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第12話『深淵の者』

「まずいって! イッサ!」

 

 フィオは木々のあいだを駆け抜けながら、前を走る幼馴染の名を叫んだ。

 

 だが、イッサは振り返らない。

 

 彼の腰に下がった魔響鈴まきょうりんが、不穏な音を断続的に鳴らしている。

 

 その音が示す方向へ、イッサは脇目も振らず突き進んでいた。

 

 完全な独断行動だった。

 

 普段のイッサなら、こんな真似はしない。

 

 状況を見て、仲間との距離を測り、最適な行動を選ぶ。


 そういう男だ。

 

 だからこそ、フィオには分かっていた。

 

 今のイッサは、冷静じゃない。

 

(やっぱり、さっきからおかしい……!)

 

 サイレントベアとグリーンウルフの死体を見つけた時点で、フィオは異常を察知した。

 

 すぐに共鳴笛きょうめいてきを鳴らして後方へ知らせた。


 そこまでは良かった。

 

 だが、その先で見つけたのは――ストーンベアの大型種の死体だった。

 

 静寂の回廊林にいるはずのないモンスター。

 

 しかも、その頭部は見るも無惨に潰されていた。

 

 あれを見た瞬間から、イッサの空気が変わった。

 

 張り詰めた、というよりも、何かに突き動かされているような危うさ。

 

 魔響鈴まきょうりんが鳴った今、その危うさはさらに濃くなっている。

 

「待ってってば! イッサ!」

 

 フィオは枝を跳ね上げ、湿った地面を蹴る。

 

 軽装の身体は森を駆けるのに向いている。けれど、それでも今のイッサは速かった。

 

 まるで、焦りそのものが足を動かしているように。

 

 フィオは小さく舌打ちした。

 

(後ろのみんな、気づいてるよね……?)

 

 さきほど自分は確かに共鳴笛きょうめいてきを鳴らした。

 

 だが、その後、ティプスタンたち四人の側から返答はなかった。

 

 マー教授たち後方組からの反応も、まだ確認できていなかった。

 

 嫌な予感が胸をざわつかせる。

 

 前方には高魔力反応。

 

 森の中には不自然な死体。

 

 そのうえ、イッサの様子までおかしい。

 

 全部が、最悪の方向へ噛み合っている気がした。

 

「イッサ!」

 

 もう一度叫ぶ。

 

 イッサの背中越しに、木々の密度が急に薄くなった。

 

 静寂の回廊林の終わり。

 

 湿った土と根の広がる森の地面が途切れ、その先に岩肌の露出したひらけた空間が広がっていた。

 

 谷の大穴へ続くダンジョン入口付近の外縁部――。

 

 そこに、一人の男が立っていた。

 

 銀髪。

 

 長い髪は腰近くまで伸び、ゆるく揺れている。

 

 尖った耳。

 

 赤い瞳。


 赤銅色しゃくどういろの肌。

 

 落ち着き払った、妙に静かな立ち姿。

 

 その足元には、三人の冒険者らしき人影がうずくまっていた。

 

 誰ひとり立ち上がる気配がない。

 

 武器や防具が周囲に散乱し、戦闘の痕跡だけが生々しく残っていた。

 

 男の腰には、赤黒い剣と共に、ランタンのようなものがぶら下がっている。

 

 灯りは点いているが、普通の照明器具とは思えない不気味さが漂っていた。

 

 フィオが足を止めるより早く、イッサが前へ出る。

 

「何をしている!?」

 

 鋭い声が、開けた岩場に響く。

 

 男はゆっくりと振り返った。

 

 その視線には、警戒も驚きもない。

 

 ただ、興味の薄い落ち着きだけがあった。

 

「ん?」

 

 男は、まるで散歩の途中で呼び止められたかのような声音で答えた。

 

「襲ってきたから、相手をしてやったまでだが?」

 

 男の雰囲気に、なぜかフィオの背筋が冷えた。

 

 イッサの声が、さらに低くなる。

 

「殺したのか?」

 

「ん? まだだな」

 

 イッサは男を真っ直ぐ見据えたまま問う。

 

「お前は……アルギオンだな?」

 

 男はあっさり応えた。

 

「そう呼ばれているな」

 

 その一言で、イッサの瞳孔が広がる。

 

 フィオは無意識に弓を握り直す。

 

 アルギオン。

 

 現存種の中でも最強格とされる種族。

 

 そして、イッサにとっては――。

 

 フィオはちらりとイッサの横顔を見る。

 

 表情はいつもと変わらない。

 

 けれど、その瞳の奥にあるものを、フィオは知っていた。

 

 昔から一度も消えていない、黒い火種のような感情。

 

「お前に聞きたいことがある」

 

「なんだ?」

 

 男は相変わらず落ち着いていた。

 

 イッサの喉が、小さく鳴ったようにフィオには見えた。

 

「額に傷のあるアルギオンを知らないか?」

 

 その瞬間、男の目がわずかに細くなる。

 

「額に傷?」

 

 少しだけ考える素振りを見せてから、男はふっと口元を歪めた。

 

「ああ……ゼブラのことかな」

 

 その名が出た途端、イッサの空気が変わった。

 

 ぴしり、と見えない何かが張り詰める。

 

「そいつは今どこにいる!」

 

 声に熱が混じる。

 

 普段のイッサにはない、剥き出しの感情。

 

 フィオは息を呑んだ。

 

 男はそんなイッサの変化を面白がるように、わずかに笑った。

 

「知りたいか?」

 

「……答えろ」

 

 怒気が強くなる。

 

 フィオは反射的に一歩前へ出た。

 

「イッサ、落ち着いて!」

 

 だが、イッサは聞いていなかった。

 

 いや、聞こえていても届いていない。

 

 視界のすべてが、目の前の男だけに絞られている。

 

 男はそんな様子を眺めながら、いたずらっぽく肩をすくめた。

 

「そうだなぁ……」

 

 そして、赤い瞳を細める。

 

「私に勝てたら、教えてやらんこともないぞ」

 

 挑発。

 

 それも、あからさまな。

 

 フィオの顔が引きつる。

 

「相手にしないでっ! イッサ!」

 

 だが、イッサはフィオの制止を振り切るように一歩前へ出た。

 

「上等だっ!」

 

 吐き捨てるように言い、短刀と小盾を構える。

 

 その背中を見た瞬間、フィオの胸に嫌なものが走った。

 

 まずい。

 

 本当にまずい。

 

 今のイッサは、戦おうとしているんじゃない。

 

 “掴みに行こうとしている”。

 

 かたきに繋がる情報を。

 

 そのためなら無茶をする、そんな目をしていた。

 

「イッサ!」

 

 止める声もむなしく、イッサは叫ぶ。

 

「開門せよ! 鬼影門(きえいもん)!」

 

 詠唱と同時に、全身の魔導具が起動した。

 

 短刀。小盾。両足のブーツ。

 

 それらに埋め込まれた魔石が一斉に紫色の光を放ち、イッサの装備全体へ魔力の輝きが走る。

 

 岩場の空気がぴんと張りつめた。

 

 銀髪のアルギオンは、わずかに口元を吊り上げる。

 

 その笑みは愉快そうでいて、どこまでも冷たい。

 

 フィオは弓を握る手に力を込めた。

 

 止めなきゃいけない。

 

 けれど、下手に割り込めば、かえってイッサの邪魔になる。


 助けたい。

 

 けれど、一歩踏み違えれば全部が壊れる。

 

 そんな危うい均衡が、目の前にあった。

 

 そして、その均衡は今にも崩れようとしている。


 


 

 イッサとフィオが、サイレントベアとグリーンウルフの死体を発見した頃――

 

 後方にいたティプスタンたち四人のもとに、フィオの共鳴笛の音が届いていた。

 

「今の……」

 

 ティプスタンが顔を上げる。

 

 ルベッカは即座に反応した。

 

「異常事態です」

 

 銀縁眼鏡の奥の青い瞳が、すでに周囲の状況を冷静に見極めている。

 

 ルベッカが後方のマー教授のもとへ共鳴笛で知らせようとした、その時――

 

 ピィィィッ――!

 

 その後方から、マー教授とリリネアの側からも共鳴笛が響いてきた。

 

 森の静けさが、一気に不穏へと塗り替わる。

 

「ほえっ、前も後ろも!?」

 

 ミミリルのウサギ耳型魔導具が、ばたばたと慌ただしく揺れた。

 

 ガミも前後を見回す。

 

「なにがどうしたんだよ?」

 

 その時だった。

 

 ズシン、と重い地響きが地面を震わせた。

 

 木々の間から現れたのは、灰褐色の巨体。

 

 全身が岩のような硬質感を帯びた熊型モンスターだった。

 

「な、なにあれ……!?」

 

 ティプスタンが目を見開く。

 

 ルベッカが答える。

 

「ストーンベア……。いるはずがありません」

 

「いるはずがない?」

 

「本来なら、この森のさらに奥――谷の大穴にあるダンジョンに生息するモンスターです」

 

 説明しながらも、ルベッカはすでに手鏡型魔導具へ指を添えていた。

 

 その時、ストーンベアが低く唸り、地を蹴った。

 

 岩塊のような巨体が、信じられない速度で突進してくる。

 

「来るっ!」

 

 ルベッカの制止より早く、ガミが前へ飛び出した。

 

「ぶっ飛ばす!」

 

 両足の脚甲に紫色の光が走る。

 

 獣人らしい爆発的な脚力で一気に間合いへ踏み込んだガミは、ストーンベアの眉間へ拳をふるう。

 

 獅子神流ししがみりゅう――《荒獅突こうしとつ

 

 ドガッ、と鈍い音が鳴る。

 

 だが、ストーンベアはわずかに頭を揺らしただけだった。

 

「っだぁ!? 硬ってぇ!!」

 

 ガミは後方へ飛び退き、拳をぶんぶん振る。

 

 ルベッカが鋭く言った。

 

「ストーンベアは頭部が最も硬いモンスターです! 正面からの打撃は非効率です!」

 

「先に言えよ!」

 

「言う前に殴ったのは、あなたです」

 

 だが、やり取りを続ける余裕はない。

 

 木々の陰から、さらに一体。

 

 背後の岩場の向こうから、二体。

 

 気づけば、四人は四体のストーンベアに挟まれていた。

 

 前方に二体。

 

 後方に二体。

 

 逃げ道はない。

 

 ティプスタンの背筋を冷たいものが走る。

 

 ミミリルの耳も、不安げにぴたりと固まっていた。

 

「……落ち着いてください」

 

 ルベッカだけが冷静さを保っていた。

 

 その声はいつも通り平坦で、だからこそ強い。

 

「私が合図したら、目を閉じてください」

 

「は?」

 

「二度目の合図で、あの小高い岩山へ走ります」

 

 ルベッカが指差した先には、少し盛り上がった岩山があった。

 

 ストーンベア四体が、一斉に身を沈める。

 

 突進の予備動作だ。

 

「今です! 目を閉じて!」

 

 皆一斉に目を閉じた。

 

「リフレクト・アクティベート!」

 

 ルベッカの声と同時に、空に掲げられた手鏡型魔導具から、全方位へ眩い閃光が放たれる。

 

 閉じた瞼越しでもわかるほどの白い光。

 

「グアァッ……! グルゥ……ッ……!」

 

 ストーンベアたちの唸り声が乱れた。

 

「走ってください!」

 

 四人は一斉に駆け出した。

 

 ガミが先頭で岩山の陰へ飛び込み、続いてミミリル、ルベッカ、ティプスタンも滑り込む。

 

 ストーンベアたちは眩惑され、混乱している。

 

 だが、それも一時しのぎに過ぎない。

 

 岩山の陰で息を潜めながら、ティプスタンは短剣を握りしめた。

 

「どうするの……?」

 

 声が乾いている。

 

 ガミが唸る。

 

「全部まとめてぶっ飛ばすしかねーだろ」

 

「お静かに。今は声をひそめて、やり過ごすしかありません」

 

 ルベッカは淡々と返した。

 

 しかし、混乱が落ち着きはじめたストーンベアたちは、匂いを頼りに徐々にティプスタンたちのいる岩山へ迫る。

 

 ガミがしびれを切らして飛び出そうとした。

 

 その時だった。

 

 ぶわっ――と、空気に音の波紋が広がった。

 

 耳で聞くというより、空間そのものが震えるような感覚。

 

 続いて、森の奥から聞き覚えのあるギター音が鳴り響いた。

 

 チャカッ――ン!

 

 ジャァァン!!

 

 その音を浴びた瞬間、四体のストーンベアの動きがぴたりと鈍る。

 

 身体を震わせながら、まるで見えないかせでもはめられたかのように足を止めた。

 

 そして――

 

「マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マッ♪ マイコー!」

 

 妙にノリのいい掛け声とともに、一人の男が森を割って現れた。

 

 リーゼント頭。

 

 レの字のもみあげ。

 

 丸眼鏡は外しているものの、その服装、その体格には見覚えがあった。

 

「雷鳴のアクスブレイカー! マー・マイコー――見参!」

 

「ええええっ!?」

 

 ティプスタンが思わず叫ぶ。

 

「マ、マー教授!?」

 

「正確には、アーティストモードのマー教授です」

 

 ルベッカが無表情のまま説明する。

 

「ギターを鳴らすと性格が変わります」

 

「なんで!?」

 

「詳しくは知りません」

 

 まるで説明になっていない。

 

 だが、そんな困惑を置き去りにするように、マー教授――いや、マイコーは斧型ギターを高く掲げた。

 

 弦を掻き鳴らすたび、音の波紋が広がり、ストーンベアの動きを拘束していく。

 

「さぁて、静寂をブチ壊す時間だぜベイベー!」

 

 マイコーの後方から、水の塊が飛んだ。

 

 水魔法――《ウォーター・バインド》

 

 リリネアだ。

 

 小さな体を樹の陰から覗かせ、短杖を構えている。

 

 やわらかな声とともに、丸い水塊が一体のストーンベアの頭部へ吸い付いた。

 

 水はそこで弾けず、ぬるりと粘着質な球となって顔面を覆い尽くす。

 

 ストーンベアが苦しげにもがく。

 

 だが、音波の拘束のせいで十分に暴れられない。

 

 数秒後、その巨体は白目をむいて、膝から崩れ落ちた。

 

「すご……」

 

 ティプスタンが呟く間にも、二体目、三体目へと水塊が飛ぶ。

 

 しかし、四体目だけはマー教授から最も離れていたせいか、拘束が浅かった。

 

 身体を強引に捻り、水塊をかわす。

 

 そのまま、ティプスタンたちの隠れる岩山へ突進してくる。

 

「来たゾ!!」

 

 ミミリルが叫ぶ。

 

 次の瞬間、上空に雷のような光が走った。

 

 マイコーが跳んでいた。

 

 振りかぶった斧型ギターが、ストーンベアの首元へ叩き落とされる。

 

 ズガァァン!!

 

 雷鳴のような轟音とともに、巨体が地面へ叩き潰された。

 

「……すごい」

 

 ティプスタンは思わず見入る。

 

 自然とその視線は、マー教授の武器へと引き寄せられていた。

 

 紫色の光を宿していない。

 

 魔石がない。


 それなのに、明らかに魔導具として機能していた。

 

「魔石が……ない?」

 

 ティプスタンの呟きに、ルベッカが答えた。

 

「術式魔導具の武器です」

 

「術式……」

 

 魔石を使わずに、空間から魔力を集めて起動する術式。


 使用者の魔力を必要としない魔導具。


 ティプスタンの深紅のマントと同じ術式魔導具。

 

「武器も……あるんだ……」

 

「あります。一般的ではありませんが」

 

 ルベッカの声は冷静だった。

 

 しかし、その直後――

 

 ズズンッ、と奇妙な揺れが足元を襲った。

 

「っ!?」

 

 ティプスタンは思わず岩肌に手をつく。

 

 だが、おかしい。

 

 周囲の地面ではなく、自分たちのいる岩山だけが揺れている。

 

「な、なんだこれ!?」

 

 ガミが叫ぶ。

 

 岩山が持ち上がる。

 

 違う。

 

 岩山ではなかった。

 

 それは巨大な、巨大すぎる猪型モンスターの背だった。

 

「ガンガチョ……!」

 

 ルベッカの声に、ティプスタンは目を見開く。

 

 十メートルはあろうかという巨体。

 

 岩のような背中を持つ猪型モンスター――ガンガチョ。

 

 四人は今までその背に避難していたのだ。

 

 ガンガチョが甲高い咆哮をあげる。

 

 次の瞬間、彼らを背に乗せたまま、凄まじい勢いで走り出した。

 

「うわああああっ!?」

 

 ティプスタンが悲鳴を上げる。

 

「振り落とされんなよ!」

 

 ガミが吠え、ミミリルの耳が大混乱でばたばたと暴れた。

 

「ほわぁぁぁっ!? ヤバいヤツだゾこれぇ!!」

 

 ルベッカはとっさにティプスタンの襟を掴み、体勢を低くする。

 

 巨体は森の木々を薙ぎ倒しながら、一直線に突き進んでいった。


 


 

 その頃――

 

 静寂の回廊林を抜けた先、ダンジョン入口付近の開けた岩場では、別の戦いが始まっていた。

 

 いや、戦いと呼ぶにはあまりに一方的だった。

 

「その程度か?」

 

 低く、冷ややかな声。

 

 イッサは胸ぐらを掴まれ、宙へ持ち上げられていた。

 

 左手一本。

 

 それだけで、まるで赤子のように。

 

 銀の長髪を腰まで垂らしたアルギオンの男。

 

 その髪が風に揺れ、赤い瞳がイッサを見つめる。

 

 黒い軽装鎧の隙間から覗く肌には、炎を思わせる黒い入れ墨紋様が広がっていた。

 

 腰にはランタンのような魔導具。

 

 そして右手には、赤黒い片手剣。

 

 その全てが、異質な雰囲気を醸し出している。

 

 イッサの全身の魔導具はまだ光を宿していた。

 

 しかし、持てるすべてを注ぎ込んでなお、届かない。

 

 フィオが歯を食いしばり、弓へ魔力を込める。

 

「――アエル・ピアスティア!」

 

 放たれた矢は一直線に男の横顔を狙った。

 

 だが男は、イッサを放り捨てるように手を離し、空いた左手で軽々と矢を掴んだ。

 

「……興が削がれる」

 

 不快そうな声だった。

 

 正々堂々の一対一を邪魔された。

 

 そう感じたのだろう。

 

 次の瞬間。

 

 左手に掴んだ矢を握り潰し、その手に高密度の魔力を収束させた。

 

 キィィィィン……


 槍のように尖った圧。


「邪魔をするな」


 男の左手がフィオに向けて突き出される。


「フィオ!」


 イッサが叫ぶ。


 ほとんど反射だった。


 イッサは盾を構え、フィオの前へ飛び込む。


 直後、男の放った拳圧とイッサの盾が激突した。

 

 バギィィッ!

 

 盾が軋む。

 

 腕が悲鳴を上げる。

 

 みしみしと、骨の折れる音が響いた。


「がっ……!」

 

 イッサとフィオは拳圧に吹き飛ばされ、そのまま背後の岩壁へ激突した。

 

 衝撃でフィオの意識が飛ぶ。

 

 イッサの視界もぐらりと揺れた。

 

 血の味が口に広がる。

 

 それでも、その目だけは、なおも男を捉えようとしていた。

 

 その時――

 

 巨大な何かが、岩場へ躍り出た。

 

 ティプスタン、ミミリル、ガミ、ルベッカを背に乗せたガンガチョだった。

 

 地面をえぐり、巨体が一直線に銀髪の男へ向かう。

 

「今度はなんだ?」

 

 男は、心底呆れたように言った。

 

 その声音には、恐れも焦りもない。

 

 ただ、面倒そうな響きだけがあった。

 

 ガンガチョが咆哮しながら突進する。

 

 直後、男の剣へ高密度の魔力が宿った。

 

 赤黒い刀身が不気味に唸る。

 

 そして、一振り。

 

 ピュイィン――

 

 奇妙な高音。

 

 次の瞬間、ガンガチョの巨体が正面から斜めに真っ二つになった。

 

「……え?」

 

 ティプスタンは何が起こったのか分からない。

 

 しかし、ガンガチョの振動がピタリと一瞬止まったように感じた。

 

 切断された上半身が削げ落ち、下半身は勢いのまま方向を変えて岩壁へ激突する。

 

 四人は崩れ落ちる肉塊の中から、必死に抜け出した。

 

 地面を転がり、砂と土にまみれる。

 

「げほっ……!」

 

 ティプスタンが咳き込む。

 

 ガミはミミリルを抱えて、うまく着地した。

 

 ルベッカもすぐに体勢を立て直す。

 

 だが、前方のアルギオンの男を捉えると、全員の表情は引きつった。

 

 男はこちらを見ていなかった。

 

「もう終わりか?」

 

 その視線は、ふらつきながら立ち上がるイッサへ向けられていた。

 

 折れた右腕はだらりと垂れ、全身は血と土にまみれている。

 

 それでも、イッサの目には憎悪が燃えていた。

 

 額に傷のあるアルギオン。

 

 ゼブラ。

 

 イッサの探し求めるかたきかもしれない存在。

 

 その手掛かりを知る男。

 

 憎しみと焦りが、冷静さを焼き切っていた。

 

 その時。

 

 ティプスタンが、男の前に立ちはだかった。

 

 恐怖で膝が震えている。

 

 手のひらは汗で濡れていた。

 

 それでも、ティプスタンは気づけば、イッサと男の間に立っていた。

 

「……なんだ? お前は」

 

 男は冷ややかな視線をティプスタンに向けた。

 

 その直後、イッサが舌打ちする。

 

「どけっ!」

 

「開門せよ! 鬼影門きえいもん!」

 

 イッサの短刀に紫色の光が走る。

 

 その瞬間、イッサはティプスタンを肩で突き飛ばし、そのまま男へ飛びかかった。


 

 皇流短剣盾術すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ――『奥義おうぎ』《皇極こうきょく天断一閃てんだんいっせん


 

 渾身の一撃。

 

 その刃は、男の剣と真正面からぶつかった。

 

 ガキィィィン!!

 

 火花が散る。

 

「おっ」

 

 感心したように声を漏らしながらも、男は剣を振り抜いた。

 

 短刀にひびが走り、イッサは吹き飛び、地面へ叩きつけられる。

 

 それでもなお、震える身体で顔を上げ、男を睨む。

 

「今のは悪くなかったぞ、小僧」

 

 男がそう言った時。

 

 再び、ティプスタンが男の前に立った。

 

 イッサは薄れゆく意識の中で、視界に飛び込んできたティプスタンに舌打ちをする。

 

 コイツは何をしている。

 

 お前が出てきて何になる。

 

 死にたいのか。

 

 頭ではそう思う。

 

 だが、その震える背中が一瞬、イッサの大切な人と重なった。

 

 あの日、自分を庇った大切な人。

 

 守るために、前へ出た背中。

 

「……なんなんだ、貴様」

 

 男がティプスタンへ問いかける。

 

 倒れている少年と同じような装備。

 

 コイツもそれなりの使い手なのか。

 

 だが、明らかに怯えている。

 

 恐れているくせに、なぜ前に出る?

 

 男の中に、疑問が生まれる。

 

 ティプスタンが短剣を構えた。

 

 息は荒い。

 

 怖い。

 

 怖くて仕方ない。

 

 それでも、前へ踏み込む。


 

 皇流短剣盾術すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ――《いちつき


 

 短剣が男の胸元へ突き出される。

 

 だが、届かない。

 

 いや、刺さっているはずなのに、刃が通らない。

 

 まるで岩を突いたような感触。

 

「なんのつもりだ?」

 

 男は片手で短剣の刃を掴み、そのままバキンッとへし折った。

 

 魔力の宿っていない身体と武器では、アルギオンの男には傷ひとつつけられない。

 

「ティプスタン!」

 

 ミミリルの叫びとともに、槍が飛んだ。

 

 男は二本の指で、その穂先をぴたりと止める。

 

「ミミリル! 来ちゃダメだ!」

 

 ティプスタンが叫ぶ。

 

 だが、もう遅い。

 

 何度も邪魔が入ることに、男の苛立ちは限界へ達していた。

 

「羽虫どもが」

 

 男は槍をくるりと回し、そのままミミリルへ投げ返した。

 

 殺意と魔力のこもった槍。

 

 槍が風を裂き、一直線にミミリルの顔面へ迫る。

 

 その瞬間――

 

 ティプスタンの脳裏に、別の光景がよぎった。

 

 顎髭のアルギオン。

 

 血に濡れ、ぐったりと倒れたミミリル。

 

 動かない。

 

 失う。

 

 もう二度と。

 

 もう二度と、あんな思いはしたくない。

 

 させたくない。

 

 助けたい。

 

 守りたい。

 

 強く、強くそう願った、その時。

 

 ティプスタンの意識が、ぷつりと切れた。


 


 

 ――暗転。

 

 音が消える。

 

 光が消える。

 

 身体の感覚も、重さも、痛みも、すべてが深い闇の底へ沈んでいく。

 

 落ちていく。

 

 どこまでも。

 

 どこまでも。

 

 自分が立っているのか、倒れているのか、それすら分からない。

 

 ただ、意識だけがかすかに残っていた。

 

 そして――明転した。

 

「……ここ、は……?」

 

 果てしない白の空間。

 

 影もなく、壁もない。

 

 空も地面も曖昧で、どこまでも同じ白が続いている。

 

 見覚えがあった。

 

 この場所を、ティプスタンは知っている。

 

「……あ」

 

 胸の奥が、ずきりと疼く。

 

 思い出す。

 

 ミミリルが倒れた。

 

 血が流れていた。

 

 動かなくなっていた。

 

 自分は何もできなくて、それでも、助けたくて――

 

「僕……ミミリルを……」

 

 そこまで言いかけて、ティプスタンは顔を上げ、辺りを見回す。

 

 青い光の球体。

 

 頭の中へ直接響く無機質な声。

 

 自分を“ユーザー”と呼んだ存在。

 

 今、この空間にはそれがいなかった。

 

 ただ、白だけがどこまでも広がっている。

 

 静かすぎて、自分の呼吸音すら曖昧だった。

 

 その時。

 

 ――ピッ。

 

 乾いた電子音が、静寂を切り裂いた。

 

「っ!?」

 

 何もなかった空間に、半透明の光板がふっと浮かび上がる。

 

 文字列が次々と流れ、やがてそれは“声”になった。

 

 ――システム起動。 

 ――ユーザー識別、確認済み。

 ――個体名称:ティプスタン。

 

「これ……」

 

 ――未確認エネルギー解析開始。

 ――内部循環経路、スキャン中。

 ――未確認コード検出。

 ――外部干渉文字列を確認。

 ――解析対象に既知コードを含有。

 ――照合完了。

 ――適合処理を実行します。

 

 表示は止まらない。

 

 ティプスタンは言葉もなく、それを見つめるしかなかった。

 

 ――エネルギー反応、既存パターンと不一致。

 ――新規構造を検出。

 ――再構成シーケンスを開始します。

 

「……なんなんだよ、これ……」

 

 ――疑似エネルギー生成プロセス、起動。

 ――擬似循環器官、仮設構築。

 ――適合調整、開始。

 

 ドクンッ。

 

 ティプスタンの胸が鳴る。

 

 ――エネルギー流入、開始。

 ――内部圧力、上昇。

 ――負荷:許容範囲内。

 

「っ……!」

 

 熱い。

 

 胸の奥に、何かが流し込まれてくるような嫌な感覚。

 

 ――出力経路、再設定中。

 ――制御系統、再リンク。

 ――適合率、上昇中……72%……81%……93%……

 

 ディスプレイが激しく明滅する。

 

 白い空間そのものが脈打つようだった。

 

 ――モード移行シークエンス、開始。

 ――制限解除条件を照合。

 ――一時適合を確認。

 

 そして。

 

 中央に、ゆっくりと文字が浮かび上がる。

 

 ――モード名:ヴァーミリオン

 

「ヴァーミリオン……?」

 

 ――該当モード、未登録領域。

 ――ユーザー固有スキルとして認識。

 ――仮設起動準備を実行。

 

 ドクンッ。

 

 先ほどよりも強く、胸が脈打った。

 

 全身の奥に、赤い熱が走る。

 

 ――エネルギー出力、急上昇。

 ――制御介入。

 ――安全制御、優先。

 ――覚醒段階:未到達。

 ――本格起動:制限中。

 ――現在状態:スタンバイ移行。

 

 ディスプレイの光が収束していく。

 

 ――全プロセス、同期完了。

 ――ユーザーを転送します。

 

「――っ!」

 

 最後に、赤い文字がわずかに点滅した。 

 

 ――Vermilion standby


 


 

 ミミリルの顔へ迫っていた槍が、ぴたりと止まる。

 

 あと数センチ。

 

 その位置で、空中に縫い止められたように静止していた。

 

 ミミリルの目が見開かれる。

 

「……ティプスタン?」

 

 いつの間にか、ティプスタンがミミリルの前に立っていた。

 

 片手で槍を掴んだまま。

 

「なにっ!?」

 

 男が驚きの声をあげた。

 

 さっきまで目の前にいたはずの少年が、一瞬で移動している。

 

 ティプスタンの髪は逆立ち、瞳はどこか虚ろだった。

 

 意識があるのかないのか判別できない。


 胸元のマントの留め金具、五つの花弁を模した赤い石が、ひときわ強く輝いている。

 

 そこから流れる赤いオーラが、深紅のマントを静かに揺らめかせていた。

 

 異質な気配。

 

 ティプスタンは無言のまま槍をくるりと回し、矛先を男へ向けて投げ返す。

 

 赤いオーラを纏った槍が一直線に飛ぶ。

 

 男はとっさに剣で受けた。

 

 ガギィィィン!!

 

 凄まじい衝撃。

 

 男の身体がずるずると押し込まれていく。

 

「くっ……!」

 

 男が歯を噛む。

 

 やがて槍の穂先が剣にぶつかったまま砕け散り、威力が失われた。

 

 だが、その一撃がただの投擲ではないことは明らかだった。

 

 男の口元が、歓喜に歪む。

 

「面白い!」

 

 全身に高密度の魔力を纏い、一気にティプスタンへ踏み込む。

 

 対するティプスタンは、足元に転がっていた片手剣を足で跳ね上げ、片手でそれを掴んだ。

 

 倒れていた冒険者三人のうちの武器だった。

 

 男が迫る。

 

 ティプスタンが剣を構える。

 

 そして、放つ。


 

 皇流短剣盾術すめらぎりゅう・たんけんじゅんじゅつ――『奥義(おうぎ)』《閃皇せんおう迅連断じんれんだん


 

 超高速で繰り出される、重い突きの連続攻撃。

 

 ズドドドドドォォォンッ!!!

 

「ぬぉぉぉおおおッ……!! ぐっ……!!」

 

 さばききれずに、男の身体が弾丸のように吹き飛ぶ。

 

 背後の岩壁へ激突し、岩が砕けた。

 

 同時に、ティプスタンの握る片手剣の刀身が、バキンッと粉々に砕け散る。

 

 武器が耐えられなかったのだ。

 

 その光景を、もうろうとした意識の中で、イッサが見つめていた。

 

 あれは……ティプスタンなのか?

 

 祖父の奥義おうぎ閃皇せんおう迅連断じんれんだん》。

 

 それを片手剣で。

 

 しかも、魔力を身体に纏えないティプスタンが、生身で?

 

 ありえない――

 

 イッサの意識は闇へ沈んだ。


 


 

「ふははははは!!」

 

 男が笑う。

 

 岩壁の崩れた場所から、何事もなかったかのように立ち上がる。

 

「いい。いいぞ、貴様」

 

 赤い瞳が、まっすぐティプスタンを捉えた。

 

「久々に楽しめそうだ」

 

 だが、その時だった。

 

 男の身体が、わずかに薄くなる。

 

「チッ……時間か」

 

 男は腰に下げたランタンへ視線を落とした。

 

 その灯りが、今にも消えそうに明滅している。

 

 ティプスタンはなお、焦点の定まらない目で男を見ていた。

 

 男はそれを見返し、ふっと笑う。

 

「まあ、いい。依頼を優先しよう」

 

 そう言って、片方の手を胸元へ上げる男。

 

 その手には、細工が施された卵のようなものが握られている。

 

 パリンッ!

 

 次の瞬間、その卵のようなものを握り潰した。

 

 中から淡い煙が湧き出る。

 

 煙は男の手のまわりで五つの塊を形づくり、やがて色を成した。

 

 赤。

 緑。

 青。

 灰。

 白。

 

 その手を天へかざした瞬間、五色の煙が散った。

 

 白色の塊が、ミミリルの胸元へ。

 

 灰色の塊が、ガミの胸元へ。

 

 青色の塊が、ルベッカの胸元へ。

 

 緑色の塊が、イッサの胸元へ。

 

 赤色の塊は――ティプスタンの背後へ、静寂の回廊林の林の中へと消えた。

 

 それぞれの塊が、吸い込まれるように四人の身体に宿る。

 

「っ……!?」

 

 ルベッカが胸元を押さえた。

 

 ミミリルの耳がびくりと跳ね、ガミが顔を歪める。

 

 男の身体は、さらに薄れていく。

 

 消える直前。

 

 その赤い瞳が、ティプスタンへ向いた。

 

「ティプスタンと言ったな」

 

 静かに、名を呼ぶ。

 

「名乗っておこう」

 

 男の口元が、愉しげに吊り上がる。

 

「私の名はガンハート」

 

 そして、誇るように告げた。

 

「深淵の魔王――ガンハートだ」

 

 その名が、岩場の空気そのものへ刻み込まれる。

 

 ミミリルが息を呑み、ガミが牙を剥き、ルベッカの青い瞳が鋭く揺れた。

 

 ティプスタンは、虚ろな瞳でその名を聞いていた。

 

「次に会うのを楽しみにしている」

 

 最後にそう言い残し――

 

 ガンハートの身体は、闇へ溶けるように消えた。

 

 静寂が戻る。

 

 直後、ティプスタンの膝から力が抜けた。

 

 どさり、と前のめりに倒れ込む。

 

「ティプスタン!!」

 

 ミミリルの叫びが、遅れて岩場に響いた。


 

☆13話に続く☆

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