第79話 精霊王VS魔界第一王子
聖域が見えた。
「見て!!」
ティアラが叫ぶ。
「あそこにいる!!」
澄んだ紫の瞳が戦場の中心を捉えていた。
白い結界。
その前に立つセラフィオン。
そして。
黒い翼を持つ男。
リアンも息を呑む。
遠くからでも分かった。
空気が違う。
あの二人だけが、戦場から切り離されているみたいだった。
ドラゴンがゆっくり高度を下げる。
その下では。
魔物と精霊兵が激しくぶつかり合っていた。
光が弾ける。
大地が震える。
「……っ」
リリスの足が震えた。
怖い。
今まで見たどの戦場よりも。
その時だった。
ティアラが迷わず飛び降りる。
「ティアラ!?」
リアンも続いた。
躊躇はなかった。
レイヴンも無言で空へ身を投げる。
残されたリリスだけが息を呑んだ。
高い。
怖い。
だが。
先に飛び降りたリアンの背中が見えた。
ぎゅっと目を閉じる。
「うぅぅ……っ」
そして。
リリスもまた空へ飛び出した。
四人が戦場へ降り立つ。
着地と同時に土煙が舞った。
ティアラは息を呑む。
白い結界の奥。
ノエルは静かに眠っていた。
「お母さん……」
胸が締め付けられた。
よかった。
魔物に傷つけられていない。
それだけで、
少しだけ力が抜けそうになった。
だが。
安堵する暇などない。
近くにいた魔物達が一斉に振り向いた。
オーガが低く唸る。
スケルトン達が一斉に武器を持ち上げた。
空ではレッドアイの赤い瞳が不気味に瞬く。
次の瞬間。
魔物達が動いた。
「来るぞ!」
リアンが剣を構える。
蒼い魔力が刀身を駆けた。
「穿て――氷牙陣」
剣を振り下ろす。
次の瞬間。
大地が裂けた。
無数の氷柱が突き上がる。
スケルトン達を貫き。
オーガの足を止める。
レッドアイ達が慌てて上空へ逃れた。
だが。
その瞬間をリアンは見逃さない。
踏み込む。
「――氷河斬」
蒼白い斬撃が一直線に走る。
氷の刃が魔物達を飲み込んだ。
次の瞬間。
斬られた魔物達の身体が崩れる。
黒い霧となって。
輪郭がほどけるように。
やがて空気へ溶け、
跡形もなく消えていった。
赤い瞳だけが宙に残る。
ぎらりと妖しく光り――
次の瞬間。
黒い粒子となって霧散した。
レイヴンの指先へ金色の光が集まる。
静かな光。
だが、その密度は異常だった。
静かな青い瞳が魔物達を捉える。
いつでも放てる。
そんな静かな圧力がそこにあった。
リリスの尾が小さく震える。
怖い。
足がすくみそうになる。
今まで見たこともない戦場。
今まで見たこともない数の魔物。
それでも。
前にはリアンがいる。
だから逃げない。
「桜狐天華――!」
藤桜色の狐火が舞い上がる。
花弁のような炎が戦場を駆けた。
魔物達へ触れた瞬間。
次々と爆ぜる。
咲き乱れる桜のように。
炎の花が戦場を染め上げた。
ティアラは何度も結界の奥を見た。
近い。
すぐそこにいる。
それなのに。
魔物が行く手を塞ぐ。
セラフィオンとゼノの力が戦場を支配している。
一歩も近づけない。
レイヴンは静かに口を開いた。
「天よ、刃を貸せ──」
空に光が灯る。
一つ。
また一つ。
やがて無数の光が剣の形を成した。
「──天刃煌」
光の剣が降り注ぐ。
近づいた魔物達を次々と貫いていった。
だが。
その立ち位置だけは変わらない。
常にティアラの近く。
ティアラへ向かった魔物だけを優先して撃ち落としていた。
その時だった。
黒い翼の男が僅かに目を動かした。
深紅の瞳がリアン達を映す。
だが。
それだけだった。
興味を失ったように視線が離れる。
再び。
男はセラフィオンだけを見る。
「お前が精霊王か?」
低い声だった。
戦場全体へ響く。
セラフィオンは答えない。
白金に輝く瞳だけが男を見ている。
男は僅かに笑った。
「ようやく会えた」
ゼノはゆっくりと翼を広げた。
漆黒の翼が空を覆う。
「俺はゼノ」
深紅の瞳が細められる。
「魔界の第一王子だ」
その言葉に。
精霊兵たちの空気が変わった。
魔界。
その頂点に連なる存在が現れるなど、誰も想像していなかった。
セラフィオンはしばらく沈黙した。
白金に輝く瞳がゼノを見据える。
「……第一王子」
ゼノは笑う。
「そして――」
漆黒の魔力が溢れた。
「次の魔王になる者だ」
その瞬間。
戦場全体が静まり返った。
だが。
静止していたのは一瞬だけだった。
次の瞬間には、唸り声と耳障りな鳴き声が再び響き始めた。
「ッ!!」
リアンは迫る魔物の攻撃を剣で弾いた。
強い。
だが、それ以上に。
目の前で向かい合う二人の存在感が異常だった。
まるで。
自分達が戦場に立っているのではなく、
神話の続きを見せられているみたいだった。
ゼノ。
セラフィオン。
あの場所だけ空気が違う。
今の自分では届かない。
そう思い知らされるほどに。
奥歯が軋む。
悔しかった。
剣を振りながらも、
リアンの視線は何度も二人へ向いていた。
ゼノは笑う。
「さて――」
深紅の瞳が細められる。
「精霊王」
右手をゆっくり持ち上げた。
「お前はどれほどだ?」
「消えろ」
掌へ黒い渦が集まっていく。
底なしみたいな闇。
光を喰らいながら、
ねじれるように圧縮されていく。
周囲の空気が歪んだ。
精霊兵達が息を呑む。
魔物ですら本能的に距離を取った。
「すべて闇へ還れ――黒淵弾」
次の瞬間。
漆黒の渦が一斉に放たれた。
空間を裂く。
轟音。
一直線にセラフィオンへ襲いかかる。
だが。
セラフィオンは動かない。
ただ静かに両手を前へ向けた。
白金の光が掌へ集まる。
轟ッ――!!
黒淵弾が激突した。
大地が揺れる。
爆風が白銀の木々を薙ぎ払う。
精霊兵達が思わず目を覆った。
だが。
セラフィオンは一歩も退いていなかった。
掌の前で。
漆黒の渦が止まっている。
まるで。
世界そのものが拒絶しているみたいに。
やがて。
黒淵弾が光の中へ砕け散った。
沈黙。
そして。
ゼノの口元が僅かに吊り上がる。
「ようやく退屈が終わる」
深紅の瞳が細められる。
「お前は、どんな顔で壊れる?」
セラフィオンは静かにゼノを見つめていた。
白金に輝く瞳に揺らぎはない。
だが。
その背後にある生命の泉が微かに震えた。
澄み切った水面へ、小さな波紋が広がる。
一つ。
また一つ。
幾重にも重なった輪が、
泉の中心へ集まっていく。
やがて。
水面の奥から、淡い光が浮かび上がった。
文字。
人の文字ではない。
古き精霊達だけが知る、
世界そのものの言葉。
白金の精霊文字が水面へ刻まれる。
ゆっくりと。
脈打つように。
そして。
その文字が形を定めた。
――排除。
生命の泉が下した判定。
セラフィオンは静かに目を閉じた。
次の瞬間。
白金に輝く瞳が開く。
「お前は、この世界の理を乱す」
その声に感情はない。
ただ。
世界の意思を告げるように。
「ならば――排除する」
轟ッ――。
背後の空間が震えた。
セラフィオンの背から巨大な翼が広がる。
純白の翼。
神々しいまでに美しい羽だった。
翼が広がるたび、
圧倒的な神気が戦場へ満ちていく。
魔物達が本能的に後退した。
そして。
セラフィオンが掌を前へ向ける。
光が集まる。
空から。
森から。
生命の泉から。
白金の輝きが一点へ収束していく。
掌の前に生まれたのは、
小さな太陽だった。
膨れ上がる光。
世界を焼くほどの魔力。
白金の翼がさらに大きく広がる。
そして。
セラフィオンは静かに告げた。
「――聖光砲」
放たれた。
白金の奔流。
光そのものが世界を貫く。
大地を震わせ。
空気を焼きながら。
一瞬でゼノへ到達する。
だが。
ゼノは避けなかった。
深紅の瞳が細められる。
「面白い」
右手を前へ差し出した。
「闇よ、喰らえ」
掌から黒い闇が溢れ出す。
それは霧ではない。
世界を侵す"黒"そのものだった。
「光を侵し、世界を黒へ沈めろ──黒蝕」
次の瞬間。
白金の光と黒い闇が激突した。
轟音。
戦場全体が揺れる。
だが。
ゼノの掌へ触れた瞬間。
異変が起きた。
白金の光が。
黒く染まり始めた。
じわり。
じわりと。
闇が侵食していく。
まるで腐っていくように。
光が力を失う。
白金だった輝きが。
漆黒へ染まる。
セラフィオンの瞳が、僅かに細められた。
やがて。
巨大な光球は完全に黒へ侵される。
そして――
崩れた。
さらさらと。
黒い灰となって。
散った。
ティアラは息を呑んだ。
消された。
セラフィオンの光が。
あれほどの力が。
胸の奥が冷たくなる。
もし。 もしセラフィオンが負けたら。
お母さんは――
お母さんを抱きしめることも。
一緒に笑うことも。
もうできなくなる。
胸が苦しい。
――そんなの、嫌だ。
「……っ」
知らず、拳へ力が入る。
白い結界の奥。
ノエルは静かに眠っている。
手を伸ばしても届かない場所で。
まるで。
あの日のように。
何度手を伸ばしても、
届かなかったあの日のように。




