第82話 膝をついた精霊王
セラフィオンは静かに地上へ降り立った。
白い翼から血が滴る。
脇腹の傷は深い。
それでも表情は変わらない。
黄金に輝く瞳は今もなおゼノを見据えていた。
ゼノはそんなセラフィオンを眺める。
まるで珍しい玩具でも見るように。
そして。
僅かに口元を歪めた。
「楽しみだ」
深紅の瞳が細められる。
「お前の顔が崩れていく瞬間が」
セラフィオンは答えない。
光魔法は使えない。
傷も深い。
状況は絶望的だった。
それでも。
退く理由にはならない。
セラフィオンは腰の剣へ手を伸ばした。
静かに抜き放つ。
白銀の刀身が闇の中で鈍く輝いた。
ゼノが笑う。
「いいな」
深紅の瞳が愉快そうに細められる。
「壊し甲斐がある」
セラフィオンは何も言わない。
ただ剣を構えた。
次の瞬間。
ゼノの掌へ黒が集まる。
黒い渦。
圧縮されながら凝縮していく。
中心だけが底なしの闇のように暗い。
周囲の光を吸い込みながら。
ゆっくりと回転していた。
「――黒淵弾」
放たれた。
漆黒の渦が複数。
空間を裂くような速度で迫る。
セラフィオンは動いた。
一歩。
二歩。
紙一重で躱す。
黒淵弾が背後で炸裂した。
轟音。
黒煙。
だが止まらない。
セラフィオンはさらに加速する。
一直線に。
ゼノとの距離を詰めた。
深紅の瞳が僅かに細まる。
次の瞬間。
白銀の剣が閃いた。
剣は確かにゼノの胸を貫いた。
「――!」
ティアラの瞳が見開かれる。
だが。
ゼノは笑っていた。
その姿が黒く揺らぐ。
胸を貫かれたはずの身体は。
黒い残像となって崩れた。
セラフィオンの瞳が僅かに揺れる。
背後。
気付いた時には遅かった。
ゼノは既にそこにいた。
「遅い」
静かな声。
そして。
ゼノの腕が振るわれる。
その指先が。
セラフィオンの腹部を貫いた。
鮮血が宙へ散る。
白い衣が赤く染まった。
ゼノの指先から血が滴る。
ぽたり。
ぽたりと。
赤い雫が闇へ落ちていく。
ティアラの呼吸が止まる。
目の前の光景が信じられなかった。
足が竦む。
「やめて!!」
悲鳴にも似た叫びが聖域へ響き渡った。
ゼノはゆっくりと手を引き抜いた。
鮮血が飛び散る。
貫かれた腹部から血が溢れ出した。
セラフィオンの身体が僅かによろめく。
その時だった。
黄金に輝く瞳が僅かに揺れる。
眉が寄る。
ほんの一瞬だけ。
苦痛が表情に滲んだ。
ゼノはそれを見て口元を歪める。
「安心した」
「お前も壊れるんだな」
愉悦を滲ませた声だった。
それでも。
セラフィオンは剣を離さない。
地面へ突き立てるように支える。
だが。
一歩。
また一歩。
後退する。
傷口から血が溢れ続ける。
光も使えない。
生命の泉の加護も届かない。
今までなら既に再生しているはずの傷が、
まるで塞がる気配を見せなかった。
そして。
ついに片膝が地面へ落ちる。
鈍い音が響いた。
ティアラの瞳が揺れる。
精霊王が。
負けるはずのない存在が。
膝をついた。
「そんな……!」
セラフィオンは顔を上げる。
黄金の瞳はまだ死んでいない。
だが。
誰の目にも明らかだった。
もう先ほどまでのようには戦えない。
その光景を、リアン達も見ていた。
信じられなかった。
あのセラフィオンが。
膝をついている。
セラフィオンが止めてくれる。
そう思いたかった。
だが。
目の前の現実は容赦なくその希望を砕いていく。
胸の奥が嫌な音を立てた。
レイヴンの瞳が僅かに細まる。
リリスの尻尾が震えた。
精霊兵達にも動揺が広がる。
だが。
立ち止まることはできない。
まだ魔物は残っていた。
残る数は僅かだった。
スケルトンが崩れる。
オーガが倒れる。
黒い霧が次々と戦場へ散っていく。
リアンは最後のオーガを斬り伏せた。
黒い霧が散る。
周囲を見渡す。
もう魔物の姿はない。
生き残った精霊兵達も武器を構えたまま息を呑んでいた。
最後の魔物が消えた。
だが。
戦場に残ったのは静寂ではなく。
重い緊張だった。
視線の先には――。
膝をつくセラフィオン。
そして。
その前に立つゼノの姿があった。




