第81話 闇の支配領域──絶望の始まり──
黒い灰が舞う。
聖光砲は消えた。
セラフィオン最大級の一撃は、
ゼノへ傷を残すことすらできなかった。
ティアラは息を呑む。
胸の奥が冷たかった。
だが。
セラフィオンは退かなかった。
黄金に輝く瞳は今もなおゼノを見据えている。
ゆっくりと右手が上がる。
白金の光が広がった。
空気が張り詰める。
まるで世界そのものが息を止めたように。
セラフィオンが静かに告げる。
「理の名において命ずる」
白金の光が円を描く。
幾重もの紋様が空間へ浮かび上がった。
「そこに留まれ」
次の瞬間。
世界が静止した。
「――静止領域」
白金の紋様がゼノを包む。
次の瞬間。
ゼノの身体が止まった。
指先一つ動かない。
周囲では戦いが続いている。
だが。
ゼノだけが世界から切り離されたように静止していた。
深紅の瞳だけが静かにセラフィオンを見ていた。
セラフィオンは躊躇わなかった。
勝機は今しかない。
白金の光が空へ昇る。
「天より降りよ」
空が輝いた。
雲を突き抜けるように無数の光が現れる。
「裁きの光」
それは槍だった。
白金に輝く神の槍。
数え切れないほどの光槍が空を埋め尽くしている。
「――神罰の光槍」
降った。
一斉に。
世界を貫く光の雨。
轟音。
閃光。
聖域全体が白金の輝きに呑み込まれる。
ティアラは思わず顔を上げた。
「……っ」
光槍は容赦なく降り続ける。
逃げ場などない。
避けることもできない。
ゼノの姿が完全に光の中へ消えた。
やがて。
最後の光が消える。
土煙が舞った。
静寂。
誰も言葉を発せない。
ティアラは息を呑む。
セラフィオンは黙って土煙の奥を見つめていた。
その時だった。
「――なるほど」
声。
低く。
静かな声。
土煙の奥から聞こえた。
ティアラの身体が強張る。
セラフィオンの瞳が細められた。
黒い影がゆっくり現れる。
ゼノだった。
頬には一本の傷。
そこから赤い血が流れている。
ゼノは指先で血を拭う。
赤く染まった指を見る。
そして。
軽く舐めた。
深紅の瞳が細められる。
「久しく流していなかったな」
ゼノは僅かに笑った。
「少しは楽しめると思ったが」
ゆっくり顔を上げる。
深紅の瞳が冷たく細められた。
「ここまでか」
ゼノは静かに右手を掲げる。
深紅の瞳が細められた。
「跪け」
次の瞬間。
黒が溢れた。
ゼノの足元から。
影のように。
闇の海のように。
それは一瞬で広がる。
大地を覆い。
空を侵し。
光を喰らいながら。
聖域そのものを塗り潰していく。
ティアラの顔から血の気が引いた。
「なに……これ……」
ティアラが空を見上げた。
黒い雲が広がっている。
暗雲は瞬く間に空を埋め尽くした。
太陽はそこにある。
それなのに。
光だけが届かない。
聖域は不自然な闇に包まれていった。
「この闇は、我が領域だ」
ゼノが静かに告げる。
黒が大地を這う。
影の海のように。
「――黒冠領域」
次の瞬間。
セラフィオンの光が揺らいだ。
「なに……?」
白金の輝きが弱まる。
まるで力そのものを奪われるように。
ゼノだけが静かに微笑んでいた。
「光よ――」
白金の輝きが集まる。
本来ならば。
瞬時に障壁が展開されるはずだった。
だが。
光は集まらない。
白金の粒子が揺らぎ。
そのまま霧のように消えた。
セラフィオンの瞳が僅かに揺れる。
もう一度。
魔力を流す。
だが結果は同じだった。
光が応えない。
弱まっているのではない。
違う。
使えない。
完全に封じられている。
黒冠領域。
ゼノの闇が、光そのものを拒絶していた。
その異変はセラフィオンだけではなかった。
精霊兵達にも動揺が走った。
放たれた光の矢が空中で霧散する。
光の矢は形を保てず崩れ落ちた。
悲鳴が上がる。
混乱した一瞬だった。
スケルトンの剣が一人の精霊兵を貫く。
白銀の鎧が砕け散った。
身体は光となって崩れていく。
誰もがその光を見ていた。
いつも通りなら。
生命の泉へ還り。
再び戦場へ戻ってくるはずだった。
だが。
光は集まらない。
泉からも何の反応もない。
ただ静かに。
闇の中へ消えていった。
「な……」
精霊兵の一人が目を見開く。
「嘘だろ……」
精霊兵の一人が目を見開く。
「復活しない……?」
黒い闇が広がる。
押し返していたはずの魔物達が勢いを取り戻す。
精霊兵達は迎え撃つが、
徐々に押し込まれ始めていた。
「光が出ない!?」
「な、なんだこれは……!」
レイヴンの指先へ集めた光が揺らぐ。
「……?」
放つはずだった光刃が霧のように崩れた。
もう一度魔力を流す。
だが同じだった。
光が応えない。
青い瞳が僅かに細まる。
「光が……使えない」
初めてだった。
生まれてから一度も。
光が応えなかったことなどない。
レイヴンは即座に剣を握り直す。
ならば戦うだけだ。
光を捨てる。
剣だけで。
目の前の魔物を斬る。
リリスの狐耳がぴくりと震えた。
「……嫌です」
小さく呟く。
本能が告げていた。
この闇は危険だと。
リアンも異変を感じていた。
背筋を冷たいものが走る。
だが。
それは魔法ではない。
空気だった。
戦場を覆う重苦しい闇。
肌を刺すような圧迫感。
まるで。
この場そのものが死へ沈んでいくような。
「……なんだ、この感じ」
思わず眉をひそめる。
魔力は問題なく流れる。
氷も水も消えていない。
だが。
本能が警鐘を鳴らしていた。
この場に長くいてはいけないと。
ふとティアラを見る。
光が使えず青ざめていた。
胸の奥がざわつく。
もしこの闇がティアラに牙を剥けば。
そんな考えが脳裏を過った。
低い唸り声が響く。
オーガが棍棒を振り上げる。
リアンは剣を構え直した。
迫ってきたスケルトンを斬り伏せる。
黒い霧が散る。
周囲を見渡す。
魔物の数は確実に減っていた。
それでも。
戦場を覆う不気味な闇だけは深まっていく。
その横で。
ティアラも息を呑む。 掌へ光属性の魔力を集める。
だが。何も起こらない。
もう一度。
魔力を流す。
それでも光魔法は発動しなかった。
「そんな……」
完全に封じられている。
試しに炎属性へ切り替える。
掌へ小さな炎が灯った。
風も。
雷も。
問題なく発動する。
使えないのは光だけだった。
「光魔法が使えない……」
その瞬間。
大地が震える。
「地より現れよ」
ゼノが静かに告げた。
黒が広がる。
足元の地面がひび割れた。
「我が敵を葬る刃となれ」
大地が蠢く。
次の瞬間。
黒い剣が現れた。
一振り。
二振り。
三振り。
十。
二十。
三十。
無数。
セラフィオンを囲むように。
逃がさないように。
黒剣が地面から突き出す。
「――黒葬剣陣」
全ての剣先がセラフィオンへ向いた。
殺意。
それだけで構成された処刑陣。
セラフィオンの瞳が細められる。
嫌な予感がした。
次の瞬間。
「穿て」
無数の黒剣が一斉に走った。
大地を抉りながら。
中心へ殺到する。
セラフィオンは翼を広げた。
白い翼が大きく羽ばたく。
地を蹴る。
黒剣が目前を通過した。
紙一重。
そのまま空へ駆け上がる。
轟音。
黒剣が中心で激突した。
土煙が吹き上がる。
セラフィオンは遥か上空にいた。
黒剣は黒い霧となって崩れていく。
ティアラが息を吐く。
避けた。
そう思った。
だが。
ゼノは笑っていた。
「空なら助かると思ったか?」
既に。
右手が掲げられている。
「消えろ」
掌へ黒い渦が集まる。
底なしの闇。
周囲の光を喰らいながら。
漆黒の球体がゆっくり回転した。
「すべて闇へ還れ――黒淵弾」
次の瞬間。
漆黒の渦が一斉に放たれた。
空間を裂くような速度。
セラフィオンは翼を翻す。
一発。
躱す。
二発。
躱す。
三発。
躱す。
だが。
四発目が翼を掠めた。
「っ――!」
黒が炸裂する。
翼の羽根が舞った。
体勢が崩れる。
その隙だった。
五発目。
漆黒の渦が脇腹へ直撃する。
轟音。
白い翼が大きく揺れた。
鮮血が宙へ散る。
「精霊王!!」
ティアラの叫びが響く。
胸が強く締め付けられた。
勝てると思っていた。
セラフィオンなら大丈夫だと。
そう信じていた。
だが。
その希望が音を立てて崩れ始めていた。




