた。

 

 額に傷のあるアルギオン。

 

 ゼブラ。

 

 イッサの探し求める仇(かたき)かもしれない存在。

 

 その手掛かりを知る男。

 

 憎しみと焦りが、冷静さを焼き切っていた。

 

 その時。

 

 ティプスタンが、男の前に立ちはだかった。

 

 恐怖で膝が震えている。

 

 手のひらは汗で濡れていた。

 

 それでも、ティプスタンは気づけば、イッサと男の間に立っていた。

 

「……なんだ? お前は」

 

 男は冷ややかな視線をティプスタンに向けた。

 

 その直後、イッサが舌打ちする。

 

「どけっ!」

 

「開門せよ! 鬼影門(きえいもん)!」

 

 イッサの短刀に紫色の光が走る。

 

 その瞬間、イッサはティプスタンを肩で突き飛ばし、そのまま男へ飛びかかった。


 

 皇流短剣盾術(すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ)――『奥義(おうぎ)』《皇極(こうきょく)・天断一閃(てんだんいっせん)》


 

 渾身の一撃。

 

 その刃は、男の剣と真正面からぶつかった。

 

 ガキィィィン!!

 

 火花が散る。

 

「おっ」

 

 感心したように声を漏らしながらも、男は剣を振り抜いた。

 

 短刀にひびが走り、イッサは吹き飛び、地面へ叩きつけられる。

 

 それでもなお、震える身体で顔を上げ、男を睨む。

 

「今のは悪くなかったぞ、小僧」

 

 男がそう言った時。

 

 再び、ティプスタンが男の前に立った。

 

 イッサは薄れゆく意識の中で、視界に飛び込んできたティプスタンに舌打ちをする。

 

 コイツは何をしている。

 

 お前が出てきて何になる。

 

 死にたいのか。

 

 頭ではそう思う。

 

 だが、その震える背中が一瞬、イッサの大切な人と重なった。

 

 あの日、自分を庇った大切な人。

 

 守るために、前へ出た背中。

 

「……なんなんだ、貴様」

 

 男がティプスタンへ問いかける。

 

 倒れている少年と同じような装備。

 

 コイツもそれなりの使い手なのか。

 

 だが、明らかに怯えている。

 

 恐れているくせに、なぜ前に出る?

 

 男の中に、疑問が生まれる。

 

 ティプスタンが短剣を構えた。

 

 息は荒い。

 

 怖い。

 

 怖くて仕方ない。

 

 それでも、前へ踏み込む。


 

 皇流短剣盾術(すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ)――《壱(いち)の突(つき)》


 

 短剣が男の胸元へ突き出される。

 

 だが、届かない。

 

 いや、刺さっているはずなのに、刃が通らない。

 

 まるで岩を突いたような感触。

 

「なんのつもりだ?」

 

 男は片手で短剣の刃を掴み、そのままバキンッとへし折った。

 

 魔力の宿っていない身体と武器では、アルギオンの男には傷ひとつつけられない。

 

「ティプスタン!」

 

 ミミリルの叫びとともに、槍が飛んだ。

 

 男は二本の指で、その穂先をぴたりと止める。

 

「ミミリル! 来ちゃダメだ!」

 

 ティプスタンが叫ぶ。

 

 だが、もう遅い。

 

 何度も邪魔が入ることに、男の苛立ちは限界へ達していた。

 

「羽虫どもが」

 

 男は槍をくるりと回し、そのままミミリルへ投げ返した。

 

 殺意と魔力のこもった槍。

 

 槍が風を裂き、一直線にミミリルの顔面へ迫る。

 

 その瞬間――

 

 ティプスタンの脳裏に、別の光景がよぎった。

 

 顎髭のアルギオン。

 

 血に濡れ、ぐったりと倒れたミミリル。

 

 動かない。

 

 失う。

 

 もう二度と。

 

 もう二度と、あんな思いはしたくない。

 

 させたくない。

 

 助けたい。

 

 守りたい。

 

 強く、強くそう願った、その時。

 

 ティプスタンの意識が、ぷつりと切れた。


 

☆


 

 ――暗転。

 

 音が消える。

 

 光が消える。

 

 身体の感覚も、重さも、痛みも、すべてが深い闇の底へ沈んでいく。

 

 落ちていく。

 

 どこまでも。

 

 どこまでも。

 

 自分が立っているのか、倒れているのか、それすら分からない。

 

 ただ、意識だけがかすかに残っていた。

 

 そして――明転した。

 

「……ここ、は……?」

 

 果てしない白の空間。

 

 影もなく、壁もない。

 

 空も地面も曖昧で、どこまでも同じ白が続いている。

 

 見覚えがあった。

 

 この場所を、ティプスタンは知っている。

 

「……あ」

 

 胸の奥が、ずきりと疼く。

 

 思い出す。

 

 ミミリルが倒れた。

 

 血が流れていた。

 

 動かなくなっていた。

 

 自分は何もできなくて、それでも、助けたくて――

 

「僕……ミミリルを……」

 

 そこまで言いかけて、ティプスタンは顔を上げ、辺りを見回す。

 

 青い光の球体。

 

 頭の中へ直接響く無機質な声。

 

 自分を“ユーザー”と呼んだ存在。

 

 今、この空間にはそれがいなかった。

 

 ただ、白だけがどこまでも広がっている。

 

 静かすぎて、自分の呼吸音すら曖昧だった。

 

 その時。

 

 ――ピッ。

 

 乾いた電子音が、静寂を切り裂いた。

 

「っ!?」

 

 何もなかった空間に、半透明の光板がふっと浮かび上がる。

 

 文字列が次々と流れ、やがてそれは“声”になった。

 

 ――システム起動。 

 ――ユーザー識別、確認済み。

 ――個体名称:ティプスタン。

 

「これ……」

 

 ――未確認エネルギー解析開始。

 ――内部循環経路、スキャン中。

 ――未確認コード検出。

 ――外部干渉文字列を確認。

 ――解析対象に既知コードを含有。

 ――照合完了。

 ――適合処理を実行します。

 

 表示は止まらない。

 

 ティプスタンは言葉もなく、それを見つめるしかなかった。

 

 ――エネルギー反応、既存パターンと不一致。

 ――新規構造を検出。

 ――再構成シーケンスを開始します。

 

「……なんなんだよ、これ……」

 

 ――疑似エネルギー生成プロセス、起動。

 ――擬似循環器官、仮設構築。

 ――適合調整、開始。

 

 ドクンッ。

 

 ティプスタンの胸が鳴る。

 

 ――エネルギー流入、開始。

 ――内部圧力、上昇。

 ――負荷:許容範囲内。

 

「っ……!」

 

 熱い。

 

 胸の奥に、何かが流し込まれてくるような嫌な感覚。

 

 ――出力経路、再設定中。

 ――制御系統、再リンク。

 ――適合率、上昇中……72%……81%……93%……

 

 ディスプレイが激しく明滅する。

 

 白い空間そのものが脈打つようだった。

 

 ――モード移行シークエンス、開始。

 ――制限解除条件を照合。

 ――一時適合を確認。

 

 そして。

 

 中央に、ゆっくりと文字が浮かび上がる。

 

 ――モード名:ヴァーミリオン

 

「ヴァーミリオン……?」

 

 ――該当モード、未登録領域。

 ――ユーザー固有スキルとして認識。

 ――仮設起動準備を実行。

 

 ドクンッ。

 

 先ほどよりも強く、胸が脈打った。

 

 全身の奥に、赤い熱が走る。

 

 ――エネルギー出力、急上昇。

 ――制御介入。

 ――安全制御、優先。

 ――覚醒段階:未到達。

 ――本格起動:制限中。

 ――現在状態:スタンバイ移行。

 

 ディスプレイの光が収束していく。

 

 ――全プロセス、同期完了。

 ――ユーザーを転送します。

 

「――っ!」

 

 最後に、赤い文字がわずかに点滅した。 

 

 ――Vermilion standby


 

☆


 

 ミミリルの顔へ迫っていた槍が、ぴたりと止まる。

 

 あと数センチ。

 

 その位置で、空中に縫い止められたように静止していた。

 

 ミミリルの目が見開かれる。

 

「……ティプスタン?」

 

 いつの間にか、ティプスタンがミミリルの前に立っていた。

 

 片手で槍を掴んだまま。

 

「なにっ!?」

 

 男が驚きの声をあげた。

 

 さっきまで目の前にいたはずの少年が、一瞬で移動している。

 

 ティプスタンの髪は逆立ち、瞳はどこか虚ろだった。

 

 意識があるのかないのか判別できない。


 胸元のマントの留め金具、五つの花弁を模した赤い石が、ひときわ強く輝いている。

 

 そこから流れる赤いオーラが、深紅のマントを静かに揺らめかせていた。

 

 異質な気配。

 

 ティプスタンは無言のまま槍をくるりと回し、矛先を男へ向けて投げ返す。

 

 赤いオーラを纏った槍が一直線に飛ぶ。

 

 男はとっさに剣で受けた。

 

 ガギィィィン!!

 

 凄まじい衝撃。

 

 男の身体がずるずると押し込まれていく。

 

「くっ……!」

 

 男が歯を噛む。

 

 やがて槍の穂先が剣にぶつかったまま砕け散り、威力が失われた。

 

 だが、その一撃がただの投擲ではないことは明らかだった。

 

 男の口元が、歓喜に歪む。

 

「面白い!」

 

 全身に高密度の魔力を纏い、一気にティプスタンへ踏み込む。

 

 対するティプスタンは、足元に転がっていた片手剣を足で跳ね上げ、片手でそれを掴んだ。

 

 倒れていた冒険者三人のうちの武器だった。

 

 男が迫る。

 

 ティプスタンが剣を構える。

 

 そして、放つ。


 

 皇流短剣盾術(すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ)――『奥義(おうぎ)』《閃皇(せんおう)・迅連断(じんれんだん)》


 

 超高速で繰り出される、重い突きの連続攻撃。

 

 ズドドドドドォォォンッ!!!

 

「ぬぉぉぉおおおッ……!! ぐっ……!!」

 

 さばききれずに、男の身体が弾丸のように吹き飛ぶ。

 

 背後の岩壁へ激突し、岩が砕けた。

 

 同時に、ティプスタンの握る片手剣の刀身が、バキンッと粉々に砕け散る。

 

 武器が耐えられなかったのだ。

 

 その光景を、もうろうとした意識の中で、イッサが見つめていた。

 

 あれは……ティプスタンなのか?

 

 祖父の奥義(おうぎ)《閃皇(せんおう)・迅連断(じんれんだん)》。

 

 それを片手剣で。

 

 しかも、魔力を身体に纏えないティプスタンが、生身で?

 

 ありえない――

 

 イッサの意識は闇へ沈んだ。


 

☆


 

「ふははははは!!」

 

 男が笑う。

 

 岩壁の崩れた場所から、何事もなかったかのように立ち上がる。

 

「いい。いいぞ、貴様」

 

 赤い瞳が、まっすぐティプスタンを捉えた。

 

「久々に楽しめそうだ」

 

 だが、その時だった。

 

 男の身体が、わずかに薄くなる。

 

「チッ……時間か」

 

 男は腰に下げたランタンへ視線を落とした。

 

 その灯りが、今にも消えそうに明滅している。

 

 ティプスタンはなお、焦点の定まらない目で男を見ていた。

 

 男はそれを見返し、ふっと笑う。

 

「まあ、いい。依頼を優先しよう」

 

 そう言って、片方の手を胸元へ上げる男。

 

 その手には、細工が施された卵のようなものが握られている。

 

 パリンッ!

 

 次の瞬間、その卵のようなものを握り潰した。

 

 中から淡い煙が湧き出る。

 

 煙は男の手のまわりで五つの塊を形づくり、やがて色を成した。

 

 赤。

 緑。

 青。

 灰。

 白。

 

 その手を天へかざした瞬間、五色の煙が散った。

 

 白色の塊が、ミミリルの胸元へ。

 

 灰色の塊が、ガミの胸元へ。

 

 青色の塊が、ルベッカの胸元へ。

 

 緑色の塊が、イッサの胸元へ。

 

 赤色の塊は――ティプスタンの背後へ、静寂の回廊林の林の中へと消えた。

 

 それぞれの塊が、吸い込まれるように四人の身体に宿る。

 

「っ……!?」

 

 ルベッカが胸元を押さえた。

 

 ミミリルの耳がびくりと跳ね、ガミが顔を歪める。

 

 男の身体は、さらに薄れていく。

 

 消える直前。

 

 その赤い瞳が、ティプスタンへ向いた。

 

「ティプスタンと言ったな」

 

 静かに、名を呼ぶ。

 

「名乗っておこう」

 

 男の口元が、愉しげに吊り上がる。

 

「私の名はガンハート」

 

 そして、誇るように告げた。

 

「深淵の魔王――ガンハートだ」

 

 その名が、岩場の空気そのものへ刻み込まれる。

 

 ミミリルが息を呑み、ガミが牙を剥き、ルベッカの青い瞳が鋭く揺れた。

 

 ティプスタンは、虚ろな瞳でその名を聞いていた。

 

「次に会うのを楽しみにしている」

 

 最後にそう言い残し――

 

 ガンハートの身体は、闇へ溶けるように消えた。

 

 静寂が戻る。

 

 直後、ティプスタンの膝から力が抜けた。

 

 どさり、と前のめりに倒れ込む。

 

「ティプスタン!!」

 

 ミミリルの叫びが、遅れて岩場に響いた。


 

☆13話に続く☆

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