第74話 やっと、会えたのに
――ジャリ……。
重い鎖の音が、静かな空間へ響く。
暗闇の奥。
そこに、人影があった。
巨大な石壁へ、両腕を広げたまま拘束されている。
手首と足首には、黒い鉄枷。
そこから伸びた無数の鎖が、壁へ深く打ち込まれていた。
――ジャリ……。
鎖が、鳴る。
まるで、見せしめの罪人みたいだった。
いや。
人として扱うことすら、拒絶されている。
扉の外では。
ドラゴンが、僅かに首を覗かせるみたいに中を見つめていた。
巨大な身体は、扉の外へ半ば取り残されている。
ただ、六つの瞳だけが、静かに奥の人影を見つめている。
「……え……?」
ティアラの瞳が、揺れる。
信じられなかった。
目の前の人影が。
あまりにも、人として扱われていなくて。
「……お父、さん……?」
震える声が、静かな空間へ落ちた。
次の瞬間。
「アルトッ!!」
キャロラインが、叫びながら飛び出した。
小さな羽が、激しく揺れる。
その声に、拘束された男が、ゆっくりと顔を上げた。
深い紫の瞳。
どこかティアラによく似た、その瞳が細められる。
そして。
「やあ、キャロライン」
穏やかな声だった。
「ずいぶん、久しぶりだね」
アルトが、優しく微笑む。
「もうッ……!」
キャロラインの声が、震えた。
「アルトったら、相変わらずなんだから……ッ」
小さな身体が、ふわりと飛ぶ。
そのまま、アルトの肩へ降り立った。
両手で、そっと頬へ触れる。
まるで、本当にそこにいるのか確かめるみたいに。
そして。
キャロラインは、そっとアルトへ頬を寄せた。
「……ほんとに、無事で良かった……」
アルトが、ゆっくり顔を上げた。
そして。
その視線が、止まる。
「……」
深い紫の瞳が、僅かに見開かれた。
信じられないものを見るみたいに。
その瞳が、ティアラから動かない。
「……もしかして……」
声が、掠れる。
「君は……?」
ティアラの瞳へ、涙が溜まる。
「お……お父さん……」
呟いた瞬間。
涙が、頬を伝って零れ落ちた。
アルトが、優しく微笑んだ。
深い紫の瞳が、静かに細められる。
「……無事に、産まれていたんだな」
声が、わずかに震えていた。
まるで。
ずっと祈り続けていた願いが、ようやく届いたみたいに。
「……よかった」
ティアラが、駆け出した。
「お父さん……っ」
涙で滲む声。
次の瞬間。
そのまま、アルトの胸へ抱きつく。
「っ……ぁ……」
嗚咽が、零れる。
ずっと堪えていたものが、壊れるみたいに。
アルトは、何も言わなかった。
抱き締め返すことすら出来ない。
それでも。
その瞳だけは、ずっとティアラを見つめていた。
壊れ物へ触れるみたいな、穏やかな瞳で。
リアンの胸が、熱くなる。
苦しいくらいに。
ティアラが泣いている。
でも、それは悲しい涙じゃない。
ずっと会いたかった人へ、ようやく届いた涙だった。
ユラは、黙ったままその光景を見ていた。
父親へ縋りつくティアラ。
震える肩。
泣き声。
その姿を見ていると。
胸の奥が、僅かに軋む。
もう二度と。
あんなふうに、父親の胸へ飛び込むことは出来ない。
もう二度と。
「お父さん」と呼んで、抱きつくことも出来ない。
――羨ましい。
そのとき。
ユラの肩へ、そっと手が置かれた。
「……」
クラウスだった。
何も言わない。
ただ。
肩から、じんわり熱が伝わってくる。
その温もりに。
張り詰めていたものが、少しだけ揺らいだ。
ユラは、小さく目を伏せる。
気づけば、銀青の瞳へ、僅かに涙が滲んでいた。
「っ……お父さん……っ」
ティアラは、アルトの胸へ顔を埋めたまま泣いていた。
アルトは、優しく目を細める。
拘束されたまま。
それでも、娘を安心させるみたいに。
そのとき。
――ジャリ……。
鎖が、小さく鳴った。
「……っ」
ティアラの肩が、揺れる。
抱きついた腕のすぐ傍。
黒い鉄枷が、視界へ入った。
冷たい鎖。
何本もの鎖が、アルトの身体を壁へ縫い留めるみたいに繋がっている。
まるで、罪人みたいに。
いや。
罪人以上に、酷い扱いだった。
「……こんなの……酷い……」
ティアラは、涙を零しながら鎖へ触れた。
冷たい。
あまりにも冷たかった。
そのとき。
キャロラインが、アルトの肩からふわりと宙へ浮かぶ。
透明な羽へ、淡い虹色の光が滲み始める。
小さな両手を胸の前で重ねる。
「──巡る風よ。眠る水よ」
空気が、静かに震えた。
虹色の粒子が、空気へ溶けるみたいに広がっていく。
エメラルドグリーンの瞳が、黒い鎖を真っ直ぐ見据える。
「……縛る呪いを、ほどきなさい」
次の瞬間。
虹色の光が、石室を照らした。
淡く。
けれど、強く。
七色の輝きが、空気そのものへ溶け込むみたいに広がっていく。
ルカが、息を呑んだ。
ユラの銀青の瞳が、わずかに見開かれる。
精霊術。
空気そのものが、精霊に祝福されているみたいだった。
そして。
アルトの手首を拘束していた黒い鉄枷が、淡い光へ包まれた。
――パリン。
硝子みたいな音。
黒い枷が、光の粒となって崩れていく。
続いて。
足首の拘束も、静かに消えた。
無数の鎖が、重い音を立て床へ落ちる。
拘束が、消える。
次の瞬間。
アルトの腕が、ティアラを強く抱き締めた。
まるで。
十六年分を埋めるみたいに。
「……っ」
びくりと、ティアラの肩が震える。
ずっと。
ずっと欲しかった、父親の温もりだった。
レイヴンが、わずかに青い瞳を細める。
胸の奥が、微かに熱を持つ。
その感覚へ、レイヴンは小さく眉を寄せた。
――まだ、感じるのか。
リリスは、そっと胸元を押さえた。
熱い。
泣きそうになるくらい、胸が締め付けられる。
「……ティアラ……よかった……」
震える声が、小さく零れる。
アルトの耳が、ぴくりと揺れた。
「……ティアラ……」
確かめるみたいに、その名を繰り返す。
「いい名だ……」
アルトは、ゆっくり顔を上げた。
リアン。
レイヴン。
ルカ。
クラウス。
ユラ。
リリス。
一人ひとりを、静かに見つめていく。
そして。
柔らかく目を細めた。
「……ティアラを、ここまで連れてきてくれてありがとう」
その声は、どこまでも穏やかだった。
「きっと、一人では辿り着けなかった」
ティアラが、目を見開く。
その隣で。
リアンは、少しだけ視線を逸らした。
そして。
アルトの視線が、その奥へ向く。
『……』
白銀のドラゴンが、静かに佇んでいた。
三つの首。
巨大な翼。
圧倒的な存在感。
アルトは、わずかに目を見開く。
「……まさか、古龍まで力を貸してくれるとは思わなかった」
驚いたように、小さく笑う。
「君たちは、本当にすごいな」
その瞬間だった。
――ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!
凄まじい衝撃音が、塔全体を揺らした。
「……っ!?」
天井から、ぱらぱらと石片が落ちてくる。
床が、低く軋んだ。
「……なんだ、今の音?」
ルカが顔を上げる。
クラウスが、鋭く周囲を見渡した。
嫌な揺れだった。
まるで。
塔そのものが、悲鳴を上げているみたいに。
リリスが、不安そうにリアンの腕へしがみつく。
「リアン……っ」
次の瞬間。
――グラッ。
部屋そのものが、大きく傾いた。
「うわっ――!?」
ルカの声が響く。
全員の身体が、一気に斜めへ流される。
重力に引きずられるみたいに。
身体が、側面の壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
アルトが、とっさにティアラを抱き込む。
そのまま、自分の身体を盾にするみたいに壁へ激突した。
「お父さんっ!?」
「アルト!!」
キャロラインが叫びながら、慌ててその側へ飛ぶ。
ユラが、崩れ始めた床を睨んだ。
「塔が、傾いてる……!」
「いや――」
クラウスの目が細くなる。
「崩壊し始めてる」
その言葉と同時だった。
――ミシィッ!!
床へ、巨大な亀裂が走る。
「まずい――!」
クラウスが叫ぶ。
次の瞬間。
――ガァァァァァンッ!!
足元の石床が、轟音と共に砕け散った。
「きゃあっ――!?」
ティアラの悲鳴が響く。
視界が、反転する。
崩れ落ちる瓦礫。
浮き上がる身体。
リリスを抱き寄せたまま、
リアンの手が咄嗟にティアラへ伸ばされる。
けれど。
指先は、届かなかった。
そして。
全員が、空中へ投げ出された。




