第6話 光の器 前編
瞳を開いた少女は、光の揺らぎの中で一瞬だけこちらを見つめた。
その視線は揺らいで、焦点が定まらず――それでも、何かを求めるように伸びていた。
リアンはそっと手を差し出した。
「……大丈夫。もう追われていない。ここは安全だ」
少女の指先が触れた瞬間、淡い光がリアンの掌に溶けるように広がった。
そして、かすれるような声で――ほとんど囁きにも満たない声で、彼女は名を落とした。
「……ティアラ……」
彼女の唇が震え、かすかな声が漏れる。
「……湖……影……来る……!」
そこで言葉は途切れ、身体から力が抜けた。
呼吸は安定しているが、まだ魔力の消耗が深いようだった。
ユラが少女の状態を確かめ、静かに頷く。
「……大丈夫です。急激な魔力反動が引いただけ。眠らせておけば回復します」
アルバートが 少女――ティアラ を見つめ、低く呟いた。
「精霊王族の血……王城の地下文献にしか残っていないはずの血筋だ。生存が確認されたのは数百年ぶりだろう」
クラウスが目を細める。
「それなら……追っていた影は、やはり――」
「王都内部の者の可能性は高い」
アルバートは言い切った。その声には揺るぎがない。
「だが、理由はまだ分からぬ。この娘が狙われた理由、そして精霊国の動き……。しばらくは、この屋敷で匿う」
リアンの胸が、僅かに強く脈打った。
言葉になる前の衝動が、胸の奥に静かに沈む。
森で彼女を抱き上げた瞬間に覚えた、祈りにも似た感覚と同じだった。
リリスがベッドの横に小さく座り、用意されていた毛布を引き寄せる。
眠るティアラの肩に、そっと掛け直し――
そのまま、乱れた髪を指先で静かに整えた。
「……綺麗な髪……。リアンお兄様、この子、ほんとに精霊さんみたい……」
「本当にそうだな」
リアンが答えると、リリスの耳がぴくりと動き、安心したように微笑んだ。
アルバートは家族三人を見回し、穏やかに口を開く。
「……リアン。しばらくは、お前が彼女の傍にいなさい。彼女は“選んだ”ようだ」
「選んだ……?」
アルバートはリアンの掌を見る。
そこにはまだ、微かな光の粒が揺れていた。
「精霊王族の子は、無意識に自分の命を預ける“光の器”を選ぶと言われている。
……それは、守るための存在であると同時に、支えるための存在でもある……おそらく、彼女にとってのお前がそうだ」
リアンの胸が熱くなる。
「あの……俺が……?」
アルバートは、すぐには答えなかった。
短い沈黙が落ち、言葉を選ぶように視線を伏せる。
「……文献によれば器に選ばれた者は、ただ“守る側”になるわけではない。……それ以上は、今は話せないがな」
リアンは息を呑んだ。
「彼女の状態は、お前の在り方に影響される。逆もまた然りだ」
「……それって……」
「深く考えすぎるな」
アルバートは静かに言葉を遮った。
「今は、傍にいればいい。それだけで十分だ。その責任は重ぃ」
アルバートは優しく、しかし真っ直ぐに言った。
「だが、お前ならできる。お前は――その光を背負って生まれた子だ」
静かに告げられた言葉は、なぜか胸に深く落ちた。
だが、今はまだ考える余裕はない。
ティアラの呼吸は穏やかで、瞳は再び眠りの中に沈んでいく。
クラウスが大きく息を吐き、腕を組んだ。
「さて……問題は、王都の連中がここまで追ってきた理由だな」
ユラが静かに言葉を継ぐ。
「おそらく捕縛が目的ではないかと。」
誰もすぐには言葉を継がず、沈黙がじわりと広がった。
リリスが不安そうに尾をすぼめた。
「な、なんで……こんな可愛い子を……」
クラウスが淡く微笑む。
「リリスの基準はともかく、だ」
「クラウスお兄様っ!」
くすり、とアルバートが静かに笑う。
その穏やかな空気の中、リアンは眠るティアラの手を、そっと握った。
小さくて温かい。
弱いが、確かに光を持っている手。
「……大丈夫だ。ここにいる限り、ひとりにはしない」
その言葉に応えるように、ティアラの指がほんのわずか、リアンの手を握り返した。
それを見たユラは、一瞬だけ瞳を細める。
「……リアン様。あなたが傍にいると、彼女の魔力の流れが安定します。……不思議なほどに」
アルバートが低く呟いた。
「予言にある、“青白い光”――」
リアンは顔を上げる。
「……父上?」
「……いや。語るべき時が来たら話す」
短く区切られた言葉は、それ以上触れてはならない気配を含んでいた。
ティアラは再び静かな眠りへと沈んでいく。
外の湖から、夜風がわずかに揺れて光を運ぶ。
その光が――確かに、リアンの手の中で淡く揺れた。
まるで運命が、彼を選んだと告げるように。
そして、まだ誰も知らない。
この日、アルシェ家の屋敷に運び込まれた小さな光が、やがてアストラル王国と精霊国の均衡を変える存在になることを――。




