第69話 その咆哮は悲鳴だった
塔は、空を貫いていた。
見上げても、頂上が見えない。
白い雲の奥へ、そのまま呑み込まれている。
高すぎた。
まるで、自分たちだけが地面へ縫い付けられ、あの塔だけが天へ届こうとしているみたいだった。
リアンたちは、無言のまま塔の前へ辿り着く。
白銀の巨大な扉。
その表面には、無数の傷が刻まれていた。
爪痕。
焼け跡。
そのときだった。
――ガシャン。
塔の中から、重い鎖の音が響く。
全員の足が止まった。
「……なんの音だよ」
クラウスが低く吐き捨てる。
ルカも眉を寄せた。
「歓迎って感じじゃないね」
再び。
ガシャン――ッ。
今度は、さっきより近い。
ティアラが小さく肩を震わせた。
「……誰か、いる」
リアンは答えない。
ただ、静かに扉へ手をかけた。
押し開ける。
重い音と共に、白銀の扉がゆっくり開いていく。
同時に、冷たい空気が流れ出した。
冷気の奥に混ざっていたのは、血の匂いだった。
塔の内部は暗い。
遥か上まで続く螺旋階段。
中心は吹き抜けになっていて、天井すら見えない。
その暗闇の底から。
低い呼吸音が聞こえた。
重い。
喉の奥で、 何かが軋んでいるみたいな音だった。
ガシャン――ッ!!
鎖が激しく鳴る。
暗闇の奥で、何かが動いた。
重い何かが身体を引きずる音。
擦れる鎖。
そして。
闇の中で、青い瞳が開いた。
巨大だった。
それは、白銀の鱗を持つ三首のドラゴンだった。
その喉すべてへ、黒い鎖が深く食い込んでいた。
鎖は床を貫き、塔の深くへ沈んでいる。
まるで。
ドラゴンそのものを、
この塔へ縫い付けているみたいだった。
動くたび、鎖が肉を裂く。
鱗の隙間から、赤黒い血が滲んでいた。
左右の頭は、低く唸っている。
喉奥では、青白い炎が脈打っていた。
荒い呼吸。
だが。
中央の頭だけは違った。
苦しげに息を吐きながら、
ただ静かに、リアンたちを見ていた。
ティアラが息を呑む。
「そんな……」
ドラゴンがゆっくり頭を持ち上げる。
その瞬間。
鎖がさらに喉へ食い込んだ。
ガギッ――。
嫌な音。
肉が裂け、血が白銀の床へ落ちる。
ドラゴンの喉が震えた。
痛みに耐えているみたいだった。
「痛そう……」
ティアラの声が掠れる。
その横で。
レイヴンだけが、ドラゴンではなく黒い鎖を見ていた。
青い瞳が細くなる。
ドラゴンが苦しむたび、鎖の紋様が脈打っていた。
まるで。
苦痛そのものへ反応しているみたいに。
「……妙だ」
低い声。
ルカが眉を寄せる。
「何が?」
「嫌な魔力がする」
レイヴンは短く呟いた。
「……あの鎖から」
黒い鎖が、脈打つ。
それに呼応するみたいに、左右の頭が低く唸った。
だが中央の頭だけは、苦しげに目を伏せている。
やがて。
中央の頭が、ゆっくりリアンたちを見据えた。
『――立ち去れ』
低い声だった。
怒声じゃない。
必死に押し殺しているみたいな声。
『ここから先へ進めば、お前たちは死ぬ』
ドラゴンの喉が、苦しげに震える。
『……来るな』
掠れた声だった。
『私はもう……
壊れている』
リアンはドラゴンを見上げる。
真正面から。
「行かなきゃならない」
静かな声だった。
「上に、助けなきゃいけない人がいる」
三つの頭が、わずかに揺れる。
中央の頭だけが、
何かを堪えるみたいに目を伏せた。
次の瞬間。
ガシャン――。
鎖が鳴った。
『……ならば』
声が沈む。
『私は、お前たちを止めなければならない』
次の瞬間。
鎖が、喉へさらに深く食い込んだ。
ガギギギギギッ――!!
骨が軋むみたいな音。
ドラゴンの巨体が激しく震える。
そして。
『――――ガァァアアアアアアアアアッ!!!!』
足元が、ぐらりと沈んだ気がした。
空気が軋む。
塔の壁から、ぱらぱらと石片が落ちた。
鼓膜が痺れる。
咆哮のたび、 喉の裂け目から血が噴いた。
それでも、 咆哮が止まらない。
――あれは、威嚇じゃない。
――悲鳴だった。
ドラゴンが暴れる。
その度に鎖がさらに肉へ食い込む。
血が飛び散る。
白銀の床を赤黒く染めていく。
次の瞬間。
ドラゴンの瞳が赤く染まった。
「下がれッ!!」
リアンが叫ぶ。
直後。
青白い炎が、塔の内部を埋め尽くした。
轟音。
熱風。
螺旋階段の一部が爆ぜ飛ぶ。
石が溶ける。
空気そのものが燃えていた。
リアンたちは散るように飛び退く。
クラウスが炎の脇を滑り抜けた。
「――ッ!!」
床を蹴る。
回転。
全力。
渾身の一撃をドラゴンの胴へ叩き込む。
ギィンッ!!
硬い。
違う。
硬いなんてもんじゃない。
斬れない。
まるで山を殴ったみたいに、腕の骨ごと痺れた。
「はっ……?」
刃が、通っていない。
クラウスの顔が歪む。
「硬すぎんだろがァ!!」
ドラゴンの尾が薙ぐ。
轟音。
空気が裂けた。
クラウスは咄嗟に飛び退くが、衝撃だけで身体が吹き飛ばされる。
石床を何度も跳ね、壁へ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
直後。
上空へ跳んでいたルカが叫ぶ。
「リアン!!来る!!」
暴走した右の頭が、大きく口を開く。
青白い炎が膨れ上がった。
「リリス!!」
「わかってます!!」
白銀の尾が三本へ増える。
紫炎が重なり、盾みたいにリアンたちの前へ展開された。
直後。
青白い炎が激突する。
轟音。
紫炎が大きく軋んだ。
「っ……!!」
リリスの表情が歪む。
押し返せない。
熱量が異常だった。
白銀の尾の表面が、じりじり黒く焦げ始めていた。
「うそ……っ」
リリスの足が、床を滑る。
「リアンお兄様……ッ!!」
リアンが前へ出る。
「水よ――!!」
氷が走る。
床を凍らせながら、ドラゴンの足元へ広がっていく。
瞬く間に、巨大な前脚が氷に閉じ込められた。
ドラゴンが唸る。
だが。
バキィッ!!
わずか数秒。
氷は砕け散った。
ドラゴンの巨体が無理やり拘束を引き千切る。
「速すぎる……!」
ユラの声が、低く漏れた。
呼吸が、わずかに乱れる。
床を蹴る。
次の瞬間には、もうドラゴンの死角へ潜り込んでいる。
迷いなく、その首筋へ短剣を叩き込んだ。
だが。
ギィンッ!!
火花。
ユラの刃が弾かれる。
「……斬れない」
ユラの瞳が、僅かに揺れた。
カイとは違う。
あれは、理解すら許されない“技”だった。
だが、このドラゴンは違う。
純粋な暴力。
圧倒的な熱量。
真正面から、命を焼き潰してくる。
ユラの呼吸が、僅かに乱れる。
技でも、術でもない。
生き物としての“格”が違った。
ドラゴンの鱗が硬すぎる。
攻撃が通らない。
暴走した左の頭が、ユラへ喰らいつこうとする。
「ッ!!」
紙一重。
牙が頬を掠めた。
遅れて、深藍の髪が数本、宙へ舞う。
直後。
ユラがいた場所の石床を、ドラゴンの牙が噛み砕いた。
轟音と共に、砕けた石片が爆ぜ飛ぶ。
リアンはドラゴンを睨む。
強い。
あまりにも。
勝てない。
そんな考えが、一瞬脳裏を掠めた。
だが、ドラゴンは苦しそうだった。
暴れるたび、鎖が肉を裂く。
血が流れる。
悲鳴を上げているのに、止まれない。
まるで、誰かに無理やり動かされているみたいだった。
その間も。
レイヴンは、迫る炎を転移で躱しながら、
一度も鎖から目を離さなかった。
正確には、ドラゴンではない。
喉へ食い込む、黒い鎖だけを見ている。
ドラゴンが暴れるたび、黒い紋様が脈打っていた。
青い瞳が、わずかに揺れる。
光の呪いを知る彼だけが、
あの鎖の異常さを理解していた。
「……やっぱりだ」
青い瞳が、ドラゴンではなく、喉へ食い込む黒い鎖を見据える。
「呪術……」
その声に、ティアラが振り向いた。
「え……?」
「ドラゴンは暴れてるんじゃない」
鎖が鳴る。
ドラゴンが苦しげに唸った。
「暴れさせられてる」
ティアラは、息を呑んだ。
もう一度、ドラゴンを見る。
鎖。
血。
赤く染まった瞳。
苦しみに歪む呼吸。
痛みに耐えている顔だった。
胸の奥が、ぐしゃりと痛む。
「……そんな」
ティアラの声が震える。
「こんな酷いこと……」
誰かが。
このドラゴンを。
ずっと。
閉じ込めて。
傷つけ続けて。
壊そうとしていた。
紫の瞳が揺れる。
怖いより先に、熱が込み上げた。
「許せない……!!」
ティアラが前へ出た。
「ティアラ!?」
リアンが叫ぶ。
だが。
ティアラは止まらない。
白金の光が溢れる。
長い銀髪がふわりと浮いた。
「光よ――」
静かな詠唱。
空気が震えた。
同時に。
ティアラの背から、白金の光が広がっていく。
翼。
幾重にも重なる光の羽。
塔の闇が、やわらかく照らされる。
その瞬間。
ドラゴンの中央の頭が、わずかに目を見開いた。
「音を裂きて、雷を纏え――!!」
白金の雷が放たれる。
一直線に。
黒い鎖へ。
轟音。
塔そのものが揺れた。
次の瞬間。
――ガキィンッ!!
黒い鎖へ、大きな亀裂が走る。
中央の頭が、目を見開いた。
『……なに……?』
低い声。
驚きだった。
だが。
暴走した右の頭が咆哮する。
赤い瞳がさらに濁る。
鎖が、喉へ食い込んだ。
ガシャァンッ!!
『ガァァアアアアアアッ!!!!』
ドラゴンが悲鳴を上げる。
暴走した右の頭が、口を開いた。
青白い炎が膨れ上がる。
肺の奥まで焼けるみたいな熱だった。
「ティアラッ!!」
リアンが飛び出す。
床を蹴る。
手を伸ばす。
だが、遠い。
間に合わない。
次の瞬間。
青白い炎が、ティアラを呑み込んだ。
「――ぁ」
熱。
視界が、白く焼ける。




