第83話 面白い
最後の魔物が消えた。
だが。
戦場に残ったのは静寂ではなく。
重い緊張だった。
視線の先には――。
膝をつくセラフィオン。
そして。
その前に立つゼノの姿があった。
最初に動いたのは精霊兵達だった。
「精霊王を守れ!」
剣兵達が駆け出す。
槍兵達も続いた。
後方では弓兵達が弓を構える。
だが。
光魔法を失った今、矢を生み出すことはできない。
「……やめろ」
低い声が響く。
片膝をついたまま。
セラフィオンが顔を上げた。
「手を出すな」
精霊兵達の動きが一瞬止まる。
誰もが迷った。
だが。
目の前で精霊王が傷付けられたのだ。
従えるはずがなかった。
「行け!!」
精霊兵達は再び走り出した。
ゼノはそれを見ても表情を変えない。
ただ。
少しだけ口元を歪めた。
「ああ」
深紅の瞳が細められる。
「まだいたのか」
そして。
ゆっくりと右手を持ち上げた。
黒が集まる。
空間そのものが軋むような感覚。
嫌な気配が戦場を包み込んだ。
「開け」
低い詠唱。
次の瞬間。
ゼノの背後の空間が裂けた。
黒い亀裂。
一本の線だったそれは。
左右へゆっくりと広がっていく。
やがて。
巨大な門となった。
漆黒の門。
どこへ続いているのか分からない。
ただ。
見ているだけで魂を吸われそうな闇だけがそこにあった。
「奈落の底より、喰らい尽くせ――深淵門」
重い音が響く。
門が開いた。
「――っ!?」
精霊兵達の顔色が変わる。
だが遅い。
凄まじい吸引力が発生した。
地面の土が剥がれる。
木々が軋む。
精霊兵達の身体が浮いた。
「精霊王!!」
「助けてくれ!!」
「消えたくない!!」
悲鳴が響く。
一人。
また一人。
精霊兵達が闇へ吸い込まれていく。
抵抗など意味を持たなかった。
飲み込まれた瞬間。
存在そのものが消えていく。
生命の泉へ還ることすら許されない。
完全な消滅。
それを理解した瞬間。
戦場から血の気が引いた。
ゼノはその光景を眺めながら。
愉快そうに笑った。
「喋る玩具は嫌いじゃない」
深紅の瞳が細められる。
「壊れると静かになるからな」
最後の一人が門へ飲み込まれる。
悲鳴が途切れた。
直後。
巨大な門がゆっくりと閉じていく。
重い音を響かせながら。
完全に閉じた瞬間。
門は霧のように崩れた。
そして。
空間から消えた。
精霊兵達の姿が消えた。
戦場から音が失われる。
誰も言葉を発せなかった。
生命の泉へ還る光すら現れない。
ただ。
消えた。
それだけだった。
セラフィオンの表情が初めて揺らぐ。
「……何をした」
低い声だった。
ゼノは愉快そうに口元を歪める。
「何をした?」
まるで不思議なことを聞かれたように首を傾げた。
「消しただけだ」
深紅の瞳が細められる。
「もう二度と帰ってこないがな」
ティアラは凍りついていた。
理解が追いつかない。
目の前で精霊兵達が消えた。
死んだのか。
それとも。
もっと別の何かなのか。
考えることすらできなかった。
リアンも息を呑む。
精霊兵は消えた。
セラフィオンももう戦えない。
残ったのは。
自分達だけだった。
胸の奥が冷える。
考えなくても分かる。
次は。
自分達の番だ。
逃げ場はもうない。
リアンの指先に青白い光が灯る。
「――凍れ」
ゼノの足元を氷が駆ける。
一瞬で地面を覆った。
氷が足首へ絡み付く。
その一瞬を逃さない。
リアンが飛び出した。
剣を抜く。
「流れろ」
水流が刀身へ絡みつく。
「――蒼流剣」
蒼い水流を纏った剣がゼノへ迫る。
凍った地面を砕きながら。
ゼノは僅かに身体を傾ける。
それだけだった。
「遅い」
リアンの剣が空を切る。
その瞬間。
死角からレイヴンが現れる。
音もなく。
影のように。
気付けばそこにいた。
光を失った剣がゼノの首を狙った。
だが。
それすら届かない。
ゼノは半歩動いただけだった。
「弱いな」
「精霊王の代わりにはなれそうにない」
そう言いながらも。
深紅の瞳は二人から逸れない。
興味の欠片もなかったはずの視線が。
僅かに変わっていた。
リリスの足が震える。
動かなければ。
分かっている。
それでも身体が言うことを聞かない。
目の前の存在が恐ろしかった。
ティアラは拳を握る。
震える指先。
怖い。
逃げたい。
足が震える。
それでも。
リアン達を置いて逃げることだけはできなかった。
ここで逃げれば全てが終わる。
「私達で……」
小さく呟く。
「私達で止めなきゃ」
ティアラの周囲へ光が集まり始める。
「焔よ、祈りに応えて――優しき灯となれ」
光が溢れる。
そして。
背中から白い輝きが伸びた。
幾重にも重なる光。
それはやがて。
翼の形を成す。
光がさらに膨れ上がる。
戦場の空気が変わった。
ゼノが初めて動きを止める。
深紅の瞳が。
ティアラへ向いた。
数秒。
沈黙が落ちる。
リアンも。
レイヴンも。
息を呑んだ。
ゼノはティアラを見つめる。
まるで。
今まで石ころだと思っていたものの中に。
宝石を見つけたかのように。
そして。
ゆっくりと口元を歪めた。
「……面白い」
小さな呟き。
だが。
その一言にティアラの背筋が凍る。
嫌な予感がした。
本能が叫んでいる。
逃げろと。
今すぐ。




